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第二章 オーバーヒールの代償

第十九話 窮鼠、鎖骨を撫でる

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「うぇっ!? あれカエルですか? あんなとこで放し飼いしないでくださいよ!」

俺の背中でユイナが苦言を呈している。

 ツンと薬品の匂い漂う生物室は横長の長方形。大体、サイクロプスが横になったらちょうど良く収まりそうだ。昼間でも薄暗い室内には長机が二列設置されており、手前と奥に分かれている。

ピョン、ピョン

 入ってすぐ見える長机の上には、大量のカエル。俺はあまり詳しくないが、何種類かのカエルが飛び跳ねていた。赤いやつに青いやつ、異様に手が長いやつとか、カラフルなのがキモさに拍車をかける。

「私、この部屋入りたくないんですけど…。隣の化学室にしませんか?」

「俺も同意見ですね。さすがにカエルがこんなにいると…」

「すっ、すみません! すぐ片付けますので! どうか見捨てないでー!」

 ピューンっとマリオン先輩はカエル達を捕まえて、部屋の奥にある水槽に入れてゆく。目にも止まらぬ疾風迅雷な動作に対して、カエルを捕まえて水槽に入れる動作は優しく丁寧だ。

「終わりましたー!」

マリオン先輩の手によって、ほんの数秒でカエル達はお家に帰った。

「ほー。やっぱりマリオンちゃんってA組の子なんですねー。私、マスコット的な存在だと誤解してましたよ」

「ユイナさん、頭から言葉尻まで失礼。エレナだったら殺されてるよ?」

 その言葉、俺の背中を盾にして言わないでほしいランキング、堂々の一位を飾りました。

「それがし、殺さないですよ?」

「ほら、マリオン先輩の一人称がまたブレてる。ユイナさん、これ以上はやめて下さい」

「はーい」

ユイナのいい返事を聞いた後、俺はついに生物室へと足を踏み入れた。

「それでマリオン先輩、今日の課題とやらはどんなのですか?」

 カエルのせいか、少し生臭い室内の奥に設置されている長机。中央辺りに俺とユイナが並んで座り、その対面にマリオン先輩は座っている。
 特にマリオン先輩は、俺との座高の差から必然的に上目遣いになるという現象のお陰で、『可愛さ』がいつもより二倍増量中だ。

「それがしの課題とはこれです」

と言ってマリオン先輩はカエルを懐からそっと机の上に置く。

「わあっ! 立派な『ど根性ガエル』だー! かわいいー!」

 ユイナがこうもテンションが上がっている理由は二つ。よくヒールの実験台に使うし、単純にクリクリとした目が可愛いこと。回復学の生徒からすれば、ど根性ガエルはマスコット的存在なのだ。

俺もパーティ時代はよくお世話になりました。

「こっ、この子を『ヒール中毒にならないようにヒールしろ』って教授から言われました」

「マリオン先輩本当ですか? 俺がざっと見たところ、コイツ外傷とか全然ついていないですよ…」

 ど根性ガエルの性質として、受けた傷が自然治癒しないというものがある。その性質を利用して俺達ヒーラーは実験してきたのに。

「その、一応、傷はここにあります」

マリオン先輩がカエルを裏返してお腹の辺りを指差す。小さなそこには爪で引っ掻かれたような痕。

「「わかるか!」」バンッと二人して机を叩く。

静寂な生物室。俺とユイナの怒気を孕んだ声がこだまする。

「じっ、実はこれ、私だけの課題なんです。私が単位の説得に行った時、教授に『最後のチャンスだぞ』って言われて出されたもので…」

「えー? マリオンちゃん、これ専門の人でもかなり難しいですよー? それこそ、アストさんくらいのヒーラーじゃなきゃ」

「うん。これは最初から単位あげる気無いですね。人間ならまだしも、この大きさのカエルなんてすぐに中毒になりますよ」

 しかも、ヒール中毒ならまだいい。マリオン先輩はA組だ。もし、このヒールによってど根性ガエルが『正の領域』まで踏み入ってしまえば、相当な騒ぎになる。

おそらく何人か死ぬだろう。

 しかしこれは最悪の想定であって、可能性はかなり低い。このサイズのど根性ガエルが『正の領域』に踏み入るほどヒールの威力でも、俺の全力ヒール三回分に値する。

「マリオン先輩、一回他の対象で実験しましょう。ど根性ガエルはその後です」

「でもこの辺に程よく怪我した実験台なんていますか? あの繊細な傷付け方、向こうもプロの嫌がらせ職人と見ましたよ。再現が難しいですね」

「それがしの為に…ありがとうございます」

 マリオン先輩の習性が大体分かって来ましたよ。一人称がブレている時は嬉しい時なんですね。

「いるじゃん」俺はユイナを指差す

「私ですか!? イヤですイヤです! 絶妙な怪我が一番イヤです! しかも傷つけるだけならアストさんだって…はっ!」

 ユイナは気づいてしまったようだな。俺の体は蘇生した五人とコンタクトしているという現状に。

「ちょっと引っ掻くだけだから。そんなに痛くないって。マリオン先輩の為にも協力してよ」

「わっ、私も綺麗に治しますから。…それとも信用できませか?」

 ここにきてマリオン先輩が情に訴えかける作戦へと移行する。これを天然でやってしまう所が末恐ろしい。

「ぐっ…なんて綺麗な瞳」

ユイナにも効いているようだ。可愛いは全てを貫通する。

「はぁ、分かりました。だけど傷の指定だけさせて下さい。アストさん、構いませんよね?」

「多少の違いくらいなら大丈夫だよ」

 俺は人差し指と親指で丸を作りユイナに示した。実験台になってくれるのだから、希望を聞かねば。

「──じゃあ、ここにキスマークをお願いします」

ユイナは制服を少し乱し、鎖骨の辺りをスリスリと撫でている。
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