妖怪対峙は鋼の如く!

ユキトシ時雨

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裏切り者同士

逃避行と満身創痍

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・ 二〇二八年 七月二十八日 午前八時〇七分 
・ 東京都 柄沢市

『──妖怪対策局・祓刃所属の克堂鋼一郎・一級戦闘員は妖怪を連れて、現在も逃走を続けています』

『克堂容疑者は事件当日の昼頃より凱機を無断で借り出し、以降の行方がわからなくなっていました。妖怪の秘蔵や隠匿並び援助とみられる行為は妖怪対策法によって厳しく禁じられており、鋼一郎容疑者の緊急指名手配が決定されることに、』

 立ち寄った中華料理店に備えつけられたテレビの向こうで、アナウンサーは淡々と語る。

 テレビ画面には無愛想な表情の鋼一郎の顔写真が映し出された。いつ取られたものかはわからないが、我ながら笑ってしまうような写真写りの悪さだ。普段の二割増しで、悪人面に見えてくる。

 アナウンサーはご丁寧なことに、容疑者には現在頭部と脇腹に負傷があるとも付け加えてくれた。

「……あの、お客様」

 レバニラセットを運んできた店員が恐る恐るに訊ねる。その視線は額に張られた大きなガーゼを凝視していた。マスクとサングラスで顔を隠していても、この傷はどうしたって目立ってしまう。

「テレビに映ってるのって…………」

 店員の目は凶悪犯を見る目、そのものだ。鋼一郎はなるべく自然な愛想笑いを目指す。

「ははっ、偶然ってやつですよ。俺が指名手配犯なら呑気に外で飯なんか食わずに大人しくしてますからね」

 無理のある言い訳か。鋼一郎は店員から強引にお盆を受け取り、皿の中身を素早く掻き込む。

「ごちそうさん。釣りはいらねぇからよ」

「あっ! ちょっと!?」

 足早に店を飛び出し、朝の通勤ラッシュの人集りへと紛れる。裏路地から下水道まで対妖怪用の監視カメラやドローンが忙しなく飛び回るこの街で、完全に姿を眩ますのは不可能だ。ならいっそ人込みに紛れた方が、幾分かマシだった。

 妖怪のなかにはごく稀に、人間に極めて近い姿形を持つ個体がいる。代表的な例を挙げるなら三年前に風俗店で客を喰っていた、ろくろ首あたりか。そういった個体ならば人間社会に紛れることも可能だろう。

 こうやって監視カメラを気にしていると、まるで自身がその妖怪になった気分だ。いや、それも少し違うか。

 その極めて人間に近い姿で人間社会に紛れていたのは彼女の方だ。

 これまで、鋼一郎が疑問に思っていたことのほとんどが、「幸村白江の正体が妖怪である」という前提で考えれば、紐解けてしまう。

 白江が祓刃での護衛を拒否したのも。ホテルマンに扮した男や、謎の無人機の目的も。

 連中が祓刃の関係者だとは思えない。それでも自分のやっていたことは、妖怪を駆除しようとした連中への妨害であり、事実だけを見ていけばニュースの言っていた内容とそう変わらなかった。

「クソっ……」

 鋼一郎は知らず知らずのうちに妖怪を守っていたのだ。苛立ちを堪えられずに、唇を噛み締める。 

 ◇◇◇

 その足で鋼一郎が辿り着いたのは、湾岸地域に放棄された廃工場だ。

 ここは以前の殲滅作戦で駆除された高危険度妖怪・海坊主の食糧庫として、塩漬けにされた漁師の遺体が大量に放置された場所でもある。そんな経緯ゆえに現在は閉鎖されており、ぽつんとされた魚肉の加工工場だけがすっかり寂びれていた。

