Eclipsera Now エクリプセラ・ナウ

池ヶ谷 夏艸

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29〈ノル〉中央自動車道を、西へ

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ダーク・シーの怪物が世に溢れて一週間と少しの時間が経った。

ノルは魔女ウィチモとして怪物や魔物と戦い、傷付いた人を癒やしながら長野県を目指していた。娘の由依と嫁の有希を探すためだ。娘、なのは覚えているのだけれどそれなら私は母親?いや、由依の母親は有希だ、それは間違いない。なら私は?同性婚?由依は実子の筈…。頭が混乱するからこれ以上考えるのを止めよう。
二人を見つければ分かるかも知れない。

ノルは短距離瞬間移動魔法次元転移ディメンジノメタスを連続使用する事で理論値では時速180㎞に相当する速度での移動が可能だが、道中で傷付いた人や、怪物に襲われる人を見つけるたびに助けている為に中々その行路を進められずにいた。れに次元転移ディメンジノメタスを連続使用するには魔法力を回復させる必要がある。ノルは魔法力消費を著しく効率化できる特性を持っているが、永遠に連続詠唱し続ける事が出来る訳では無かった。

《ビュオッ!ビュオッ!》と一回50mほどの距離を瞬間移動しながらやっと首都高4号から中央自動車道の入口にたどり着く。ここから高速道路の高架上を行けばロス無く進めるだろう。車を使えば魔法力も気にせず行けるのだが、ノルは運転の仕方を忘れてしまっていた。

乗り捨てられた乗用車が点在する高速道路、場所によっては壁面や路面に大きな穴が空いている箇所もある。べっとりした血の跡や腐敗した死体、其れに群がる蝿の山が道路上には幾つも残されていた。ノルは脇目も振らずにひたすら前に進む。
八王子を越えた頃、前方に一台の大型バスが停まっているのが彼女の目に入った。リアウィンドウ下部に『武相観光バス』と書かれた白い大型の観光バスだ。そのまま瞬間移動で素通りしようと考えたが、車内に一瞬人影らしき物が見えた気がした。
〈誰か生きてる…?〉
《ギュギュッ》瞬間移動で身体に掛かった慣性をサンダルの底で踏ん張り、ノルは静かに斜め後方からバスに近づく。車体側面には相模湖から高尾山をグラフィック化した藍色のイラストが大きく描かれ、その上に『武相観光』の文字がヒラギノ角ゴシックの斜体でプリントされている。タイヤはパンクなどはしておらず、自走可能な状態に見えた。スモークの貼られた窓は外から中が見えづらい。
〈ドアから入るかぁ〉
武相観光バスのドアは閉じている。外から開けられる様にはなっていない。大きなフロントガラス越しにノルがそっと中を覗き込んだその時、《バキャァン!》とガラスを突き破って何かがノル目掛けて飛来した。
「うわっ」思わず小さく叫んで仰け反った彼女の頭上を、其の物体はかすめて《ゴゥウン、ゴゥンッ!》と重い音を立ててアスファルトを転がった。
「痛ったぁ~」
飛び散ったガラス片で左肩を何箇所か切ってしまった。ノルがバスに視線を戻した刹那、帽子ごと何かに頭を掴まれ、《バキバキバキッ》とガラスを破りながら車内に引き摺り込まれる。
「ギャハ、ギャハ」とノルを片手で持ち上げ、笑う其れは巨大な牛面の猿だった。猿のそばの客席シートは引き千切られ、骨組みの鉄パイプだけが残っている。先刻さっき飛んで来たのはコイツが投げた客席のシートだったのだろう。
「いっ、痛たたたた…。牛面大猿ゴズパンゴか、コイツ、痛ぃ!」髪を千切られそうな痛みにノルは叫ぶ。フロントガラスからバスに引き摺り込まれた時に身体を何箇所も切ってしまい、血が滴っている。バスの車内には内臓を抉られた人々の身体が幾つも折り重なり、強烈な腐臭に満ちていた。
「ギャハァ!」
大猿は嬉しそうに新しい獲物を掴んだ右腕を《ブンブン》と上下に振り回す。
そして其の次の瞬間、《タンッ》とノルの金のサンダルがバスの床に軽い音を立てて、彼女は帽子を被り直し、頭を撫でた。
「いっったいなぁ、もう」ノルが帽子を撫でつけて頭をさすりながらブツブツ文句を言う。牛頭大猿ゴズパンゴは一瞬何が起こったのか、今掴んでいたこの女が何故平然と立っているのか理解できなかった。
「バスの中の人達、君が殺したんだね」冷たいトーンで言うノルの言葉。大猿の右腕は既に下腕ごと失われていた。
「杖で触れて次元転移ディメンジノメタスで腕、どっかに飛ばしたよ。多分、高速道路の下かな」ノルはそう言うと「ふぅ」と小さく溜息をついた。
「ギャァァアア!」大猿を襲う激しい怒り、絶叫と共に大猿は彼女を噛み砕こうと飛び掛かってくる。飛んで来た大猿の顎にノルが掲げた『昏き森の雫』の先端が触れ、牛面の大猿の頭部は胴体を残して《ビュオッ》と音を立てて消え去り、バスの遥か後方の道路上に《ドンッ》と転がった。頭を失った大猿は其のままノルの眼の前に《ズゥウゥン》と倒れ、真っ赤な血が彼女の足元を濡らし、車内に満ちた腐臭が又彼女の鼻腔を突いた。

