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新日本計画編

№3外務省 時田浩彦

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東京都霞ヶ関外務省庁舎―
浩彦はiPhoneでYahoo!のトップニュースを見ながら一人で三日前のことを思い出していた。
アサミに言われた昨日の言葉が刺さっていて頭に離れていなかったのが原因だ。
トップニュースには有名な新聞社が情報を提供している。『新日本計画法案今月中にも閣議決定か』と書かれているページをタップした。言わずもがな、記事やコメント欄には賛成意見ばかり書かれてあった。
新日本計画法案はその名の通り平成時代の現代に変革をもたらすと思われる法案だ。元々は普通の計画案だったが、あまりにも規模が大きいため『法案』と名を改めた。中央省庁全体で行われる計画のため、一つ一つの省庁が提案するが、結局は一つにまとめられる。この計画法案はマスコミを中心に「素晴らしい法案だ」「今の日本に必要なことだ」と大々的に報道され、少なくとも日本国民には良いイメージを与えた。これにより内閣の支持率は低迷の一途をたどっていたもののこの法案を提示、賛成を促すことで一気に上昇していった。表側は本当に賛成だ。しかし裏側は違う。なぜなら、これが本当に実行されれば日本は確実に崩壊するからだ。
例えば外務省では法案の中で諸外国との外交政策を掲げている。これだけなら別に問題はない。今まで通りやればいいのだから。しかし、内容の中身が問題だ。何らかの関係で諸外国に問題が発生したとき、日本政府は今後一切係わらない…つまり、鎖国政策を掲げその国に滞在している日本人観光客や大使館職員を含め、その国にいる日本人を全員見捨てるということだ。当然、日本への再入国は禁じられる。そんなことをしたらどうなるのか…目に見えているはずだ。こんなバカげた政策を誰が受け入れるのだろう?
―あれが本当だとすれば何でマスコミは本当のことを報道しないんだ?特ダネなのに…それに色々と怪しいし、一体誰の言うことが正しいのかわからなくなってきた…。
浩彦はiPhoneの画面をスリープにし、ふと、数日前に先輩が何かを話しているところを思い出した。
「おい、知ってるか?平成大学から来たあいつのコト」
「ああ、知ってるよ。『化け物』のことだろそれがどうしたんだ?」
平成大学…ぼくの出身校だ。浩彦はそのまま聞き耳を立てた。
「何でもそいつさ、東大出身者を抜かして語学の成績がずば抜けて良かったらしく、教育係の連中も怯えちゃってる始末なんだって」
「フーン。だから今年は日本に帰国するのが早かったのか…だから誰にもアイツに近づかないのか…」
そのような嫌な噂話を聞いてしまった浩彦は静かにその場を立ち去って行った。そう、浩彦は昔からこのような人生を送っていた。子供のころから浩彦は疎まれていた。普通に物事を成し遂げているだけなのに何故か人の癪に障る。それが原因で小中学校の時はいじめられてずっと不登校をしていた。当然、そうなっては将来を心配した両親にも疎まれる。そのせいなのか、浩彦は人に反論することが出来なくなった。大人になった今でも出来るときと出来ないときがある。それに人を信用するのが怖い。本当に自分が信用する人にしか本音を言えなく、心を開くのにも時間がかかった。
悲しい話、人間は少なからずそのような経験を積む者もいる。だから正直なところ浩彦はあのメンバー…昨日集まったアサミたちとは絡みたくないと感じていた。胡散臭く、いまいち信用に欠ける。何よりもそんな面倒なことに巻き込まれたくないという思いが頭に浮かんだのだった。
浩彦は立ち上がってトイレに行こうとした。すると―ピコン!というLINEの通知音が彼の足を止めた。通知画面を見ると
『お仕事中にゴメンね!今日、本当に会える日だよね?無理しないでね!』と書かれてあった。
浩彦はクスッと笑うと素早くフリックして返信した。「あと少しだ頑張ろう。大丈夫だよ…っと」

定時まであと少し…という時刻にある男が浩彦の部署に飛び込んできた。
「た…大変だ!新法案が…うちのところの法案だけ通らなかったんだ!」
息を切らしながらも正確に伝えた途端、空気が急変した。それまで各自自分の仕事をしていたのにもかかわらずニュースを知った人々は手を止めて何度も繰り返し確認をした。
「ハハ、そうか…」ある上司が言った。すると形相を変えて「何で通らなかったんだ!!」と怒鳴った。
浩彦はその怒鳴り声に驚き、身をすくめた。ニュースを伝えた男は運がない。怒鳴り声を上げた上司に胸倉をつかまれてしまった。
「いや、知りませんよ…だってそれを聞いただけですし…」
「聞いただけでもなんでもそんなことがあり得るか!折角のチャンスだったのにそれが俺らにとっても国にとっても国民にとっても一番いい方法だったことなのが分からんか!納得してくれる要素があったのにどうしてくれんだ!」
それを聞いた浩彦はハッとした。何故だか胸が熱い。そして無意識に…拳を握り始めていた。
なぁ、どうしたんだよぼく…。あんなこと言っている輩がいるのに何も言い返さないのか…?子供のころのように…もう子供じゃないんだろ?本当にこのまま…子供のころのままでいいのか?
浩彦は顔を上げた。そして彼が導き出した答えは…
そんなのは嫌だ!あの連中を止められてあの法案の本当の目的を知っているのはぼくしかいないじゃないか!!ここでぼくが止めなかったら暴走は止められないし、日本は終わる。絶対にやめさせるようにしなくては!
浩彦はその怒鳴った上司に顔を向けた。手や体が震えている。意を決してゆっくりと口を開いた。
「今の発言…一体、どういった意味なんですか?」
「何って…そのままだよ。人のためになるって…それがどうかしたのか?」
「フーン、そうですか…」浩彦の堪忍袋の緒がとうとう切れてしまった。「お前らにプライドはないのかよ!本当にそれでいいと思ってんのか!!」