 凱機を隠すのにもそれなりのスペースがいる。この廃工場は鋼一郎の潜伏先としては、これ以上ないほどの好条件だったのだ。

 大股でトラテープを跨いで、鋼一郎は工場へと戻る。中には簡易的な補修を終えブルーシートを掛けられたムラクモ。

 そして、奥の柱に何重にも鎖で縛られた妖怪の少女の姿があった。雪のように白い肌と白い髪。氷の妖術に極めて長けた人外のバケモノ────雪女だ。

「……ほぉ。ようやっと帰ったか、お前さん」

 鋼一郎に気づいた白江は縛られたままでも、その表情に薄い笑みを浮かべた。

 妖怪を定義する要素の一つが、その個体の外見である。人から外れた姿や、既存の生物とは明らかに異なるサイズ、部位を持つ個体、或いは部位を欠損させた個体。

 彼女の場合、極めて人間に近い姿をしている。だからこそ彼女は人間社会に容易に紛れることが出来たのだろうが、それでも明確な差異があった。

 元から色の白いほうだと思われた彼女の肌。それさえもメイクで塗り固められた白に過ぎず、本当の彼女の肌は完全なる真っ白。その肌から、あらゆる色素を欠損させた個体として彼女は妖怪の定義に当て嵌まる。

「いい加減喋る気になったか、雪女」

「寂しいのう。もう白江とは呼んでくれぬのか?」

 なぜ、鋼一郎は白江をここまで連れ出したのか。

 ホテルで彼女を庇ってしまった時点で、鋼一郎は妖怪対策法を破ったことになる。そのうえ彼女に逃げられでもしたら、いよいよ自分に掛けられた容疑を晴らす証人さえ失ってしまう。

 自分が指名手配されていることを知ったとき、彼女を連れて自首をしようとも考えた。そうすれば、自分も妖怪に騙された被害者であることが証明できるはずだ。

 だが、ひとつの違和感があった──仙道指揮の存在だ。どう考えたって彼は白江の正体を知っていた。そうでなければ、おかしな点が幾つもある。

 潜伏期間内に祓刃の支援団体を調べてみて分かったが、「幸村財閥」なんて財閥は存在すらしていない。

 妖怪にマーキングされているというのも真っ赤なウソ。その身体に刻まれた悪趣味な刺青モドキさえ、その肌の白を隠すのと同じ特殊メイクの類だった。


 面白いくらい見事に騙されていたのだ。掌の上で踊り続ける鋼一郎の姿はさぞ笑えたことに違えない。

「なぁ、雪女。誤魔化さずに答えろよ。お前と仙道指揮は協力関係にあるんだな?」

 仙道ならば、組織内でも十分な地位と発言力がある。

 こんなこと考えたくはないが、一連の筋書きを彼が仕込んだというのが一番自然である。
「さぁ? それよりも鎖がキツイぞ。三日間、縛りっぱなし。お前さんの趣味が幼気な少女をなぶるのことなら諦めるしかないが、それにしたってキツ過ぎる」

 もし白江が人間の少女だったならば、鋼一郎もいつものような態度で「んなわけあるか! どんな趣味をだよ、俺は!?」とでも言い返していただろう。

 だが、目の前にいるのは憎むべき妖怪だ。

「もう一度聞く。お前と仙道指揮は何を企んでやがる?」

 それを確かめるまえに自首をしたところで、彼女の本当の協力者である仙道に証言を握りつぶされる可能性だってある。

「これだけ大事になったんだ。言い逃れができると思うなよ」

「ふん! 今はそれを明かす時ではない。それにこのままダンマリを決め込んだところでワシに困ることなんて一つも、」

「そうだな、たしかに質問の仕方が悪かった」

 鋼一郎は胸元に仕込んだ拳銃を取り出した。ホテルマンから奪い取ったままになっていた、グロックだ。

「もう一度聞く」

 その銃口を彼女の額へぴったりと押し付けた。これなら以前のように妖術の氷でも弾は防げない。

「お前は何を企んでやがる?」

「言えぬ」

「言えぬじゃねーよ。状況がわからないわけじゃないよな?」

 鋼一郎は語彙を強めた。それでも彼女は笑みを浮かべたままだ。

「ところで、お前さん。傷の方はどうなったんだ? こんな場所じゃ、ロクな治療もできぬだろう? じゃが、ワシの妖術ならば治癒ができる。氷を作るようにうまくはいかぬが、痛みくらいは和らぐはずだ。だから、この鎖を」

