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Day‘s Eye 魔術師になったデイジー
若返り薬の暴走【三人称視点】
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雲ひとつない日曜の昼下がり。いい天気だと言うのに、一人丘の上に座って難しい顔をした娘がいた。
兄夫妻の第二子誕生をお祝いするために数ヶ月ぶりに帰省したその娘は、屋外で道具を並べて何やら怪しい薬を作っていた。普段なら何も見ずにサクサク作るというのに今回はずっしり重そうな薬学の本を開いて、真剣な眼差しで慎重に製造している。
だから、周りの気配に気づけずにいた。
「…よし、できた…」
「デイジーねぇちゃんっ遊ぼっ」
ドスーンと背中に衝撃。大きくわんぱくに育ちつつある甥っ子の特攻を受けた彼女はそのまま前のめりに倒れ込んだのである。
キャッキャと幼子達が無邪気に笑い合う声が聞こえてきた。それを耳にした青年はピクリとその耳を小さく動かす。
鼻が利く村の住民に迷惑がかからぬよう、いつも彼女は住居地から離れた丘で薬を作っている。今日もそこで何か作っているんだろうと思っていたが、いつもとは少しばかり違う匂いがする。
……しかも、幼子の声が聞こえるが、彼が探す彼女の声が聞こえない……彼女の甘い匂いはするのに、だ。
「はいっこれでおよめさん!」
「およめさん…」
丘の上に幼子2人がいた。不格好な花かんむりを作った男の子が小さな女の子の頭に載せてあげる風景が青年の目に映った。
その後ろには彼女が愛用している道具の数々が散乱しており、薬特有の香りが広がっている。一体何事だと青年は顔をしかめた。
「…おい、ハロルド……」
「あっテオ! みてみて僕のおよめさんだよ!」
「はぁ…?」
嫁ぇ? ガキのくせに生意気な…と呟いたテオはそこで新たな違和感に気づいた。
マック家の長男の息子であるハロルドとともにいる女児についてだ。黒髪に紫の瞳に真っ白な肌。ずるずるの大きな服を身に着けているその子どもを見て違和感を覚え……まさかと衝撃を受けた。
「……デイジー…?」
テオの初恋であり、今も継続中の想い人が幼い頃に逆戻りした姿に変わっていたのだ。それも、彼がはじめて彼女と出会って一目惚れした時期くらいの年齢の……
「…おにいちゃん、だれ?」
いつも隙なく愛想なくしている彼女とは違う、無防備な表情を浮かべた幼い彼女はぽやんとテオを見上げて首を傾げていた。
「この人はテオだよ」
「てお?」
「そしてデイジーは僕のおよめさん!」
ハロルドはそう言ってデイジーの無垢な頬にキスを落とした。
それを見たテオはカッとなり、デイジーを抱き上げることでハロルドから引き離していた。
「なにするんだよ!」
「ヒェ…にぃちゃん、リックにいちゃん…」
「デイジーを返せ!」
デイジーの記憶も過去に退化しているようで、知らない人に抱き上げられたことを怖がって泣いてしまった。デイジーを奪われて憤慨するハロルドに足をゲシゲシ蹴られるが、テオはそれどころじゃない。
紫の大きな瞳に涙がじわじわにじむのを直視したテオはぎょっとして、そのままデイジーを抱っこしたままマック家へ急いで向かったのである。
「あれまぁ懐かしい姿になって…」
デイジーのただならぬ姿を見たマック家のお母さんは間の抜けた反応をしてみせた。
幼いデイジーの身体にびっちょり付いた薬剤を風呂場で流し、彼女が幼い頃に着用していた服を引っ張り出して着けさせた。
デイジーはといえば、周りを不思議そうにキョロキョロ見渡して首を傾げていた。
「デイジーどうした?」
「リックにぃちゃん、どうしてにぃちゃんおっきくなったの?」
「それはお前が小さくなっただけだ」
「ふわっ」
小さくなった妹の脇の下に手を入れると、高い高いをしてみせたリック。そのまま彼女を肩の上に乗せてやると、デイジーはリックのおでこに手を回してニコニコ笑っていた。
「えへへ、高い」
「デイジーは高いところ好きか?」
