16 / 17
【拾壱】
しおりを挟む
私宛に再びさくらさんから手紙が届いた。
今度は呼び出しではなく、さくらさんが身請けされることになったというお知らせであった。手紙の節々から反省していない、ざまーみろ風な意味で伝わってきた。
彼女はやったことを反省しておらず、最後に捨てゼリフを投げつけたくて私宛に手紙を送りつけただけみたいだ。
したたかすぎる人だ…
私が夢見ていたヒロイン像はことごとく崩れ去り、今ではトラウマ化している。彼女は私を憎んでいるようだが、今では私も彼女を許せそうにない。
身請けされたとのことなので、どこかで会うかもしれないが…その時は恨み言の一つくらいぶつけてやりたい気分でもある。
…こうして、遊女さくらは途中退場することになった。まだあのドラマの時間軸は終わっていないというのに。
忠お兄様の運命の人は別の男性を選んで消えた。
……そしたら、私は……
私は気づいていた。抑え込んでいた恋心が日に日に大きくなって隠せなくなっていることを。
だけど伝えられずにいる。
私がマッチ役だから?
ううん。それもあったけど今は別の理由がある。
──戦争が始まるからだ。
これから日本は戦争に巻き込まれる。時代が変わるのだ。
彼が戦争へ出陣する前に自分の想いを伝えるべきか私は葛藤していた。
告白したら少しは楽になるかもしれない。…だけど戦争に向かう彼の重荷になるのではと思うと何も言い出せずにいた。
頻繁に遊びにいらしていた忠お兄様は忙しくされているようで、うちに立ち寄らなくなってしまわれた。
そして街でも町人の耳に戦争が始まるとの噂が流れ、街に不安な空気が流れた。
本土にいる人には影響が出ないと思われがちだが、これまで入荷していた輸入品が入ってこなくなって物価が上昇したりして、庶民の生活にも影響はあった。
当然のことながら、身内が軍関係の仕事をしている人は気が気じゃない。家で下宿している忠お兄様のお母様はそのうちの一人だ。
息子の武運長久を祈るおばさまから、千人針で祈念するべく、ひと針頼まれた。これはただのおまじないだと私もわかっていた。だけどおまじないに頼るしか出来ない。
私はこの戦争の行方を知っている。
だけどそれを止める術はない。
見送るしか出来ない私にはお守りに願いを込めるしか出来ないのだ。
──会いたい。
だけど忙しい彼の邪魔になってしまう。
会ってしまったら、行かないでと引き止めてしまうかもしれない。
勢いに任せて告白するかもしれない。
それならいっそ会わないほうがいいのかもしれない。生きるか死ぬか、日の本の運命が決まる戦争前に色恋ごとで彼を悩ませたくない
彼の邪魔になるくらいなら、最後まで会わないほうがいいのではないかと、敗走兵な私が囁いたのだ。
■□■
「最近あの人来ないですね」
吹雪さんの言葉に、ページを捲っていた私の指が止まった。
先程からページを捲っていたけど、私は内容を全く理解していなかった。目で文字を追っても、全然頭に入ってこないのだ。
「…今日の夕刻に出港でしたっけ。…戦争に行っちゃうんですね」
吹雪さんは庭池で飼っている鯉に餌をあげながら私に問いかけてくる。
そう、だから今日は忠お兄様のお母様はお休みを取って、息子の見送りに行かれたのだ。私にも一緒に来ないかと声を掛けてくださったけど、母子の別れの場面に私がいたら邪魔になるからと遠慮した。
……私はお兄様のお気持ちを考えてと言い訳をしながらも、実は情けなく彼に縋って行かないでと叫びそうになってしまいそうだったから行かなかったのだ。
今彼の顔を見たら間違いなくそうする。確実に。
それは彼の士気に関わる。もしかしたらあのドラマの流れと変わる可能性だって生まれる。怪我をしながら帰ってきた彼が、ここでは帰ってこなくなるかもしれない。
私は運命を変えてしまうのが今更になって恐ろしくなっていたんだ
「亜希子お嬢さん」
本のページを睨みつけていた私の目の前が陰った。私が顔を上げると、そこには吹雪さんが太陽の明かりを遮るかのように立ちふさがっていた。
「どうし」
「好きです」
吹雪さんの口から飛び出してきた言葉に、私は思考停止した。
「好きです、俺は亜希子お嬢さんをお慕いしています」
「えっ、え……」
告白……!?
