奇跡な男(ひと)

仁木 羽陽

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10 折衝

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 United States Navy Fleet Activities Yokosuka
 横須賀アメリカ海軍施設


 なぜ本田が居場所を言い辛そうにしていたのか理解した。別に五十嵐を警戒していたからばかりではない、声高に公言することが少し憚れる場所だったからだ。

「下手に門の前で待っていたら質問されるかもしれないから、施設を出る時に電話するよ」

 五十嵐はその言葉に従って、湾近くのショッピングモールで少し時間を潰し、午後4時前には無事に本田を拾うことが出来た。

「昔、ここの大佐キャプテンの奥さんの手術をアメリカで担当したことがあって。その縁があって、日本の病院に勤め始めてからは、偶に招待されてこの基地に来るんだ。今年は特に、この前までボストンの病院で同僚だったドクターも赴任してきているから、情報交換をする機会も増えてね。で、今回は突然、ドクターのほぼ半分が休むことになってしまったから、急遽、応援要請があったってわけ」

「半分も?」

 確かにそれは病院としては異常事態だ。しかも昨日は本格的な対抗式の戦闘訓練が予定されていたらしく、それに伴って、衛生兵を訓練する医者の数がどうしても必要だった。

「そう。一人は Vacation休暇 、一人は感染症丹毒。後の3人は食中毒で同時にダウンしたんだって」

 なんでもある医者の家でホームパーティをしたら、そこで出た何かに3人が同時に食当たりを起こしたらしい。

 日本の医者が、日本の地にありながらアメリカ領である米軍基地で働くなんて、そんなことが許されるのだろうか?

 と、一瞬疑問に思ったが、よくよく考えたら本田はアメリカ人で、アメリカのライセンスを持つ医者だった。軍の高官からも信頼されている実績の持ち主なので、問題はないのだろう。

 昨日から米海軍病院で働き、夜はその高官の家に招待されて泊まったようだ。で、今日は研修プログラムに参加している日本人インターンのレクチャーにも付き合ったようだし、なかなかに忙しかったらしい。

 じゃあ連休中は何をしていたんだと問えば、これまた普通に「仕事」と素っ気ない返事が返ってきた。

「病院が休みだからこそ学会が立て込んでいてね。旧知の医者がアメリカから招待されて来日していたし、彼の東京観光に1日中付き合わされた。あとは今年卒業したばかりの研修医を集めての、学術大会もあったし」

「そりゃまた、大変だったな」

 『生シラス』で釣った手前、食べずに帰ったら恨まれるだろう。五十嵐は車を湘南方面に走らせた。

 天気は快晴で風も穏やか、光を反射してキラキラと輝く海面はとても落ち着いていた。長柄の交差点から入った海沿いの国道134号線は海を左手に望める、絶好のドライブコースだ。

 目的地である江ノ島を少し散策してから、陽が落ちれば閉店という営業100年以上は続く有名な海鮮料理の店に本田を連れて行く。その純和風の店構えにも、彼はいたく感動していた。

 海を一望に見渡せる絶景のテラス席では、地平線に沈んでいく太陽を眺めながら新鮮な魚を楽しめる。
 食べ比べてみようということで、生と、釜揚げの両方が乗ったシラスのどんぶりに、刺身の盛り合わせも頼んだ。

 青から紫、オレンジに赤へと、複雑なグラデーション色が空一面に広がり。その自然の美しさに感嘆しながら、待つこと数分。運ばれてきた丼に早速手を出すが、不意に、シラスを掬い上げた本田のスプーンが止まった。

「え、シラスって、もしかして、『ちりめんじゃこ』のこと?」

「ああ、シラスを乾燥させたのが、ちりめんじゃこだ」

 どうやら知らなかったらしい。どうも昔、祖父母の家でちりめんじゃこを使った料理を口にして、その僅かに残る苦味が苦手だったとのこと。それでも折角だからと恐る恐る口に運ぶのを、五十嵐は黙って見守った。

「え、あれ? 全然違う。むしろ魚の旨みが凄くて、甘いかも? 特にこの軽く茹でた方が味がハッキリしていて、私は好きかな。生の方は少し  Plain淡白  だけど、食感が変わっているね」