「うん、わたしもにぃちゃんみたいに大きくなるんだ」
「うーんそれはどうだろう?」
ほのぼのと兄妹のふれあいをしていたリックと退化したデイジー。彼らは気づいていなかった。
想い人が幼い姿に戻ってしまった上に、初対面の知らない人扱いをされたテオである。彼は先程から嫉妬とか羨ましさとか色んなものをごっちゃ混ぜにした視線をリックに送っている。
「…あんた、殺気飛ばすなら帰りな。デイジーが怖がる」
マック家のお母さんから注意されたテオはハッとして、心を落ち着かせようとするが、やはり不満なのか喉の奥をグルグル鳴らしていた。
「リック兄ちゃん! デイジー返して!」
「こら、あんたは説教だ。危ないから薬を作ってる時に近づいちゃならないって言われたのを守らなかったんだね? なんのためにデイジー姉さんが離れた場所で薬作ってるのか分かってないんだね。もしも危険なものだったらどうするんだい」
若返り薬によって同年代に変わったデイジーを気に入ったハロルドは彼女を自分の側に置きたがっていたが、その首根っこを掴まれて阻止された。
人化出来るようになったハロルドは行動的になった。彼は同年代の周りの子よりも身体が大きく力も大きい。だけどまだまだ幼子で突拍子もない行動を起こす。大人たちがどんなに言い聞かせてもとんでもない行動を起こしてしまうのだ。
ハロルドはジタバタと暴れるが、祖母によって捕獲され、両親祖父母に囲まれての説教タイムに入ったのであった。
■□■
すん、と鼻を鳴らすと、あの匂いがした。どこからか香ってくる甘い香りに惹かれたテオ。彼は職場での作業を一時中断して工場の外に出てきた。匂いの元は大きなバスケットを抱えててくてくと工場の横の道を歩いていた。
「おいデイジー、一人か? どこに行くんだ」
「おとうさんにお昼ごはんお届けするの」
お使いを頼まれたのだという小さなデイジーはバスケットを見せてきた。父親の働く森の中の作業場まで届けに行くという。
「一人じゃ危ねぇだろ。誰かに連れ拐われたらどうするんだ」
「その筆頭にお前とかな」
「おっ親方…」
背後から掛けられた声にぎくりと肩をこわばらせたテオはギギギ…と後ろを振り返る。テオの後ろには親方が迫っており、彼をじっとりした目で見つめていた。
「いつものサボりかと思ったけど…今回は状況が状況だからな。嬢ちゃんが心配でどうせお前は仕事になんねぇだろ。お前先に休憩に行っていいよ」
親方に許可をもらったテオはデイジーの引率をすることにした。
ちまちま歩くデイジーが危なっかしいからと片腕で彼女の小さな身体を抱き上げ、空いた手でバスケットの持ち手を掴む。一度は「自分で歩ける」とデイジーは言ったものの、テオから危ないからと一蹴されたので大人しく腕の上に鎮座した。
「あ、おはな」
「…これか?」
進む道すがら、黄色い花芯に白い花弁の可憐な花が咲いていた。テオはバスケットを一旦地面に置き、デイジーはしっかり抱っこしたまましゃがみ込むと、花を一輪摘んだ。虫がついてないかを確認すると、デイジーの眼前に突き出す。
「ほら、この花好きなんだろ」
「…ありがとうおにいちゃん」
素直に喜ぶデイジーの愛らしさにテオはキュンとときめいた。
「…ロリコンは駄目だぞ、ロリコンは」
近くで農作業していた村人に声を掛けられたテオはギクッとした。
「ろっロリコンじゃねぇよ! デイジーは俺と同い年だ!」
「……幼子の姿したデイジーに変な気起こすんじゃねぇぞ…」
言い訳するテオの言葉にも、村人の目は疑惑に満ちていた。この村でテオの長年の片思いは周知の事実。気づかぬは想い人ただ一人だ。そのため、今回のデイジー退化事件でテオが暴走しないかとまわりは心配していた。
村人の監視するような目から逃れるようにして目的地に到着すると、作業中だったマック家のお父さんにお昼ごはんを届けたのだった。
「おばさん、あいつどうしてる?」
「デイジーならお昼寝中。起こすんじゃないよ」
幼子に変わったデイジーは記憶もだが行動も幼児化していた。食事は小さく柔らかいものでなくては誤飲してしまうし、身体も弱いし、一日の大半を眠っている。