「なっ…」
いきなりキレだした浩彦にその場にいた職員は腰を抜かしまうほど驚いた。
「な…何を言い出すのか時田君…」
「それはこっちの台詞です」浩彦はニヤリと笑いながら続けた。「何を言い出すのですか皆さん…」
「これ以上ないチャンスなのに本当に君は何を考えているんだ?法案が通るのは全員が一致しているのに」
「ほう…チャンスとは何でしょうか?諸外国との鎖国政策を掲げて世界中から非難を浴びること?こんなバカげた行為に気づかない貴方たちの方がおかしい!こんなことしても誰一人としていいことなんて起きない!ぼくはそれを全力で反対します!分かっているはずなのに何故声をあげないのですか?答えて下さい、推進派の皆さん!」
ギリっと歯ぎしりする音が聞こえた。
「いい加減にしろ時田!!」今度は上司の堪忍袋の緒が切れた。「黙って聞いていりゃあヌケヌケベラベラと喋りやがって…お前こそどうして頑なに拒否するんだ!」
「そうよ、おかしいわよ時田君」
「そうだそうだ!」
皆が上司に味方をする。今の浩彦に味方は一人もいない。浩彦はその光景を見て一種の諦めの念が浮かんだ。
ああ、そうか…この人たちは本当に何も分かっていない、何も知らないんだ。ただ振り回されているということに気が付いていないんだな。なら、どうしたら…どうしたら目を覚ましてくれる?
「おい、なんか言い返せよ時田」
挑発的な言葉を耳にした浩彦は決意した。
「それならば対立するしかありませんね」冷静な口調で浩彦は言った。「ぼくは全て…この法案の真の目的を全て知っていますからね」
「なっ、正気か!?お前…」
「ええ、正気ですとも」冷酷とも思えるような目で見つめながら浩彦は言った。「『化け物』を怒らせたことを後悔してあげますよ」
丁度その時、部署の外からその光景をずっと見ていたある職員が浩彦の後姿を見ながらニヤリと笑った。
「ほう、こいつは面白そうだな…流石はあの人のDNAを受け継いでいるだけはある。君のその後ろ姿…実に立派だ。このままならいずれ…英雄になるのも時間の問題だな」

そう心の中で呟きながらその職員は浩彦の後姿を見届けると、静かにその場を立ち去ったのだった…。

夕方、アサミは外の空気を吸いながら煙草を味わっていた。東京の空は相変わらず狭く、五月の新緑の風がアサミの髪をなびかせていた。さて、帰ろうかな…そう思った丁度その時ポケットに入れていたスマートフォンから振動が伝わった。アサミはスマートフォンに耳を当てた。
「もしもし?」
『あ…アサミン君…?」
声の主は浩彦だった。涙声になっている。
「浩彦か?どうした」
「どうしよう…ぼく、ぼく…大変なことをしちゃったみたい…」
泣き出す寸前だ、ただ事じゃない。相当、辛いことがあったみたいだな…。
画面の外から分かるくらい切羽詰まっているのが伝わった。状況を察したアサミは優しく要件を伝えた。「分かった。今からそっちに行く。どこにいるんだ?」

「なるほど…そういうことだったのか…」
この前いったビルへ入り、事情を説明した浩彦はうつむいたままだった。
「そんなんでよくここまで逃げてこれたなお前…」
内田がそういうと浩彦は疲労からかその場に座り込んでしまった。
「どうしよう…ぼく明日からどんな顔すればいいのか…」うずくまりながら続けた「ムキになってあんなことを言うんじゃなかった…」
「ひ…浩彦君…」
後悔先に立たず。とはまさにこういうこと。浩彦はその言葉を一人重く受け止めていた。
その時―パチパチと拍手が耳に入ってきた。
「スゲーな浩彦、よくやった!」アサミは笑いながら言った。「よく上司や他の奴らに向かって啖呵きれたな本当にすげーよ。やっぱお前を選んで正解だった!よくやったよ浩彦」
「そうだよね…すごいよ浩彦君」
そう言ってその場にいた全員が拍手をしたり、賞賛の言葉を添えたりして浩彦を褒めたたえた。人の温かさに久々に触れた浩彦は目に涙を浮かべた。

「う…ありがとう…」
ぽろぽろと涙をこぼす浩彦を見て困惑しながらもアサミは言った。
「おいおい、泣くなって…」
「そうだ!今日は飲みに行こう!」提案をしたのは山根だった「飲んでストレス発散しようぜ!」
「いーね賛成!」
こうして浩彦は人を『信じる』ということと『仲間』の大切さを初めて知ったのでした。
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