《ゴォォオオオオォォオオ…》
弔いの火でノルによって焼かれた武相観光バスは其の白い車体を赤く染めながら高く高く炎を上げる。
しばらく其の炎の赤さを見つめていたノルはやがて踵を返し、また長野目指して中央自動車道の旅路を急いだ。

初狩PAパーキングエリアは有名フードチェーン店などは入っていない昔ながらの小さなPAで、カレーやラーメンが主役の昭和感溢れる場所だ。名物だったのであろう、具がたっぷり入った大盛りの『田舎焼きそば』の写真が年季の入った食券機に大きく貼ってある。そして驚いた事に、品数は減らしていたが今も食堂は営業していた。

カウンターの湯気の向こうに忙しく働く人影が一つ見える。
「食券はもう使えないからね、こっちにいらっしゃい」
湯気の向こうの初老の女性が声を掛けてきた。白い割烹着を着た恰幅の良い、髪に幾分白いものが混じったハキハキとした女性だ。彼女はノルをチラリと観察し、納得した表情を浮かべると
「もう、うどんとカレーしか無いけどね」と言った。
「営業されてるんですね」ノルは意外そうに尋ねる。
「これしかやる事なくてね、これは恩返し」
「恩返しですか?」
「鬼っ子には恩があるからね。恩と云うか償いかね、あんたも鬼っ子だろ?お代はいいからね」
女性の言葉がよく分からなかったが勧められるままに温かいうどんを受け取った。

食堂には数人の男の姿があった。部屋のすみでは日焼けした筋肉質の男が一人、天井のチカチカする蛍光灯に小さな蛾が何度も何度も体当たりするのを生気のない瞳でぼうっと眺めている。虚ろな目のその男はこのPAで唯一の若い女性であるノルにも全く興味を示さなかった。
何十年もここで使われてきた薄グリーンのデコラ貼りテーブルにうどんの載ったトレーを置き、引くと《ギィイーッ》と音のなる赤い座面のパイプ椅子にノルが腰を落ち着けると、其の様子を伺っていた此処ここにしばらく住み着いていると云うモジャモジャ頭で無精ひげの男がコーヒーを片手に声を掛けてくる。
「お姉チャン、歩いて来たの、スゲェな」
富田と名乗ったその男は何日も風呂に入って居ない風体で薄いベージュのロングコートに下はダボついたデニム、裾をロールアップして履いている。足元は薄汚れたピンク色のクロックスを汚い裸足で穿いていた。