え、吹雪さん、私と結婚して逆玉の輿に乗りたかったんじゃなくて、私のことを好きだったの?
私はほうけた顔で彼を見上げていた。
まさか、規格外のガリ勉女子な私を好きという男性が現れるとは思わず、呆然とするしかなかった。
吹雪さんの腕がこちらへ伸びてきて、私の身体をそっと包んだ。
「素直で優しくて勉強家のお嬢さんが俺は好きですよ。夢見がちなところも、お転婆なところもひっくるめてあなたをお慕いしております」
「ふ、吹雪さ…」
男性に抱きしめられ慣れていない私は固まってしまった。
それと同時に「違う」と思った。
先日助け出された私が忠お兄様に抱き上げられた時は、もっと逞しくて、体温も高くて……私が求めているのはこの腕じゃないと。
こんな時まで私はあの人を想うのか。
吹雪さんに失礼もいいところだ。
「あの……」
「わかってますよ。お嬢さんの心は決まっているのでしょう? 後悔してはいけませんよ」
亜希子お嬢さんらしくない。と吹雪さんは泣きそうな顔で苦笑いを浮かべていた。
彼は、恋敵に塩を送るのか。
まるで、ドラマの中の吹雪と同じだ。
好きな女性のために、心から血を流しながらも背中を押す彼。
吹雪さんは「ほらほら急いで」と言って、私を立たせると玄関まで送り届けた。
「いってらっしゃい。ちゃんと言いたいこと伝えてから帰ってくるんですよ」
彼はそう言って私の背中を押す。
私は後押しされて、歩いていたが、だんだん気が急いてきた。いつの間にか足は早歩きになり、小走りに変わった。
頬を伝う涙が止まらない。
私は馬鹿だ。
マッチ役だ、運命の相手がいる人だからって自分の気持ちから逃げて。
やっぱり私は敗走兵だ。
もう二度と会えなくなるかもしれないのに、わけのわからない言い訳をして、ただ自分が傷つきたくないだけ。
今伝えなきゃ。
いってらっしゃいって。
無事をお祈り申し上げますって。
…あなたをお慕いしておりますって。
鼻緒が足の股をこすって血が出ていそうだったが、私は構わずに走り続けた。
目的地にたどり着くと、港では立派な戦艦がずらりと並んでいた。これ全部、戦争に向かう戦艦なのか…と圧倒されるところだが、今はそんな事している場合じゃない。
戦へ向かう軍人らが家族と別れを惜しんでいる姿がちらほらあった。
今生の別れになるかもしれないと、涙を流す母親、日本のために戦い、錦を飾れと息子を叱咤激励する父親。はたまた幼い乳児を抱えたお嫁さんと離れがたそうにしている若い水兵の姿も。
私は辺りを見渡して彼の姿を探した。
早くしなきゃ。
もう時刻は夕刻。
彼が行ってしまう。
「──亜希ちゃん?」
その声に私はバッと振り返る。
私が見上げた先には、さっぱり髪が短くなった忠お兄様の姿があった。彼の顔色は悪く、緊張にこわばっているように窺える。
「お兄様っ!」
その姿を目に映した私は感情が昂ぶり、外だと言うのに彼の胸に飛び込んだ。
はしたないと眉をひそめられても構わない。絶対に後悔したくないのだ。
「ずっとずっとあなたが好きでした! あなたに近づきたくて認めてもらいたくて私は勉学に励んできたんです」
私の告白に案の定、忠お兄様はびっくりした顔をしている。
これをわかっていた。動揺させたくなかった。
だけどこのまま見送るなんて無理だ。
あなたの負担になるかもしれない。応えようとしなくてもいい。せめて私の想いをわかってほしい。
「勉強ばかりの私を賢い子だと褒めてくださって嬉しかった。あなたの笑顔が好きです、あなたの特別になりたい。…あなたは私を妹のように思われているかもしれません。ですけど私はっ」
