掌 ~過去、今日、この先~

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九章 表

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・・・・・・・・・

ついにこの日がやってきた。
昨日は少しは緊張していたけど、ぐっすり眠れた。
「うーーーー」
両腕を天井に向けて背伸びする。
休日の朝。学校がある日と違って、なんかすがすがしい。
ちらっと時計を見ると、もう10時。
  けっこう寝ちゃった。
まぁいいかとつぶやき、私服に着替える。
  私服もひさびさね・・・って、そいやあ全然服ないや。
家にあったの、全部燃えちゃったんだっけ。
  まぁ、私服なんて休みの日くらいしか着ないからそんなに必要はないけど。
たんすの中を開けるが、数着しかない。
  とはいえ、これはなさすぎよね。女の子なのに。
思わずため息が出た。
「あ、そうだ」
急にひらめいた。
  今日は休日なんだし、恵理と買い物に行こう。
夜のことはそっちのけ。
―――のんきだな。
  いいじゃない。買い物は急務だわ。
―――まぁ、良い。今から緊張していても意味がないしな。
  そうそう。わかってるじゃない。
ケンジは本当に納得したかは分からないが、それ以上はなにも言わなかった。
  さて、そうと決まったら恵理を誘いに行こっと。
下に降りて、リビングへ行く。
「おはよう」
おばさんと恵理はテーブルを囲んで、もう朝食を食べていた。
「虹ちゃん、おはよう」おばさんが話す。「ぐっすり眠ってたから、起こさなかったわ」
おばさんはちょっと申し訳なさそうに言う。
「休日だしね。たまにはぐっすり寝るのもいいよね」
恵理はにっこりしながら言う。
「うん。一日中寝れそうな感じだったわ」
そう言うと、くすくすと笑う恵理。
「さっ、顔を洗ってきてご飯一緒に食べましょ」
恵理が立ち上がり、私のご飯を温め直しに行く。
「うん。あ、恵理。今日買い物行かない?」
恵理の動きをさえぎって聞く。
「あら、ちょうどよかった。私もそう思ってたの」
ぱちんと両手を合わせ、驚く恵理。
「恵理も!?」私も驚く。「じゃあそうと決まったらご飯食べて、さっさと準備しよっと」
急いで顔を洗いに行く。

休日の繁華街。いつもより人が倍くらいいる。
社会人や学生は決められた服装から解放され、自由に服を着て休日を満喫する。
繁華街も平日と違って、にぎやかな顔を見せ、人々を楽しませている。
「さて、どこから行く?」
恵理に話しかける。
「そうねー。やっぱあの服屋かなー」
そう言って、いつもの帰り道とは違う方向へ向かう。
「どこ行くの?」
私が知っている場所の服屋とは全く違う場所へと進んでいく。
「ふふ、ひみつ」
悪い笑みを浮かべる恵理。
たぶん今、繁華街の端っこに向かっていると思われる。
  本当に服屋へ向かってるのかしら?
そう心配していたところ、ついに恵理が指さした。
「ほら、ここ」
その指先にはピカピカで、いかにも新しくできた感じの店があった。お客さんも多く、店の中はにぎわっている。
「わっ、こんなとこに新しくできたんだ」
急にテンションが上がる。
「うん。虹が病院で寝てるときにできたの。早く一緒に行きたかったんだから」
恵理がうずうずしながら言う。
「恵理、ありがと」
待っててくれたのが、とてもうれしい。
「他にも、いろんなお店できたんだから。今日はいっぱい紹介してあげるね」
恵理は目を輝かせて言う。
「ほんと、それは楽しみだわ!」
私も目が輝く。
「じゃあ、まずはこの店から行くわよ!」
「ええ!」
そうして恵理が先導するツアーが始まった。
服屋を2,3軒まわり、小腹がへってはアイスクリーム屋に行き、2段重ねのアイスを食べ、なんとなくおもしろそうな雑貨屋をのぞき、気づいたらもう2時。
「あー歩き疲れた!」
ドサッと店の中のいすに座る。服が入った袋をずっと持ち歩いてたから、さすがに手がつかれた。
「疲れたけど楽しかったね」
ふぅ、と息をつきながら座る恵理。
歩き疲れた私たちはカフェでひと休みすることにした。
「恵理のおかげね。新しいお店ばっかりで刺激的だったわ」
  私だけだと結局いつものお店に行っちゃうからなぁ。
「でしょー」恵理は得意げに話す。「とはいえ、私もたまたま見つけただけなんだけどね」
「たまたま、なんだ」
  あんな遠くの店、良く見つけたわね。
「それで一人で行くのもあれだから、虹と一緒に行こうって決めてたんだ」
ニコッと笑う恵理。
「え、恵理・・・」
  恵理の笑顔がまぶしいわ。
思わず感動。
「一人じゃつまんないもん」
コーヒーをすする恵理。
「私も恵理と一緒のほうが楽しいな」
と言って私もカフェラテをすする。
「ふふふ、虹ったら」
恵理が笑った。
  私が男だったら、完全におちてるわ。
店内は満席で、席を取れたのは偶然だった。クラシックのBGMがかかっているが、周りの話声でほとんどかき消されている。
「そいやー、虹とこうして一緒に出掛けるのって、久しぶりだね」
「そうね。ずっと眠ってたからね」
4ヶ月。今思うとすごく長い時間が流れてしまったのだと感じる。
「ほんと心配したわよ。死んじゃうかと思ったんだし」
悲しそうな顔をする恵理。
「心配させてごめんね。けど、ほんと死んでもおかしくなかったけどね」
この話もだいぶ昔に思えてきた。
「でもよかった。虹が無事で」
「自分でも良く生き返ったと思う。冬休みはつぶれちゃったけどね」
それだけが少し残念。
「助かったんだから、そんな贅沢言わないの」
  そうね。でもそのかわり、今いろいろと大変な目にあってるけどね。
と、ケンジに向かってささやいた。
「ん、どうかした?」
恵理が不思議そうな顔をして言ってきた。
「ううん。なんでもない」
ケンジは黙ってる。
「でも虹はあんな大変なことがあったのに元気ね」
恵理が感心してる。
「だって落ちこむ必要なんてないじゃない」
今度はこっちが笑顔で言ってみた。すると恵理は、
「やっぱ虹は強いわね」
恵理がまた感心してる。
「そんなことないってば、ただバカなだけよ」
と言いつつ、ちょっとうれしかったりする。
「バカじゃなくて前向きだと思う。やっぱり、賢治くんのおかげなの?」
恵理が声のトーンを落として言ってきた。
「んー、少しは関係あるのかな?」
恵理には賢治くんのことはけっこう話している。
「そっか。会ってみたかったな」
「そうね。恵理にも会わせてみたかったな」
そう言うと、恵理はあっと口を押さえた。
「ごめんなさい」
「いいの、もう何年も前の話なんだし。それに賢治くんは死んじゃったけど、まだここで生きてるわよ」
トントンと胸を指さす。
「・・・なんてね」
っと、ちょっと冗談を言ってみる。
恵理は苦笑いした。
「そうだ。恵理に話してなかったっけ、賢治くんの最後の話」
久々に賢治君の話をして思い出した。
「最後の話?」恵理は首を傾ける。「聞いてないと思う」
首を横にふる恵理。
「そっか、話してたと思ってた。せっかく賢治君の話になったから、話そうか」」
「うん」
恵理は快くうなづいた。
「私が賢治くんのおかげでいじめられなくなったって話はしたよね?」
「うん」
「それからね、世界が変わったわ。自分が自分じゃないみたいで。でもね、小学6年になったときのある日ね・・・」

「けんじくん、かえろー」
けんじくんはダラダラとやっていたそうじを、やっとおわらせたとこだった。
「ああ、かえろーぜ!」
かばんをとって、こばしりでこっちにくる。
わたしとけんじくんはすっかり”しんゆう”と言えるくらいのなかになって、いつもいっしょに学校からかえっていた。
もうけんじくんはわたしに、しかったりぼうりょくをふるったりしなくなったし。
そんなかんじで、まいにちいっしょにかえるようになった。
「またそうじサボってたでしょ?」
げたばこで、くつをはきかえる。
「んなことねーよ。ちゃんとやった」
と、いいはるけんじくん。
「うそだー。どう見たってほうきであそんでたじゃない?」
「うるせーな。いいじゃねーかそうじくらい」
ぎゃくにおこってきた。
「ほんとめんどくさがり屋さんね」
くすくすと笑うわたし。
「わるかったな」
いつもこんなかんじのはなしをしながら、いっしょに家までの道を歩いた。
みんな決まったつうがくろだから、小学生がぞろぞろとあるいてる。
「ねぇ、そろそろ運動会だね」
「そうだな。また一位とってやるぜ!」
けんじくんはまい年、ときょうそう一位で、リーダーてきそんざいだ。
そんなけんじくんがうらやましかった。
「いいな。わたしも運動しんけいよかったらなぁ」
「おまえはそう言うまえに、どりょくしろよな」
ちょっとあきれながら言うけんじくん。
「どりょくしたって、運動うまくならないよ」
「んなことねぇ。どりょくがたりないだけだ!」
どなられた。
「だって・・・」
「だってじゃねぇ!」
けんじくんがさらにどなる。
「もっとどりょくしてみろよ。なんにもしてないのに、そんなこと言うな!」
「ひっ!」
あっぱく感で、いっしゅんなきそうになる。
けんじくんがこわい顔をしている。けど、けんじくんの言うことはほんとうだとおもう。
「・・・うん」よわよわしくうなずくわたし。「わたし、どりょくしてみる」
けんじくんのあつい思いに答えなきゃいけない気がした。
「よし、やくそくだぞ」
けんじくんがうれしそうな顔になる。
「うん。でも、どりょくってなにをすればいいの?」
そもそも、どりょくってなんだろう。
「ん、ああ・・・」
けんじくんも目がてんになってる。
「と、とりあえず、なにか運動すればいいんじゃないかな?」
「なにかって、なんでもいいの?」
ばくぜんとしていて、よくわからない。
「なんでもいいに決まってるだろ!」
いきなりこえをあげるけんじくん。
「なんでおこるのよ!?」
いみがわからない。。
「とりあえず、クラブにはいってみろよ。運動クラブ」
「クラブ?」
「ほら、ほうかごやってるやつ」
「あ、しってるしってる!」
クラブのことは知っていたけど、なんとなく入っていなかった。
「なんでもいいからはいれよ。それだけでじゅうぶんだ」
「それだけで、どりょくになるの?」
「がんばってれんしゅうすればな」
「れんしゅうって、けんじくんみたいに?」
「ああ」
「むりよ。あんなつらいの」
けんじくんはサッカークラブにはいってて、いつもつらい顔をしてれんしゅうをしてる。
「またむりって言う。まだやってもねぇだろ」
「だってけんじくん、いつもつらそうにれんしゅうしてるんだもん」
「バカ。おれんとこのクラブはそいゆうとこなんだ。ほかのクラブは、なまぬるすぎるぜ」
けんじくんがいばった。
「そうなんだ。じゃあ、わたしにもたえられるかな?」
「あたりまえだ、バカ」
「バカはよけいじゃない?」

「そうしてね、陸上クラブに入ったの」
「陸上なんだ」
「うん、球技とかチームプレイは向いてなさそうだったからね。入部の時、あの時はすんごく勇気をふりしぼったわ。足ふるえたりしてね」
「ふふふ」
「練習もきつかったわ。私がひ弱だったからかもしれないけど」
「陸上はたしかにたいへんねー」
「うん。でも、やめずにがんばって続けたわ。賢治君の言うとおりにね」
「がんばったのね。私だったら簡単にやめちゃってるな」
「やめたら賢治君にまた何か言われると思って、半ば意地でやってただけなんだけどね」
「ふふ、そうなんだ」
「努力したわ。おかげで体力がついて、今もあんなにテニスできるようになったんだから」
「それで、運動会はどうだったの?」
「賢治君は結局2位で終わっちゃって、悔しがってたわ。私はいつも徒競走は後ろから数えたほうがはやかったんだけど、初めて3位になったわ。あれは夢みたいで、ほんとうれしかったなぁ」
「うんうん」
「賢治君の言う通りだったわ。努力すれば報われるって」
「たまには良いこと言う人だったのね」
「そうそう。たまにはね」
「ふふ、でも良かったね。彼の言うことを信じて頑張って」
「そうね。賢治君のおかげで変われたことは認めるし、ほんと感謝してるわ」
「いい友達ね」
「うん、でもね・・・」
「?」