富田の向こうの男たちが物欲しげにこちらの様子をチラチラと伺っている。ノルは上半身ビキニで下は前が大きく開いたスカートなので脚はほぼ全て露出している。男たちの何人かが何かコソコソと会話をしているのが聞こえた。

「お前ら、止めとけよ」富田が背後の男たちに声を掛ける。
「見りゃ分かるだろ、このお姉チャン、鬼っ子だよ」
「鬼っ子?」ノルが聞き返す。
「あんたらみたいな何だか知らねぇが超能力を持った人達のことさぁ」
「まあ、鬼っ子もこの先の洞窟王には勝てねけどね」富田が諦めたような表情で呟いた。

《ギギギッ》と丸椅子の脚を鳴らして富田はノルの向かいに腰掛けた。
「前にも若い鬼っ子たちがさ、居たんだよね」

「俺ぁ、八王子から8トンで荷物運んでてさ、ここに来たのよ」
富田は天井を見るような、遠くを見るような目で話し始める。
「ラジオでさ、何か大変な事が起こってるって言うからさ一寸ちょっと停まってよく聞くべと思ってさ。そしたらこの食堂中大騒ぎになっててさ、この先のトンネルに入ったらバケモンが居るぞ!って、もう車もトラックも何台もやられてんのよ」
カップの縁を汚い指でなぞりながら富田の話は続く。
「何とか逃げて来たバイクの兄ちゃんがさ、トンネルの奥に化け物が居て車が吹き飛ばされて中の人間も殺されてるって言うんだよね」
「それでも何とか精機って書いたプロボックスに乗った奴がさ、俺は急いでるんだってトンネルに入ってったんだ、すごいスピードでさ」
ふうっと富田がため息をついた。
「トンネルに入ってほんの直ぐだよ、ペシャンコになった車がさ、トンネルの中からザザァアッて吐き出されて穴だらけなんだよ、車も。トンネルの近くで皆で見てたんだ、全部。ザザーッて滑るペシャンコの車の跡がアスファルトにずーっと付いてんだ、それが真っ赤なんだ、血でさ」

しばらく黙った後、富田が言った

「その時一瞬だけ見えたんだよね、化け物が……化け物の顔かな、見えたんだよね、白いでっかい蛇なんだよ、目がいっぱい付いたでっかい蛇なんだ、俺はあんなに恐ろしいものを見た事無いよ」

富田はそこで冷め切ったコーヒーを飲み干した。
「そんでまあ、大抵の奴は引き返した訳なんだけどもさ、俺みたいに向こうに家族が居るんわさ、残ってたんだよ」
「そしたら何日かしてよ、来たんだよ鬼っ子が」

   ✣ ✣ ✣

最初に来たのは『因幡いなば園芸』とドアに書かれた軽トラックに乗った二人組だった。いや、最初は運転席の男一人だと思ったのだが荷台に積まれた大きな物体は身長2・5mほどのロボットだったのだ。大きな鉄の円筒から手足が生えた様な見た目で、全身が黒鉄色に鈍く光っている。円筒の上部は西洋の城壁の様に凹凸があり、丁度チェスゲームの駒のルークに似ていた。
「この先は行けないのか?」
運転してきた男は久田敏充くだとしみつと名乗った。年齢は40代後半、身長170㎝程の日焼けした筋肉質の男で聞けば青梅から来たと言う。
「バケモンがいるのよ、何人もやられちまってよ」富田は自分が見た化け物の容姿や皆がどうやられてしまったのかを説明した。すると荷台でじっと動かなかった鉄塔型ロボットが《ズゥウン、ズゥウン》と地面を振動させて富田に近付き
「ソレ‐は‐洞窟王‐ダ」と機械音の様な合成音声の様な声で言った。
「おおおおぉ?生きてんのか」富田は思わずその場に尻もちをついた。
其の様子を見て久田は
「驚かせたな、こいつは俊哉としや、俺の息子だ」と笑った。俊哉と紹介されたそのロボットは
「ワタシ‐は‐機動要塞マルウィヤ‐ダ」と名乗った。