私の言葉を封じるかのように、白い手袋をした忠お兄様の人差し指が私の唇の上に乗せられた。
「参った…先を越されちゃったな」
彼は照れくさそうに苦笑いを浮かべていた。
「亜希ちゃんに求婚しようと思った矢先に戦争が勃発してしまったから…君の負担にならぬよう何も言わずに行こうと思ったのだけど…」
私の目からひっきりなしに流れている涙を彼に拭われるが、拭っても拭っても止まりそうにない。
「…君を待たせることになるんだよ? もしかしたら俺は帰って来られないかもしれない」
その言葉に私の涙はブワッと溢れた。
この目にしっかり彼の顔を焼き付けておきたいのに、視界が滲んで歪んで見える。
「…それでも、待ってます。私にはあなたのいない人生は考えられない」
あなたはわかっていない。
私の恋心は着火されて燃え盛っているのだ。マッチ役を自称していた私は抑えていた恋心を自らの火種で更に大きくしてしまった。
私がどれだけあなたを愛しているのかわかってないのだろう。
「お兄様は私の唇を奪ったのです。責任を取って貰わねば困ります!」
私はあなた以外の男性に抱かれたくない。ワガママと言われても構わない。
それで嫁き遅れてオールドミスと後ろ指さされても、それが私の選択だから後悔しない。
私のワガママに、忠お兄様は泣きそうな顔をしていらした。「全く、仕方のない子だね」と私を窘めるように言ってるが、その言葉は震えていた。
お兄様は軍人だ。この日の本のために戦うという覚悟を持って行かれるのだ。
彼は私の左手を持ち上げると、手の甲に口づけを落とした。そして私の手を頬に押し当てると手のひらにもキスをされた。
忠お兄様の唇が当たった部分が熱く痺れる。自分の顔に一気に熱が集まったのがわかった。
「待ってて、必ず帰る。……帰ってきたら俺と夫婦になってほしい」
覚悟を決めた顔でお兄様は私に言った。
飾られた言葉じゃない。戦争へ旅立つ彼から言われたそれは遺言にも似ている。
たけど私も覚悟を決めねば。
「待ってます、ずっと待っていますから必ず帰ってきてください」
私達は周りの目を気にせず、抱き合った。
離れたくない。彼と一緒にいたい。
だけど彼は行かねばならない。
彼は運命の人とは結ばれなかった。
だけど戦争という運命だけは変わらなかった。
彼が軍艦に乗り込んで行き、出港する姿を私は涙を流して見送った。
私だけじゃない。見送りに来た人は皆そうしていた。日の丸の旗を振って、声が枯れるまで激励を送っている人もいた。
私は艦艇が見えなくなっても、そこに佇んでいた。
いつまでも、何年経っても彼を待ち続けると誓って。
今度は呼び出しではなく、さくらさんが身請けされることになったというお知らせであった。手紙の節々から反省していない、ざまーみろ風な意味で伝わってきた。
彼女はやったことを反省しておらず、最後に捨てゼリフを投げつけたくて私宛に手紙を送りつけただけみたいだ。
したたかすぎる人だ…
私が夢見ていたヒロイン像はことごとく崩れ去り、今ではトラウマ化している。彼女は私を憎んでいるようだが、今では私も彼女を許せそうにない。
身請けされたとのことなので、どこかで会うかもしれないが…その時は恨み言の一つくらいぶつけてやりたい気分でもある。
…こうして、遊女さくらは途中退場することになった。まだあのドラマの時間軸は終わっていないというのに。
忠お兄様の運命の人は別の男性を選んで消えた。
……そしたら、私は……
私は気づいていた。抑え込んでいた恋心が日に日に大きくなって隠せなくなっていることを。
だけど伝えられずにいる。
私がマッチ役だから?