そして今はお昼寝中だという。仕事の休憩時間に抜け出してきたテオは肩を落とす。
「そんな心配しなくとも、うちにいる限りあの子になにか起きるわけじゃないんだよ?」
「心配というか…顔見るくらいならいいだろ?」
婦人から「起こすな」と更に念押しされたテオは音を立てずにそぉっとデイジーの部屋を覗き込んだ。ベッドの上で彼女は胎児型になって眠っていた。すやすやと安らかな寝息を立てている。
通常ならその寝顔に癒やされるところだが、その時ばかりは違った。
デイジーの隣に入り込んで一緒に眠っているハロルドの姿があったからだ。
「…ハロルド!!」
「ふぁ!?」
テオはハロルドの首根っこを掴んでベッドから引き剥がすと、そのまま婦人に突き出した。
「離せぇぇ」とジタバタ暴れるハロルドとおっかない顔をしたテオを見比べた婦人は不思議そうに首を傾げていた。
「…あらハロルド来てたの」
「こいつ、デイジーのベッドに入り込んでたぞ!」
テオの訴えに彼女は困った風に、呆れた風に首を傾げていた。
「そんな怒ることじゃないでしょ、子ども同士で寝ていただけじゃないの」
彼女の宥める声が聞こえないのか、テオとハロルドは睨み合っていた。
「テオのケチンボ! デイジーは僕んだもん!」
「何歳年が離れてると思ってんだ、このマセガキ!」
この2人は短期間中に一気に仲が悪くなったようで、デイジーを巡って火花を散らす回数が増えた。
その原因はすやすや夢の中であるデイジーである。ハロルドはまだまだ親の手が必要な幼子だというのに、16歳のデイジーにほのかな恋情を抱いていたのだ。その恋心は憧れ程度の小さなものだが、獣人特有の執着心を徐々に芽生えさせているハロルドの存在をテオは危険視していた。
「初対面直後にデイジーを引っ倒して好意をぶつけていたテオにだけは言われたくないでしょう…」
「う、うるせぇな…」
想い人の育ての母親からのツッコミにテオは幼き頃の自分の所業を思い出して恥ずかしくなったようでその頬を赤く染めていた。
「おかあさぁん…」
ぐずりながら呼びかけられた声は下の方から聞こえてきた。
「おやまぁデイジー。うるさくて目が覚めたのかい?」
ジロッと元凶であろうテオに鋭い視線を送りつつ、幼い娘に目線を合わせるべく屈み込んだ彼女は、涙に濡れた娘の頬を親指で拭ってやる。
「怖い夢見たの…」
よほど怖かったのだろう。紫の瞳からポロポロ涙をこぼしたデイジーは抱っこをねだって両腕を母親に伸ばした。
それをすかさずテオが抱っこする。
「かぁしゃ…」
デイジーは思っていたのと違うといいたげな表情で、母親に手を伸ばしていたが、テオはポンポンと背中を撫でてデイジーを宥めた。その手は優しく、デイジーはテオの肩に頬を乗せてウトウトし始めた。
そう時間は掛けずに彼女を寝かしつけると、「心狭すぎだろうアンタ…」と彼女の母から呆れた目で見られたが、テオは痛くも痒くもなかった。
「はいはいわかった、デイジーを寝かせてあげてちょうだい」
「テオのあんぽんたん!」
もう相手にしてられんとばかりに踵を返す婦人。悪口を吐き捨てて足をゲシゲシ蹴りつけてくるハロルド。
何を言われても構わなかった。とにかく自分が彼女の面倒を見てやりたかったのだ。決してやましい気持ちはない。純粋な庇護欲から来る……
──ポンッ
間抜けな音を立てて、腕の中の温もりの重さが増した。
「…!?」
ビリビリッと布が引き裂くような音を立てた。テオの腕の中の存在は体積を増したのだ。
「あらま大変!」
先に動いたのは婦人である。急いで洋服を取ってこようと小走りでどこかに駆けていった。
一方のテオは硬直していた。
先程まで幼子だった彼女が突然元の姿に戻ったのだ。それまで身につけていた服は身体の大きさに耐えきれずに破けて……その、あられもない姿になってしまっている。
テオの想い人は未だにすやすや夢の中。
テオは自分の中の本能を押し殺し、心を殺して、彼女を部屋に運び入れた。心を律するのに唇を強く噛み締めすぎて血が出ているのにも気づかなかった。