「俊哉は強いからよ、今までも出合った怪物全部やっつけて来たよ」
しかしそれを聞いた俊哉=機動要塞マルウィヤは
「洞窟王‐は‐一人デは‐無理‐ダ。レベル‐が‐足りて‐ナイ」と首とおぼしき辺りを振った。その仕草はロボットでありながら少し悲しげに見えた。

足止めを食らっているトラックの何台かは食品を積んでおり、PAの業務用冷蔵庫にそれらは保管され、ここで過ごす者たちの食事を賄っていた。しかし近くの変電所が稼働していて今でこそちゃんと来ているこの電力が何時まで続くのか、皆声には出さない不安を内にかかえていた。

又、数日が経った。

若い男女が二人乗りする黄色い110ccのクロスカブが初狩PAに辿り着いた。バイクの両側には食料や雑貨品の入ったバッグやリュックサックが合計五つくくり付けてあり、其のせいでバイクのシルエットが丸く太って見える。
「うわっ、機動要塞モビガノフォーティカじゃん」
「ホントだ、レア種族だね」
若い双子の姉弟きょうだいは運転している姉がヴァータアーユス、後部シートの男はピッタヴェーダと名乗った。ヴァータアーユスには人を癒す力があり、PAの怪我人を治療してくれた。その間にミキサー車程もある巨大なカニの様な怪物が現れたが機動要塞マルウィヤとピッタヴェーダが協力して撃退した。

沼の蟹神カルキノスだったね」
「ああ‐上手く‐倒セタ‐ナ」
「随分硬いヤツだったけど、俺達いい感じの連携だったじゃん」

沼の蟹神カルキノスを倒した事で初狩PAに集う人達の中に洞窟王も倒せるのでは無いかと期待が生まれた。口には出さないが、異能の者が三人も揃った事に皆が希望を感じていた。
「俊哉、実際どうだ?」そんな空気を感じ取った父親に問われて機動要塞マルウィヤは少し考える仕草をした。
「ピッタヴェーダ‐と‐ヴァータアーユス‐の‐レベル‐に‐不安が‐アル」
「ワタシ‐が‐洞窟王‐を‐昔倒した時‐は‐レベル45以上の‐二人組‐ダッタ」
「俺たちならやれるよ」父子のそばのテーブルに大盛りのカレーライスを持ってきたピッタヴェーダが会話に参加する。
「アーユスは回復もできるしさ」
「洞窟王‐と‐戦った事‐は‐アルカ」
「無いけどさ、君はレベル47、私達は40だし三人だよ」串に刺さったハリケーンポテトを下から噛りつつヴァータアーユスも加わる。
「洞窟王‐を‐甘く見ない‐方が‐イイ。大量の‐大蛇、毒液。オソロシイ‐ゾ」
「でも実際ここに何時までも足止めをされても困るじゃん?」ヴァータアーユスが言う。
「あんたの経験から作戦を練ろうよ、ブックキャストが三人揃うなんて奇跡的な事なんだしさ」ピッタヴェーダに言われて機動要塞マルウィヤはしばらく考え込んだ。
「分かった‐作戦‐を‐立テヨウ」

二日後の昼過ぎ、三人は笹子トンネルの数十m手前に居た。
少し後方で軽トラックに三人を乗せてきた敏充が腕組みをして其の後ろ姿を見守っている。
「俊哉!頑張れよ!」
敏充は今までも機動要塞マルウィヤが魔物を屠るのを幾度も見てきた。彼にとって、姿は変わっても息子は自慢の息子のままだった。そんな敏充に軽く頷き、《ズゥン、ズゥン》と足音を立てて息子はトンネルの前に立った。
「しかしマルウィヤが魔術職とはね」ピッタヴェーダが言う。
「ちょっと意外だよね」
「私は‐頑丈‐ダゾ」マルウィヤが答える。
「ま、俺が盾役じゃないのは助かるよ」そう言ったピッタヴェーダは狂戦士バイラヴァ、いわゆる与損壊要員ダメージディーラーで誰かを守ることは不得手だった。
蓮の祭司ラクシュミのヴァータアーユスも同じく防御については心許なかった。機動要塞と云う防御特化の種族的な特性も含めて魔術的盾要員マジックタンカーとして機能する智慧の館バイトゥルヒクマである機動要塞マルウィヤが洞窟王の攻撃の一切を引き受ける作戦だ。重い足音を立てて機動要塞マルウィヤが先陣を切る。やがて三人の姿は敏充の視界からトンネルの暗闇へと消えた。