ううん。それもあったけど今は別の理由がある。
──戦争が始まるからだ。
これから日本は戦争に巻き込まれる。時代が変わるのだ。
彼が戦争へ出陣する前に自分の想いを伝えるべきか私は葛藤していた。
告白したら少しは楽になるかもしれない。…だけど戦争に向かう彼の重荷になるのではと思うと何も言い出せずにいた。
頻繁に遊びにいらしていた忠お兄様は忙しくされているようで、うちに立ち寄らなくなってしまわれた。
そして街でも町人の耳に戦争が始まるとの噂が流れ、街に不安な空気が流れた。
本土にいる人には影響が出ないと思われがちだが、これまで入荷していた輸入品が入ってこなくなって物価が上昇したりして、庶民の生活にも影響はあった。
当然のことながら、身内が軍関係の仕事をしている人は気が気じゃない。家で下宿している忠お兄様のお母様はそのうちの一人だ。
息子の武運長久を祈るおばさまから、千人針で祈念するべく、ひと針頼まれた。これはただのおまじないだと私もわかっていた。だけどおまじないに頼るしか出来ない。
私はこの戦争の行方を知っている。
だけどそれを止める術はない。
見送るしか出来ない私にはお守りに願いを込めるしか出来ないのだ。
──会いたい。
だけど忙しい彼の邪魔になってしまう。
会ってしまったら、行かないでと引き止めてしまうかもしれない。
勢いに任せて告白するかもしれない。
それならいっそ会わないほうがいいのかもしれない。生きるか死ぬか、日の本の運命が決まる戦争前に色恋ごとで彼を悩ませたくない
彼の邪魔になるくらいなら、最後まで会わないほうがいいのではないかと、敗走兵な私が囁いたのだ。
■□■
「最近あの人来ないですね」
吹雪さんの言葉に、ページを捲っていた私の指が止まった。
先程からページを捲っていたけど、私は内容を全く理解していなかった。目で文字を追っても、全然頭に入ってこないのだ。
「…今日の夕刻に出港でしたっけ。…戦争に行っちゃうんですね」
吹雪さんは庭池で飼っている鯉に餌をあげながら私に問いかけてくる。
そう、だから今日は忠お兄様のお母様はお休みを取って、息子の見送りに行かれたのだ。私にも一緒に来ないかと声を掛けてくださったけど、母子の別れの場面に私がいたら邪魔になるからと遠慮した。
……私はお兄様のお気持ちを考えてと言い訳をしながらも、実は情けなく彼に縋って行かないでと叫びそうになってしまいそうだったから行かなかったのだ。
今彼の顔を見たら間違いなくそうする。確実に。
それは彼の士気に関わる。もしかしたらあのドラマの流れと変わる可能性だって生まれる。怪我をしながら帰ってきた彼が、ここでは帰ってこなくなるかもしれない。
私は運命を変えてしまうのが今更になって恐ろしくなっていたんだ
「亜希子お嬢さん」
本のページを睨みつけていた私の目の前が陰った。私が顔を上げると、そこには吹雪さんが太陽の明かりを遮るかのように立ちふさがっていた。
「どうし」
「好きです」
吹雪さんの口から飛び出してきた言葉に、私は思考停止した。
「好きです、俺は亜希子お嬢さんをお慕いしています」
「えっ、え……」
告白……!?
え、吹雪さん、私と結婚して逆玉の輿に乗りたかったんじゃなくて、私のことを好きだったの?