「ご生憎だったな。俺の訓練校の同期には、どうしようもないお節介がいてな。俺の凱機にいつも医療キットを一色を詰めてくれる奴なんだ」

 銃弾こそ腹に残ったままになっているが、医療キットのおかげでだいぶマシな処置ができた。一緒に詰められていた鎮痛剤のおかげで、痛みもだいぶ和らいでいる。

 由依はムラクモの整備を終えるたび、コックピットに医療キットを詰めてくれた。その度に「こんなもの必要ない」と邪険にしてもだ。

 それだけ、心配してくれたのだろう。もし疑いが晴れて自由の身になったなら、真っ先に彼女の元へ会いに行かなければ。

 気の利いた言葉は浮かばないが、それでも謝罪と感謝くらいは伝えられるはずだ。

「……そうだったか。お前さんは良き仲間を持っておるようじゃの」

「話を逸らすな。もう一度聞くぞ、お前と仙道さんは何を企んでやがる?」 

 次に誤魔化されたのなら引き金を引く。そう決めた。表情から白江もそれを読み解く。

「はぁ……わかった。語ろうじゃないか、ワシの全てを賭けた企みを」

「嘘はなしだからな。少しでもおかしいと感じたら、その時点で引き金を引く」

「ただ、その前にワシからも質問をさせてくれぬか?」

「なんだよ?」

「お前さんはワシの知る誰よりも妖怪を憎み、嫌悪しているようじゃ。だからこそ聞きたい。お前さんにとって妖怪とは何なのじゃ?」

 鋼一郎にとって妖怪とは何か? わざわざ問われずとも、その確固たる答えは決まっていた。


「駆除対象だ。俺にとって妖怪はぶっ殺すべき敵なんだ


 鋼一郎の中に負の感情だけが蓄積される汚泥があるとして。

「俺は幼少期に両親を妖怪に喰われている。おかげで頭の大事なリミッターはぶっ壊れてB・Uを発症しちまうし、荒れていた頃に俺を諭してくれた恩師さえ、目の前で妖怪に殺されたんだ」

 今、その汚泥がふつふつと煮えたぎっているのがわかる。そして干上がった汚泥に残った感情こそが紛れもない、本心なのだろう。

「ぶっ殺してやるよ、桃教官を殺した妖怪も、全部が片付いたならお前もな」

「そうか」

 白江は短く頷いた。そしてほんの一瞬、彼女は表情を変える。

 能面をそのまま張り付けたようなあの無表情。白い髪や肌とは対照的に、瞳はどこまでも暗く沈む。夜闇をそのまま映した氷塊のように、真っ黒な瞳をしたのだ。

「……なんで、そんな顔をするんだよ」

 どうして今、彼女が今そんな顔をしたのかは分からない。それでも彼女の瞳からは、なぜか深い哀しみを感じることに気づいた。

「質問が変わっておるぞ、お前さんが聞きたかったのはワシの企みじゃろう」

 白江が口を開こうとした時だ。

 廃工場のシャッターがべりべりと破られる。

「おいおい、まさか、こんなところで人間に捕まってたとはな」

 紙切れのように容易くこじ開けられたシャッターの向こうには人影が見えた。人影はヒョイと軽く手を挙げる。

「よっ! 確か五十年ぶりだったね、白江。アンタのその計画ってやつ、アタシにも教えてよ」

 そこに立っていたのは黄金色の髪をした、鋼一郎と同い歳程度の少女。その瞳もギラギラと眩しげな金色をしている。

 だが、彼女の最大の特徴はその尻尾だ。彼女からは分厚い毛並みに覆われた九本のしっぽが蠢いていた。
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