三人を見送った敏充は運転席に戻り、ダッシュボードに置いたタバコに手を伸ばした。ラジオを点けても非常放送以外、何も入らない。
「つまんねーな…」小さく呟き、電子ライターで《ジジジッ》とタバコに火を点け
「ふぅっ」と一つ息を吐いてトンネルを見た敏充はトンネルの中の何かと目が合ったのが分かった。薄ぼんやりと白い円の様な輪郭の中に顔が見える。人間にしては高い位置、地面から2mほどの高さに浮いている。
「えっ…?」
漂う煙草の煙を手で払い、近眼の敏充は目を細めて其れをく見ようとした。
「うわぁっ!」

其れは首だった。

白い円の様に見えた物、其れは大きく開いた蛇の口の輪郭、其の口の中にヴァータアーユスの生首がこっちを見ていた。ついさっきまで此処ここに居たヴァータアーユスが首だけになって蛇の口の中に居た。目を見開いたその首は、敏充と目を合わせたままゆっくりと白蛇の口の奥に消えて行く。消える瞬間、敏充の目には僅かに生首の唇が動いた様に見えた。ヴァータアーユスの頭を飲み込んだ蛇の喉が《ゴポリ》と大きく膨らんで動く。口の周りを赤い血でべったり濡らした白蛇は其のままトンネルの闇に《ずりりり》と消えていった。
敏充は運転席から動けなかった。恐怖が敏充を支配していた。〈俊哉は…〉やっとそれだけを考えたその時《ズザザッ》と音を立てて何かがトンネルから滑り出てきた。それはピッタヴェーダだった。と、云うよりもかつてピッタヴェーダだった物だった。その胴体には頭と右手だけが付いていた。ピッタヴェーダだった物は敏充の方をクルリと向いて
「びゅえっ、びゅえっ!」と何か音を出してかつて左腕が付いていた辺りをビクビクと動かした。両目は左右全く別の方向を向いていて、眼球が飛び出んばかりに張り出し、口を大きく開けて
「びゅえっ、びゅえっ!」と言うだけのそれは最早もはや人間とは思えない物だった。敏充が動けないまま其れを見つめているとトンネルから《ぬぅっ》と二匹の白蛇が摺り出てきた。二匹はゆっくりとピッタヴェータの頭と胴を咥えてトンネルの闇に消えて行く。敏充の耳には「びゅえっ」と云う声がこびり付いたままだった。

そして、とうとうマルウィヤは戻って来なかった。

   ✣ ✣ ✣

「だからさ、俺らは自衛隊とかそう云うのが来てくれるのを待ってるわけ」
そう言って富田は大きなため息をついた。
「そこの角に居るのがロボットのあんちゃんの親父さんだよ」
食堂の隅の生気のない男が機動要塞マルウィヤの父、久田敏充くだとしみつだった。
「なるほど、気の毒だったね」
経緯を知ったノルは箸をどんぶりの上に置いて立ち上がり、久田の前に立った。久田はノルに視界を塞がれていながらも彼女が目に入らない風を装っていた。
「私が仇を取って上げるよ」
久田の左眉がピクッと動いた。
「それで少しでも気が晴れるといいけど」
そのノルの言葉に久田はゆっくり目を見開き、ノルを見据えた。
光を宿す事を拒んだ、穴が空いた様な暗い瞳の久田は
「……どうせ死ぬだけだ」と呻くように呟く。
ノルは久田に何も答えず背中を向けて元の席に戻った。

