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プロローグ

第1話 かがり火は青く燃ゆる①

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 僕が家族を焼いたんだ。身から噴き出した、この蒼(あお)い炎で────

 明松周哉(かがりしゅうや)は白いベッドに寝かされていた。清潔感が保たれた内装と、ツンとした消毒液の匂いが、ここが病院の個室であろうことを教えてくれる。

 外は木枯らしが吹き荒んでいるのだろう。窓枠が忙しくなく揺らされる一方、暖房の利きすぎた室内はかえって蒸し暑く感じてしまうほどだった
 着せられた入院着には、汗が滲んで気持ちが悪い。喉はカラカラに乾いて、声は自分のものとは思えないほどに枯れていた。

「どうして……僕はこんなところに……」

「さぁ。いったい、どうしてだろうね?」

 それは鈴の音のようにクリアーな声色であった。

 ほんのちょっと向かいの引戸が開けられて、そこから一人の女性が顔を覗かせる。

「やぁ、周哉くん。一週間ぶりの目覚めはどんな気分だい? 当然、私のことは覚えてくれているよね?」

 女性は二〇代前半だろうか? タイトな黒スーツを着こなしている。

 艶やかなセミロングと、くっきりとした顔立ちを備えた彼女には「美麗」という言葉がよく似合っていた。これほどの美人であれば、一度すれ違うだけでも、しばらくは印象に残り続けるとも思われる。

 だが、肝心な自分の記憶には、彼女に纏わるものが一切ないのだ。

「病院の方……でしょうか……?」

「なるほど。その様子では私のことは完全に記憶にないらしいな。たしかに、あの時の私は防火服と酸素マスクで顔なんかロクに見えなかっただろうし。事件直後の記憶が曖昧になるなんてザラにある。しかし、命の恩人まで忘れてしまうとは、君はなんと薄情な少年だろうか」

「す、すいません……」

 彼女は不服そうに口元を尖らせながら、病室へと踏み込んだ。適当な椅子を見繕って、周哉の横たわるベットの傍に腰を下ろす。

「まぁ、忘れてしまったのなら仕方ない。それならば、改めて自己紹介をさせて貰おうじゃないか。────私は不知火鈴華(しらぬいすずか)。気軽に鈴華ちゃんとでも呼んでくれたまえ。そして、不肖ながら『第十四特務消防師団(とくむしょうぼうしだん)』の団長もやらせて貰っているんだ」

「特務……消防団?」

「あー違う、違う! 特務消防『師団』だ。紛らわしいが、後学のためにも覚えてくれたまえ」

 周哉の頭には疑問符が浮いた。

「消防士」や「消防団」といった言葉は知っていても、「消防師団」という言葉は聞いたことがないのだから。

「えっと……不知火さんは、僕がどうして病室に寝かされていたのかご存じなんですか?」

「フム。どうやら君は私のことだけじゃなくて、一週間前に何があったのかまで綺麗さっぱり忘れてしまったようだね。……それなら、」

 彼女は周哉の左腕を強引につかんで、入院着の袖を捲ってみせた。

「コレを見れば、少しは思い出すかな?」

 そこにあったのは夥しい火傷の痕だ。凄まじい熱に晒された皮膚は焼け落ちて、赤黒い傷が腕の半分以上を覆っていた。

「君たち家族は一週間前、ある火事に遭ったんだ」

 周哉の記憶には、黒煙のように分厚いモヤがかかっていた。それでも熱を帯びた記憶は少しずつ明朗になってゆく。

「うっ……あの夜は、」

 あの夜もありふれた日常の一コマに過ぎなかった筈だ。

 部活が早く終わったので早々と帰宅し、妹の真奈(まな)と格闘ゲームで真剣勝負。そこに帰ってきた父さんも加わって、最後には母さんに「帰ってきたら手洗いうがい!」と三人揃って叱られる。

 そんな、どこにでもあるような日常が、突然に逆巻く炎に呑み込まれてしまったのだ。

「ッ……!」

 周哉の記憶はそこで途切れ、また分厚い黒煙に塞がれてしまう。

「ねぇ、不知火さん……父さんと母さんは……それに真奈は無事なんですよねッ⁉」

 無理に上体を起こせば、腕の火傷がジクジクと痛んだ。

 それでも周哉は必死に、彼女へと縋る。

「なにか答えてくださいよッ!」

「落ち着き給え。君のご家族については順を追ってキチンと説明するから。それよりも今は君自身の話だ」

「僕……自身の?」

「周哉くん。君を燃やした炎の色は何色だったか覚えているかな?」

 炎の色。そう問われて多くの人が想起するのは赤や橙色といった、暖かみのある色彩であろう。

 だが、周哉の家族を包んだ炎の色は違っていた。

「あの炎は……寒々しく思えるほどに、蒼かった」

 不明瞭だった周哉の記憶は、先ほどよりもハッキリと像を結んでゆく。

 あのとき蒼い色をした火柱は唐突に燃え上がったのだ。それはすぐ傍にいた自分と真奈を呑み込んで。そのまま、うねるように両親へと襲い掛かった。

 いや……それは違う。

 事実はそうじゃなかった。

「……身体が熱いッ! ……息が苦しいッ!」

 あの炎は他の何処からでもない、周哉の内側から噴き出たものであった。

「やっぱりだ」

 鈴華が飛び退くが早いか、周哉の身体は今再び「蒼」に燃え上がる。

 火傷の跡から止めどなく噴出した焔はカーテンへと燃え移り、瞬く間に病室を包んでみせた。

 体内の酸素が欠乏しているのが自分でも分かる。焼かれた身が炭化しているのも、膚で痛感してしまう。

「自らさえ焼き焦がすほどの火力か。相も変わらず凄まじいね」

 室内の防火設備が作動するも、炎の勢いは一向に収まらない。

 それどころか、上がり切った熱量は備え付けのスプリンクラーを融解させてみせた。

「ぐッ……逃げてください、不知火さんッ! 僕の傍に居たらは貴女までッ!」

 途切れかける意識でも、周哉は吠えるように叫んだ。

 だが、彼女は背を向けようとしない。それどころか、一歩、また一歩と蒼炎のなかを突き進みはじめた。 

「はぁ……どうやら、また忘れてしまったらしいね。私がさっきなんて自己紹介をしたのか」

 鈴華が右手を払えば、何かが散る。それは蒼い炎とは真逆。「紅(あか)い」水滴であった。

 その水滴の正体が彼女の指先を伝う鮮血であると気づくまでに、そう時間はかからない。

「私の血は便利なものでね」

 蒼炎の勢いは一滴に触れた途端、嘘のように弱まってゆく。

「ぐッ……!」

 彼女はいまだ燃え続ける周哉の左腕を掴み上げ、その場に引きずり倒してみせた。

「私は『第十四特務消防師団』団長・不知火鈴華だ。今度こそ覚えてくれたまえッ!」
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