「ちきしょー!」
けんじくんがさけぶ。
「どうしたの?」
「一位とれなかった!」
けんじくんがくやしさのあまり、さけんでいる。
「おしかったのにね」
ぎりぎりの差だった。それがよけいくやしいのだと思う。
「負ける気なかったんだけどな」
「わたしもけんじくんが負けるとは思わなかったよ」
「ちっ!」
あしもとにあった石をけとばした。
石はそのままどてをころがっていって、川へポチャンとおちた。
わたしたちはいつもまっすぐかえらずに、ちょっととおまわりしてかえるのが当たり前だった。
といっても、ただこのどての道をとおってかえりたいだけなんだけど。
「お前はけっこういいじゅんいだったな」
けんじくんがギロッとにらんできた。
「うん、おかげさまでね。あ、しっとしてんの?」
「うるせー、そんなことねぇ!」
どなるけんじくん。
「ふふふ、しっとしてる」
すなおね。
「まぁ、お前もがんばればできるじゃねぇか。なんでいままでやらなかったんだよ?」
「そのとおりね。わたし、けんじくんにしかられるまでずっとなにもやらずに、にげてばっかだった。けんじくんにしかられなかったらわたし、どうなってたんだろ?」
「しらねぇけど、よくはなかったんじゃないか」
「そうね。ほんとけんじくんのおかげね。ありがとう」
ニコッとわらい、けんじくんに言う。
そう言うとけんじくんは、
「ふんっ」
と、そっぽむいた。
「あ、もしかしててれてるの?」
「んなわけねーだろ!」
でもこっちをむかない。
「あははっ、てれてる」
からかうわたし。
「このっ、なぐるぞ!」
というけど、いまのけんじくんはそんなことしない。
「くそっ」
あきらめたけんじくん。
ひさびさにけんじくんをからかえてたのしかった。
そうして長いどてのみちをあるく。今となればそんなにながくないんだけど。
「ほんとわたし・・・けんじくんにたすけられてばっかりね」
ぽつりとつぶやいた。
「あ、なんか言ったか?」
「いや、けんじくんはいつもいつもダメなわたしをたすけてくれるなって」
そう言うと、けんじくんは顔をしかめた。
「あのなぁ。おれは言ってるだけだ。けっかはお前ががんばったからだろ」
「ううん、がんばれたのはけんじくんのおかげなのよ」
「だからおれは言っただけだ。それにおれじゃなくてもだれかいってくれただろ」
「そんなことないよ。たぶんけんじくんくらいしかズバッといってくれないだろうし」
「ズバッとねぇ・・・」
「そんな人、ほかにはいないよ。それにけんじくんじゃないとだめだとおもう」
「ん、そ、そうか?」
あたまをポリポリかくけんじくん。
「うん」
にこっとほほえむ。
「まぁ、わるい気はしないな」
「けんじくんはいつもほんきだからね」
「ん、ふつうだけどな」
そっぽ向くけんじくん。
「まっ、そうよね」
じぶんのことだしね。
「よくわかんねぇけど、おまえはもっといばっていいんだからな!」
きゅうにけんじくんがどなった。
「わかったわよ。いがいとてれ屋さんなんだね」
聞こえないようつぶやいた。
「ん、なんか言ったか?」
むっとした顔でいうけんじくん。
「ううん、なんでもない」

今思えば、いつのまにか度胸もついちゃって、賢治君をからかえるまでになってた。それに、今まで賢治君が手の届かない存在だったけど、ちょっと近づけた気がした。
だけど、賢治君は逆に私を扱いずらくなったんじゃないかしら?
そうしてどての道が終わり、住宅街への道へ入ろうとしていた。
そこであの事件が起きた。子供の私にとっては衝撃的過ぎた。

「ん、ネコだ」
けんじくんがゆびさした。
「あ、ほんとだ」
くろいネコが道のはじっこをあるいている。わたしたちにはきづいてないみたい。
「かわいいなー」
「でもあぶねぇな。となりはどうろだぞ」
せまいどうろで、ギリギリ2台とおるのがやっとだ。
「こんなとこ車とおらないよ。さっきから一台もとおってなかったじゃない」
「まぁそうだけど、あのネコだいじょぶか。ノロノロしてて、まるでおまえみたいだな」
けんじくんがからかってきた。
「しつれいね。3位だったんだからノロノロじゃないわよ」
「ちっ、たしかにそうだったな」
けんじくんはくやしそうな顔をする。
ゴオオオオオオ。
「あっ、車」
うしろから車がきた。
「けんじくん、はじによろうか」
わたしたちはどうろのはじによる。
ゴオオオオオオ。
気づいたらすぐちかくにきていた。
「おい、あの車はやいな。道せまいのに」
「そうね。いそいでいるのかしら?」
と、まえをむくと、
「あっ!!」
ネコが道をそれてどうろへとあるいていた。
「あぶないっ!」
ネコは車にきづいてない。
ゴオオオオオオ。
車はとまりそうにない。このままではひかれてしまう。
「にげてっ!」
わたしはさけぶ。でも、ネコはよけようとしない。
と、そのとき、
「あのバカッ!!」
けんじくんがはしった。
「けんじくん!!」
どうろへとかけていく。
「だめっ!」
けんじくんはとまらない。
ネコはけんじくんのあしおとをきいて、はしりはじめた。
ゴオオオオオオッ!!!
車はとまるけはいがない。
「けんじくん!あぶないっ!!」
ネコはどうろをわたりきった。
でもけんじくんはまだ・・・
ドンッ!!!!!
にぶい音が空にひびきわたった。
「あっ・・・」
いっしゅん、じかんがとまった。
けんじくんはとおくにいった。
キィィィィィーーーー!!
くるまがとまった。
ネコはそのままはしりさっていった。
こえがでなかった。
めのまえがまっしろになった。
あたまのなかでなにかがガツンといたむ。
うごけない。いきがはやくなる。
くるまのなかからひとがでてきた。
ただたっていることしかできない。
いっしゅんのできごとで、あたまがこんらんしてる。
けんじくんがとおくでたおれてる。
ひいた人があわててけんじくんのとこへかけつけた。
わたしはつったっているだけ。
ちかくにいかなきゃ、でもうごけない。からだがきょひしてる。
ひいた人がけんじくんにはなしかけている。
でも、けんじくんはうごかない。
ひいた人があわててでんわをとりだして、でんわした。
けんじくんのかおがみえる。
けんじくんはめをつぶっている。
あかいし、うごかない。
あたまはわかっているけど、みとめようとしない。うそとしかおもえない。からかっているとしかおもえない。どうせもうすこししたらおどろかすにちがいない。
そうおもっているのに、あついものがめからながれてきた。
とまらない。
めのまえがぼやけてなにもみえなくなった。
きづいたら、おもいっきりこえをあげていた。
とまらない。そのばにすわりこんだ。ちからもでない。
もう、どうしようもなかった・・・。

それからの記憶はない。
気づいたら病院にいた。
もう涙は止まっていた。
でもまだ信じられない。
あれが夢だと信じてる。
でもそうじゃなかった。
本当は逃げていただけ。
受け止められなかった。
自分が壊れそうだった。

あの時の光景は目に焼き付いているわ。子供には衝撃的過ぎたし。いや、子供じゃなくて、今だったとしてもキツか、きっと。
時々思い出すと吐きそうになるし、頭もズキズキ痛くなるわ。
体が負担がかかるから、拒否しているような感じなの。
それでね、気づいたらいつのまにか病院にいたの。

・・・キィィ。
ゆっくりドアをあけた。
そこにはしろいぬのをかおにかぶった人がひとり、ぽつんとベッドにねてるだけ。
ここはびょういん。さすがにわたしでもわかった・・・あのしろいぬのが。
でも、たしかめなきゃと、ベッドにちかづく。
ねてる人からけはいが感じられない、まるでおきもののように。
おとうさん、おかあさんがさきにベッドにちかづき、しろいぬのをどける。
「けんじ、くん・・・?」
けんじくんは目をつぶってねている。はじめて見た。右の目がすこしつぶれている。
「うそ、でしょ?」
わたしをからかっているにちがいない。おどろかすタイミングを見ているにちがいない。
「おどかそうとしてるんでしょ?そんなんじゃおどろかないんだから」
けんじくんのかおがだんだんと、ぼやけて見えなくなった。
「いつもいつもいじわるして、わたしをこまらせるんだから」
ぽたぽたとなみだがベッドをぬらす。
「め、あけて・・よ。おきて・・・るん、で・・しょ」
こえがふるえる。ほっぺたをさわる。
「えっ・・・」
すごくつめたい。こおりのように。
「うそ、よ・・・」
しんじられない。
わかっているんだけど、あたまがうけつけない。
「ううっ・・・」
とつぜんすぎる。さよならも言えないなんて。
おとうさんとおかあさんが、わたしのあたまをなでて、へやから出ていった。
へやにはけんじくんとわたしだけ。
「えーーーーーん!!」
きゅうになみだとかんじょうがあふれだした。
へやがこわれるくらいないた。
もう、どうでもよくなった。
きづいたら、わたしはむかしのわたしのようによわくなっていた。
けんじくんがいなくなったいま、わたしはいじめられっこのわたし。
「えーーーーーん!!」
わたしのなかからけんじくんがでていってしまった。
もう、わたしにはなんにもない・・・。
「えーーーーーん!!」
ただなくことしかできなかった。
「・・・うるせえな」
わたしのなきごえをわってはいるような声。
「えっ・・・?」
ごしごしとそでで目をふく。
「けんじ、くん?」
けんじくんがムクッとからだを起こし、しろいぬのをなげすてる。
「うるせえよ。なくんじゃねぇ」
ふきげんそうにこっちを見る。
「けんじくん!」
ガバッとけんじくんをだきしめた。
「ちょっ、おいっ、なんだよ、なみだでよごれるだろ!」
けんじくんがおしもどそうとするけど、わたしはぜったいにはなさなかった。
「けんじくんのいじわる!もう目をさまさないかとおもったんだから!!」
またなみだがでてきた。
「おいっ、おれのむねでなくな!」
「けんじくんのバカッ!心配したんだから!!」
でもこころのなかはうれしくてたまらなかった。
「けんじくんがいなくなったら、わたし・・・」
またなみだがでてきた。
「・・・・・」
けんじくんはそっとわたしのあたまをなでた。
その手はあたたかくて、とてもここちがよかった。
「けんじくん、ほんとよかった・・・」
なみだがとまった。
あんしんしてねむくなってきちゃった。ほんとへんなじょうだんでよかった。
「・・・にじ」
けんじくんがこっちを見る。
「ん」
わたしもかおをあげる。
「もうじかんがないんだ」
けんじくんがまじめなかおで言う。
「え?」
  じかんって?
でもけんじくんの目はしんけんだ。
「あのな、おれ・・・」
しんけんな目をしてたのに、きゅうに目をそらす。
「どうしたの?」
けんじくんの目を見ようとするが、そらされる。
「おまえといて、ほんと、たのしかったよ」
てれながらいうけんじくん。
「なに、いってるの?」
わからない。なんできゅうにこんなこと言うのか。
「じかんがないから、さっさとすませないといけないんだ」
じょうだんではない。けんじくんはほんきだ。
「けんじくん」わかりたくない。「いみがわからない、よ・・・」
目のまえがまた、かすんできた。
「あのなぁ、だからな」
けんじくんが、がしっとわたしのかたをつかんだ。
「おれはしんだんだ」
けんじくんの目が、ほんきだ。
「・・・!?」
こころにずしんときた。
「まぁ、こんなあっさりとしんじまうとはな。じぶんでもびっくりだ」
あーあ、とためいきをつくけんじくん。
「うそ、よ・・・いま、はなしてるじゃん?」
しんじられない、そんなこと。
「ああ、いまはな」
  いま?
「もうじき、いかなきゃいけない」
かたからてをおろして、まどのそとをみるけんじくん。
「どこへ、いくの?」
「あのよ、ってやつ」
「あのよ?」
「しんだ人がいくことだ」
てんじょうをゆびさすけんじくん。
「なに、いってるのよ?」
なみだがとまらない。
「ごめんな。これ、ほんとうなんだ」
からかっているようすはない。
「しんじたく、ない、よ」
せっかくいきているとおもったのに。
「けんじくんがいなくなったら、わたしどうすればいいのよ!?」
おおごえがでた。
「・・・・・」
「わたし、けんじくんがいなきゃ・・・つよく、いきれないよ」
なみだがどっとながれた。
「にじ、なくなよ。おれはおまえのなきがおがきらいだ、って言っただろ」
「でもっ!」
「でもじゃねぇ!」
けんじくんがどなった。
「つよくいきれないだと、しんだおれに、なにを言いやがる!」
「ううっ・・・」
「にじ。よくきけ」
「ほんとはな、おれもおまえのおかげでつよくなれてたんだ」
「え?」
「おまえがつよくなっていくのをみてな、おれもがんばんなきゃって、はげまされてたんだ」
けんじくんはめをそむけた。
「そう、なの?」
「ああ・・・いままで、はずかしくて言えなかったけど」
なみだがとまる。けんじくんがそんなこと言うなんて、いがいだった。
「だからよ、つよくいきれないなんて言うなよ。あんしんして、あのよにいけねぇじゃねぇか」
「・・・うん」
「それに、おれよりよわくなるなんて、ゆるさないからな!」
こつんと、わたしのあたまをたたいた。
「・・・うん」
わたしはただただ、うなずいた。
「わかったなら、にじ。やくそくしてくれ」
すっと、こゆびをだすけんじくん。
「やく、そく?」
「おれのぶんもつよくいきてくれ。いっしょうのおねがいだ」
「つよくいきる、やくそく?」
「ああ、そうだ」
「けんじくんのぶんも、わたしが?」
「あたりまえだろ。ほかにだれがやる?」
「わたしが・・・」
けんじくんのぶんもつよくいきる。けんじくんはいなくなっちゃうけど、わたしがそのけんじくんのぶんもいきる。
「さいごの、おねがいなんだ・・・」
けんじくんがひっしにみてくる。
「うん、わかった」こゆびをだす。「やくそくする!」
こゆびとこゆびをこうささせた。ギュッとつよく。
「よしっ、やくそくだからな!」
「うん!」
おおきくうなずくわたし。なにかがかわったきがした。
「いいかおじゃん」
けんじくんのほほがゆるむ。
「なんか、がんばれるきがする」
「ああ。おれがいなくなっても、あのよからおまえがなまけてないか、みはっててやるからな」
にかっとけんじくんがわらった。
「あはは、なまけたりなんかしないわよ。ぜったいに」
「おっ、言ったな。なまけたらのろってやるからな」
「あはは」
こころのなかのくもがとれ、きぶんがはれた。
まだけんじくんと、こゆびをつないでいる。こうしているだけでげんきがこみあげてくる。まるでけんじくんからげんきをもらっているみたい。
「にじ」
すっと、けんじくんがゆびをはなした。
「?」
けんじくんがベットからおりた。
「そろそろだ」
まどのちかくへとあるく。
「そろそろ?」
「おわりみたいだ」
けんじくんはまどのそとをながめる。
「はやいよ。いやだよ・・・」
またなみだがながれそうになる。
「おれももうすこしはなしていたい。でも、こんなじかんをくれただけでもありがたいんだ。わらってみおくってくれよ」
けんじくんはこっちをむいて、にかっとわらった。
なみだをなんとかおしとどめる。でも、とてもつらい。
「うん。もうなかないよ」
にこっと、わらう。くちがヒクヒクいっている。ながくはもたない。
「ありがとよ。これであんしんできる」
けんじくんはそっと、めをつぶった。やすらかなかおで。
なみだが目からこぼれおちた。
でも、えがおをくずさないようにがんばる。
「っ・・っ!」
こえをひっしにかみころす。
「・・っ・・っっ!!」
かおがくしゃくしゃになっているのなんてわかってる。でも、えがおだけはぜったいにくずさせない。
「きちまった、か」
けんじくんがつぶやいた。
「けんじ、くん!」
ふるえたこえでさけぶ。
「ありが、とう!」
おもいっきりさけんだ。こうかいがないように。
「ほん、と・・あり、が・・とう!!」
「おれのほうこそ、ありがと、な」
けんじくんがふりむく。けんじくんもかおがくしゃくしゃになっている。
「けんじ、くん!」
けんじくんのからだがだんだんうすくなってきた。まるでふうけいにとけこむように。
「さよならだな、にじ」
なきながらいう、けんじくん。
「けんじくんっ!!」
もうけんじくんのかおがみえなくなる。
「うわぁぁぁぁぁーーーーん!!」
ついにたえられなくなった。とめていたなみだがいっきにでてきた。
「にじ。おれもおまえにあえて、ほんとよかった!」
「わたしもだよ!」
そして、すがたがきえた。
・・・いっしょにいてたのしかったぜ。ありがとな。やくそくわすれんなよ。
さいごに、かすかにきこえた。