私はほうけた顔で彼を見上げていた。
まさか、規格外のガリ勉女子な私を好きという男性が現れるとは思わず、呆然とするしかなかった。
吹雪さんの腕がこちらへ伸びてきて、私の身体をそっと包んだ。
「素直で優しくて勉強家のお嬢さんが俺は好きですよ。夢見がちなところも、お転婆なところもひっくるめてあなたをお慕いしております」
「ふ、吹雪さ…」
男性に抱きしめられ慣れていない私は固まってしまった。
それと同時に「違う」と思った。
先日助け出された私が忠お兄様に抱き上げられた時は、もっと逞しくて、体温も高くて……私が求めているのはこの腕じゃないと。
こんな時まで私はあの人を想うのか。
吹雪さんに失礼もいいところだ。
「あの……」
「わかってますよ。お嬢さんの心は決まっているのでしょう? 後悔してはいけませんよ」
亜希子お嬢さんらしくない。と吹雪さんは泣きそうな顔で苦笑いを浮かべていた。
彼は、恋敵に塩を送るのか。
まるで、ドラマの中の吹雪と同じだ。
好きな女性のために、心から血を流しながらも背中を押す彼。
吹雪さんは「ほらほら急いで」と言って、私を立たせると玄関まで送り届けた。
「いってらっしゃい。ちゃんと言いたいこと伝えてから帰ってくるんですよ」
彼はそう言って私の背中を押す。
私は後押しされて、歩いていたが、だんだん気が急いてきた。いつの間にか足は早歩きになり、小走りに変わった。
頬を伝う涙が止まらない。
私は馬鹿だ。
マッチ役だ、運命の相手がいる人だからって自分の気持ちから逃げて。
やっぱり私は敗走兵だ。
もう二度と会えなくなるかもしれないのに、わけのわからない言い訳をして、ただ自分が傷つきたくないだけ。
今伝えなきゃ。
いってらっしゃいって。
無事をお祈り申し上げますって。
…あなたをお慕いしておりますって。
鼻緒が足の股をこすって血が出ていそうだったが、私は構わずに走り続けた。
目的地にたどり着くと、港では立派な戦艦がずらりと並んでいた。これ全部、戦争に向かう戦艦なのか…と圧倒されるところだが、今はそんな事している場合じゃない。
戦へ向かう軍人らが家族と別れを惜しんでいる姿がちらほらあった。
今生の別れになるかもしれないと、涙を流す母親、日本のために戦い、錦を飾れと息子を叱咤激励する父親。はたまた幼い乳児を抱えたお嫁さんと離れがたそうにしている若い水兵の姿も。
私は辺りを見渡して彼の姿を探した。
早くしなきゃ。
もう時刻は夕刻。
彼が行ってしまう。
「──亜希ちゃん?」
その声に私はバッと振り返る。
私が見上げた先には、さっぱり髪が短くなった忠お兄様の姿があった。彼の顔色は悪く、緊張にこわばっているように窺える。
「お兄様っ!」
その姿を目に映した私は感情が昂ぶり、外だと言うのに彼の胸に飛び込んだ。
はしたないと眉をひそめられても構わない。絶対に後悔したくないのだ。
「ずっとずっとあなたが好きでした! あなたに近づきたくて認めてもらいたくて私は勉学に励んできたんです」
私の告白に案の定、忠お兄様はびっくりした顔をしている。
これをわかっていた。動揺させたくなかった。
だけどこのまま見送るなんて無理だ。
あなたの負担になるかもしれない。応えようとしなくてもいい。せめて私の想いをわかってほしい。
「勉強ばかりの私を賢い子だと褒めてくださって嬉しかった。あなたの笑顔が好きです、あなたの特別になりたい。…あなたは私を妹のように思われているかもしれません。ですけど私はっ」
私の言葉を封じるかのように、白い手袋をした忠お兄様の人差し指が私の唇の上に乗せられた。
「参った…先を越されちゃったな」
彼は照れくさそうに苦笑いを浮かべていた。
