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再点火 イグニッション

第33話 驚嘆

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 時は少し前へと遡る────

 火垂と煉士が陽動を開始する直前、周哉は灰ビルの裏手まで回り込みながらにタブレット画面をチェックしていた。

「発信機はビルの六階を示している」

 このビルは地下一階も含めた七階建の廃墟だ。桐谷彩音がどこに囚われているか、また移動させるのであれば、どう動かすかの予想をザックリと立てた。

 次いで見遣るのは、発信機に残された稼働時間だ。これは彼女と自分を繋ぐ命綱のようなもの。

 けれど、刻一刻とタイムリミットは迫りつつある。

「ここから階段を駆け上がって、彼女を見つけるまで。発信機は保ってくれますよね……」

「さぁ、それは私たち次第と言ったところかな? いちいち階段を登っていてはタイムロスだし、この土砂降りじゃ血の翼で空を飛ぶのも、ちょっぴりキツそうだ」

 焦燥の表情を滲ませる周哉とは対照的に、合流した鈴華(すずか)は冷静に状況を分析している。

 けれども、彼女の隣には何故か、その愛車たるスポーツスター一二〇〇が停められていた。

「えっと……どうしてバイクなんかを?」

「そんなの時短のために決まっているだろう。そのために別行動をしてまで、乗ってきたんだから♪」

 だが、彼女はこちらの不安などお構いなしに指先に血を滴らせると、それをビルの屋上へ向けて伸ばしてみせる。

「……っと! ……んで、コレがこうなる訳だから、もうちょっと出力を調整して」

 彼女はブツブツと呟きながらに、自ら飛ばした血液の質量を膨張、形を調整しながらに何かの形作っていく。 

 急勾配ながらも半円を描いたそれは紛れもない。────地上とビルを繋ぐ一本の細いハイウェイであった。

「そろそろ火垂ちゃん達が注意を惹いている頃だろう。さぁ、私たちも行こうじゃないか!」

「えっ、ちょっ⁉」

 バイクに跨る彼女がキーを捻った。重低音でエンジンが息巻けば、熱を帯びたマフラーが白煙を吹く。

「いや、無理ですよね⁉ あんな細いを登るなんてっ⁉」

 彼女が造形してみせた道幅はタイヤ一本分しかない。しかも、雨滴にさらされた血液は凝固した状態を保てず、ハイウェイは両端からボロボロと崩れてゆく。

 あんなとこをバイクで走りながら登るだなんて無茶にも程があるのだ。

「乗りたまえ。先を急ぐんだろう?」

 けれど、「止めろ」と言われて止めるほど鈴華は、大人しい性格をしていなかった。

「あっーもう、分かりましたよ!! 僕だって後に退く気はないんですッ! 鈴華さんのライティングテクニックを信じましたからねッ!」

「ふふっ、だったら失敗はできないな」

 ◇◇◇

 ────そして現在。

 猛進するバイクは、埃まみれの窓ガラスをぶち破った。ライトが砕け散るガラス片に乱反射し、轟音が鼓膜を劈く。

「ッ!」

 吹き込む雨と共に六階へと飛び込んだ周哉はすぐに視線を上げて、現状を把握した。

「なっ……なんだテメェらは⁉」

 和服姿の男が二人。額からはツノを生やし、まるで拳銃を構えるかのような姿勢で指先に蒼い火球を形作っていた。

 間違えない、この二人も羅刹衆の構成員だ。

(しまった、鉢合わせだ! 相手の数も、僕らの数も同じ二人。無駄な時間はかけられない)  