「けんじくん!!」
わたしのさけびごえ。あたりにひびきわたった。
「・・・・?」
なにかがへん。さっきまでいたところとちがう。まわりに人がいるし、ベッドもない。
ここはびょういんのろうかだ。わたしはろうかのベンチにすわっている。
「なんで、ここに?」
けんじくんのびょうしつにいたはずなのに。まどのそとをみると、もう日がおちてきている。
「にじちゃん?」
かんごしさんが、こえをかけてきた。
「やっと起きたのね」
かがんで、わたしとおなじめせんにかおをもってきた。
「おきた?」
ねてた・・・の?
「泣き疲れて、寝ちゃってたのよ。覚えてないとは思うけど」
「わたし、ねてたの?」
ぜんぜんきおくにない。
「うん、そうよ」
かんごしさんはすこしかなしそうなかおでいう。
「・・・ゆめ?」
さっきのはゆめだったの?
「けんじくんは?」
かんごしさんにきく。
「彼はその部屋よ」
すっと、となりのへやをゆびさした。
それとどうじに、わたしはたちあがった。
「虹ちゃん?」
ためたいもなくドアをあけて、なかへはいった。
・・・さっきのゆめとおなじ。
しろいぬのをかおにかぶった人がひとり、ぽつんとベッドにねてるだけ。
「けんじ、くん?」
ゆっくりとちかづく。
やっぱりけんじくんはうごかない。
さっきのゆめとおなじなら、おきてくれるはず。
「けんじ・・・くん?」
さっきみたいに、うごきだすかんじがない。もうここにはいないみたい。
「・・・・・」
そっとけんじくんのはだにふれる。
つめたい。もうあのあたたかさはない。
「ほんといっちゃたんだね」
なみだがすこしこぼれた。
でも、これいじょうはなけない・・・やくそくしたんだから。
しろいぬのをとる。
「!」
けんじくんのかおをみたとたん、なみだがとまった。
「虹ちゃん?」
うしろをふりむく。
かんごしさんがへやにはいってきた。
そしてまた、わたしのまえでしゃがみこんだ。
「虹ちゃん、ごめんね」
かんごしさんはそう言って、わたしをだきしめた。
それはけんじくんとはちがった、あたたかさがあった。
「賢治君ね、助けられなかった」
かんごしさんはいまにでもなきそうだ。
「ううん、かんごしさんのせいじゃないよ」
もうそんなことはわかってる。
「最後に話す時間もあげられなくて、ごめんね」
かんごしさんのこえがふるえた。
「ううん。それはだいじょうぶ。たっぷりはなしたよ」
「・・・え?」
かんごしさんがわたしのかおをみる。
「さっきね、ゆめのなかだったけど、けんじくんにあったの。そしたらいつものようになくなって、わたしをしかってきたよ。つよくなるって、やくそくもしたんだ」
かんごしさんはキョトンとする。
「そっか・・・そうなんだ」
かんごしさんはわたしからはなれて、なみだをぬぐった。
「賢治くんがそう言ってたのなら、私も泣いてなんかいられないわね」
「うん。けんじくんは、なきがおがきらいだからね」
っと、にこっとわたしはわらった。
「ふふっ、はげましに来たはずなのに、逆にはげまされちゃった」
かんごしさんもてれくさそうにわらった。
「ごめんね、もう行くね。そろそろ家の人が来るはずだから、もう少し待っててね」
そういって、かんごしさんはへやからさっていった。
またへやがしずかになった。ゆめのときとおなじように、けんじくんとふたりきり。
わたしはまたけんじくんのかおをみる。
「ありがとう。もう、だいじょうぶだよ。こんなけんじくんのかおみたら、なみだなんてでないよ」
けんじくんのかおは、とてもすがすがしくうれしそうなかおをしていた。


その後聞いた話だけど。
賢治くんは即死だったみたい。けっこう体も損傷してたけど、なんとか修復してくれて、きれいにしてくれていたみたい。
救急車が来た後は、私もそれに乗ってついていったんだって。それで、私が賢治くんの家の電話番号おしえたり、家に電話したりしてたらしい。全く記憶にないけどね。
あと、賢治くんのことなんだけど。
両親共働きで、帰りはいつも遅かったみたい。だから賢治くんは家では一人でいることが多かったみたい。
実際事故の後、母親はすぐかけつけてくれたんだけど、父親のほうは出張してて、来たのが数日後だったみたい。
だから今思えば、賢治くんは意外とさみしがり屋だったのかもしれない。


「え、恵理?」
「ううっ、うえ・・・」
話し終わると同時に、恵理がポロポロ涙をこぼしはじめた。
  「ちょ、ちょっと!」
「ううう、にじー・・・」
周りの人たちがこっちを見ている。
「そんな、泣かなくても」
こ、こまった。
―――泣かせる話じゃないか。
こっちのケンジはちゃかしてきた。
  あんたもしっかり盗み聞きね。
「にじー・・・」
「え、えりー。泣きすぎよ」
恵理はハンカチを取り出して涙をぬぐってる。
  困ったな。私も逆にもらい泣きしちゃいそうよ。
涙をこらえながら、カフェラテをすすった。
―――そうか。賢治という人がお前の中でどんなに大切だか分かった。
  それはどうも。
―――どおりでお前は強いわけだ。
強いのか分からないけど、強くならなきゃね。
こんなんじゃ賢治君にしかられちゃう。
―――謙遜することはない。ほかのやつとは違う強さを持っている。
  ちがう強さ?
―――ああ。なんて言うのか分からんが、強い光を感じる。やはり人の死を経験した者は違う。
  人の死を経験・・・そうなのかな。
賢治くんがまだこの世にいたら、どうなっているのかちょっと思った。
  いたらいたで、私はいまの私でいられたのかしら?
想像するが、ピンとこない。
  また賢治くんに怒られてばっかりで、心のすみで賢治くんに甘えちゃってるのかしら?
けど、いてくれたら嬉しい。
―――そうかもしれないな。
ケンジが口をはさんできた。
  ちょっと、あんたに何がわかるのよ?
―――さぁな。だが、考えても答えは出ないのではないか。賢治とやらはもういないのだから。
たしかにそのとおり。賢治くんはもういない。
―――まぁ仮に生きていたとしても、お前に力を与えてくれていたのではないか?
・・・うん。そう。絶対そうだと思う。
ケンジがこんな温かみのあることを言うとは思わなかった。
「虹?」
目を赤くした恵理がこっちをのぞきこんできた。
「あ、恵理。やっと落ち着いたのね」
「うん。もうハンカチぐしょぐしょ」
恵理がハンカチをひらひらするが、すごく重そうに左右に揺れる。
「あらら」
  そんなに泣いてたのね・・・。
「もう、虹ったら話し上手なんだから」
ポンと、私の肩をたたく恵理。
「全然そんなことないよ。恵理が涙もろいだけよ」
私はただ昔の話をしただけだし。
「うーん、それもあるかも。それにしても、虹にそんなことがあったなんて知らなかったわ」
そう言って恵理はコーヒーをすすった。
「そうね。今までしっかりと全部、話してなかったっけね」
  途切れ途切れで話してたもんね。
「あ、そうだ恵理」
急にビビッとひらめいた。
「んー?」
恵理はコーヒーを飲みほしたようだ。
「映画でも見て帰らない?」
なんか急に見たくなっちゃった。
「うん、いいよ。そうしよう」
恵理はにっこりと笑った。
「よし、そうと決まったらさっさと行きましょ」
そう言って、残ったカフェラテをいっきに飲みほした。

映画館を出たら、もう日が暮れて街がネオンをともしていた。
「すごかったねー」
恵理は満足満足、という顔をしてる。帰り道、歩きながら映画の感想を話し合う。
「うん。心臓に悪い場面がいっぱいあったけどね」
結局見たのはアクション映画。それもワイヤーアクションを使って、人がありえない動きをするやつ。ほかにも見るのはあったけど、しんみりしたのより激しいほうがいいと思ってアクションにしたのだ。
「なんかどっかのマンガみたいな戦いだったわね」
ビルの上で飛び移りながら戦うシーンがあったんだけど、それがもうどっかのマンガのようなシーンだった。
「あははっ。そのとおりね」
恵理がなにかを想像したらしく、笑った。
「でも映画だからちょっと無理あったけど。まぁ、それも逆に良かったわ」
ちょっとありえないとこがいっぱいあったけど。
「うん。なんだかんだであの映画にしてよかったね」
恵理も満足してるようだ。
「それにしても、人間いつかあんな動きができるようになるのかしら?」
と、恵理が寝ぼけたことを言ってきた。
「ん、まぁ、できるようになったら人間じゃなくない?」
そう言ったはいいが、自分もそんな動きをしていたような気がした。
「そうよね。人間やめないと無理よね」
残念そうな顔をする恵理。
  恵理、本気だったのね。
「意外と子供っぽいとこあるよね」
ボソッとつぶやく。
「なにか言ったかしら?」
恵理はギラリと目を光らせる。
「えっ、いやなんも」話を変える。「それより、もう遅いからはやく帰ろうよ」
帰りが遅いと、おばさんが心配しちゃう。
「うん。そうね」
そうして歩くペースを上げた。
人ごみあふれる繁華街をぬけて、いつもの帰り道へと出た。
ここまでくると、人ごみがなく少しほっとした気分になる。
「ねぇ、虹」
恵理のほうを向く。
「うん?」
街灯が恵理の顔を照らしている。
「もう来年卒業だけど、進路は決まった?」
ぐさりと、心にささった。
  進路・・・か。
来年卒業。中学の時は、高校へ行くのが当たり前のような気がして、なんとなく進んだけど、今度は違う。選択肢がある。大学へ行って何を学ぶか、何を学びたいか、先を見据えなきゃいけない。それ以外にも、働くという選択肢もある。
「・・・・・」
将来が見えない。というより、しっかりと考えたこともないし、自分が何に興味があるのかもよくわからない。今まで周りに流されるように生きてきたから。
「きまって、ないなぁ」
小さな声で言った。
「そうよねー。私もはっきりとはまだ決まってないのよ」
恵理も困った顔をして言ってきた。
「え、恵理も?」
決まっていると思っていた。
「うん」恵理はうなづいた。「大学に行って、介護とか福祉系の道に進もうかと思っているんだけど、学校によって学部とかが違うのよね。そこで迷ってるの」
迷っているとは言うが、私よりもずいぶん前に進んでいる。
「方向が決まっても、迷うところがあるんだ」
  でもちょっと意外。恵理はもう完全に決まっていると思ってたよ。
「うん。でもまだ3年生になったばっかだし、そこらへんはあせらずゆっくり考えようかなーってね」
恵理は空を見ながら言う。
のほほんとしてるけど、しっかりしているのよね。
そこが恵理のすごいところ。尊敬できるところ。
「恵理ならあせらなくても、絶対答えが出せるよ」
ほわーとしているけど、日ごろ常に頭が回転している。私なんかと違って。
「ありがと。虹が言ってくれるとそんな気がしてくるわ。それにあせって決めても後悔するだけだし」
うんうんと、うなづく恵理。
  そうね。あせったっていい答えが出るわけじゃないわね。
恵理にはげまされた気がする。
「でも、なまけちゃダメよ」
恵理が真面目な顔になる。
「?」
「あせらずなにもしないで、ぼーっとしてちゃ時間の無駄になっちゃうからね」
急に厳しいことを話す恵理。
  わ、私に対して言ったの、かしら?
恵理は自分に言い聞かせたのか、私に言ったのかわからない。
「そ、そうね。私も時間の無駄にならないようにするわ・・・」
「そうしましょ」
恵理は微笑んだ。
  とはいえ、進路かぁ。何を考えたらいいのかしら。
こんな大事なこと考えてこなかった自分に驚く。
でも、今はそんなこと考えている場合じゃない。
そう、奴との戦いのことで頭がいっぱいだ。
ぞっと、体がふるえた。
今まで忘れていた恐怖がこみ上げてきた。
「なんか寒くなってきたね。早く帰ろ」
恵理はふるえる私を見て、そう言う。
「そうね」

