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エピローグ

第40話 篝火は何を選ぶのか?

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 外は清々しい快晴であった。雲一つない空の下では、冬らしく空気も澄み切っている。

「それじゃあ、また会いに来るから」

 周哉は「明松真奈(かがりまな)」とある病室を後にした。

 そのままの自販機でホットコーヒーを二本買って、裏手の駐車場へと回り込む。

「すいません、鈴華さん。わざわざ迎えに来てもらって」

 そこにあったのは、掌を擦り合わせながらに白い息を吐く鈴華の姿だ。

「構わないよ。私も修理から帰ってきたこの子を乗り回したいと思っていたんだからね」

 そう言って鈴華は隣に停めたスポーツスター一二〇〇のタンデムをポンポンと叩く。

「今日のために、頑張って面倒な後始末を片付けた甲斐もあったよ。お陰で存分に羽を伸ばせるというものだ」

「その面倒な後始末というのは?」

 周哉が尋ねると、彼女は少し不満げに眉を寄せた。

「おいおい、君がそれを尋ねるのかい? 君が保護してきた天王寺蒼恋に並び、羅刹衆総ら勢三十六名。彼女らの処遇をどうするかって話が思わぬ方向にこじれてきたんだよ」

「あっ……」

「彼女らの行いを人間の法や秩序に当て嵌めるなら、彼女らは極悪人の放火魔なわけで。けれど、彼女らをその立場まで追いやってしまったのは当時の人間であってだな────」

 かつての人間と人外たちがどう関わってきたかは、表舞台で語られることのない裏の歴史である。

 けれど、その歴史は限られた記録にしか残されておらず、あくまで人間視点で記されたものゆえに、その整合性も酷く曖昧であった。

「長命種の妖魔たちは、そういう裏の歴史の生き証人でもあるんだ。けれど、哀しいかな。そうなったら今度は上層部が『都合の悪い歴史を抹消したい勢力』と『真実を正しく記したい勢力』に二分しちゃってね。バカみたいな内部抗争を始める始末さ」

 そうなれば、当然誰かが事態を収束しなければならないわけで。第十四特務消防師団の団長という立場ゆえに鈴華は、連日上層部に足を激しい舌戦を繰り広げたそうだ。

「まぁ、私がしたことと言えば、偉そうなおっさん達に『そういうのはお前らで勝手にしとけ!』って言い返してきただけなんだけどな」

「いや⁉ 何やってるんです⁉」

 彼女はあっけらかんと、それが当然であるかのように続ける。

「だって、そうだろ? 私たちの職務は人を救うことであって、内輪揉めやら、法律や歴史がどうこうやら、みたいな難しい話に首を突っ込むことじゃない」

「えっと……大丈夫なんですか? そんなこと口にしてたら、鈴華さん事態の立場も危ういんじゃ……」

「んー……とりあえずは大丈夫じゃないかな。私だって無茶をする時は相応の後ろ盾を揃えるし、なにより上の連中には私を切れない理由もあるんだよ」

「切れない理由……?」

「言ったろ。団長をしている期間が長いって。その間に色々あったから、それなりの数の弱みをかなり握っているし、ヤバくなったら素手の喧嘩に持ち込んで、ボコボコにしてしまえばいいのさ」

 彼女はいつもの調子で冗談めかしく答えたが、果たしてそれは本当に冗談なのだろうか? 

 少なくとも周哉は目の前で、彼女の異常な戦闘センスの高さを目撃した後なのだ。

 ほくそ笑む彼女の表情から、その真意を読み解くのは困難を極めるのだろう。

「……けど、すいません。……こうなったのも僕が軽率な判断を下したせいですよね」

 たしかに周哉はあの現場で、蒼恋たちを助けるための決断を下した。

 けれど、その決断は後先を考えたものとは決して言えない。軽率や無責任と捉えられてしまっても仕方のないものであった。

 その証拠に現状がこうもややこしいことになっているわけで。周哉は思わず、顔を伏せてしまう。

「すいません」

「はぁ……君ってやつは、どうにもネガティブなところが治らないな。羅刹衆の待遇が、悪くなることはない。これだけは断言できるし、保証もする。────それにね、私は嬉しかったんだよ。入ってきたばかりの新人団員が、最後に皆を救えるような決断をしたんだから」