「亜希ちゃんに求婚しようと思った矢先に戦争が勃発してしまったから…君の負担にならぬよう何も言わずに行こうと思ったのだけど…」
私の目からひっきりなしに流れている涙を彼に拭われるが、拭っても拭っても止まりそうにない。
「…君を待たせることになるんだよ? もしかしたら俺は帰って来られないかもしれない」
その言葉に私の涙はブワッと溢れた。
この目にしっかり彼の顔を焼き付けておきたいのに、視界が滲んで歪んで見える。
「…それでも、待ってます。私にはあなたのいない人生は考えられない」
あなたはわかっていない。
私の恋心は着火されて燃え盛っているのだ。マッチ役を自称していた私は抑えていた恋心を自らの火種で更に大きくしてしまった。
私がどれだけあなたを愛しているのかわかってないのだろう。
「お兄様は私の唇を奪ったのです。責任を取って貰わねば困ります!」
私はあなた以外の男性に抱かれたくない。ワガママと言われても構わない。
それで嫁き遅れてオールドミスと後ろ指さされても、それが私の選択だから後悔しない。
私のワガママに、忠お兄様は泣きそうな顔をしていらした。「全く、仕方のない子だね」と私を窘めるように言ってるが、その言葉は震えていた。
お兄様は軍人だ。この日の本のために戦うという覚悟を持って行かれるのだ。
彼は私の左手を持ち上げると、手の甲に口づけを落とした。そして私の手を頬に押し当てると手のひらにもキスをされた。
忠お兄様の唇が当たった部分が熱く痺れる。自分の顔に一気に熱が集まったのがわかった。
「待ってて、必ず帰る。……帰ってきたら俺と夫婦になってほしい」
覚悟を決めた顔でお兄様は私に言った。
飾られた言葉じゃない。戦争へ旅立つ彼から言われたそれは遺言にも似ている。
たけど私も覚悟を決めねば。
「待ってます、ずっと待っていますから必ず帰ってきてください」
私達は周りの目を気にせず、抱き合った。
離れたくない。彼と一緒にいたい。
だけど彼は行かねばならない。
彼は運命の人とは結ばれなかった。
だけど戦争という運命だけは変わらなかった。
彼が軍艦に乗り込んで行き、出港する姿を私は涙を流して見送った。
私だけじゃない。見送りに来た人は皆そうしていた。日の丸の旗を振って、声が枯れるまで激励を送っている人もいた。
私は艦艇が見えなくなっても、そこに佇んでいた。
いつまでも、何年経っても彼を待ち続けると誓って。
0
あなたにおすすめの小説
愛する人は、貴方だけ
月(ユエ)/久瀬まりか
恋愛
下町で暮らすケイトは母と二人暮らし。ところが母は病に倒れ、ついに亡くなってしまう。亡くなる直前に母はケイトの父親がアークライト公爵だと告白した。
天涯孤独になったケイトの元にアークライト公爵家から使者がやって来て、ケイトは公爵家に引き取られた。
公爵家には三歳年上のブライアンがいた。跡継ぎがいないため遠縁から引き取られたというブライアン。彼はケイトに冷たい態度を取る。
平民上がりゆえに令嬢たちからは無視されているがケイトは気にしない。最初は冷たかったブライアン、第二王子アーサー、公爵令嬢ミレーヌ、幼馴染カイルとの交友を深めていく。
やがて戦争の足音が聞こえ、若者の青春を奪っていく。ケイトも無関係ではいられなかった……。
断罪後の気楽な隠居生活をぶち壊したのは誰です!〜ここが乙女ゲームの世界だったなんて聞いていない〜
白雲八鈴
恋愛
全ては勘違いから始まった。
私はこの国の王子の一人であるラートウィンクルム殿下の婚約者だった。だけどこれは政略的な婚約。私を大人たちが良いように使おうとして『白銀の聖女』なんて通り名まで与えられた。
けれど、所詮偽物。本物が現れた時に私は気付かされた。あれ?もしかしてこの世界は乙女ゲームの世界なのでは?
