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君がくれたもの
しおりを挟む遠ざかる君の白いワンピースと
そして──振り乱される黒髪。
……俺はどうしたらいい?
ひとりにされたまま、俺は顔をさげて足元に視線を流す。
一緒に残された空き缶を……
ためしに、蹴ってみたら
想像以上の大きな音で、それは家の石垣に当たった。
音にびびって赤い屋根から仔猫が消える。
「──…ハァ」
初めて缶を蹴っ飛ばした爽快感に背中を押されて、俺の足は自然と前に踏み出した。
久しぶりに走った。
一度は見失った彼女を探して、団地の中を走って、走って。
俺は心臓が壊れそうだ。
でも見付けないといけない。
これはきっと、運命だから──。
俺はこれを逃しちゃいけないんだ。
──
そして、やっと見付けた。
赤い屋根の家から坂を下った先にある公園。
端っこの砂場で丸くなって、そこで彼女は泣いていたんだ。
「うううっ……う、うわぁぁぁ……ん」
晴れの日の夕方なのに、この公園で遊ぶ人はいない。
これだけ寒い日にはどんなに活発な子供だろうと家の中に閉じこもる。
だからその涙を見る人は──…いや
もしそうでなくても、君の姿を見る人は──。
「…っ…さっきの……子がね、……わたしに自慢するんだぁ……」
砂場の縁に立って君の背中を見下ろす俺に向けて、君は口を開いた。
「……自分の耳と、尻尾は……いなくなった猫に、そっくりなんだ って……ッ──だから、自分は、ご主人様に…選んで…もらえたって」
砂にまみれて汚れたワンピースの裾を、握りしめながら。
「…この耳と尻尾で 生まれてきてっ…よかったんだっ……って……でも ね、ご主人様は、『 お前は鼻も可愛いね 』って褒めてくれる……らしいの。──それってさ…ッッ……!」
「──…」
「……それなら…さ、わたし、絶対に……勝てない じゃんかぁ……!!」
「……そうだな」
耳と尻尾が同じで
向こうは鼻まで可愛いなら、自分に勝ち目なんてないって、まるで彼氏にフラれた女みたいに……君は嘆いていた。
まるで、じゃないか。
君は帰る居場所を失ったんだ。
大切な人を奪われたんだ。代わりの存在に。
「…ぅ……ぅぅ、フっ……ぐ、ううう……!」
君の嗚咽がやまない。
こういう時にはどうするのが正解なんだろう。
なんて声をかけるのが正しいんだろう。
「……すぐ迷子になるくせに、家から出た君が悪いんだろ」
俺は、気の効いた言葉なんて知らない。
「こんな遠くまで来るから、帰れなくなるんだ」
「……ぅ、……!?」
「家に帰れなくなった……その時に、会っただろ。俺と、ここで」
……君が迷子になった日を、俺は知っている。
4年前に、夏の、雨の日に
あそこのベンチに座ってた俺の前に、ふらふらと現れた黒猫。
その黒猫は、信じられない図々しさで、よりにもよって俺に助けを求めてきた。
俺は死のうと思っていたのに
生きる気力を失っていたのに
ずぶ濡れでぼろ雑巾みたいに汚れた黒猫は、それでも『 死にたくない 』と──
必死に俺に訴えてきた。
しばらく無視を続けた。はらいのける気力も無いから、大人しくなるのを待っていた。
お前もさっさとラクになれ。そんなふうにさえ思ってた。
なのに……
そいつは、諦めない。
必死な姿に苛立ちがつのる。なんで希望なんて持つんだ。やめろ。そんなものさっさと捨ててくれ。
捨てさせてくれ
希望なんて、温もりなんて……!
『 ……っ 』
──で、結局、俺は折れた。
いつまでたっても離れようとしないそいつを抱き上げて、交番まで連れていったんだ。
……
「……おかげで俺まで病院に連れ戻されるはめになった」
「……っ」
「ホント、君って……変わってないよね」
こうして、死んでしまった今ですら、なんとか飼い主のもとに戻ろうとする諦めの悪さ──その図太さは本当に、あの時から少しも変わっていない。
「猫なら猫らしくもうちょっと……っ、警戒心、持てば?」
振り回されるこっちの身にもなれっつーの。
俺は優しさの欠片もない言葉を吐き捨てる。
だが何故かこのタイミングで、君の嗚咽は止まったみたいだ。
「…っ?……ぅ、グスッ……」
君はこちらに振り向いて、赤くなった大きな目をパチパチと瞬かせていた。
その瞳にどんな感情が映りこんでいたとしても、変わらず君の瞳は綺麗に透き通っている。
俺は仏頂面のままその瞳に吸い寄せられるように近付く。
君の隣に立って、砂場に片膝を付けて座った。
涙に濡れた黒髪が張り付いたほっぺたに、そっと指で触れた。
「もう泣くな」と言う代わりに……目尻にたまった雫をぬぐってやった。
俺の指が縦に滑るのに合わせて、君は……くしゃりと目を細める。
そして泣きながら笑い始めた。まるで蕾が花開いたかのように──可憐に頬を染めて。
「思い……出した、わたし…っ…。あなたのこと忘れてないよ」
「……」
「あなたの服もびしょ濡れで、ね。抱っこされてる間……わたし、凍え死んじゃいそうだったもん…っ」
この自分勝手な性格は、猫の特権なのか。こっちは助けようとしたんだから贅沢言うなよ。
「……、そりゃー悪かったな」
「うん。──…でも…なんだか胸の奥があったかくなったの、覚えてるわ」
ただ、頭に浮かんだ文句も一瞬でどうでもよくなってしまうほど、泣き笑う君は美しかった。
ホントもう、目を背けたくなるくらいに
眩しくて……
目の前の君に見とれているうちに……俺は酷く、胸が痛んだ。
ついでに呼吸も苦しくなった。……まぁそうだよな。
もう生きてはいない君。
君は、とっくに死んでいる。4年前、飼い主のもとには帰れなかったのか。あれだけ雨に濡れていたから病気にでもなって死んだのか。
すでに死んだ存在である君の姿は、誰にも見える筈がない。
なのに俺だけには見える。──ってことは
きっと……俺も、もう。
そういう意味なんだろう。
...コツン
「どうした の…また、怖い顔になってるよ…?」
君はさっきと同じように、俺におでこをぶつけてくる。
「…っ、…馬鹿」
人間はおでこじゃなくて、唇でするんだよって
君に教えてやってから……
俺は君にキスをした。
ため息をつきたくなるほど柔らかな唇。
何処にもいくあてを持たないキスは、とにかく優しくて……穏やかで。
この時間は「愛」を排除していた。たぶんだけど、あるのは「恋」に違いなかった。
俺は君の肩に手をまわして
それと同時に、二人は砂場の上で倒れた。
唇を離して君の頭を胸に抱き寄せると、君はゴロゴロと喉を鳴らした。
俺は見苦しく咳き込みながら……それでも、残った力のすべてで君を抱き締めた。
……
なぁ……知ってたか?
この公園にはサクラとイチョウの木の
両方が、植えてあるんだ。
春になればサクラの木々が、この場所を華やかなピンクに染め上げる。
秋がくればイチョウの木々が、鮮やかな黄色で一面を覆うんだ。
過去の君が赤い屋根から眺めていたのは……この公園だったんだろう?
「──…なら、夏はどうなるの…?」
「夏はどっちも緑色。冬は──こうして……、ふたり仲良く散るんだ。次の春にそなえて」
「……そう……なんだ」
君の声が少しずつ小さくなる。
眠りにつくように呼吸が浅くなる。
俺は身体の震えを止めるために、君の体温を感じようともう一度、唇を重ねた。
君からの反応はなかった。
でも十分だった。
もう十分、君から大切なものをもらったから。
君が最期に俺にくれたものは、俺の人生の色を少しだけ塗り替えた。
「……ハ」
いつぶりだろうな……。
公園の砂場で倒れている俺は、いつぶりかわからない穏やかな顔で笑っていた。
やっと手に入れた温もりにすがりつきながら──。
君からの贈り物を、なくさないように。
『 どうせ知らないんだろう?俺の初恋──それが、いつだったのか 』(完)
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