「お姉チャン、本気かい?」
やり取りを聞いていた富田が不安げにこちらを見ている。
「鬼っ子三人でも駄目だったんだ、止めときなってよ」
ノルはこの富田って男は姿は汚いけど悪い奴じゃないんだな、と感じて少し微笑んだ。
「私はレベル63、その三人合わせたより私のほうが強いよ」
富田にはノルの言葉の意味は分からなかった。

笹子トンネル手前100m、この場所で既に禍々しいオーラを感じる。体の熱が足元から徐々に奪われていくような感覚。トンネルの照明は全て消えていて10mも入れば完全な暗闇の世界だろう。光を出す魔法で進めば相手にこちらの存在を気取られ、闇を見通す魔法で進めば強い光を浴びせられた時に目が眩んで行動不能になる。ノルはしばらく考え
猫の瞳孔キャッタプピロ
と詠唱し魔法力を巡らせたノルの瞳は冬のトナカイのそれの様に青く変色した。
「話を聞く限りバルログだよね…魔女わたしが有利取れる相手じゃないけど…」

『洞窟王バルログ』
ダーク・シー第13巻「絶望帝国の復活」6章のボスで身長およそ3m、全身を鞭の様に動く無数の蛇で覆われた怪物だ。
上半身は人型で下半身は四脚の猫科獣型をしている。頭部は白く蛇のそれに似ているが目が五つあり、そのうちの二つが熱感知の機能を持つ事で暗闇でも問題なく行動できる。周囲に四つの目が配置され、中央には王眼と呼ばれる金属メッキされたような色の目があり、其処そこから放つ強烈な光で目眩めくらましと麻痺攻撃をしてくる。バルログの攻撃には指向性という物が無く全身をうねうね這い回る鞭が何処から襲って来るのかまるで予測できない。攻撃力も高く、第13巻が発刊された頃のプレイヤーの標準的なレベルであるレベル40程度ではどの職業プロフェシオであっても一撃死となる。

「蛇眼光線を出される前に倒さないとね」

闇を見透す魔法を使ってもなお薄暗いトンネルはしっとりとした冷気に包まれていた。薄く濡れたアスファルトの上をノルは慎重に一歩ずつ足を進める。もしもバルログが眠っていればノルのレベルならば瞬殺できる。しかし真っ向からの戦闘となれば魔女ウィチモ一人では少し厄介だ。歩くにつれ地面が少しヌルりとする感じが増してきた。一際ひときわ冷気が増し、ノルの吐く息が白む先に巨大な塊があった。呼吸に合わせて上下するその塊は真っ白い蛇の集合体だった。数え切れない程の白蛇が無数に絡み合い、楕円の塊を形成していた。

「本体が見えない…か」

バルログが気付く前に倒してしまう事は出来なくなったが動きの読めない白蛇の群れは先に掃討できそうだ。ノルは深く、静かに息を吸い込み、手にした『昏き森の雫』を正面に掲げて魔法力を集中させた。漆黒の杖に施された金色の植物のレリーフの各々から小さな煌きが立ち上る。
百条の猛る閃熱フルマヴァーモラディ
ノルの上方1mに現れた赤い熱球がグルグルと回転を始め、やがてその回転が目で追えないほどの速度になった。ノルが両手で杖を大きく振り上げると、その動きに呼応してその熱球は《バツンッ!》と弾け散り、百の熱光線が蛇の塊に襲いかかった。