先程まで使用していたタオルケットを彼女の体にかけると、テオは後ろ髪ひかれそうな思いを振り切って歩を進めようとした。
「……テオ?」
いつもの彼女の声にビクッとしたテオは耳としっぽの毛をブワッと逆立てた。
「…あれ、丘の上にいたはずなのになんで部屋に……なんで私、裸なの…?」
「デイジー」
状況がわからず困惑した様子のデイジーの言葉にかぶせるようにテオが名を呼んだ。いつもよりも真剣で、なにかに追われているような余裕のない声。
何かを察したデイジーは口を閉ざしてテオの後ろ姿をじっと見た。
しかし彼は振り返らない。部屋の扉を睨みながら、顔を真っ赤にさせて、血反吐を出す勢いで絞り出すような声を出したのだ。
「絶対に、外へ出るな!」
「……は?」
脈絡のない外出禁止令にデイジーは気の抜けた声を出した。
「いいか、出てくんなよ! でないと俺が何するかわからねぇ!」
「何よそれ。私に何するつもりなのよ」
「いいから! じゃあな!!」
部屋から飛び出したテオの姿をデイジーはぽかんとそれを見送るしかできなかった。いつもおかしいけど、それ以上におかしい。どうしたんだアイツは…と鈍感なデイジーは一人の青少年をしばらく悩ませることとなったのである。
テオはそのまま職場まで全力疾走で駆けていったそうだが、しばらく彼女の裸体を思い出し煩悩で大変な思いをしたとかなんとか。
■□■
デイジーが作った若返り薬の効果は1週間位であった。事故で薬を被った彼女はおよそ13歳若返って3歳位の年齢になっていた。その間の記憶はない。
「うーん、失敗だったなぁ」
彼女は父の「年で身体が重い」とのお悩みに応えて、肉体年齢を若返らせる薬を作ったのだが、中身まで退化しては元も子もない。
デイジー若返り事件は村中の小さな事件になり、若返り薬の効果を製作者本人が示してみせたお陰でその恩恵を求めてやってくる村人女性が何人かいた。
しかし記憶退化という課題が残ったので、改善の余地があり、危険なので商品化はしないとお断りしたのは言うまでもない。
兄夫妻の第二子誕生をお祝いするために数ヶ月ぶりに帰省したその娘は、屋外で道具を並べて何やら怪しい薬を作っていた。普段なら何も見ずにサクサク作るというのに今回はずっしり重そうな薬学の本を開いて、真剣な眼差しで慎重に製造している。
だから、周りの気配に気づけずにいた。
「…よし、できた…」
「デイジーねぇちゃんっ遊ぼっ」
ドスーンと背中に衝撃。大きくわんぱくに育ちつつある甥っ子の特攻を受けた彼女はそのまま前のめりに倒れ込んだのである。
キャッキャと幼子達が無邪気に笑い合う声が聞こえてきた。それを耳にした青年はピクリとその耳を小さく動かす。
鼻が利く村の住民に迷惑がかからぬよう、いつも彼女は住居地から離れた丘で薬を作っている。今日もそこで何か作っているんだろうと思っていたが、いつもとは少しばかり違う匂いがする。
……しかも、幼子の声が聞こえるが、彼が探す彼女の声が聞こえない……彼女の甘い匂いはするのに、だ。
「はいっこれでおよめさん!」
「およめさん…」
丘の上に幼子2人がいた。不格好な花かんむりを作った男の子が小さな女の子の頭に載せてあげる風景が青年の目に映った。
その後ろには彼女が愛用している道具の数々が散乱しており、薬特有の香りが広がっている。一体何事だと青年は顔をしかめた。
「…おい、ハロルド……」
「あっテオ! みてみて僕のおよめさんだよ!」
「はぁ…?」
嫁ぇ? ガキのくせに生意気な…と呟いたテオはそこで新たな違和感に気づいた。
マック家の長男の息子であるハロルドとともにいる女児についてだ。黒髪に紫の瞳に真っ白な肌。ずるずるの大きな服を身に着けているその子どもを見て違和感を覚え……まさかと衝撃を受けた。
「……デイジー…?」
テオの初恋であり、今も継続中の想い人が幼い頃に逆戻りした姿に変わっていたのだ。それも、彼がはじめて彼女と出会って一目惚れした時期くらいの年齢の……
「…おにいちゃん、だれ?」