午後6時50分。
家のドアを開ける。
「早く帰ってくるのよ」
おばさんが心配そうに言う。
「うん。ちょっと行ってくるね」
―――おい。間に合わないぞ。
  しかたないでしょ!おばさんたちに怪しまれたくなかったんだから。
コンビニに行くといって外出しようとしたものの、やはりこんな時間だから、やめなさいと言われ、恵理にも明日でもいいのに、と止められる。まぁ、当たり前だけど。
ウソにウソを重ね、なんとか二人をごまかすのに時間がかかってしまったのだ。
「はぁ、心配させてばっか。最悪だわ」
しかも無事すぐ帰ってくるから、と言って飛び出したものの、すぐ帰れるはずがない。
それがさらに罪の意識を感じさせた。
―――仕方ないことだ。気にするな。
  気にするわよ。まったく。
街灯が照らす中、初めて暗い中の通学路。
右手にはズシリと、私の手を重くする刀。
服装はジャージ。これ以上制服を汚すわけにはいけないから。
「これで・・・最後」
そう思うと、ますます緊張感が増した。
―――そうだ。結果がどうあれな。
  なんとか生きて帰らなきゃ。
―――ああ。俺もできるだけサポートする。
  全力でお願いね。
最悪、命を落とすかもしれない。頭では分かっているが、まだどうも現実感がない。
でも学校へ着々と向かっている。
「ねぇ」
夜空に向かってケンジを呼ぶ。
―――なんだ?
「戦う以外の選択肢ってないのかな?」
思いつかないけど、なんかありそうな気がする。
―――あるわけがない。あればやっている。
「まぁ、そうよねぇ」
なんでも平和に解決できるとは思ってはないけど、それに越したことはない。
もともと私は争いごとなんてやりたくない。これまでは相手が殺しにかかってくるから仕方なく戦ってきた。でも今回は、身を守るためでもあるけど、ちょっと違う。自分の意見を貫くために相手を力ずくで黙らせるみたいな、そんな感じに思える。
―――お前の言いたいことも分かる。だが、相手が聞く耳持たない相手にはどうしようもない。
「そうだけど・・・」
それはわかっている、でもだからといって実力行使っていうのがすっきりしない。
そう思っているうちに、学校の前まで着いてしまった。
  夜の学校って、すごい不気味ね。
いつも人があちこち歩いていて、部活動の掛け声など聞こえるにぎやかな様子とは全く逆。
真っ暗で、もちろん人一人いない。校舎の中は非常口のライトが不気味に中を照らしている。校庭も暗闇でいつもより広く見える。踏み入れたら戻ってこれないような気もしてしまう。
門が空いている。
校庭への門は開いている。
私はぎゅっと刀を握り締め、敷地に踏み入れた。その瞬間、なんとなく別の世界に入ったような気がした。
学校って言ってたけど、どこにいるのかしら?
校庭を歩き校舎に向かう。
「ん?」
私の教室だけ明かりがついている。
―――どうやら、あそこで待っているようだな。
そうみたいね。
そっと正面玄関の入り口のドアに手をかける。鍵がかかっておらず、ギィッと少しさび付いた音を立てながら、ドアが開いた。
静まりかえった学校。物音一つしない。中は月明かりと非常口のライトが照らしており、意外と視野はいい。
心臓が高鳴る。不気味な廊下を歩き、階段を上がる。
ほんと不気味ね。オバケ出そう。
カツンカツンと自分の足音しか聞こえない。
2階に着く。左に顔を向ける。一つだけ明かりのついた教室がそこにあった。
そう、そこは私の教室。
「あそこね」
―――ああ、そのようだな。
私は一歩一歩、教室へゆっくりと近づいていく。自然と刀を持つ左手に力が入る。
―――そう緊張するな。やつは不意打ちなどしてこない。
  そうかもしれないけど、やっぱ緊張するわ。
そっと、教室のドアに手をかけ、そして、
ガラッ―――開ける。
「!」
  カオス!?
カオスはこちらに背を向けて、後ろで手を組みながら窓の向こうを見ている。いつものスーツ姿だ。
「やっと、来たか」
カオスは窓に向かって言う。
「ごめんね。時間にルーズなの」
こちらからカオスの顔は見えないけど、窓の反射でそこに映し出されていた。
「ふっ、まぁ良い」
カオスは口元に笑みを浮かべ、カオスはこっちを向いた。手は後ろに組んでいる。
反射的に思わず刀の柄に手をかける。
「良く逃げずに来た」
「当たり前よ」
そう言うと、カオスは首をかしげ、こちらを見る。
「本当に君は私と戦う気があるのか?」
「・・・なにを言ってるの?」
  なかったら、ここに来ないわよ。
「君の中にいる奴に、そそのかされているだけではないのか?」
「そんなわけないわ。私の意思で来たに決まっているじゃない」
  そそのかすって、何を言ってるの?
「そうか、全て自分の意志で決め、私を倒すことを選んだのだな?」
「当たり前、じゃない」
今、私の口の奥で何かが引っかかった。
「ふふっ、そうかそうか」
カオスが不気味に笑った。
「何がおかしいの?」
「いや、ただ威勢よく答えた割りには、少し迷いが感じられてな」
「?」
  迷い?
そう言われて何かが引っかかった。
「自分は正しいことをしているのかどうか、戦わなければならないのか、そんな迷いだ」
「!」
・・・私が、まよって、る?
―――おい、耳を貸すな。惑わそうとしているだけだ。
ケンジの声でハッと、気がついた。
「惑わそうとしても、無駄よ」
  危ない。相手のペースにはまるとこだったわ。
「私はあなた達の戦いを終わらせたいだけ」
刀を抜く。
「貴様にとっては関係のない戦いだがな。それでもやるのか?」
「コスモ・・・いえ、ケンジの言っていることのほうが正しいと思うから」
刀を両手で持ち、構える。
カオスはしばらく私を見た後、
「そうか、ならば終わらせようではないか」
後ろで組んでいた手を解いて、そう言った。
―――くるぞ。
ケンジがそう言うと、急に体に力がみなぎり軽くなった。ケンジも戦闘態勢に入ったみたい。
「コスモス。少し遊んでやる」
―――遊ぶだと?
「しばらく人間の姿でいてやる」
そう言い終わると、カオスは一瞬で間合いを詰めてきた。
「わっ!」
まっすぐ蹴りを入れてくる。
キンッ!
とっさに刀で防いだが、廊下まで押し出された。
人間のままなのに、この力!?
手がビリビリする。
―――遊びのわりに、なかなかやるじゃないか。
カオスはゆっくりとこっちに歩いてくる。
  相手は素手。私は武器を持っている。
そう思うと、武器を持っている私のほうが断然有利に思える。
―――いや、相手はカオスだ。素手でも十分強い。
「!」
また勢いよく向かってきたカオス。
「今度は!」
カオスに向かって刀を振るう。
ブンっ!
が、あっさりとかわされた。
  は、はやい!
―――気をつけろ!
気づいたら、みぞおちにカオスのこぶしがめりこんでいた。
「うっっっ!」
廊下の向こう側へと吹き飛び、倒れそうになるが、何とか踏ん張る。
「いたた・・・」
ケンジの力のおかげで、痛みやダメージはかなりやわらいでいるけど、なかったら痛いじゃすまない。
―――これでは本当に遊ばれてしまっているな。
  悔しいけど、強いわね・・・。
―――もっと力を出さないとダメだな。
ケンジがそう言うと、先ほどよりも体に力がみなぎってきた。
前にカオスと戦った時よりも体が軽い気がする。刀もすごく軽くなる。おもちゃかと思えるくらいだ。
  すごい、体がさらに軽い!
カオスはまた、ゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。
「今度はこっちから!」
こっちから一気に間合いを詰める。カオスが気づいた時にはもう遅かった。
「むっ!」
刀を振り落とす。カオスはとっさに右腕で頭をかばう。
「もらい!」
刀を振り下ろす。
キイィィンッ!
「え!?」
カオスは右腕で刀を止めた。
うけとめ、た?
石のように固いものを切ったような感じだ。でも、どう見てもスーツの袖しかない。
「フフッ・・・」
カオスの蹴りが来る前に、後ろに下がる。
「なんなの、一体?」
  確かに切った感覚はあったのに。
―――落ち着け。なにかあるはずだ。
  う、うん。
カツカツ―――足音を響かせながら、堂々と歩いてくるカオス。
グッと、刀を構えなおした。
―――待つな。もう一回切りかかってみろ。
もう一回・・・やってみる!
不気味な感じだが、やるしかない。
カツ、カツ・・・一歩一歩、こっちも慎重に間合いを詰める。
お互い、ある程度まで間合いを詰めないと攻撃ができない。例え一瞬に詰めたとしても。
だから、この間合いの取り方が大事。
うまく近づき、危なくなったら攻撃されない距離をとる。
その判断を誤ると、命を落としかねない。
カツ、カツ・・・。
カオスが急に足を止めた。
「?」
と、次の瞬間、
「・・・え!?」
ふと、姿が消えた。
―――後ろだ。
  後ろ!?
すぐさま振り向く。
と、すでにカオスはこちらにこぶしを向けていた。
  いつのまに!?
ガンッ!
右手から繰り出されるこぶしを刀で何とか防ぐ。
「このっ!」
刀を振るう。
が、後ろに下がられ、あっさりかわされた。
  もう一回!
下から切り返す。
ブンッ!
またかわされる。
  もう一回っ!
振り上げた刀をまた振り落とす。
「むっ!」
キイィィンッ!
カオスはまた右腕で刀を受け止めた、
「あっ」
・・・わかった。
ピンときた。右腕に何かある。
しかし、同時に一瞬動きが止まってしまった。
「フッ」
ガシッ―――首襟をつかまれた。
「あっ!」
そのままカオスは走り始めた。
  あ、足がっ!
足が浮いた。逃れられない。
  壁に、当たる!?
もう勢いがついて、体が無重力状態になっている。何もできない。周りの景色が流れていく。
ドンッッッ!!
「っ!」
壁に押し込まれる。壁がへこむくらいの勢いで。
「あ・・・う・・」
膝をつく。目の前がぼんやりする。危うく気を失いそうになった。
まるで車にはねられたかのような痛み。生身の人間なら死んでいる。
―――大丈夫か?
  けっこう、きたわね・・・。
ケンジの力をもってでも、かなり深いダメージだ。軽い脳震盪ですんだのが不思議なくらい。
「コスモス、この程度か?」
カオスがあざ笑うかのように言ってきた。
「まだ、よ・・・」
意識がしっかりするまでもうちょっとかかりそう。
「フンッ、しぶといな」
「!」
私の首をつかみ、持ち上げる。
「ぐっ!」
  く、くるしいっ!
「終わりだ」
だんだん強く絞められていく。
「まだ・・・って」
刀を握り締める。
「言ってるでしょ!」
ブンッ!
キイィィィンッ!
とっさに首から手を離し、腕で刀を受け止めるカオス。
「けほっ、けほっ・・・」
やっと、脳震盪も治まった。でも、今度は息が苦しい。
「ほお、まだこんな余力があるとは」
感心するカオス。
「小手、だったのね」
「・・・・・」
カオスの眉がピクッと、動いた。
「袖から見えてるわよ」
カオスの右腕を指差す。
そこには、破れた袖から銀色の鉄で覆われた小手が垣間見えていた。
―――そうか。小手をしていたのか。だから、刀を平気で受け止めていたのか。
「フフッ、やっと気づいたか」
すると、カオスは腕をまくる。手首から肘まで覆われた銀色の小手があらわになった。
「そんな物してたなんて」
―――小細工をするとはな。
刀を杖代わりにして立ち上がる。
「こんなもの必要なかったが、一応使わせてもらった」
―――ここはマズイ。逃げ場がない。横の教室に入れ。
今気づいた。後ろは行き止まり。廊下の一番奥まで飛ばされてしまったようだ。
まさに追い込まれた状態。
「だが、知ったこところで何が出来る?」
カオスは余裕の笑みを浮かべながら、こっちへと近づいてくる。
ブンッ!
右手のこぶしを突き出してきた。
横に飛んでかわし、教室の中へと入った。
「ふう」
教室の中は、きちんと机が言って一定間隔ごとに配置されている。
  ここのクラスはキチッと掃除やってるのね。
―――感心してる場合か?
カオスも教室へと入ってきた。
「逃げることしかできないのか?」
「この場所のほうがいいと思ったのよ」
とは言ったものの、負け犬の遠吠えにしか聞こえない。
「フフッ、強がるな」