関わり合う事を避け、婚約者の王子様から「貴様との婚約は破棄だ!」というお言葉をいただきました。
竜の谷に追放された私が血だらけの鎧を拾い。未だに乙女ゲームの世界から抜け出せていないのではと内心モヤモヤと思いながら過ごして行くことから始まる物語。
『私の居場所を奪った聖女様、貴女は何がしたいの?国を滅ぼしたい?』
❋王都スタンピード編完結。次回投稿までかなりの時間が開くため、一旦閉じます。完結表記ですが、王都編が完結したと捉えてもらえればありがたいです。
*乙女ゲーム要素は少ないです。どちらかと言うとファンタジー要素の方が強いです。
*表現が不適切なところがあるかもしれませんが、その事に対して推奨しているわけではありません。物語としての表現です。不快であればそのまま閉じてください。
*いつもどおり程々に誤字脱字はあると思います。確認はしておりますが、どうしても漏れてしまっています。
*他のサイトでは別のタイトル名で投稿しております。小説家になろう様では異世界恋愛部門で日間8位となる評価をいただきました。
【完結】断頭台で処刑された悪役王妃の生き直し
有栖多于佳
恋愛
近代ヨーロッパの、ようなある大陸のある帝国王女の物語。
30才で断頭台にかけられた王妃が、次の瞬間3才の自分に戻った。
1度目の世界では盲目的に母を立派な女帝だと思っていたが、よくよく思い起こせば、兄妹間で格差をつけて、お気に入りの子だけ依怙贔屓する毒親だと気づいた。
だいたい帝国は男子継承と決まっていたのをねじ曲げて強欲にも女帝になり、初恋の父との恋も成就させた結果、継承戦争起こし帝国は二つに割ってしまう。王配になった父は人の良いだけで頼りなく、全く人を見る目のないので軍の幹部に登用した者は役に立たない。
そんな両親と早い段階で決別し今度こそ幸せな人生を過ごすのだと、決意を胸に生き直すマリアンナ。
史実に良く似た出来事もあるかもしれませんが、この物語はフィクションです。
世界史の人物と同名が出てきますが、別人です。
全くのフィクションですので、歴史考察はありません。
*あくまでも異世界ヒューマンドラマであり、恋愛あり、残業ありの娯楽小説です。
王太子妃専属侍女の結婚事情
蒼あかり
恋愛
伯爵家の令嬢シンシアは、ラドフォード王国 王太子妃の専属侍女だ。
未だ婚約者のいない彼女のために、王太子と王太子妃の命で見合いをすることに。
相手は王太子の側近セドリック。
ところが、幼い見た目とは裏腹に令嬢らしからぬはっきりとした物言いのキツイ性格のシンシアは、それが元でお見合いをこじらせてしまうことに。
そんな二人の行く末は......。
☆恋愛色は薄めです。
☆完結、予約投稿済み。
新年一作目は頑張ってハッピーエンドにしてみました。
ふたりの喧嘩のような言い合いを楽しんでいただければと思います。
そこまで激しくはないですが、そういうのが苦手な方はご遠慮ください。
よろしくお願いいたします。
忘れ去られた婚約者
かべうち右近
恋愛
『僕はレベッカしか選ばない』
甘い声音でそう話したはずの王太子サイラスは、レベッカを忘れてしまった。
レベッカは、王太子サイラスと付き合っていることを、ある事情により隠していた。舞踏会で関係を公表し、婚約者に指名される予定だったのに、舞踊会の夜にサイラスは薬を盛られて倒れ、記憶喪失になってしまう。
恋人が誰なのかわからないのをいいことに、偽の恋人が次々と名乗りをあげ王太子の婚約者の座を狙ってくる。おかげで不信に陥ったサイラスに、レベッカは自分が恋人だと名乗り出せなくなってしまった。
サイラスの記憶喪失を解消するため、薬師兼魔女であるレベッカは恋人であることを隠しながら、事件調査を協力することになった。そうして記憶が戻らないまま二人の距離は再び近づいていく。だが、そんなおりにサイラスの偽の恋人を名乗りでた令嬢たちが、次々と襲われる事件も起き始めて……!?