いつも隙なく愛想なくしている彼女とは違う、無防備な表情を浮かべた幼い彼女はぽやんとテオを見上げて首を傾げていた。
「この人はテオだよ」
「てお?」
「そしてデイジーは僕のおよめさん!」
ハロルドはそう言ってデイジーの無垢な頬にキスを落とした。
それを見たテオはカッとなり、デイジーを抱き上げることでハロルドから引き離していた。
「なにするんだよ!」
「ヒェ…にぃちゃん、リックにいちゃん…」
「デイジーを返せ!」
デイジーの記憶も過去に退化しているようで、知らない人に抱き上げられたことを怖がって泣いてしまった。デイジーを奪われて憤慨するハロルドに足をゲシゲシ蹴られるが、テオはそれどころじゃない。
紫の大きな瞳に涙がじわじわにじむのを直視したテオはぎょっとして、そのままデイジーを抱っこしたままマック家へ急いで向かったのである。
「あれまぁ懐かしい姿になって…」
デイジーのただならぬ姿を見たマック家のお母さんは間の抜けた反応をしてみせた。
幼いデイジーの身体にびっちょり付いた薬剤を風呂場で流し、彼女が幼い頃に着用していた服を引っ張り出して着けさせた。
デイジーはといえば、周りを不思議そうにキョロキョロ見渡して首を傾げていた。
「デイジーどうした?」
「リックにぃちゃん、どうしてにぃちゃんおっきくなったの?」
「それはお前が小さくなっただけだ」
「ふわっ」
小さくなった妹の脇の下に手を入れると、高い高いをしてみせたリック。そのまま彼女を肩の上に乗せてやると、デイジーはリックのおでこに手を回してニコニコ笑っていた。
「えへへ、高い」
「デイジーは高いところ好きか?」
「うん、わたしもにぃちゃんみたいに大きくなるんだ」
「うーんそれはどうだろう?」
ほのぼのと兄妹のふれあいをしていたリックと退化したデイジー。彼らは気づいていなかった。
想い人が幼い姿に戻ってしまった上に、初対面の知らない人扱いをされたテオである。彼は先程から嫉妬とか羨ましさとか色んなものをごっちゃ混ぜにした視線をリックに送っている。
「…あんた、殺気飛ばすなら帰りな。デイジーが怖がる」
マック家のお母さんから注意されたテオはハッとして、心を落ち着かせようとするが、やはり不満なのか喉の奥をグルグル鳴らしていた。
「リック兄ちゃん! デイジー返して!」
「こら、あんたは説教だ。危ないから薬を作ってる時に近づいちゃならないって言われたのを守らなかったんだね? なんのためにデイジー姉さんが離れた場所で薬作ってるのか分かってないんだね。もしも危険なものだったらどうするんだい」
若返り薬によって同年代に変わったデイジーを気に入ったハロルドは彼女を自分の側に置きたがっていたが、その首根っこを掴まれて阻止された。
人化出来るようになったハロルドは行動的になった。彼は同年代の周りの子よりも身体が大きく力も大きい。だけどまだまだ幼子で突拍子もない行動を起こす。大人たちがどんなに言い聞かせてもとんでもない行動を起こしてしまうのだ。
ハロルドはジタバタと暴れるが、祖母によって捕獲され、両親祖父母に囲まれての説教タイムに入ったのであった。
■□■
すん、と鼻を鳴らすと、あの匂いがした。どこからか香ってくる甘い香りに惹かれたテオ。彼は職場での作業を一時中断して工場の外に出てきた。匂いの元は大きなバスケットを抱えててくてくと工場の横の道を歩いていた。
「おいデイジー、一人か? どこに行くんだ」
「おとうさんにお昼ごはんお届けするの」
お使いを頼まれたのだという小さなデイジーはバスケットを見せてきた。父親の働く森の中の作業場まで届けに行くという。
「一人じゃ危ねぇだろ。誰かに連れ拐われたらどうするんだ」
「その筆頭にお前とかな」
「おっ親方…」
背後から掛けられた声にぎくりと肩をこわばらせたテオはギギギ…と後ろを振り返る。テオの後ろには親方が迫っており、彼をじっとりした目で見つめていた。
「いつものサボりかと思ったけど…今回は状況が状況だからな。嬢ちゃんが心配でどうせお前は仕事になんねぇだろ。お前先に休憩に行っていいよ」