《ズドン!ズドン!ズドンッ!》

大きな音を立てて熱光線は次々に白蛇を切り裂きその首を地面に落としていく。胴を切断した光線は更にその先の首を、胴を次々と切り落として行く。熱光線による切断面は高温で焼かれ、再生を阻害する効力を持っていた。
「ビャアアアアアアアン!」
蛇の塊の中央がせり上がり、ボトリボトリと蛇の死体を地に落とし、その山の中から苦痛の雄叫びと共にバルログが姿を現した。バルログはそのライオンの四肢の筋肉を強くたぎらせ、五つの目を持った蛇の頭部をゆっくりとノルに向けると、巨大な口を大きく開き
「ビャアアアアァァァア!」
と再び咆哮する。裸の上半身の右手には車両の何かの部品だったのか鉄の棒状の物が握られていた。
ノックバックフラップリーン!」
ノルが距離を取るべくバルログを後退させようと詠唱した呪文はその咆哮の空気振動で打ち消されてしまった。
「ちぇっ、効かないか」
しかし次の瞬間にはノルはバルログから10m以上後方に居た。
「じゃあ自分が下がれば良いだけだけどね」
次元転移ディメンジノメタスなどを用いた自由自在の間合い管理にる一方的な封殺こそがノルが魔女ウィチモとして最も得意とする戦法だった。バルログは獅子の下半身をグッと屈め、力を溜めると天井スレスレまで大きく跳躍しノル目掛けて飛び掛かって来た。
《ガアァン!》大きな鉄棒を振り下ろした先には既にノルの姿は無く、アスファルトを凹ませただけだった。逆に入れ替わる形で蛇の死体の山の中にノルは居た。バルログの背後を取ったノルが頭上で杖先を一回転させると其の動きに追随するように炎の帯が現れ、横薙ぎに杖を払うとその炎の帯は彗星の様な火球となってバルログ目掛けて発射された。
大・火焔グランダフラモ
着地し、振り返った瞬間のバルログの右腹部に火球は着弾し、ジュゥゥウッと音を立てる。
ノルは其の音を聞くと同時に指を開いてかざした右手をグッと握り込み「サン・バーストスナルーモ」と詠唱する。
《ゴォオオオウン!》
耳をつんざくような轟音を立てて火球は大きく炸裂し、バルログの焦げた腹部を更に抉った。
「上手でしょう?」
腹部を抉られ呻くバルログにレベル差の優越感を感じつつ、難しい連続魔法を上手く決められた事にノルは気分を良くしていた。