「シラスは生のままだと、あまり鮮度が持たないそうだ。だから漁港の近くでしか食べられない。特に今の時期は春シラスっていって、旬らしいぞ」

「へえ……それにしても日本人は、『旬』をとても大切にするよね。どのレストランでもびっくりするぐらい、四季ごとに特別メニューを出してくる」

「アメリカにはないのか?」

「うーん。特には。個人的にやっている、ちょっとこだわりのあるレストランだとToday's special とかがあるけど。でもそれは安く大量に仕入れることが出来たからだろうし。ボストンはロブスターが有名なんだけど、一年中食べられるしね。漁の時期が制限されているから、もちろん旬はあるんだろうけど」

「安くで大量に仕入れ出来たなら、やっぱりそれが旬なんじゃないか?」

「あっ! 確かにね。でも日本みたいに街のレストランが一斉に宣伝するってことがないから、分かりにくいね」

 真っ赤に染まった太陽が地平線に隠れる頃にはすっかりお腹も満たされて、二人は大満足のうちに帰路についた。



「おい、着いたぞ」

 助手席で眠ってしまった本田を揺り起こし、五十嵐は車の外に出た。フロントをぐるりと回って反対側、助手席のドアを開けて本田に手を貸してやる。

 寝ぼけていた本田は五十嵐の家のソファに座ってようやく覚醒してきたようだ。軽く目元を擦って、首と肩の凝った筋を伸ばしながら、大きく欠伸をする。

「ずっと運転してくれていたのに、ごめん。すっかり寝てた」

「それだけ疲れていたんだろ」

「でも、Rude無礼だったよ。私が学生だった頃、年上の同級生によく怒られた」

 助手席の人間が運転者を放置して寝ることに賛否両論があるのは、日本でもアメリカでも同じらしい。五十嵐は鼻で笑った。

「気が小さいやつだな。それに寝れるってことは、それだけ俺の運転が上手いってことだろ。ほら、水飲むか? ワインを開けてもいいけど」

「水を。それと、ちょっと先にシャワーを浴びてきていいかな? 頭をスッキリさせたい……」

 どうも本田なりに色々と葛藤しているらしい。けれど勝手知ったる何とやら、ここ数ヶ月ですっかり馴染んだ環境なだけに、やはり警戒心が薄いのだろう。ペットボトルの水を半分ほど飲んで、他人の家のバスルームに消えていった。
 アメリカ人らしくカラスの行水で出てきた本田に入れ替わり、五十嵐も簡単に昼間の汗を洗い流す。

「逃げなかったんだ?」

 リビングに戻ると、本田はタブレットでメールのチェックをしているところだった。茶化すような五十嵐の言葉に少しだけ気分を害したのか、顔を上げて睨み返してくる。

「そんことはしないよ。話し合うことは必要だと思うから」

 生真面目な本田の返事に、つい笑ってしまう。酒の力も借りた方がいいだろうと、五十嵐は赤ワインのボトルを開けた。

「で、この前のことだけど。圭吾はその、私のことが好きなんだよね?」

 えらく率直に聞いてくる。五十嵐は一瞬押し黙って、ゆっくりとワイングラスを傾け中身を味わった。

「そうだな。じゃなきゃ好き好んで男にキスしたりはしない」

「そう……」

 ちょっとした沈黙が続く。本田もちびちびとワインを口に運び、乾いた唇を潤した。

「それはやはり、 Physical肉体的  なことも含めてってことかい?」

「……もちろんだ」

 これまた、単刀直入だった。しかし五十嵐はその潔さを受け止めて、誤魔化すことなく強く肯定した。
 性的欲求は動物の本能だ。好きな相手と抱き合って、お互いに気持ち良くなれれば幸福度も増すだろう。