親方に許可をもらったテオはデイジーの引率をすることにした。
ちまちま歩くデイジーが危なっかしいからと片腕で彼女の小さな身体を抱き上げ、空いた手でバスケットの持ち手を掴む。一度は「自分で歩ける」とデイジーは言ったものの、テオから危ないからと一蹴されたので大人しく腕の上に鎮座した。
「あ、おはな」
「…これか?」
進む道すがら、黄色い花芯に白い花弁の可憐な花が咲いていた。テオはバスケットを一旦地面に置き、デイジーはしっかり抱っこしたまましゃがみ込むと、花を一輪摘んだ。虫がついてないかを確認すると、デイジーの眼前に突き出す。
「ほら、この花好きなんだろ」
「…ありがとうおにいちゃん」
素直に喜ぶデイジーの愛らしさにテオはキュンとときめいた。
「…ロリコンは駄目だぞ、ロリコンは」
近くで農作業していた村人に声を掛けられたテオはギクッとした。
「ろっロリコンじゃねぇよ! デイジーは俺と同い年だ!」
「……幼子の姿したデイジーに変な気起こすんじゃねぇぞ…」
言い訳するテオの言葉にも、村人の目は疑惑に満ちていた。この村でテオの長年の片思いは周知の事実。気づかぬは想い人ただ一人だ。そのため、今回のデイジー退化事件でテオが暴走しないかとまわりは心配していた。
村人の監視するような目から逃れるようにして目的地に到着すると、作業中だったマック家のお父さんにお昼ごはんを届けたのだった。
「おばさん、あいつどうしてる?」
「デイジーならお昼寝中。起こすんじゃないよ」
幼子に変わったデイジーは記憶もだが行動も幼児化していた。食事は小さく柔らかいものでなくては誤飲してしまうし、身体も弱いし、一日の大半を眠っている。
そして今はお昼寝中だという。仕事の休憩時間に抜け出してきたテオは肩を落とす。
「そんな心配しなくとも、うちにいる限りあの子になにか起きるわけじゃないんだよ?」
「心配というか…顔見るくらいならいいだろ?」
婦人から「起こすな」と更に念押しされたテオは音を立てずにそぉっとデイジーの部屋を覗き込んだ。ベッドの上で彼女は胎児型になって眠っていた。すやすやと安らかな寝息を立てている。
通常ならその寝顔に癒やされるところだが、その時ばかりは違った。
デイジーの隣に入り込んで一緒に眠っているハロルドの姿があったからだ。
「…ハロルド!!」
「ふぁ!?」
テオはハロルドの首根っこを掴んでベッドから引き剥がすと、そのまま婦人に突き出した。
「離せぇぇ」とジタバタ暴れるハロルドとおっかない顔をしたテオを見比べた婦人は不思議そうに首を傾げていた。
「…あらハロルド来てたの」
「こいつ、デイジーのベッドに入り込んでたぞ!」
テオの訴えに彼女は困った風に、呆れた風に首を傾げていた。
「そんな怒ることじゃないでしょ、子ども同士で寝ていただけじゃないの」
彼女の宥める声が聞こえないのか、テオとハロルドは睨み合っていた。
「テオのケチンボ! デイジーは僕んだもん!」
「何歳年が離れてると思ってんだ、このマセガキ!」
この2人は短期間中に一気に仲が悪くなったようで、デイジーを巡って火花を散らす回数が増えた。
その原因はすやすや夢の中であるデイジーである。ハロルドはまだまだ親の手が必要な幼子だというのに、16歳のデイジーにほのかな恋情を抱いていたのだ。その恋心は憧れ程度の小さなものだが、獣人特有の執着心を徐々に芽生えさせているハロルドの存在をテオは危険視していた。
「初対面直後にデイジーを引っ倒して好意をぶつけていたテオにだけは言われたくないでしょう…」
「う、うるせぇな…」
想い人の育ての母親からのツッコミにテオは幼き頃の自分の所業を思い出して恥ずかしくなったようでその頬を赤く染めていた。
「おかあさぁん…」
ぐずりながら呼びかけられた声は下の方から聞こえてきた。
「おやまぁデイジー。うるさくて目が覚めたのかい?」
ジロッと元凶であろうテオに鋭い視線を送りつつ、幼い娘に目線を合わせるべく屈み込んだ彼女は、涙に濡れた娘の頬を親指で拭ってやる。
「怖い夢見たの…」
