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最終章 故に世界はゼロ点を望む

第四十六話 信頼できる語り手

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ビリビリ!!

 俺は着ている服を無視して翼を広げた。落ちる直前にバサリと羽ばたき、着地の際の衝撃とダメージを無効化する。

「いいね、体によく馴染む」俺は翼を少し動かす。

 翼の細部まで余すことなく血液が循環している。おかげで思考も明瞭、やはり回復学は偉大だ。

「そこの悪魔! さっさとこの学園から立ち去れ!」俺の背後から不快な雑音。

 せっかく体の調子を整えていたのに、これでは集中が途切れてしまって仕方がない。俺が渋々振り返ると、そこには大きな盾を構えている女。

「ここはボクに任せてくれ!」

 なるほど、なるほど。彼女、相当な自信があるらしい。防御学を象徴する盾と鎧を身につけて、長い黒髪に白い瞳。

「キミ、たしか名前は──」俺は紅く、長い爪で彼女を指差す。

「防御学部、A組学級委員長、名はシノミヤ・アカツキ! こっ、このボクが相手だ!」

「アカツキだ! にいちゃん! こりゃあ俺達いない方が良いよな!?」

「……人間同士の喧嘩、茶番とは言えぬか」男はタバコを取り出した。

 男とガキから魔力の反応が薄まる。それは人間レベルまで急激に落とされ、反比例するかの如く、アカツキの魔力が高まってゆく。

「なるほど、彼女がお前達の契約者か……」俺はギョロリとアカツキを見る。

 魔力量もたしかにそうだが、彼女のキャパシティも悪くない。仮にあのガキと男の魔力を引き継いでいるとしても、並の人間では耐えられないだろう。

体が本能に侵されていてもおかしくない。

「にいちゃん、俺帰るわ」ガキはもう、俺に興味を示さなくなった。

「……俺も帰ろう、タバコが切れた」

 男も同様に俺から背を向ける。そして歩き出した彼ら背中は遠のき、校舎とは反対側に消えてゆく。

 この場に残っているのはアカツキただ一人。人間の気配は校門の向こう、すなわち学園に集中している。

「アカツキ、期待されているな。だが、お前はそれでいいのか?」

「本望だよ。みんなの命を背負って、期待を背負って、タンクにとってこんな幸せなことはないさ」アカツキは引き攣った笑顔で答える。

何か、違和感がある。

 そりゃあ表情も硬いし、言葉もぎこちないし、表面的なものを挙げたらキリがない。それでも、俺は内面的な部分に問題がある。

「お前は、どれだけの修練を重ねてきた? どれだけ敗北してきた?」

 俺はいつの間にかアカツキに接近しており、鋭く冷たい爪で彼女の首に触れている。トク、トクと彼女の液体はそこを通過していた。

「あいにく、ボクは修行も敗北も知らない。なんてったってボクは──」

「ギフテッドだからか?」俺は彼女の発言を遮ってまで聞きたかった。

「ギフテッドっていうのは知らない。けど、ボクの経験はそれに近しいものだと思う」彼女は真っ白な瞳を俺に向ける。

「なんだ? 言ってみろ」スリスリと首の外からアカツキの動脈を擦る。

「ボクは、この世界の住人じゃないんだ。元は、パラレルワールドって言えば分かるかな? この世界によく似た、でも違う世界から来た」

 なるほど、なるほど。この違和感は正解だったか。やはり名前から怪しいと思っていたよ。俺達とは少し違う、独特な名前からね。

「噂に聞く、転生者とはそういうことか。やはりこの世界は素晴らしい、おかしな現象がよく起こる」

「ボクも同感だね、いい世界だ」アカツキは俺の胸に手を当てる。

「──だからこそ、キミを殺さなくちゃいけないんだ」

「残念ながら、お前の思考は甘い」俺はアカツキの片手を掴む。

パチンッ

 そして(必要ないのだが)あまった片手で指を鳴らした。『それ』は俺達の見える範囲では起こらない。

「何をした!?」アカツキは腕に力を入れて、俺の手から逃れようとする。

 それと同時に俺を睨みつけ、いかにも小動物な魔力を帯びていた。彼女の魔力はみるみる内に消えてなくなる。

──黒点・弐

「今、この世界から防御学が消えた」

  俺がさっきガキに貼り付けた黒点はガキと男を喰い荒らす。そして、この作戦が成功したか否かは目の前の彼女が教えてくれた。

「どれ、お前の体に聞いてみよう」俺は左の拳を握りしめる。

「何言って……ゔあっ!!」アカツキは蛙が潰れた時の様な声を出す。

 腹を殴られ、彼女はようやく理解した。恐怖に包まれた瞳、それは今まで感じたことのない、死の恐怖を感じた時。

──あの日の俺みたいだ

「どうだ? 人に殴られるなんて初めてだろう?」

 俺は依然としてアカツキの右手を掴んで上げている。彼女の状態は、例えるならばサンドバッグだった。

「いやぁ!! やめて!!」アカツキは大袈裟な反応を示す。

 たしかに殴ったといっても、俺はかなりの手加減をした。だが目の前の少女はどうだ? 