「そっか……」

「男相手に気色悪いと、おかしいと笑うか? その割にはあまり驚いていないようだけど」

 そうなのだ。本田は困惑はしているものの、同性愛に嫌悪感は抱いていないように思う。ただ戸惑って、狼狽えているだけだ。

「これが自慢になるかどうか、分からないけれど」

 何かを考えるように僅かに首を傾げていた本田は、どこか達観した表情を浮かべていた。

「私は、2004年、アメリカ合衆国で初めて同性婚が合法化された州の出身だ。周りはリベラルが多く、個人の自由を尊重する傾向にある。ゲイもバイも、少なからず私の周りではオープンだったし、実際、アメリカの職場でのパーティーでは、パートーナーとして同姓の恋人を堂々と伴って周りに紹介していた」

「あー……」

 そうだった。大半のアメリカ人ゲイがクローゼットの中に隠れていたのは、今ではもう昔のことだ。二人で見ている海外ドラマにも、ゲイ、バイ、トランスのキャラクターが多数演出されていて、ことさらに『多様性』を謳っている。

「なら……」

 五十嵐はワイングラスをテーブルに置くと、ずいっと本田に詰め寄った。キスをする近さで見つめ合っても逃げないので、そのまま軽く唇を合わせる。

「嫌か?」

 挨拶のようなライトキスに照れたのか、本田が少し下を向く。伏せた目元から眼鏡を取り上げ、顎を持ち上げてもう一度、小鳥が啄むようなバードキスを繰り返した。

「圭吾」

「ん?」

 本田が喘ぐように男の名前を呼べば、五十嵐は心持ち身を離した。

「あの、私は確かに君を気に入っていると思うんだ。こんな……その、Making out をしても嫌だとは思わない程には。でも圭吾はノーマルだっただろう? 私もそうだ。だからちょっと、どうしたらいいのか分からない。ひどく混乱しているんだ」

「だろうな。俺も本音を言えば、不思議に思っている。でもいつの間にか、ショウともっと一緒にいたいと思ったんだ」

「じゃあ、友達でも……」

「それはダメだ。二人の間に他人が、女が入ることがもう許せない」

 きっと。本田は恋人ができたなら、そちらを大切にすると思うから。目の前でその女のことを愛おしそうに話されでもしたら、嫉妬で何をするか分からない。

「えー、それはちょっとぉ……困ったな……」

 そう簡単には答えを出せない本田を説得するように、五十嵐は再びキスを再開した。顎に指を添えて軽く下に引くと、おずおずと躊躇いながらも薄く口を開けてくれる。その様子を見る限り、五十嵐にチャンスは大いにありそうだった。

「ん……」

 舌を絡めると、本田の喉が気持ちよさそうに鳴った。
 愛撫するように首、肩を大きな手のひらで撫で、平らな胸へと滑らしていく。調子に乗って薄いTシャツの上から乳首を探り当て、悪戯に親指でグイッと押しつぶすと、流石に焦ったのか、本田が慌ててその不埒な腕を掴んで止めた。

「ちょ、ストップ。これ以上はまだ無理だよ」

「なぜ?」

「なぜって……そこまで気持ちが追いついていないから。それにもし、その、もし、この先に進みたいのなら、お互いにSTDチェックをしないと」

「はあ?」

 一瞬、何を言われているのか分からなかった。五十嵐は僅かに身を引いて、腕の中の男をマジマジと見つめた。

 Sexually Transmitted Diseases 略してSTD

 それの検査をしようと本田は主張しているのだ。つまり性病検査のことだ。

「あははは」

 五十嵐は思わず声に出して笑ってしまった。医者らしいといえばそうだが、本田の言動は時に五十嵐の想像の斜め上をいく。

 ひとしきり笑って、まだ体を揺らしながら、五十嵐は男の硬い体を胸に抱き込んだ。

 過去ホストだったこともあって、決して身綺麗だとはいえない。流石に見知らぬ相手とワンナイトはないが、身元のハッキリしている客多数と関係が合ったのは確かだ。常にコンドームをつけるなど気をつけていたし、疑わしい症状も何もないが、そんな検査一つで本田が安心して少しでも前向きになってくれるのならお安いものだった。

「そうだな。ショウがそう言うのなら」

 この先の二人の関係を真摯に考えて、五十嵐は二つ返事で了承した。



 ちなみに。
 アメリカの、ある程度の教養のある人達の間では、新しい恋愛関係を築く前にお互いにSTD検査をするのは常識なのだと、のちに五十嵐は知ることになるのだった……
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