よほど怖かったのだろう。紫の瞳からポロポロ涙をこぼしたデイジーは抱っこをねだって両腕を母親に伸ばした。
それをすかさずテオが抱っこする。
「かぁしゃ…」
デイジーは思っていたのと違うといいたげな表情で、母親に手を伸ばしていたが、テオはポンポンと背中を撫でてデイジーを宥めた。その手は優しく、デイジーはテオの肩に頬を乗せてウトウトし始めた。
そう時間は掛けずに彼女を寝かしつけると、「心狭すぎだろうアンタ…」と彼女の母から呆れた目で見られたが、テオは痛くも痒くもなかった。
「はいはいわかった、デイジーを寝かせてあげてちょうだい」
「テオのあんぽんたん!」
もう相手にしてられんとばかりに踵を返す婦人。悪口を吐き捨てて足をゲシゲシ蹴りつけてくるハロルド。
何を言われても構わなかった。とにかく自分が彼女の面倒を見てやりたかったのだ。決してやましい気持ちはない。純粋な庇護欲から来る……
──ポンッ
間抜けな音を立てて、腕の中の温もりの重さが増した。
「…!?」
ビリビリッと布が引き裂くような音を立てた。テオの腕の中の存在は体積を増したのだ。
「あらま大変!」
先に動いたのは婦人である。急いで洋服を取ってこようと小走りでどこかに駆けていった。
一方のテオは硬直していた。
先程まで幼子だった彼女が突然元の姿に戻ったのだ。それまで身につけていた服は身体の大きさに耐えきれずに破けて……その、あられもない姿になってしまっている。
テオの想い人は未だにすやすや夢の中。
テオは自分の中の本能を押し殺し、心を殺して、彼女を部屋に運び入れた。心を律するのに唇を強く噛み締めすぎて血が出ているのにも気づかなかった。
先程まで使用していたタオルケットを彼女の体にかけると、テオは後ろ髪ひかれそうな思いを振り切って歩を進めようとした。
「……テオ?」
いつもの彼女の声にビクッとしたテオは耳としっぽの毛をブワッと逆立てた。
「…あれ、丘の上にいたはずなのになんで部屋に……なんで私、裸なの…?」
「デイジー」
状況がわからず困惑した様子のデイジーの言葉にかぶせるようにテオが名を呼んだ。いつもよりも真剣で、なにかに追われているような余裕のない声。
何かを察したデイジーは口を閉ざしてテオの後ろ姿をじっと見た。
しかし彼は振り返らない。部屋の扉を睨みながら、顔を真っ赤にさせて、血反吐を出す勢いで絞り出すような声を出したのだ。
「絶対に、外へ出るな!」
「……は?」
脈絡のない外出禁止令にデイジーは気の抜けた声を出した。
「いいか、出てくんなよ! でないと俺が何するかわからねぇ!」
「何よそれ。私に何するつもりなのよ」
「いいから! じゃあな!!」
部屋から飛び出したテオの姿をデイジーはぽかんとそれを見送るしかできなかった。いつもおかしいけど、それ以上におかしい。どうしたんだアイツは…と鈍感なデイジーは一人の青少年をしばらく悩ませることとなったのである。
テオはそのまま職場まで全力疾走で駆けていったそうだが、しばらく彼女の裸体を思い出し煩悩で大変な思いをしたとかなんとか。
■□■
デイジーが作った若返り薬の効果は1週間位であった。事故で薬を被った彼女はおよそ13歳若返って3歳位の年齢になっていた。その間の記憶はない。
「うーん、失敗だったなぁ」
彼女は父の「年で身体が重い」とのお悩みに応えて、肉体年齢を若返らせる薬を作ったのだが、中身まで退化しては元も子もない。
デイジー若返り事件は村中の小さな事件になり、若返り薬の効果を製作者本人が示してみせたお陰でその恩恵を求めてやってくる村人女性が何人かいた。
しかし記憶退化という課題が残ったので、改善の余地があり、危険なので商品化はしないとお断りしたのは言うまでもない。
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エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
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