「それとも、君は誰かを救いたいと思ったとき、まずは後先の利害を考えるのかい?」と問われた周哉は咄嗟に首を振った。

「だろ? そんなことは二の次でいい。増して、裏で小難しい大人たちがあーだ、こーだ言い合ってる現実なんて私らには関係ないのさ」

 そう続けた鈴華のスタンスは、出会った当初から少しも変わっていなかった。

 彼女が向き合えと言い続けるものは、あくまでも自分自身や、その過程で携わった命である。

 だからこそ彼女は今こうやって、自分の成長を喜んでくれているのだろう。

 ◇◇◇

「ところで、周哉くん」

 コーヒー缶のプルタブを押し込みながらに、鈴華が質問を投げてきた。

「君の身体の方はどうかな?」

「僕の身体ですか……」

 もしも、次の瞬間に彼女がコーヒー缶を自分の首筋に押し当てたとしても、以前のように蒼炎を暴発させることはないのであろう。

 それどころか、ここ最近はどんなイメージを思い描こうと炎を出すことが出来なくなってしまったのだ。

 周哉はそのことを簡潔に説明する。

「なるほど……まぁ、けど、そうだろうな。君は最後に羅刹衆たちの炎と、自分のうちに巣食った妖魔の炎を全て一点に集め、呑み込んだから」

 そして呑み込まれてしまったエネルギーも、周哉の内側で消失してしまったというわけだ。

「それにしても、本当に無茶をしたものだよ。君がようやく吸血鬼(ヴァンパイア)の因子に目覚めたから、助かったようなもので。ただの人工吸血鬼(アークパイア)があんなことをしていたら、爆散どころじゃすまなかっただろうに」

「あはは……ん? ちょっと待って下さい!」

 誤魔化し笑いで返す周哉であったが、鈴華の発言の中には聞き捨てならぬフレーズがあった。

「僕がヴァンパイアの因子に目覚めたですって⁉」

 そう。周哉がヴァンパイアの因子に目覚めていなければ、あのエネルギー塊を取り込んだ瞬間に燃え尽きていたであろう。

 呑み込まれたエネルギーが周哉という器を焼き焦がすよりも早く、その再生能力で内部を復元し、暴発を抑え込んだというのが真相であった。

「えっ、あれ……自覚なかったの……?」

 今回は珍しく、自分以上に鈴華の方が困惑していた。戸惑う彼女は少し新鮮でもあったが、今はそれどころではない。

「いや、確かに……あの時はちょっと変だなーくらいには考えてましたよ。なんかいつも以上に傷の治りも早いし、妙になんでも出来そうな万能感みたいなのも感じてましたし……けど普通自覚できませんからね!」

「ふむ……ならば一つずつ説明する必要がありそうだね」

 まず初めに。周哉の親族にもヴァンパイアの血筋が混ざっていたことが判明した。だから、厳密に言えば周哉の存在は、彩音(あやね)と同じデミヴァンパイアにカテゴライズされるのであろう。

「ただ君の場合はさらに珍しいレアケースなんだ。君がヴァンパイアとして秘める潜在能力は、桐谷彩音どころか純血のヴァンパイアにも匹敵する。だというのに、君の因子はどうしてか、今の今まで休眠状態にあったんだから」

 だからこそ、周哉は今日まで、翼や牙が生え揃うこともなく、自らの正体が何者なのかを自覚せずに生きてきたのだ。

「そんなケースが有り得るんでしょうか」

「信じられないという顔をしているが、それなりにキチンとした証拠も抑えているぞ」

 それは羅刹衆が拠点とする廃ビルから押収された一枚の計画書であった。

「その計画書によれば、本来連中が攫おうとしていたヴァンパイアの末裔は二人いたらしいんだ。異合混合隊の中には、予言や占い能力に長けた血筋のメンバーもいたからな。きっと、君も彩音ちゃんもそれで見つけられて、マークされていたんだろうね」