抉れた腹部を庇いつつもバルログはノルに向き直り、顎をグィと上げ喉元をあらわにしながら
「ゴェ、ゴェ」と鳴いた。
喉が波打つように動くのが見える。
それを見たノルは素早く杖を持ち替え、ライフルの様に構え直した。バルログは顎を勢いよく振り下ろし「ブエッ!ブエッ!ブエッ!」と口から次々と毒液を飛ばす。バルログの毒液は浴びた後に時間経過損耗ダメージオンタイムするものでは無い。彼我ひがのレベル差次第では浴びた部分を即座に壊死させる強力な毒だ。それをバルログは無数に撃ち出して来た。
ノルは小さな声で高速で「水圧球アクボ」を連続詠唱しながら其の毒液を全て撃ち落として行く。それは最早「ポポポポポポ…」としか聞き取れない程の詠唱速度だった。無数の毒液弾は空中で撃ち落とされ、トンネルの壁に床に飛び散って只の一発もノルに届く事は無かった。
全ての毒液を撃ち落とされたのを目にしたバルログは、手にした鉄棒をアスファルトの地面にドンッと叩き付けた。飛び散った礫片が幾つかノルに飛んでくるがダメージになる程では無い。悔しがっているのかと不思議に思ったノルだったが、次の瞬間、自分の足元がフッと暗くなるのに気付いた。
「ハッ!」
ノルが上を向くと天井スレスレに巨体を跳躍させたバルログが獅子の爪を煌めかせてノル目掛けて飛び掛かっていた。《ズダァアン!》爪は着地と同時にアスファルトを大きく抉る。
「うわわっ」
慌てて飛び退いたノルは其れでも跳躍の最中さなか、杖をバルログの左前脚にかすらせ、次元転移ディメンジノメタスで脚を吹き飛ばす。バルログの左前脚は関節部からトンネルの壁の向こうの土中に消えた。
「グゥゥウウ……」前脚を一本失い、体勢を崩したバルログが低く唸る。
〈ぎゃあ、って言わないとこは流石に洞窟王だね〉ノルはバルログの様子を見て感心した。バルログはノルに向かい再び顎を持ち上げ
「ゴェ、ゴェ」と鳴く。
「それはもう効かないって」ノルは素早く杖を構え、毒液に備える。頭を振りかぶったバルログが再度「ブエッ!ブエッ!ブエッ!」と毒液を吐き出した。ノルは冷静にまた其れを撃ち落としていく……その瞬間、バルログの王眼が激しく煌めき黄金色の閃光を撃ち出した。
〈しまった、蛇眼光線……!〉ノルはもう体勢を変えられない。暗視魔法猫の瞳孔キャッタプピロで光感度を最大まで引き上げていたノルの眼球は強烈なフラッシュを浴び、視力は完全に失われた。蛇眼光線には短い時間の麻痺スタン効果も含まれる。レベル差でその効果は軽減されるとは云え、瞬間移動で逃げる事もかなわない。
〈あ~、もう、ヤバいなぁコレ〉
《ズゥン、ズズウン》脚を引き摺りながらバルログが近付いてくるのが地面の振動で分かる。
〈早く早く治れ治れ…〉少しずつ、少しずつ、視力が戻るのを感じる。
バルログの反対側、薄っすらとした視界の端に二つの目を光らせた巨大な物体が突っ込んで来るのが見える。〈今度はなに?〉
その光の眩しさにノルは目を開けていられなかった。
《ブォォオオオオオ!》バルログの足音とは別の振動がノルのサンダルに伝わる。
速度を上げながら其の巨体はノルの脇をすり抜け、バルログに正面から突っ込んだ。
《メキ!ボキメキッッ!》
追突の衝撃でバルログの上半身が大きく右後方に捻られ背骨が折れる音がトンネルにこだまする。吹き飛ばされたバルログはそのまま《ズドォオオォォン!》と地面に倒れ、大きな衝撃がノルの足元を揺らした。視力が回復したノルが見たのは、フロントが大きく凹んだ8tトラックのライトが照らす、上半身があらぬ方向に捻れて倒れたバルログの姿だった。

「お姉チャン、大丈夫かい!?」
トラックの運転席の窓から富田が汗をかいて上気した顔を出した。緊張のせいなのか、自分のした事の成果に興奮してなのか顔を真っ赤にしている。
「どうして?」
「まあ、その、鬼っ子ってったってお姉チャンみたいな娘に押し付けていられなくってよ」汚い耳たぶを擦りながら照れ臭そうに富田が言う。ノルから見れば全くの自殺行為だ。
「俺のも…恩返しよ」富田は小さく呟いた。
「死んだかい?」
恐る恐る運転席から降りてきた富田の問いにノルが振り返るとバルログは頭だけを僅かに動かし何とか体を持ち上げようとしていた。背骨が砕かれたせいで神経が切断され、うまく身体を動かす事が出来ないようだった。
《カツンッ、カツンッ》サンダルの踵の音をトンネルに響かせバルログの側に立ったノルは、右手に持った『昏き森の雫』の先をの蛇の頭頂部に翳し、少し笑った。

「君がトラックに轢かれて異世界あの世に行くのか…それって何だか、皮肉だね…大・水圧球グランダアクボ

超高圧の水の塊の直撃を受けバルログの大きな蛇の頭の中心部が瞬間的に丸く凹み、中央の王眼は頭骨の中にめり込み、その周囲に付いた四つの目玉は王眼とは逆に眼窩から飛び出して《デロリ》とぶら下がり、頬の両側面そくめんには上部からの圧力を逃がそうと《ミシミシッ》と亀裂が入り、口とその亀裂から大量の血と脳を吹き出して、頭の厚さが元の三分の一ほどになった洞窟王は、完全なる死を迎え

「うわぁ!汚いね!」
体液を浴びた富田の叫び声が笹子トンネルにこだました。
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