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36.信じられない方法。

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 ”指南”の書に吸い込まれてから3時間は経過しただろうか? サラは他の書物に目もくれず1人と1冊の安否を確信したいところではあるが、書物を開けば自身も”指南”の書に吸い込まれてしまうので、動けずにいた。

「…大丈夫か、アイツら。…あの”指南”の書の領域フィールドに囚われて無事に帰ってくるかどうかなんて…さ。やっぱり無理だった―」
 
 ―んだ…と言い掛ければ”指南”の書が輝きだし、瞬く間にページが開かれていくのだ。捲りめくページ数を超えてサラが唖然とすれば…今度は何かが吐出したのである。そしてそれは…その物体は、床に座り込むようにして形を変えて見せた。
 それは”指南”の書に囚われていた豊とリィナがそこに居たのである。

「お…お前ら…。生きて…ここまで来たんだな…」

 心配をしていた様子のサラではあるが何か言葉を掛けようとする。すると今度は”指南”の書から帰って来たにも関わらず、彼女もとい”指南”の書から教えを頂いた豊が嬉々として立ち上がってからサラに向けて笑みを見せた。その笑みに呆気に取られるサラに彼ははしゃいだ様子である。

「サラ、聞いてよ~。…”指南”の書から教えてもらったんだ! …”憂鬱”の罪の解呪の仕方を…ねっ!」

 豊の聞き捨てならぬ報告にサラは驚愕のあまり目を丸くした。

「…マ、マジかよ?」

「うん! マジもマジ!」

 笑っている様子の彼にサラは唖然としてしまう。

 …”指南”の書から教えを請えたのか。…やっぱりあの情報は、リィナの情報データは本当だったんだな…。

 驚きを抱きつつもサラはまだ床に横たわっているリィナを見る。…彼女はとても疲れた様子で眠たげな瞳をしていた。そんな彼女を差し置き、豊は説明を始める。

「アスカ書簡を助けるには、アスカ書簡が取り巻いている心の”憂鬱”を取り除けば良いんだよ!」

「ほぅほぅ…。…で、その為には?」

 すると豊はとんでもないことを言いだしたのだ。

「サラとアスカ書簡が”恋人”になれば、万事解決だったんだ!」

「…はぁ!!??」

 突飛で飛躍的な発言をする豊にリィナは大きな欠伸をするがサラは顔を紅潮させていた。そして微笑んでいる豊へ羞恥と疑問を交えた質問をするのだ。

「なぁっ…なんでそうなる!? 話が飛躍しすぎてるし、それに―」

「あれれ~? 顔面良し、頭脳明晰かつ筋骨隆々な”書物”のサラ君は~、想い人のアスカ書簡に恋心を打ち明けられないのかな~?」

 ハイスペックな彼…もとい”書物”をイジるのが楽しくて仕方ないのだろう。ニヤつきながらサラに煽る発言をする彼にサラは反論をするのだ。

「そんなのはどうでもいいんだ! なんでそういう話になるんだよ」

「えぇ~? 頭が良いサラ君なら分かるんじゃないのかなぁ~?」

「……てめぇ」

 さすがに眉間に皺を寄せるサラではあるが、彼だって”書物”としては豊よりも年長者かつ、経験だってしてきた…のだが。そんな彼でも予想だにしていない発言であったのである。

 …アスカと、コイビト? …どういう意味だ?

 だから彼は豊の小賢しくも器の小さい嫌味をわざと受け流し、今度は眠たげに瞼を擦るリィナへ疑問をぶつける。

「…おい、リィナ。こいつ志郎は俺を面白がって話になんねぇから…寝る前に聞かせろ。…どうして俺が、その。…人間風情がやっている…あの、」

「…『恋人にならないといけない』、という疑問か? あぁ、気にするな。それは志郎が勝手な解釈をしている…だけで、簡単に言えば…”アスカの取り巻いている”憂鬱”をサラの”想い”で、”意志”で伝えれば良いんだ」

「…”想い”、”意志”でか?」

 そんなことを”書物”がして良いはずは無い。そんなことなどリィナだって分かっているはずだ。何故ならそれは禁忌であるから。
 ―だから彼は激情したのだ。

「ふざけんなっっ!!!! そしたら…そしたら! …俺とアスカのこの温かい気持ちは、どうなるんだよ?」
 
 悲痛な声で荒げるサラに豊は先ほどのひょうきんな顔から真剣な表情を見せた。もちろんリィナもである。

「……」

「俺とアスカが築いてきた思い出も、育った…いや、育ってしまったこの”感情”も、されて、塵になって…。…俺は、そういう意味では本来の、”書物”には…なれる。―でも、」

 ―この温かい”感情”を、”想い”を…失いたくはない。

 アスカが育て上げた、この感情を。…持ってはならぬと、違反であると。…それでも守りたかったこの”想い”を。しかしそれではアスカは永遠に目覚めることはなく、目覚めたとしても死ぬ運命。 
 ―だが”意志”を持てば、”想い”を伝えれば、サラは本物の”書物”となる。”感情”など阻害された…ただの”書物”に。…どちらを選択すれば良いのかを今の、”意志”を持ったサラには重荷であった。…それは奇しくも、深い重り。
 そんな悲しみを抱くような彼に、豊はこのような問いかけをするのだ。

「ねぇ、サラ。…これは人間の例だけれどさ。…『どちらも選べる』ってあり得ないし、と俺は思うんだ。それで普通は片方しか選べないと思うんだよね~。…んで、両者も取りたいと願うのなら、その結果が―」

 ―俺みたいな”人”からは”異常”だって言われる人間。

 自身を”異常”だと罵る割には腑に落ちた顔をしている豊にサラは目を丸くした。リィナは先ほどの眠たげな瞳はどこへやら。淡いアメジストで豊を見つめては”メモ機能”を駆使していた。

「でも俺はリィナやサラ、もちろんレジーナや他の”書物”達をただ”モノ”だなんて思えないし、思いたくもない。…”書物”だろうが”モノ”だろうが、”意志”はあって良いんだよ。…使われるだけの人生なんてそんなの、俺がその”書物”だったら御免だね」

 …何を馬鹿なことを言っているんだこいつは? でも、それでも…こいつの話を聞いて、俺はこんなにも認められたような、包まれた”想い”をしてしまう。

 サラは声には出さずとも豊の理想論に耳を傾けてしまった。彼の表情は”書物”であるのに涙を零してしまいそうな、だが”書物”として涙を流すまいという葛藤を抱いているような…そんな表情を見せている。それをリィナは一瞥してから豊の話に耳を傾けた。

「俺は今のサラに。…”感情”があるサラに言うよ。…アスカ書簡を助けたくはないの? 救いたくはないの? …君にこんな素敵な”想い”…いや、”意志”を与えてくれ人に。…俺だったら―」 

 ―助けるね。だってそれが俺の正義だから。

 話を終える豊に今度はサラが肩を振るいだし大声で笑っていた。…目じりに涙を添えて。

「…ふっはっは!! …なに、英雄ぶった馬鹿みてぇな、理想論を掲げるだよ? てめぇは。…本当に甘ちゃんなこった」

「なっ! なんだよ~。…これからサラがその…記憶を失わずにどう対処するかとか考えて―」

 話を続けようとする豊にサラはひとしきり笑ってから…何故か彼を抱き寄せた。…お互い男色家ではないがそうでは無いと豊は分かっていた。
 ―だって彼からは、”書物”からはあり得ないはずの…大粒の涙が溢れ出していたのだから。
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