「やだ!! ごめんなさい!!」アカツキは子供の如く泣いている。

「そんなに泣かないでよ、なんかごめん」俺は彼女を不憫に思って手を離す。

 するとアカツキは意外な行動にはしる。彼女は地面に両手をついて、頭も地面に擦り付け始めたではないか。

「ごめんなさい!! ごめんなさい!! もう、やめてくださいぃ……」

 なんと無様な命乞い。俺は土下座を上から見つめ、彼女のプライドを踏み躙る。この光景を、俺は美しいとさえ思ってしまった。

「お前もしかして、いじめられてた?」俺はアカツキにそう声をかけて屈む。

 そして彼女の髪を引っ張り、顔を上げさせる。涙とか鼻水とかでグチャグチャになったアカツキは、口を小さく動かして「そうです……」とだけ答えた。

「へぇ、前の世界じゃあ雑魚だったん? ……全部話して?」

「はいぃ。ボクは、クラスメイトからイジメられてましたぁ。でぇ、生きてるのがもう嫌になって……」

「ハハッ、それで自殺したんだ?」俺は心底腹が立った。

 別にイジメがどうとかじゃない。屈辱を経験してもなお、立ち上がらずに逃げた彼女に対してだ。

「……死んだと思ったらぁ、女神様がいる所にいましたぁ。ゔゔっ……それで、能力を一つくれるって言われたので、ボクを守ってくれる能力をおねがいしましたぁ」もはやアカツキに、今までの高潔さは存在しない。

 正真正銘のイジメられっ子、過去に囚われた悲しき少女。おそらく、彼女の心の支えは転生した時の能力だった。それすら奪われて仕舞えば、化けの皮が剥がれるが如くこの有様。

「うん、キミは人間らしいや。いいね、仲間じゃなくて、トラウマを『背負って』生きてきたみたいだし」

わざと『背負って』の部分を強調した言い回しを俺は使う。

「うっ、うっ……」アカツキの囀りは甘美に響く。

「第二の人生は楽しかったですよね? ずっと負けないで、弱い奴を見下して……この世界に来て、何年くらいですか?」

「さ、三年です……」

「じゃあ、この世界に来た時から学園に通ってるんですね」 

「はい……」アカツキ先輩は力無く答える。 

 だから、きっと、先輩はこの世界のことが好きなはずだ。少なくとも、過去のイジメのせいで自ら去った世界よりかは。

「先輩、能力無くなっちゃいましたけど、この世界はまだ好きですか?」

 因みに、ここまでは終始土下座している彼女の髪を引っ張って会話していた。だが、ここに来て俺の良心が痛んだため、俺はアカツキ先輩を正座させた。

「もう、生きていく希望はないです……。なら、それなら、死んだ方が私は嬉しいですね」アカツキ先輩は正座のまま下を向いてそう言った。

「また逃げるんですね」

「逃げる……たしかに逃げます。でも、それはいけない事じゃない!!」

 突然、彼女は声を荒げて俺の目を見る。正気は保っているがしかし、ゆらゆら揺れる瞳の空虚さを感じ取る。

「逃げちゃダメですよ。そもそも、敗者が納得できる結果なんて無いです。当然ですよ、負けたんだから」

「それはっ……」アカツキ先輩は推し黙る。

「必要なのは、そこから如何にして前を向くか。いつまでも下を向いてるんじゃあ、貴方は一生負け犬の人生ですよ」

「でも、いや、怖い……」アカツキ先輩は、声を震わして呟く。

「恐怖とかいう被害妄想に囚われて、勝手に自分の位置を下げる……。ダメな人の典型例ですよ、それ」

「いいですか?」と俺は話を続ける。

「先輩は負けてから諦める人だ。でも、この世界の人間は、俺を含めてみんな、負けることなんて当たり前で生きてるんです──」



 時は過ぎる、風は吹き抜け、学園のチャイムは始業を告げる。しかし校門の前には二人の男女。双方空を見上げ、笑顔で談笑している。

俺はしばらくの間、アカツキ先輩に俺の思想を呈した。

 翼はいつしか剥がれ落ち、爪も目も元通り。何かに取り憑かれていた俺はもういない。そして、俺の心に若葉が芽生える。

「先輩、これから俺が守りますよ。はい、これ」

 俺はアカツキ先輩に花束を手渡す。俺が彼女のために創り出したこの花束、いつの間にかこんな能力を手に入れていた。

「嬉しい……。こんなに温かい贈り物は初めてだよ」

 口調や雰囲気が元に戻ったアカツキ先輩。彼女は笑顔で花束を受け取り、立ち上がってクルリと回転する。

「どう、だい? 似合ってるかな?」おずおずと質問する可愛らしい彼女。

「似合ってますよ、本当に」

 俺の能力はアカツキ先輩の手元で輝いている。そして、芽生えた若葉はその時開花し、俺はもう迷うことはない。

──彼女に恋をしてしまった
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