ブンッ!
また右のこぶしを突き出してきた。
ガンッ!
刀で受け止める。
そのまま切りつける、が。
キィィンッ!
小手で防がれる。いったん下がり距離をとる。
「邪魔な小手ね!」
―――机だ。机を利用しろ。
そう言われた瞬間、左手で反射的に机をつかんだ。
「えいっ!」
片手でつかんだ机をカオスに向かって投げつける。
「ふん」
あっさりと、腕ではじかれる。
「こんなもの―――!!」
唖然。
カオスの目の前には、さっきまでいた人物が消えていた。
それもそのはず。なぜなら、
「こっちよ」
机を投げた瞬間に、上に飛んで背後を取ったのだから。
「!?」
カオスが振り返る。
ザンッ!
が、遅い。私の刀がカオスの背中を切り裂いた。
「ぬうっ!」
後退するカオス。
―――浅かったか。
  でもやっと一太刀。
―――よくあの時、俺が最後まで言わずにうまくやったな。
  なんとなく、ね。
「・・・キズ?」
カオスは背中の傷を触った。手の平には砂があり、風に乗って消えていく。
「油断しすぎたんじゃない?」
挑発してみる。
「クククククク・・・」
「?」
突然カオスが笑い始めた。
「何がおかしいの?」
「ハハハハハハハ!」
「・・・なんなの?」
―――むっ、危ない!
「・・・えっ?」
気づくと、カオスの拳が目の前に来ていた。
「!!」
キィィン!
なんとか刀で受け止めた。
「―――ダメッ!」
が、勢いまでは消せなかった。
「きゃああああ!」
バリンッ!
窓を突き破り、外に飛ばされる。
  お、おちる・・・!
ここは2階。落ちたら、死にはしないかもしれないけど、大怪我はまぬがれない。
体勢を整えようにも、もう間に合わない。
「ああああああああ!!」
ガササッ、ガサッ!
木の枝、葉がクッションになってくれる。しかし、喜んで助けてくれている感じではない。
「っ!」
ドサッ!
背中に痛みが走った。
「いたた・・・」
どうやら背中から落ちたみたい。
  生きてる?
―――これくらいで死ぬわけがない。今のお前は生身の人間ではない。
「そ、そうだったわ」
むくっと起き上がる。背中がジンジン痛むくらいですんでいる。本来なら骨折はまぬがれない。
―――木がクッションになってくれたようだ。
「うん・・・」
木の枝と葉が私の周りに散らかっている。
  そっか、ここは学校の裏の森ね。
学校の裏側は山で、森になっている。
後ろを向き、私を助けてくれた木を見る。
「・・・ありがと」
―――立て。やつが来るぞ。
  そうね、まだ戦いの真っ最中よね。
横に落ちていた刀を拾う。外に投げ出されたとき、落としてしまったようだ。
立ち上がり、改めて刀を構えなおす。
「視界が悪いわね」
森の中だけあって、真っ暗で薄気味悪い。ケンジのおかげでそこそこ見える。ただ、約10メートル以上先はぼやけて見える。
周りを見渡すが、誰もいない。
風が私をやさしくなでていき、木々の葉をゆらす。
  静かね。
学校の裏側には民家も何も無い。だから、夜は物音ひとつしない。
  どこから、くる?
いつ来られてもいいように、心の準備は出来ている。
―――緊張しすぎるな。やつはすぐ、姿を現す。
ケンジがそう言ったとたん、
「人間のくせにやるではないか」
「!」
カオスの声が聞こえた。
声のする方へ顔を向ける。が、そこには木が一本立っているだけ。
  いない?
「コスモスの力を持っているとはいえ、所詮人間だと油断していた」
周りを見渡すが、姿が見えない。でも声ははっきりと聞こえる。
「なめられたものね」
しゃべりながら、カオスを探す。
「まさかここまでしぶといとはな」
  どこに、いるの?
目をこらして周りを見るが、見当たらない。
「出てきなさいよ!」
「ふふっ、コスモス。いい加減、悪あがきはやめてくれないか?」
カオスは私の言葉など聞いていない。
―――断る。そう伝えてくれ。
「ちょっと、無視しないでよ!」
―――いいから伝えてくれ。
・・・まったく。
「断る、だってさ」
暗い森に向かって言う。
  なんか、操り人形みたいだわ。
「そうか」
ほんの一瞬、殺気を感じた。
  来る!?
刀を握る。
  一体どこから?
「いい加減、でてきたら―――っ!?」
急に、息苦しくなった。
「では、死んでもらおう」
首に痛みが走る。それとともに、おぼれるような息苦しさが私を襲った。
「この人間とともにな」
カオスが私の背後にいた。
  いつのまに!?
カオスの両手はがっしりと、私の首を絞めていた。
「ぐっ!?」
ほどこうとするが、カオスのほうが力が強い。
取れない!
―――蹴れ。
言われると同時に、カオスの腹部に踵を思いっきりぶつける。
ドンッ!ドンッ!
  放しなさいよ!
思い切り蹴るが、効いてない。
「・・・っ」
  苦しい・・・。
体が危険信号を発している。
「コスモス、これで終わりだな。君には悪いが」
カオスの声がぼんやりと聞こえた。
君って、先生だったなら名前分かるでしょ?
刀を逆手に持ち変える。
私にも名前が、
前に大きく突き出す。刃を自分に向ける。
あるのよ!
思い切りカオスを目がけて後ろに突き刺す。
ザクッ!
「ぐっ!」
手ごたえがあった。それとともに、がっちりとつかまれていた手に力が抜けた。
「ゲホッ、ゲホッ!」
手を振りほどき、地面に倒れるようにしゃがみこむ。
  もう少し遅かったら、死んでたかも。
「・・・悪あがきを」
カオスの右腹部に傷が見える。。
「はぁ、はぁ・・・」
まだくらくらする。でも、敵は目の前にいる。
このままじゃいけない・・・。
足に力をこめて、何とか立ち上がる。
「まだやるようだな」
そう言った瞬間、またカオスの姿がすうっと、森の暗闇にとけていった。
「消えた!?」
―――いや、隠れた。
刀を構え、恐る恐るカオスが消えた場所へ行く。
いない。
薄暗い森の中。見渡しても、木しかない。だから、隠れる場所は、木の後ろしかないはずだ。
ガサッ!
反射的に音のするほうへ向く。
だが、そこには風にたなびく草むらしかなかった。
  驚かせないでよ。
風が木々の葉を揺らし、音を立てる。そのたび私は驚き、恐怖心におそわれる。
 隠れるなんて、卑怯よ!
―――後ろだ。
「えっ?」
後ろに振り向く。
カオスの拳がこちらに向かってきていた。
「キャッ!」
反射的に身をかがめる。拳が頭のすぐ近くを通り過ぎる。
「勘がいいな」
カオスの声が聞こえると同時に、また闇へと消えて行った。
いつの間に後ろに!?
林の中を走る。奥へととにかく走る。
そっちがそう来るなら、こっちだって!
止まり、刀を構える。
「ここまで来れば、わからないでしょ」
あたりを見渡す。風の音で葉がゆらす音しか聞こえない。
「無駄だ。貴様がどこに行こうと俺には分かる」
「!」
どこからともなく、カオスの声がしてくる。
「もう!」空に向かって叫ぶ。「こそこそ隠れてないで出てきなさいよ」
そういった瞬間、
「おい」
「!」
後ろを振り向く。
「さっきからここにいる」
ガキィン!
反射的に刀でカオスの攻撃を受け止める。
「くっ!」
バランスを崩し、後ろに後ずさる。勢いを完全には殺せなかった。
なんで、こっちの場所が分かるの?
カオスはまだ消えずに、私の前にいる。
  上から?それにしては追いつくのが早いわ。
考えてみても、どれも腑に落ちない。
一体、どうやって?
次また消えてしまったら、対抗策がない。
  こっちから仕掛けるしか・・・。
「不思議そうな顔をしているな」
こちらの戸惑いを察したようだ。
「教えてほしいか?」
あざ笑うかのように口元をゆがめるカオス。
「・・・ええ、ぜひともね」
「潔いな」
カオスは感心しているようだ。
どうせ大した事言わないでしょ。
と思っていたが、
「自然が教えてくれるのだよ」
あっさりと、答えをいうカオス。
とはいえ、一瞬わけがわからずキョトンとしてしまう。
「木、風、空気・・・お前を取り巻くすべてのものが私に教えてくれる」
言っていることがよくわからず、頭が混乱する。
「・・・自然が味方する?」
やっと理解する。
「そうだ。自然にとって貴様ら人間は敵なのだ。わかるか?」
カオスから殺気があふれる。
「貴様らは、自然を汚し、貪りつくし、動物たちをも殺す。それを平然と行っている。そんなやつらが生きていていいと思うのか!?」
カオスの殺気がビリビリと肌に打ち付ける。気を抜いたら吹き飛ばされそうなくらい。
「お前には自然の声が聞こえるか?聞こえるはずがない。敵だからだ。お前の中にいる裏切り者もだ。だから、人間を排除する私に味方してくれるのだよ」
殺気、いや・・・怒りだ。先生の姿ではあるものの、中身はガーゴイルだ。そんなガーゴイルがこんな怒りをあらわにすることに私は少し驚いた。
―――虹、言わせておけ。
ケンジがほっておけと言わんばかりに、言い放つ。
・・・そ、そうね。
その言葉のおかげで、若干ひるんでいた私を動かしてくれた。
  周りは敵だらけかもしれない。でも、私にとっての敵は目の前の男。
ぐっと刀を強く握る。
自然が怒っているのはなんとなくわかるけど、私にはやらなきゃいけないことがある。
前に思い切り踏み込む。
この人のやろうとしていることを止めなきゃいけない。
刀を振りかぶり、切りつける。
「ふんっ」
カオスは簡単によけ、また姿を消す。
私は立ち止まらず、走る。
「どこへ行く。貴様の位置は分かっている」
カオスの言葉を後ろに走る。
―――どこへ行く?
たしか、こっちだったはず!
いつカオスが現れるかわからない恐怖心を片手に、とにかく走る。
すると、自然の森とは相反するコンクリートの建物の人工物が目に入った。
「あった!」
学校だ。
その瞬間、
ガササッ!
目の前から黒い大きな塊が落ちて、前に立ちはだかった。
「くっ!」
カオス!
刀を振りかぶろうとするが、遅かった。
カオスのこぶしが、私の腹部を捉えていた。
「っ!」
声にならない声を上げ、後ろに吹き飛ばされた。
「ううっ・・・」
気づいた時は、土の上に横たわっていた。
「いた・・・」
走っていたのもあり、ダメージは大きい。起き上がろうとするが、腹部から激痛が走り、動くことができない。
  このままじゃ・・・。
隣から、人の気配がした。
「惜しかったな。建物の中に入れれば有利になれたのだがな」
見下すカオス。
「・・・・・」
言い返したいが、痛みで声が出ない。
まずい。
必死に体を動かそうとするが、痛みがそれをさせてくれない。
それを見ていたカオスが、
「勝負あったようだな」
一息ついて言う。
ケンジ、なんとかなんないの!?
心の中で叫ぶ。
・・・・・。
しかし、何も返答がない。
ケンジ、聞こえてないの!?
カオスがぐっと手を握る。
―――聞こえている。だが、
  なんとかしてよ!?
ケンジの言葉をさえぎるように叫ぶ。
急がないと死んでしまう。
―――わかった。少し待て。
待てって・・・この状況分かってる!?
カオスが力をこめ、こぶしを振り上げる。
―――分かっている。
冷静な声が返ってくる。それが逆に私の心をあおる。
ボーっとしてないでなんとかしてよ!
もうすぐこぶしが落ちてくる。死刑のギロチンが落ちるように。
恐怖心で頭がおかしくなりそうになる。
―――焦るな。どうなっても知らんぞ。
「さらばだ」
そう言い放ち、風を切りながらこぶしが落ちてくる。
もうだめっ!
ぎゅっと目をつぶり、死を覚悟した。
その瞬間、
―――おい。目を開けろ。
ケンジの声が聞こえると同時に、体の痛みが消えていた。
それに目を開けると、こぶしが体に当たろうとしていた。
危ない!?
急いで体を転がす。それと同時に先ほどいた場所に拳が落ち、爆弾が爆発したかのような音がした。
「はぁっはぁ・・・」
土が飛び散る。さっき私がいた場所には穴が開いていた。
間一髪・・・。
ふぅ、と息をつき、ゆっくりと立ち上がる。
「?」
  体が、軽い・・・。
さっきまであった痛みがなく。なによりも体が宙を浮いているように軽い。
なんで、まさか?
「まだそんな力が残っていたか」
ゆらりとこちらを向くカオス。
体を軽く動かす私。
  軽い。ウソじゃない。またくれたのね。
カオスは眉間にしわを寄せている。しつこいやつだと、言わんばかりに。
「貴様、また力を与えたな」
カオスが私に言う。
「そうみたいね」
「まだあったとはな」
ぐっと握りこぶしを作るカオス。
「だが」カオスはすぐに手の力を抜く。「それをすればどうなるか分かっているのか?」
カオスは私を見て言っている。
「なにか、あるの?」
たしかに、さっきの痛みが急に消えたのは普通じゃない。助かったのはいいけど。
ケンジ、なにかしたの?
恐る恐る問いかける。
―――ああ。
少し返答に間があった。
力をくれた以外に、なにかあるの?
知りたい。でも、怖い。
―――すまない。だが、お前が望んだことだ。
ケンジが淡々と謝るが、詳しいことを言わない。
「・・・私が望んだこと?」
覚えがない。
「代わりに答えてやろう」
カオスが口を挟んできた。
ケンジは依然として、だんまりとしている。だけど一瞬舌打ちしたような音が聞こえた。
「貴様に力を与えたんだ」
カオスがあっさりと答えを言う。
「それは分かっているわ。けどなんでケンジはだんまりしているのよ」
まさか、ただ単に強くなっただけじゃないのね?
いやな予感がした。
カオスが少し間をおいてから話しを続ける。
「貴様は人間だ。そこにガーゴイルの力を与えてしまったんだ。ある程度なら問題ない。しかし、ある一定量を超えてしまうと、貴様もガーゴイルになりかねない。人間ではなくなる可能性がある。それほど人間に力を与えるという行為は危険である」
淡々と話すカオス。
  人間じゃ、なくな、る?
信じられない。実感がわかない。でも、カオスは敵であるがウソは言わない。
「もはやお前は私たちと同じ生き物だ。今までの生活にはもう戻れないだろう」
淡々と説明するカオス。私の気持ちなど知ったことではない言い方だ。
私が、ガーゴイル・・・。
両手を広げて、手のひらを見る。今はいつものきれいな肌色の手ではなく、カオスとの戦いで、かすり傷や切り傷で赤い血がにじみ出ている。
ボロボロ。でも、変わりない。
今のところなのか、まだ体に変化はない。
―――すまない。
ケンジがやっと口を開いた。でもその言葉は私の耳には届いていない。
ぐっとボロボロの手のひらを握る。
「私、人間じゃなくなるのね?」
「そうだ」カオスが答える。「悪あがきせず、さっさと殺されていればショックを受けずに済んだ」
表情を変えずに言うカオス。さらりとひどいことを言う。
ケンジと一緒か。
握りこぶしを強く握る。
  それなら・・・。
ブンッ!!
硬く握ったこぶしを思いっきりカオスの頬にぶつける。
バキッ!!
鈍い音をたてて、カオスは2,3歩よろめく。
「ガーゴイルになるだって。そんなの怖くないわよ。ガーゴイルになったら、ケンジみたいないいガーゴイルになってやるわ」
―――っ!
ケンジが何か言おうとしたけど、言うのをやめたみたい。あきれているのか、照れているのかのどっちかだと思う。
ゆらりと顔を上げるカオス。
「そうか」
こちらをにらむ。
「私はガーゴイルでもなんでもいいわ」
「そうだったな。貴様がどれだけおろかなやつだったか忘れていた」
カオスの目は殺気に満ちている。
「貴様もコスモスと同じような欠陥品になるのであれば、ここで消さないといけないな」
前に踏み出すカオス。でも、動きがやけにゆっくり見える。
「ケンジはそんなんじゃないわよ!」
体を思い切りひねり、横に回転させる。
カオスはこぶしを作り、こちらに向けて突き出してくる。しかし、今までと違い、やけにゆっくりに見える。まるでスロー再生しているみたいに。
遅い!
回転とともに、片足を浮かせる。カオスのこぶしは私の頬の横を通り過ぎる。
ドゴッ!
カオスのわき腹へ私の足がめりこむ。
「っ!」
後ろへ吹っ飛ぶカオス。
バリン!
窓を突き破り、学校の中へ飛んでいった。
回し蹴り、またうまくいったわね。
―――やるな。
ケンジのおかげよ。相手の動きがゆっくり見えるもの。
今なら負ける気がしない。
―――すまない。そう言ってもらえると助かる。
ケンジは気にしているみたいだけど、そんなこと私は全然気にしていない。なにより、まだ実感がない。
刀を拾い、カオスの後を追う。このくらいで勝負がつくはずない。
  この調子で畳みこんでやってやるんだから!
さっきカオスが突き破った窓から、中へ入る。
明かりはついていないが、月明かりがさしこんでいる。ケンジの力もあるせいか、暗い割りには周りがよく見える。
ぐるりと、中を見回してみる。
「・・・いた」
カオスは壁にもたれかかって、ぐったりと座っている。
けっこう効いたみたいね。
刀を構える。油断はできない。一歩一歩、慎重に近づく。
気絶してる?
私が近づいているのにもかかわらず、ピクリとも動かない。
―――いや、このくらいで気絶などせん。気をつけろ。
  そうね。
ゆっくりと近づく。もう少しで攻撃できる距離だ。
ぐっと、刀を握る・・・その瞬間、
「・・・るんだ」
「!」
頭の中で、誰かの声が聞こえた。
え、なに?
足を止め、周りを見渡す。
―――どうした?
ケンジの声じゃない。カオスの声でもない。ここには他に人がいるはずがない。
  一体だれの?
「利用されているんだ」
また聞こえた。
この声、聞いたことがある。
身近なようで、身近ではない。どこか、そう、どこかで。
  ん、もしかして・・・。
「まさか、想真!?」
―――想真、だと?
「なんで、想真の声が?」
確かに、聞こえた。
―――俺には聞こえないが。
「利用されているんだ」
また、聞こえた。
  利用されてるって、私が?
突然のことで頭が追いつかない。しかし、相真が私に訴えていることは確かだ。
―――利用?
ケンジの声で、ふと気づいた。
  もしかして・・・ケンジ、のこと?
「みんなに利用されているんだ」
  みんな?
「そう、みんな。頭の中にいる人だけじゃなく、人間全員に」
想真は淡々としゃべる。
人間、みんなに・・・。
―――何を話している?
「君一人で戦っているけど、他の人はなにもやってくれない。助けてもくれない。一人で抱えていて、いけにえみたいじゃないか」
悲しそうに話す想真。
たしかに、そう言われてみればそうかもしれないけど。
想真は一人で戦っていた。いつも何かに傷つきながら戦っていた。周りの人に支えられてはいたけど、戦いはある意味孤独だった。そう考えてみると、私も想真と同じ状況なのかもしれない。
―――おい、カオスの仕業かもしれないぞ。
ケンジの声は私の耳を通り過ぎていく。
「他の人間はのうのうと生きている。君は許せるのか?」
そりゃ、私は・・・。
許せる、と言おうとした瞬間、想真が戦っていた場面を思い出した。結局彼は負担が大きすぎて心が壊れてしまった。
「ずっと俺のこと見ていただろ。そう考えると、許せないだろ?」
ぐったりとなっていたカオスの膝が曲がる。
―――おい。カオスを見ろ!
私は想真との会話に気をとられて、目の前のカオスにすら意識が行ってない。
許せる。私にも大切な人がいる。その人が傷つくほうがいや!
恵理の顔が頭をよぎった。どんな理由であれ、たとえ利用されているとしても、私は彼女を守りたい。
「自分がどうなってでもか?」
ゆらりと立ち上がり、ゆっくりと歩き、私の前に立つカオス。
  当たり前でしょ。想真もそうじゃなかったの?
「最初はそうだった」
にやりと口唇を曲げ、そっと私の持つ刀を取り上げる。
―――おい、バカ!何ボケっとしている!!
刀の先を私に向ける。
―――前をしっかり見ろ!
「・・・ケンジ?」
ふと、意識が戻った。刀がこちらに向かってきている。
「えっ!?」
なにがなんだかわからない。とっさに体を動かす。が、
「あああああーーー!!」
左肩に激痛が走り、地面に膝をつく。
「ううう・・・」
見ると、刀が私の左肩に突き刺さっている。そして、目の前にはカオスが立っている。さっきまでぐったりとしていたのに。
「とっさによけたか」
見下しているカオス。
―――聞こえるか?
ケンジの声が聞こえた。
「ケンジ!?」
―――とりあえず下がれ!
「う、うん!」
急いでカオスから距離をとる。それと同時に膝をつく。
―――バカが。あいつの策にまんまとはまるとは。
ケンジが怒っている。すこしショックだ。
  ごめん。想真の声だったから、つい・・・。
左肩に刺さっている刀を見る。あと少し意識が回復するのが遅かったら、心臓を刺されていた。
カオスはゆっくりと近づいてくる。
これ、なんとかしなきゃ。
奥歯をぎゅっとかみ締める。そっと刺さった刀をつかむ。そして、ゆっくりと力をこめる。
「ううう!!」
左肩に激痛が走る。
「戦うのかい?」
想真が話しかけてくる。
もちろんに決まってるでしょ!
焼け付くような痛みが全身を駆けめぐる。目の前がチカチカする。
「ああああああ!!」
一気に力をこめて刀を抜く。それと同時に血があたりに飛び散る。
「ハァハァ・・・」
肩から血が絶え間なく流れてくる。血が急になくなったせいか、めまいがする。右手で傷口を押さえるが、触るだけで激痛が走る。
―――大丈夫か?
大丈夫・・・なわけ、ないでしょ。
呼吸が乱れ、息がうまく吸えない。
  傷、ふさがなきゃ。
応急処置として袖を破り、傷口を巻く。
「見事だ」カオスが拍手する。「そこまでしてまだ戦う気があるとは」
右手と口でなんとか包帯代わりの袖を結ぶ。どっと疲れが襲いかかる。
―――確かに。なぜそこまでやる?
「諦めが・・ハァ、悪いほう・・ハァ、なの」
巻いたはいいが、血は止まる気配がない。左手は動かすだけで激痛が走る。
左手は使えないか。
「そうか。では、そろそろ終わりにしないとな」
カオスが私の前まで来て足を止める。
右手で刀を持ち、ふらつきながらなんとか立ち上がる。
さっき刀を抜いたときに一気に体力を持ってかれたみたい。
―――おい。もう無理しなくてもいい。
「もうボロボロじゃないか。やめにしないか?」
想真とケンジが話しかけてくる。
・・・そうね。私一人だったら諦めているわ。
ふらつく足に力を入れて、なんとか足を安定させる。
「でもね。私の中にもう一人戦っている人がいるの。その人が戦う限り、私も諦めるわけに
はいかないの」
「愚かだね。俺と同じように楽になったほうがいいのに」
想真が言う。
「私、ずっと想真を見ていた。だからこそ、私は諦めたくない。あんな終わり方、いやだよ」
そう言った瞬間、想真の気配がだんだんと消えていく。まるでろうそくを消したかのように。
「どうやら、ここまでだったか」
カオスが言う。
「そっか・・・やっぱりあなたの仕業だったのね」
頭が熱くなる。刀をギュッと握る。
「卑怯もの!」
思い切り刀を振りかざす。
―――バカッ!
刀はふらふらと、カオスの前を横切る。
「あっ」
刀の重みでバランスを崩し、コテンと転んでしまった。
予想以上に体がおもい・・・。
「もう限界のようだな」
カオスが近づき、こぶしを振り上げる。
「!」
重い体をなんとか動かす。
ドンッ、転がって紙一重でよける。
しかし、カオスは容赦なく次々とこぶしを突きつけてくる。地面に穴が次々と空いていく。
  ケンジ!もっと力ちょうだい!!
転がりながら心の中で叫ぶ。
―――さっきのでほとんど全開だ。
ゴンッ、壁にぶつかる。もう逃げ場がない。
  ほとんど!?
カオスがこぶしを振り上げる。
  それならまだ余裕があるでしょ!?
―――出せないことはないが、それをや・・・。
「じゃあ今すぐお願い!」
説明なんて聞いてる暇はない。
ギィン!
刀でカオスのこぶしを受け止める。しかし、カオスはそのまま力で押してくる。
―――待て。どうなってもいいのか、身を滅ぼすことになるぞ?
右手に精一杯の力をこめ、カオスのこぶしに対抗する。でも、徐々に押されて負けるのも時間の問題。
いいから・・・早く!
―――一線を超すわけにはいかない!
もう長くは持たない。カオスのこぶしに力が入る。
「終わりだ」
刀を押しのき、カオスのこぶしが私に襲いかかる。
私はどうなってもいいから!
―――知らんぞ!
ふっと手に力が抜ける。ぎゅっと目をつぶり、体を緊張させる。今度こそ死を覚悟する。
今度こそもうだめ・・・。

・・・・・・
目の前は真っ暗。
  痛みはない。
  死ぬときは意外と痛みはないものなのだろうか。

ドクン・・・
まだ心臓が動いてる。

ドクン・・・
そろそろ止まってしまって、

ドクン・・・
  目を開けたら、あの世なのだろうか。

「おい」

ドクン・・・

ケンジの声。

「目を開けろ」

ドクン・・・

ドクン・・・

目を?

ゆっくりと目を開ける。

「?」
薄暗い見慣れた廊下。そこにひざまずいているカオス。渋い表情をしてこちらを見ている。
・・・あの世じゃない?
もう死んだと思っていた。でも、確かにまだ生きている。
ためしに手を動かしてみる。
―――あれ、動かない。
ピクリとも指ひとつ動かない。金縛りにあったみたいに。でも、しっかりとこの地面に立っている。それに、風を感じる感覚、息をしている感じとかいつもよりはっきりしすぎるくらい感じている。
「貴様」
カオスがつぶやく。
「そこまでやったか」
カオスが顔を上げ、話す。
―――?
私に向けて話しかけている。でも、なにか違う。
「ああ。ここまでやるつもりはなかったんだがな」
カオスとケンジが話している。私を介さずに。
「だが、それを待っていた。貴様と直接会える時をな」
カオスが立ち上がる。
「久しぶりだな。こんな形で会うことになるとは思わなかったが」
―――なにを言っているの、なんで直接話せるの?
さっきから体は動かないし、なにか様子がおかしい。
「そいつはいいのか?」
カオスが私を指差す。
「虹には悪いと思っている」
―――ケンジ、何が起こっているの?
虹、すまない。だが、お前が望んだことだ。
ケンジが答える。
―――私が望んだこと?
よく聞け。お前に力を最大限まで与えてた代わりに、お前の体の中で俺の力が強くなりす
ぎてしまった。その代償として、今この体は俺が支配している。
―――つまり、入れ替わったってこと?
そうだ。本当はここまでやりたくなかった。この状態ではお前の肉体が持たなくなる可能
性がある。最悪、肉体が死に、お前も死んでしまうかもしれん。
ケンジは目を強くつぶる。
突然のことで、あまり実感は持てない。でも、
―――大丈夫よ。私はどうなってもいいって言ったでしょ。それにさっき力をくれなかったら、
   どっちにしろ死んでたし。
ケンジに託す覚悟はできている。そう、ケンジなら。
「すまない」
―――らしくないわね。ガーゴイルが罪悪感を感じているの?
罪悪感、それがどんな気持ちなのか知らんが、そう言わないといけない気がしてな。
ケンジは胸に手を当てる。
―――ケンジ?
ケンジは最初のころと確実に何か変わった気がする。何かはわからないけど。
―――ありがと。心配してくれて。
「礼を言うところではないと思うが」
窓ガラスを見るケンジ。
そこに映る私の姿はいつもと姿が変わっていた。
人の形はしているが、赤い目、背中には黒い二つの翼。それに血管が顔や腕から手にかけて血管が少し浮き出ている。左肩の傷もなくなっている。
―――これが私?
確かにこの姿を見ると、元に戻れるのかが心配になる。でも、ケンジに対して恨みとかない。むしろ、これでよかったと思える。
ケンジはぐっと、刀を強く握る。
「虹」私の名を呼んだ。「少しの間、体を借りるぞ」
―――レンタル料高くつくわよ。
ケンジは唇を少し曲げ、カオスに斬りかかる。
カオスはゆらりとかわし、こぶしをつき放つ。
―――あぶない!
バシッ!
左手でカオスのこぶしを受け止める。飛んでくるボールをつかむように。
―――すごい!
カオスのこぶしをつかんでいる感覚が伝わる。
「こうでなくてはな」
カオスは楽しげに言う。
「すまないが、こっちは遊んでいる時間はないんだ」
カオスのこぶしを離し、すかさず右手に持った刀で斬りつける。
「!」
音も立てず、一瞬にしてカオスの右腕が切り離される。
全く刀が見えなかった。刀が瞬間移動したみたいに。
ボトリと切られた腕が地面へと落ち、砂のように風に吹かれて消えていった。
カオスはその一部始終を見ていたが、表情一つ変えない。
「・・・さすがだ」
ケンジはすかさず刀を振りかざす。
ギィン!
小手で防ぐカオス。
ケンジはそのままぐっと、押し込むように力を入れる。
ミシミシ・・・。
小手にひびが入る。
カオスは危険を感じたのか、ケンジに向かい蹴りを入れてくる。しかし、ケンジはそれを軽々とよける。
ブンッ!
ケンジは体勢を整えないまま、もう一度カオスに刀を切りつける。
ギィンッ!
またかん高い鉄の音が響き渡る。
もう一度ケンジは見えないスピードで振り上げて、下ろす。
カオスは受け流し、拳を突き出す。
・・・が、ケンジは分かっていたかのように、後ろへステップする。
むなしくもカオスのこぶしは空を切る。
―――す、すごい。
見とれてしまってた。
「カオス。いつまでそんな姿でいるのだ?」
ガシャンと音を立てて、小手が二つに割れて地面へと落ちる。
―――小手が!
私ではびくともしなかった小手が簡単に壊れた。
「そもそも、人間姿は嫌いではないのか?」
刀の先をカオスの顔に向けるケンジ。
カオスは刀の先を一瞬だけ見て、すぐにケンジの顔に視線を戻す。
「ああ、そろそろ限界だ」
「さっさと本来の姿になったらどうだ?」
ケンジは刀を向けたまま、隙をみせない。
「いいだろう」目をつぶるカオス。「私も本気を出そう」
そう言った瞬間。
―――殺気!?
急に、周りの空気が冷たくなり、震え始めた。
「おおおおおおおおお!!」
ビリビリと、皮膚がしびれる。吐き気がし、私だったらとても立っていられない。しかし、ケンジは刀を向けたまま、微動だにしない。
―――カオスが!?
目の色が赤くなり、目つきが鋭くなる。
―――ガーゴイルになる!?
ボココッ!
異様な音があたりに響き渡る。カオスの体がひと回り大きくなり、背中から黒い翼が生えた。爪が伸び、歯が尖りだした。斬られた右手もまた生えてきた。
「!」
ケンジが何かを察したのか、急いで刀を構える。
ギィン!!
ケンジの体が後ろへ飛ばされる。
―――!?
一瞬のことでよく分からない。
着地し、カオスのほうを見る。
―――いない!?
カオスの姿がない。
ケンジは辺りに気をめぐらせる。
静かだ。さっきまでの空気の震えはおさまったが、空気が冷たく、重たい。とても気持ちが悪い雰囲気だ。
「そこか」
ケンジは振り向くと同時に刀を斬りつける。
何かにぶつかる音がし、刀が止まる。
「よく分かったな」
カオスだ。しかし、さっきの姿の面影は少しもない。刀は爪で受け止められていた。
―――完全なガーゴイルの姿じゃない?
どちらかというと人の形をしていて、今のケンジの姿と似ている。
どこまでも高く飛べる黒い翼。何でも切り裂ける爪。赤くはないが、見た者を燃やし尽くしてしまいそうな青い目。体はひと回り大きくなったが、ガーゴイルほどの大きさではない。肌の色はガーゴイルの色だ。
「それで完全か?」
ケンジが聞くと、カオスは口角を持ち上げた。
「これで十分だ」
鋭い爪を振りかざす。
後ろへ下がり、軽々とよけるケンジ。
―――なんだ。そこまで強くなってないじゃない。
苦戦を強いられるかと思ったけど、簡単によけたのを見て安心した。
「・・・いや」
ケンジの頬にかすり傷ができていた。まるでカマイタチに切られたかのように。
―――ケンジ!?
いつやられたのかわからない。
少々やっかいだな。
またカオスが爪を振りかざしてくる。
ケンジは攻撃をよけ、そのまま刀を振り下ろす。
ギィン!
爪で受け止められる。
「ふっ」
体をくねらせ、回し蹴りを放つ。
ゴスッ!
カオスの顔に命中する。
倒れこむカオスに追い討ちをかけるように刀を振りかぶるケンジ。
カオスは倒れながら、爪を横に一振り空に切った。
「っ!」
ケンジはその瞬間、振りかぶるのをやめて体をかがめた。
―――せっかくチャンスが!?
パリンッ。ケンジの隣にあった窓が割れた。
―――なっ!?
よく見ると、他の窓にも横に一直線の亀裂が入っている。
―――まさか、さっきの!?
空振ったわけではなかったのだ。
衝撃波みたいなものだ。まったくもって厄介だ。
倒れこんだカオスに、今度こそ刀を振り下ろす。
ギィン!
刀と爪が当たり、火花が散る。
ブンッ!
もう片方の爪を振りかざすカオス。
ケンジはすかさず爪の軌道からよける。天井に爪の亀裂が入る。
カオスは立ち上がると同時に、また爪を振りかざす。
が、標的のケンジはすぐ目の前にいた。
カオスのみぞおちに肘を当てる。
「っ!」
ひるんだところを刀で切りつけるが、後ろへ紙一重でよけるカオス。
―――おしい!
「人間の体の割には動きが良いな」
カオスが腹を抑えながら言う。
ケンジは間髪いれず、刀を振りかざすが、カオスは爪で受け止める。
「そのままでは、そいつの体が持たないのではないか?」
刀を受け止めながら言うカオス。
「その前に終わらせる」
両手で持っていた刀を素早く片手を離し、カオスの顔に裏拳を当てる。
「ぐっ!」
よろめくカオス。
追い討ちをかけるケンジ。
「ちっ!」
よろめきながらカオスは爪をやたらめったらに振りかざす。
衝撃波があたり一面に走る。
ケンジは一つ一つ予知していたかのように、紙一重でよける。
―――す、すごい。
映画のヒーローのような動き。現実とは思えない。
「悪あがきか?」
衝撃波をかいくぐり、カオスに斬りかかる。
「それはどうかな?」
カオスは高く飛び上がる。
ドンッ!
同時に、大きな音と砂埃が舞う。
「上に逃げたか」
天井を突き破って屋上に逃げたみたい。
ケンジも屋上へ跳ぼうとした瞬間、
「!」
急に力が抜けたように膝がガクッと折れ、踵から血が流れた。
―――なっ、なに!?
ケンジは地面に一瞬だけ膝を着くが、すぐに立ち上がる。
「大したことではない。気にするな」
そう言って、なんともなかったかのように屋上へ跳ぶ。
あたりはもう真っ暗。空には星が見え、月が屋上を照らしている。風が冷たく、戦いで熱くなった体を冷ましていく。
ケンジは空を見上げる。月明かりに照らされながら、カオスが空を飛んでいた。
「空へ逃げるために屋上に出たのか?」
「逃げる?」カオスが高度を上げる。「こっちのほうが戦いやすいからだ!」
そう言い終わると、こちらに向かって急降下してきた。
ケンジも跳んで迎え撃つ。
ガキンッ!
刀と爪がぶつかる。
「ぐっ!?」
カオスが若干押されている。
その隙に、ケンジがカオスのむなぐらをつかみ、思い切り地面へと投げ飛ばす。
ドンっと大きな音を立て、カオスは地面へめり込む。
一方、ケンジはスタッと滑らかに着地し、カオスの前にゆっくりと歩いていく。
「・・・やるな」
ガラガラと、コンクリートの破片を振り払いながら、立ち上がるカオス。
「しぶといな」
刀を振りかざすケンジ。
だが、またカオスは空へと羽ばたき、紙一重で攻撃をよける。
「空が好きなやつだな」
もう一度ケンジも跳ぼうと、足に力をこめたその時、
ガクッ。
―――!?
膝から急に力が抜け、ひざまずく。
―――どうしたの!?
「どうした?」カオスがにやりと笑う。「来ないのならこちらから行くぞ」
急降下してくるカオス。
「・・・・・」
ケンジは表情を変えず、動かない。
―――ケンジ!
カオスはものすごいスピードで降りてくる。
―――よけて!
ケンジは弱々しく横へ跳ぶ。
ドゴンッ!
少しタイミングが遅く、腕を少しかすってしまった。
「ちっ」
カオスは地面をつきぬけ、下へもぐっていった。
―――どうしたの!?
  なんともない。足に疲労がたまってきただけだ。
「!」
急に殺気を感じ、一歩大きく後ろへ下がる。
ドゴンッ!
その瞬間、地面を突き破りカオスが目の前に現れた。
「よくよけたな」
砂埃でカオスの顔は見えない。
「貴様の行動など筒抜けだ」
そう言いつつ、ケンジは刀を振りかざす。
ギィンッ!
爪で受け止めるカオス。
ギギギ・・・爪と刀がこすれる音。
二人とも体を前傾させ、押し合う。ケンジはさらに刀に力をこめる。
