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補習編

第22話 僕は見捨てない

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あの一件により、ありとあらゆる行動に於いて障害が生じてしまっている。

塩瀬さんは目を合わせてくれないし、僕と勉強していてもしどろもどろ。
心なしか、暗記を行うスピードも落ちた気がする。

そしてロベリアさんは、溶けかけていた壁のようなモノが、より一層分厚くなった。会話をしてくれない。
こちらの方が重大だ。

もし、このまま2人に勉強を教えられなければ…………。

2人のどちらかが赤点を取った時点で、僕は中卒になってしまう。




────8月7日・放課後────



まずは塩瀬さんとの関係を修復したい。
1番身近にいるし、この後のロベリアさんに立ち向かう際、協力してもらうためだ。

授業が終わって帰り支度をしている頃。
夏の太陽はなかなか沈まず、四時を回っていても高いところにある。



「──塩瀬さん、このあと暇?」

「……っ! …………うん」

塩瀬さんは僕が語りかけると驚き、そして小さくうなづいた。
これくらいぎこちない会話が、ここ数日続いているのだ。
関係修復をする必要性がよく分かる。

「じゃあさ。この前相澤が言ってた『ラーメン屋のパフェ』、食べに行ってみない?」

「……あ、それ」

「覚えてるの?」

「──うん。楽しかったから」

「…………」

コレはもしかすると、とても重要な事ではなかろうか。
あの塩瀬さんが『覚えている』のだ。暗記もろくにできない彼女が。

「──佐藤くん、どうかした?」

僕が突然黙り込んだから、塩瀬さんは不思議に思っている。
何か返答をするべきである。しかし、行えない。
それ以上に、この、塩瀬さんの記憶に関する情報が魅力的だった。

「──ねぇ、大丈夫? 体調悪いの?」

「…………」

塩瀬さんの記憶はいつも、消去されるものが大多数だ。
しかしながら、消去されなかった記憶はとても深く残り続ける。
僕が覚えていないことも、容易に思い出せる。

つまり、その消去されない記憶の中に、暗記する事柄を詰め込むことができれば、塩瀬さんはむしろ安定して点数を稼げる。

「…………塩瀬さん。他にも何か、覚えてることある?」

「えっ? 突然そんなこと言われても…………」

と、彼女は首を傾げる。
そしてたっぷり10秒ほど悩んだ様子を見せて、絞り出すように言葉を続ける。

「楽しかった記憶は、覚えてるかも? 体育祭とか、それこそ前のラーメン屋さんに行く道中とか……」

「──なるほど」

「うーん。あとは…………これくらい?」

塩瀬さんは何か言いかけて、しかし言わない。
この彼女の一瞬の判断に、妙な取り繕いを感じた。

「あとは、なに?」

少し踏み込んで質問をした。
この質問に対する反応で、言いかけたことのジャンルを探る。

「──いやっ、なにもないよっ」

「ほんとに?」

「うん」

おそらく、何かある。
だけど僕に言うのが恥ずかしいのか。
乙女心というものは難しくて変わりやすいので、これ以上の詮索は無意味だろうな。
楽しいことのほかに、何かある。という情報だけでも収穫だ。



「──佐藤くんの事だよ。覚えてるの」

「……ふーん。……ん?」

「私、佐藤くんの事なら全部覚えてるよ」

僕が聞き逃さないよう、2回言ったのか? 
だとしたら何のために?
僕にそんな事を伝えるなんて、誤解されても言い逃れできない。

待て、というかその言い方じゃあまるで──

僕が、僕のことが好きみたいじゃないか。



「──ごめん。どういう意味?」

塩瀬さんに真意を問う。
僕の想像だけでは補いきれない、何かがそこにはあった。

「だからずっと、一緒に勉強しよ? 私を見捨てないで……っていう意味」

「──ははっ」

ありふれた、日常の一コマ。
読者だってこのページを読み飛ばすだろう。

だけど、そこには──



「……絶対に見捨てないよ」



なにか、重要な言葉が並んでいる気がした。

僕の言葉を聞き塩瀬さんは安心したのか、さっきまでのしどろもどろさが消えた。
そしてまっすぐ僕を見つめて、笑顔でうなづいた。

「ありがとっ! じゃあ、ラーメン屋のパフェ食べに行きますかっ!」

「うん、行こうか」

ガラガラと軽快な音と共に、教室の扉を閉める。
長く続く廊下はまだ明るくて、寂しさのカケラもない。



校門をくぐってスマホを取り出す。
店名は覚えているから、検索も容易に行えた。

「──こっから徒歩5分。……こっちか」

「こっち!? ……じゃあ、小鳥ちゃんは最初から間違えてたんだ」

「そうみたいだね……」

いくらなんでも方向音痴すぎるだろ。
その言葉は、お互いに飲み込んだ。






「──思ってたよりも、すぐに着いたな」

「ね」

簡素な住宅街に、豚骨の香り漂う。
暖簾が垂れる入り口にはしっかりと『営業中』という三文字。
前の一件があったからか、少し感動した。



「──いらっしゃいませーっ! 2名様ですかーっ!?」

「……はい」

店内に入ると、やはり普通のラーメン屋。
活気のいい店員さんが迎え入れてくれて、テーブル席に案内された。
僕が座った方の向かい側には厨房があり、カウンター席もそれに沿うように設置されている。

「ご注文お決まりになりましたらお呼びくださいっ!」

「ありがとうございますっ!」

「……ありがとうございます」

店員さんはお冷を2つゴトゴトと机の上に置き、厨房へ踵を返した。

「──あったよ。これ、小鳥ちゃんが言ってたやつ」

「ほんとにあった……」



ラーメン屋のパフェ・800円



メニュー表にちょこんと、そしてひっそりと佇むその文字列。
見間違えたかと思うほどにミスマッチな、『パフェ』と『ラーメン屋』という文字の組み合わせ。

僕らは少し迷った後、2人でシェアすることにした。
もし美味しくなかったら、1人ひとつ食べるのが厳しいので。

「すみませーん!」

塩瀬さんが振り返って店員さんを呼ぶ。

「はーい!」

「──えっ!?」

さっきの人とは違う声と、風貌。
だけど見たことのある人…………そう、ロベリアさんが厨房から出てきた。

僕と塩瀬さん、そしてロベリアさんが互いに互いを認識したその瞬間、時が止まったかのように、空気が凍りついた。
この状況は、とある校則の存在によって作り出されるのであった。

──そう、我らが高校は、バイト禁止なのである。
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