※他のサイトにも掲載しています。
毎日更新です。
王女を好きだと思ったら
夏笆(なつは)
恋愛
「王子より王子らしい」と言われる公爵家嫡男、エヴァリスト・デュルフェを婚約者にもつバルゲリー伯爵家長女のピエレット。
デビュタントの折に突撃するようにダンスを申し込まれ、望まれて婚約をしたピエレットだが、ある日ふと気づく。
「エヴァリスト様って、ルシール王女殿下のお話ししかなさらないのでは?」
エヴァリストとルシールはいとこ同士であり、幼い頃より親交があることはピエレットも知っている。
だがしかし度を越している、と、大事にしているぬいぐるみのぴぃちゃんに語りかけるピエレット。
「でもね、ぴぃちゃん。私、エヴァリスト様に恋をしてしまったの。だから、頑張るわね」
ピエレットは、そう言って、胸の前で小さく拳を握り、決意を込めた。
ルシール王女殿下の好きな場所、好きな物、好みの装い。
と多くの場所へピエレットを連れて行き、食べさせ、贈ってくれるエヴァリスト。
「あのね、ぴぃちゃん!エヴァリスト様がね・・・・・!」
そして、ピエレットは今日も、エヴァリストが贈ってくれた特注のぬいぐるみ、孔雀のぴぃちゃんを相手にエヴァリストへの想いを語る。
小説家になろうにも、掲載しています。
【完結】番である私の旦那様
桜もふ
恋愛
異世界であるミーストの世界最強なのが黒竜族!
黒竜族の第一皇子、オパール・ブラック・オニキス(愛称:オール)の番をミースト神が異世界転移させた、それが『私』だ。
バールナ公爵の元へ養女として出向く事になるのだが、1人娘であった義妹が最後まで『自分』が黒竜族の番だと思い込み、魅了の力を使って男性を味方に付け、なにかと嫌味や嫌がらせをして来る。
オールは政務が忙しい身ではあるが、溺愛している私の送り迎えだけは必須事項みたい。
気が抜けるほど甘々なのに、義妹に邪魔されっぱなし。
でも神様からは特別なチートを貰い、世界最強の黒竜族の番に相応しい子になろうと頑張るのだが、なぜかディロ-ルの侯爵子息に学園主催の舞踏会で「お前との婚約を破棄する!」なんて訳の分からない事を言われるし、義妹は最後の最後まで頭お花畑状態で、オールを手に入れようと男の元を転々としながら、絡んで来ます!(鬱陶しいくらい来ます!)
大好きな乙女ゲームや異世界の漫画に出てくる「私がヒロインよ!」な頭の変な……じゃなかった、変わった義妹もいるし、何と言っても、この世界の料理はマズイ、不味すぎるのです!
神様から貰った、特別なスキルを使って異世界の皆と地球へ行き来したり、地球での家族と異世界へ行き来しながら、日本で得た知識や得意な家事(食事)などを、この世界でオールと一緒に自由にのんびりと生きて行こうと思います。
前半は転移する前の私生活から始まります。
タイムリープ〜悪女の烙印を押された私はもう二度と失敗しない
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<もうあなた方の事は信じません>―私が二度目の人生を生きている事は誰にも内緒―
私の名前はアイリス・イリヤ。王太子の婚約者だった。2年越しにようやく迎えた婚約式の発表の日、何故か<私>は大観衆の中にいた。そして婚約者である王太子の側に立っていたのは彼に付きまとっていたクラスメイト。この国の国王陛下は告げた。
「アイリス・イリヤとの婚約を解消し、ここにいるタバサ・オルフェンを王太子の婚約者とする!」
その場で身に覚えの無い罪で悪女として捕らえられた私は島流しに遭い、寂しい晩年を迎えた・・・はずが、守護神の力で何故か婚約式発表の2年前に逆戻り。タイムリープの力ともう一つの力を手に入れた二度目の人生。目の前には私を騙した人達がいる。もう騙されない。同じ失敗は繰り返さないと私は心に誓った。
※カクヨム・小説家になろうにも掲載しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる