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焼け跡と曇天

第27話 一面の蒼

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 今の周哉はある種のアッパー状態に踏み入ろうとしていた。

 身体は火照り、内側は高揚感に満たされる。身から吹き出す蒼炎もそれに同調するよう、大きさを増す。

 彩音を傷つけられた怒りと、激化する闘争の雰囲気が、その火力を増長させるのだ。

「このままやれば押し勝てるッ! そうしたら、」

「そうしたら、なんじゃというのだ?」

 ゾッとする悪寒が背筋をなぞった。まるで煙が立ち上るように殴り飛ばされた蒼恋は立ち上がってみせる。

「ときに童っぱよ。────お主は「人殺し」の目というものを見たことがあるか?」

「……なんだよ、それ」

「憎らしいものを見つめるための特別な眼差し……とでも言えばいいのかのう。とにかくそういう目をした輩と相対したことはあるかと聞いておるのじゃ」

 ずっと閉ざされたままだった彼女の瞳がゆっくりと開かれる。

 農褐色の虹彩と大きく開かれた瞳孔。そこにあったのは人外のものとは思えぬほど凡的な瞳である。

 けれど、そこに宿るものは違っていた。

「うッッ……⁉」

 瞳を介して周哉に突き刺さるのはなんであろうか。

 殺気、敵意、憎悪、怨嗟。その眼差しに内包されるネガティブな感情を一つずつ数えていてもキリがない。

 けれども彼女の瞳が何を想っているかだけは容易に察せられた。「お前を、跡形残らず燃やし尽くしたい」────ただ、それだけなのだ。

「このッ!」

 周哉は手の中で、炎を弓のように結んでみせる。それを放つも、恐怖でブレた狙いでは彼方の方向に飛ぶだけだ。

 イメージが安定しない。炎の制御がブレてしまう。

「恐れたか? けれどな、」

 蒼恋がこちらの間合いへと飛び込んできた。距離が詰まるに連れて、見開かれた彼女の瞳が大きくなるような感覚に呑まれる。

 だが、そこに在ったものを見て、周哉は我が目を疑ってしまった。

「けれどな、其方だって、妾と同じ目をしているぞ」

「なっ……なんで、」

 どこまでも黒い瞳孔の中に、自らの瞳が映り込む。

 ギラギラと輝いた眼差しは、彼女と全く同じ「焼き尽くしたい」という願望だけを宿していた。

「童っぱよ、どうやら妾たちは似たもの同士のようじゃのう。妾は其方に大切な弟を奪われ、其方は妾に守るべき夜族の娘を奪われた」

「なっ……何を言っているんだ!」

「お主がいくら『誰かを助ける』『命を救う』なんて耳障りの良いことを吐き連ねようと、結局は互いを憎らしく思う、妾らの本質は変わらない」

 周哉は咄嗟に彼女を弾こうとする。

 彼女と同じ色をした妖魔の炎で。

「違うッ! 僕はお前らと同じ『人殺し』なんかじゃッ!」

「違わないなさ! お前は私の愛おしい弟を奪った『人殺し』なんじゃからのうッ!」

 必死に吐き出した否定の言葉は、怒号によって掻き消される。

「それに其方が人殺しじゃないと言い張るのなら、この光景はなんじゃと言うのだ?」

 そのまま彼女は周哉の頭を掴み上げ、後ろに広がる光景を見せつけた。

「とくと見るがいい」 

 そこに広がるのは、一面の「蒼」であった。

 小さな公園にあったブランコや滑り台は焼け落ち、辺りの民家にまで火の手が伸びていた。それが二人を中心に燃え移っては、次第に大きく広がってゆく。

 黒煙で包まれ始めた最中、そこでようやっと周哉の耳にも逃げ惑う一般人の喧騒や悲鳴が届いた。

「助けてくれッ!」

 視界に止まるのは今まさに、焼け落ちた家屋から飛び出してきた救護者たちの姿だ。

「……どうして」

 なぜ、これ程までに大きな炎が燃え広がっているのか。答えは明瞭で、蒼恋が炎を振り撒いたからだ。

 けれど、本当にそれだけが原因であろうか。

「……違うッ!」

 自らの身体からも噴き出す蒼炎。────それはいつの間にか自分でも気付かぬほど、大きく、悍ましいものと化していた。

 燃え盛り不定形に形を変え続けるそれ自体が、獲物を欲するバケモノのように、辺りへと伸びては燃え広がっていくのだ。

「このッ……!」

 周哉は咄嗟に自らが放ってしまった炎を消そうと試みる。

 けれど、これ程までに大きくなってしまった炎はコントロールできる範疇を超えていた。

 アークパイアの力を用いたとしても、とても消火は間に合いそうにない。

「ち……違う」

 周哉の声は小さく震えていた。

「何を言う? 少しも違わないさ。これは妾と其方がやったことだろうに」

「違う……違う……違うんだッッ!!!!!」

 喉が張り裂けんばかりに叫んでも、降ってくるのは憐れみの視線だけ。蒼恋は「戦意が失せた。興醒めだ」とでも言わんばかりの顔である。

「……差し詰、鬼丸のことじゃ。……最期は『お前は俺を殺したんだ。そのことをゆめゆめ忘れることなかれ』とでも言いのこしたのであろう」

 彼女は番傘を無抵抗な周哉へと向けた。その胸元に傘の切先を突き立てようと

「だから、妾もその言葉を反芻しよう。お主はとくと事実を噛み締めながら逝くといい」

 ────お前も結局は、人殺しなのだと。

 ────その身に宿る蒼い炎は誰かを救えるだなんて大層なものじゃない。周囲に被害と不幸を振り撒くだけの災火に過ぎないのだと。

 けれど、彼女の手はそこで止まってしまう。

「……時間切れかのう」

 遠くからは消防車両のサイレンが聞こえてきた。蒼恋は這いつくばる自分に歯痒そうな視線を向けながらも、そのまま傘を差して、背を晒した。

 ガラ空きの背中だ。隙を突くのは容易であろう。

 それでも、もう拳は握れない。

「あぁ……」

 思い出したのは、初めて家族を焼いてしまったときのことだ。

 噴き出した炎が身を焦がす痛みよりも、逆巻く蒼と、烟る黒煙が全てを呑み込んでいく様の方が恐ろしかったことをよく覚えている。

 だからこそ鈴華たちに出会い、過ごしながらに、自分が変われたという実感を得られた瞬間が何より嬉しかったのだ。

 こんな力でも誰かを救えるのだと。自分は他者を傷つける災禍ではないのだと、そう実感し、安堵もできた。 

 だが、結局はどうだったろうか?

「……僕はまた炎に呑まれたんだ」

 焦る感情と昂っていく熱に充てられて。いつしか周りが見えなくなっていた。

 何が力をコントロールできるだ? 何が人を救える力だ?

 助けなければならなかった彩音を奪われるどころか、溢れ出した炎は余計に被害を振り撒いてしまった。

「……僕がまた、全部を燃やしたんだ」

 いくら口で「違う」と弁明しようとも。いくら頭で理論立てて、自らを正当化しようとも、起こってしまった結果だけは覆らない。

「……なんで、……なんでこうなるんだよッ!」

 今になって逃げ惑う救護者の姿が、燃やしてしまった両親や妹の姿にピタリと重なってしまうのだ。

 果たして、彼らに火元たる自分の姿はどう映ったのだろうか?

 決まっている。────蒼恋と同じ目をした自分の姿は、きっと恐ろしい「人殺し」に見えた筈なのだ。

 一時晴れ間が差した空は再び分厚い雲に覆われてゆく。そして遂には土砂降りの雨が降り出した。

「あぁぁぁ……あぁぁぁぁぁ!!!!!」

 辺りには止めもなく雨滴が叩きつけられ、炎に囲まれる最中に周哉はただ喚いて、自らの過ちを責め立てることしか出来なかった。
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