 周哉が選択肢を模索する最中だった。共に飛び込んだ鈴華が誰よりも速くスタートを切っていた。

「周哉くん、君に一つ教育してあげるよう。逐一立ち止まって慎重な思考を重ねるは悪いことじゃない。────だけどな」

 鈴華の貫手はまさしく閃光のように、一人目の喉を突いた。

「かァッッ……⁉」

 さらに彼女は加速して、次のモーションを組み上げる。相手に視線さえも遣らず、ほとんど直感で後ろ蹴りを放ったのだ。

「う……嘘でしょ⁉」

 周哉が驚くのも無理はない。彼女は明後日の方向を見つめながらも、伸ばした爪先はドンピシャでもう一人の腹を蹴り抜いていたのだから。

「だけどな。現場で重要なのは迅速な判断だ。時には慎重さを捨てて、大胆であれ」

 ほとんど不意打ちのような形で急所を潰されたのだ。妖魔たち二人の意識は完全に刈り取られていた。

「これならば、彼らもすぐには目覚めないだろう。さぁ、私にも発信機の情報を見せてくれたまえ。急いで彩音ちゃんを探しに」

 そこで鈴華は自らの発言を止めた。

「あっー……これは面倒そうな連中がやってきたみたいだね。見たまえ、周哉くん」

 彼女がこのフロアの入口に目を遣ったのに習い、周哉もそちらの方向へと目をやった。

「……」

 そこに立つのは黒装束を纏う、一人の妖魔であった。

「お前はッ!」

 周哉は彼を知っている。天王寺蒼恋と対峙した際、彼女の傍に控えていた黒装束のうちの一人だ。

「人とコピーされた夜族(ヴァンパイア)の匂い。……ということは、やはり追ってきたのか、特務消防師団ども」

 布で顔を遮られていても解る。彼が放つ圧は、紛れもない「殺気」であった。

 だが夥しい殺気で貫かれても尚、鈴華は余裕を崩さない。

「夜分遅くにすまないね。ちょっとワケあって、お邪魔させてもらったよ」

「それが人のアジトにバイクで突っ込んでいい理由になるかッ! 増してお前が一撃で下したその二人は、まだ未熟ながらも羅刹衆・夜行三番隊と四番隊の筆頭だったんだぞッ!」

「おやおや、それは失礼した。どう謝れば許して貰えるかな?」

「チッ……どこまでもふざけた女だ。───だが、別に謝らなくていいぞ。貴様らの命は我ら、羅刹衆・異合混合隊(いごうこんごうたい)が頂戴するからな」

 黒装束がパン! と手を叩けば、その背後からゾロゾロと似たような格好をした黒装束の妖魔らが現れた。

 その数はざっと十人程度。

「うっわぁ……めんどくさそう」

「その減らず口がどれだけ叩けるか、俺が貴様らを見定めてやろうッ!」

 黒装束が懐へと飛び込んできた。先程の鈴華にも勝るとも劣らぬ踏み込みの速さだ。

 そして、

「負術────黄泉送リ(よみおくり)」

 彼の指先が周哉たちの肩に触れる。

 殴られたわけでも、増して刺されたわけでもなかった。ただ、その指先が僅かに周哉と鈴華の二人に掠っただけなのに。

「うッッ……!」

 それなのに、全身から力が抜けたのだ。まるで生気を吸われたように、ほ自分の身体が思うように動かなくなる。

(……僕らは今、あの妖魔に何をされた⁉)

 周哉は少しの焦げ臭さも、蒼炎が燃えがある熱も感じられなかった。

 空気をどうこうしているわけでも、人為的に一酸化中毒を起こしているわけでもないのだ。

(……だとしたら、コレはなんだ?)

 けれど、驚きはそこで終わらなかった。

「なっ……何なんだ、お前らはッ⁉」

 周哉以上の驚きの声をあげる者がいた。それも本来はあり得るはずがない相手────黒装束の妖魔だ。

 この場の全員が頭に疑問符が浮く。これは一体どういうことであると?

「あぁ……なるほどね」
 ただ、一人。ハイテンションに歓喜する不知火鈴華ただ一人を除いて
は。

「なるほど! どうりでこんな感じになるわけだ! はっは、頭の中にあった謎がスッキリ解けてくれたよ」

「ッ……本当に何なんだ貴様らはッ!」

 黒装束は再び黄泉送リで触れようとする。けれど、鈴華に二度も同じ手は通じない。

 彼女は立ち上がると素早く黒装束の手首を取って、関節の方向を逆に曲げた。

「よっと」

 明らかに人体から鳴ってはならぬ音がした。

「むっ! 何をドン引きしているんだい? これでも応急手当ての勉強をしていてね。その過程でちょっと人型をした連中の構造に詳しくなっただけなんだ」

 だとしても、それを関節技に転用するのは容赦がない。

「マジですか……」

 思わず呆けてしまう周哉であったが、彼女はそこに鋭く指示を飛ばす。

「ぼっーとするなよ! 君が何を為しにきたのか、よもや忘れたわけではあるまいな!」

 そうだった。周哉は自らの両頬を叩いて、削がれつつあった集中力を元に戻す。

「コイツらをまとめて相手にしていてはかなりのタイムロスだが、幸いにも連中の注意は私に逸れている。ここは私が引き受けるから、周哉くんは進むんだッ!」

 周哉は自らの腕を後ろに回し、蒼炎を灯す。

「はいッ! 了解しましたッ!」

 そして噴き出した炎を推進機代わり、黒装束たちの包囲網を突破してみせた。
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