 そしてこの街に訪れた羅刹衆の先鋒は、まず周哉に接触することを選んだらしい。

「君に近づいた先鋒さんは色々考えたんだろうね。ヴァンパイアの身柄が欲しいのに、肝心の君の因子は休眠状態。だからどうやって君を覚醒させようか悩んだ末に」

 妖魔は人知れず、周哉へと取り憑くことを選んだ。そうすることで無理やりにでも覚醒を促そうと。

 けれど、それは同時に大きな誤算でもあった。

 鈴華が先述したように、周哉の秘める潜在能力は底が知れない。下手にそんな内側へと飛び込んだ妖魔は逆に外へ出る術を失い、閉じ込められることになってしまった。

 故に周哉は自らの身に蒼炎の因子を宿し、そして今日までの経緯を辿ってきたのだ。

「だから羅刹衆も色々と計画を練り直したんだろうね。その結果、リスクを回避するためにターゲットも彩音ちゃんに一人に絞られたんだ」

 きっと蒼恋は、自分たちの計画を阻んだ周哉の正体が、まさか初めに自分たちが狙いを定めていたターゲットだったという事実に今も気付いていないのだろう。

「けど、ちょっと待って下さい。だったら僕の中のヴァンパイアの因子はどうして急に目覚めたって言うんですか⁉」

 それも当然の疑問であった。火のないところに煙は立たないように。何事にもトリガーが必要なのだ。

「君の因子が目覚めた要因として考えられる理由はいくつかあってだな」

 一つは紅血血清を摂取したこと。それにより身体の作りがアークパイアに近づくことで、内なるヴァンパイアの因子が刺激されたという仮説だった。

 そして、もう一つは自分以外のヴァンパイアと接触したことである。

「君はこの短期間で二人のヴァンパイアと接触したんだ。それも少なからず、君に影響を与えたんだろうね」

「えっ……」

 またも周哉の頭には疑問符が浮いた。自分が出会ったヴァンパイアは彩音一人だけのはず。だとすれば、もう一人は誰なのかと?

 鈴華が自分方の方を指しながらに、背中から翼を広げてみせる。紅血で作ったアークパイアの翼ではなく、グライダーのように鋭利なヴァンパイアの翼をだ。

「私だよ、私。……あれ、これはちゃんと言ってたよな?」

「…………」

 聞いてませんよッ! とツッコむ気にはなれなかった。今更ながらに周哉も、彼女
と「言った」「言っていない」の押し問答をしても無駄だということを学んだのだ。

 そもそも彼女が周哉に眠る因子に気づいたのだって、つい最近なのだ。

 あの廃ビルで黒装束の妖魔に寿命を奪われた時。二人は「負術────黄泉送リ」に晒された。

「黄泉送リは寿命を奪う能力だ。だから人間ベースのアークパイアが触れられると不味いが、長命種のヴァンパイアが寿命を数百年程度を奪われたとしても、ちょっと立ちくらみがする程度で済んでしまうのさ」

「だから、鈴華さんと同じように立ちくらみを起こしただけの正体に気付いたと」

「まぁ、そういうことだね。周哉くんの秘める異様な能力の高さはずっと疑問に思っていたから、あの時は疑問が解けてスッキリしたものだよ」

 種が割れてしまえば何ともあっけないことだろうか。そう言って鈴華はケラケラと笑ってみせる

「それにしてもあまり翼は出しっぱなしにしたくないね。こうやって力を解放してしまうと日差しがヒリヒリして仕方がないんだ」

 彼女の正体もヴァンパイアだ。

 ただ、この様子では意図的に、あるいは本当に無意識に黙っていることがまだまだあるのだろう。

(なんか僕よりも鈴華さんのほうがミステリアスのような……)

 そんなことを考えていると、不意に鈴華が質問を投げてきた。

「────それで周哉くん。これから君はどうするんだい?」

 周哉に宿る因子は三つ。そして、今はそのどれもが激しく消耗し、再び休眠状態に戻ろうとしていた。

 再び紅血血清を摂取しなければアークパイアとしての力も喪失され、妖魔とヴァンパイアとの接触を避ければ、残り二つの因子も目覚めることはないのであろう。

「……」

 今度は心残りも後腐れもない。

 一つの成果を残したのだから『第十四特務師団』の一員としても大きく貢献できたことに間違えはない。────だから明松周哉は晴れて、元の平凡な少年に戻ることができるのだ。

 けれど、自分の中の答えは既に決まっていた。

「さっき、妹に会ってきたんです」

「ほう……?」

「やっぱりお互いに少し気まずかったですけど、怖がられることもなく、話もできました。それで最後には、呼び止められて。────『お兄ちゃん、良い顔してるねっ!』って言われたんです」

 その時の自分が本当にいい顔をしていたのかは分からない。いつものような頼りない顔をしていたかもしれないし、もしかしたら本当に妹の言うように精悍な顔付きを出来ていたのかもしれない。

 ただ、そう言って貰えたのは、周哉がひたすらに自分と向き合い続けた結果であろう。

「鈴華さんは僕に何度も問いましたね。僕に何が為せるのか? 僕が何を成したいのか? と」

 周哉は自分の中でその答えを見つけられたとは言い難い。

「誰かを助けたい」意外にもまだまだ、その答えを見つけられると思うから。────だからこそ、胸を張って、宣誓してみせるのだ。

「これからも僕は皆さんと共に、成せることを成しますよ」
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