「ぬっ!?」
徐々にカオスが押されてきた。
―――いける!
一気に力を込めて、カオスを押す。
ギィンッ!
「!」
爪を払いのけ、カオスはよろける。
―――押し切った!
ケンジは刀に力をこめ、刀を振り下ろす。
「終わりだ!」
ガンッ!
―――やった!
終わりを確信した。
「!?」
が、刀はカオスから大きくそれ、すぐ隣の地面を斬りつけていた。
―――え?
カオスも不思議そうに穴の開いた地面を見つめたまま、動きが止まっている。
「ちっ」
刀を持ち上げるケンジ。
―――っ!
よく見ると、ケンジの肩から血がにじんでいる。
―――ケンジ!
二の腕だけじゃない。刀を握る手も血がにじんでいる。足も・・・。
―――血だらけじゃない!
ケンジに語りかけるが、呆然と立ったままで、問いには答えない。
カオスは止まったケンジの様子を見る。
そして、立ち上がり、
「ははははは!」
高々と笑い始めた。
―――なによ!?ガーゴイルのくせに笑うなんて!
ガーゴイルが笑うなんておかしい。
―――ケンジ、さっさと斬っちゃいなさいよ!
ケンジは隙だらけなカオスをじっと見たまま動かない。
「ははは、動くに動けないのだろ?」
カオスが笑いながら言う。
―――動けない?
虹。すまない。
ケンジが口を開いたかと思うと、謝り始めた。
「もう限界だろ?」
カオスはもう勝負はついたかのような言い方をする。
お前の体が限界に達しようとしている。このままだと肉体が壊れてしまう。
いつもより弱々しく話すケンジ。
―――ケンジ・・・。
たしかに最初言っていた。でも私自身痛みがなくてわからなかったけど、もう動けなくなるなんて。でも、
―――あのねぇ、最初私が言ったこと忘れたの?
最初からもう覚悟はできている。
忘れてはいない。だが・・・。
―――じゃあ、何も気にすることはないでしょ?
ケンジは私の勢いに圧倒されたのか、唖然としている。
―――私を気にしてくれるのはいいけど、そんなことより負けてほしくないの!
正直怖い。本当なら手が震えていると思う。でも、私たちが負けてしまったら、私の友達や家族、みんながどうなるかわからない。そうなるくらいなら、私はどうなったっていい。
  虹・・・。
―――私は大丈夫だから。
そう、大丈夫。どうなろうと・・・。
ケンジは一瞬沈黙を守るが、すぐに口を開いた。
「フッ、お前のその覚悟には恐れ入ったぞ」
ケンジは片手を額に当て、参ったなと口ずさむ。
  俺はとんでもない人間にのりうつってしまったようだ。
前を向き、片手で持っていた刀をそっと、もう片方の手も添える。
その覚悟に答えないとな。
「まだやるのか。その小娘が死ぬぞ?」
一歩前に踏み出し、刀を硬く握る。あと三歩で刀が届く距離だ。
「ああ、かまわないそうだ」
一歩。
「まさか、そんな人間がいるはずがない」
カオスが笑う。
「ああ。死を覚悟できる人間など、まともであればいるはずがない」
一歩。
「口だけに決まっている」
カオスは変わらずあざ笑っている。
「俺もそう思っていた」
そう言いながら一歩前に出る。
「でも違った」
殺気に気づいたのか、身構えるカオス。
「こいつの覚悟は・・・」
思い切り刀を横に振りかぶり、
「本物だ!」
斬りつける!
ゴウッ!!
台風のような風が舞う。
「ぬぅ!」
ケンジはいつ刀を振ったのかわからない。気づいたら刀を横に振った形跡だけ残っている。
カオスはよけるのが遅かったため、腹部をかすめていた。
「速いな。だがこれくらいの速さであれば・・・!」
びりびりと空気が震える。地面がはがれ、屋上のフェンスが取れ、コンクリートの破片や砂がカオスに向かって飛ばされていく。
「まさか、これは!」
カオスにコンクリートの破片などがぶつかる。踏ん張りきれず、風に飛ばされていく。
―――なに、この風圧は!?
風は竜巻のように渦を巻き、カオスも一緒に上空へ飛ばされていく。
「そんなバカな!そんなことをすればどうなるかっ・・・ぐっ!」
カオスがぐるぐると高速で風に遊ばれる。まるで洗濯機にかけられているように。
「ぐあああああ!」
カオスの体が上下に真っ二つにちぎれる。
―――す、すごい。
「どうなるか・・・もちろん知っている」
  ガーゴイルの力だ。代償は高いが。
風が止み、カオスは地面に落ちた。下半身は消えてなくなっている。
―――体が!?。
左腕がだらりとして動かない。限界を超えたみたい。足もさらに出血がひどくなっている。息するのも大変で、もう立っているのがやっとの状態だ。
  すまない。やはり人間の体だと耐えられないようだ。
―――いいのよ。そのかわりカオスをここまで追い詰めたんだし。
「ああ。だが、まだだ」
ゆっくりと足を引きずりながらカオスに近づく。歩くのがやっとだ。
「首を切らない限り、こいつは消えない」
カオスの前に来ると、右手に持った刀を躊躇なく振りかぶる。
「ま、まだだ・・・」
カオスの翼が動き始め、弱々しく空へ羽ばたいていく。目の青さも少し弱くなっている。
「やはりな。しぶといやつだ」
ケンジは一瞬たりとも気を抜いていない。
「ハァ、ハァ・・・」
ふらふらと飛んでいく上半身だけのカオス。
これで終わってほしかったが、俺もあと一撃放てるかどうか。
―――ケンジ、私の体は気にしないで。全力でやっちゃって!
あのカオスを一気にここまで追い詰めた。あと一歩。
羽ばたく力もなくなってきたのか、徐々に降りてくるカオス。チャンスかと思うが、うかつに動けない。動いたら体力の消耗や、体への負担がかかってしまう。
「人間の姿で、あのような力を使えるとは」
ケンジはカオスが動くのを待ち、いざという時のために右手に力をこめておく。
カオスも、じっと目を離さない。二人は無言のままにらみ合う。
「・・・・・」
ケンジは刀をまた横に構える。それと同時に、カオスもふらふらと下降しつつ、左腕を大きく振りかぶる。
目をつぶるケンジ。先ほどケンジが発生させた風が弱くなっていき、頬をやさしくなでていく。
  今度こそ、仕留める。
お互い攻撃態勢に入った。もうすぐ、この戦いも終わる。そう感じる。
静寂な時間が訪れる。カオスも気安く手を出せないようだ。
―――想真も力を貸して。お願い。
私も心の中で祈る。想真なら力を貸してくれる気がする。
風が木の葉を揺らす音。さっきまでずっと聞こえていたが、だんだんと聞こえなくなる。
―――風が、やんだ?
それと同時に、肌に突き抜ける冷たく鋭い殺気。
ケンジは目を開け、手に力を入れる。
―――来る!?
「これで最後だ!」
カオスがものすごい勢いで急降下してきた。もう避けられない距離だ。
ケンジも刀を振りかざそうとした瞬間、
「がっ!」
急にケンジの口から血が吹き出る。
―――ケンジ!
ガクッと、膝がおれる。
くっ、限界を超えたか!?
なんとか立て直そうとするが、地面にひざまずいてしまう。
「勝負あったな!」
首を狙っているのか、手を広げるカオス。
―――ケンジ、立って!
もうカオスの腕の二本分くらいまで来ている。
「くっ!」
刀をもう一度握るが、どう考えてもカオスの攻撃はかわせそうにない。
―――ケンジ!
カオスが鎌のような手を振りかざそうとする。
「分かっている!」
急に右手が熱くなり、力がみなぎる。そして、
ブンッ!
カオスが振りかざした左手を斬ると同時に、またも刀から風が巻き起こる。
「ぐっ!」
カオスの右手がケンジの首に届こうとしたところで動きが止まる。
「ちぃっ!」
手は風に押され、カオスがまた吹き飛ばされていく。
―――この至近距離なら!
ケンジの右腕から血が噴出した。手から力が抜け、刀がカランと地面へ落ちていく。
―――ケンジ!?
どうやらもう限界を超えたようだ。膝がまた地面に着く。
「やら、れて・・・たまるか!」
カオスが体勢を持ち直し、強風の中とどまる。
―――これで終わって!
もう力は出し尽くした。
「ぬうううう!」
カオスは羽に穴が開きながらも、必死で飛ばされないよう耐える。
これでカオスが耐えたら、勝ち目はない。
―――しつこいわね!
カオスの頬が削り取られていく。
ケンジは前に倒れこむ。足からも出血が多くなる。筋肉も切れたのか、もう動けない。
「この程度で!」
カオスの右手が徐々にケンジに向かって伸びてくる。
―――そんな!
ケンジは顔を上げて、カオスを見ることしかできない。あとは結果を見つめるだけ。
「ハァ、ハァ・・・」
息をするのもやっとだ。ケンジの苦しさが伝わってくる。
「もう少し・・・もう少しだ!」
カオスの手が首に向かって伸びてくる。
「貴様の首をつかんで噛み千切ってやる!」
右の翼がちぎれる。だが、負けじと飛ばされないよう耐える。
―――私は、このまま見てることしかできないの!?
何もできない自分がもどかしい。
そうだ。結末を見届けるんだ。
ケンジは諦めたかのような感じで言ってくる。
―――なに負けたかのような感じで言ってくるの!?
やはり、あの体勢からでは力がうまく出せなかったか・・・。
カオスの指が首にかかる。徐々に風も弱まってきた。
虹。すまない。
―――なによ、急に・・・。
最後の一振り。全力でやれなかった。
ケンジの声が弱々しい。
体勢というより一番の原因は、お前の体を壊したくなかった。そう、無意識に力を抜いて
しまった。お前が死ぬのは間違っていると思ってな。
ケンジは淡々と話すが、顔はうつむいている。
―――そんな・・・。
「やっとつかんだぞ!」
ヒヤリとつめたい手が首にかかる。
―――バカッ!
思いっきりケンジに向かって叫ぶ。
―――結局、負けたら終わりじゃない!
  そうだ。その通りだ。分かってる。だが・・・できなかった。なぜか。自分でもわからん。
カオスの手に力が入り、息苦しくなる。
―――バカバカバカバカバカバカッ!!
もし手が出せたら、間違いなくケンジを殴っている。
―――なんでよ、あのガーゴイルと一緒でしょ。なに私のこと気を使ってるの!?
ああ、らしくないな。もしかするとお前の影響かもしれん。
―――私?
お前と一緒にいたせいで、人間らしさがうつってしまったのかもしれん。
―――なによ、それ・・・。
目の前がかすんできた。バカとは言ったけど、本当は憎んでなんかない。むしろ、ケンジの優しさがうれしかった。
カオスの顔がぼやけてよく見えない。でも、だんだんと風が弱くなってきているためか、カオスの顔がだいぶ近くなっているのは見える。
「貴様。泣いているのか?」
カオスが言ってくる。
―――なんでカオスが私のことを?
「入れ代ったのか?」
カオスはケンジの首をつかんだまま、引っ張り仰向けにさせる。
―――いや、私じゃない。まさか・・・。
  変な感じだ。これが涙というものか?
今思えば体が入れ代っている今、私が涙を流せるわけがない。この涙はケンジのものだ。
―――ケンジ・・・。
「不思議だな。目から水が流れ出るなんて」
ケンジはあふれ出る涙を止められず、ただただ流す。
「ガーゴイルではなくなってしまったのか?」
カオスは少し驚いているようだ。床には涙でいっぱいになっている。
「そうかもしれん。だが、この水はとても邪魔だが、流れ出ると気分が良いものだ」
カオスに首をつかまれ、息苦しいはずなのが、全くそう感じさせない。
「そうか。バグもここまでくると恐ろしいものだ」
カオスの手に力が入る。
「お前にも、この感覚を、伝えたいものだ」
涙が止まり、視界がはっきりとなっていく。しかし、息苦しくて今度はそちらで視界がぼやけてきた。
「全く必要ない。それに、どっちにしろ貴様は死ぬ」
首が締め付けられる。
「人間は、奥が深いと、思わないか?」
ケンジは苦しいながらも続ける。
「俺に涙を、流させた。すごい力ではないか?」
「それはお前がバグなだけだ。それにそうだとしても興味ない」
即答するカオス。
―――苦しくて、意識が・・・。
「俺も最初は、人間に興味、なかった。だがな、知れば、知るほど、人間は奥が深い」
「またその話か」
飽きたと、言わんばかりのカオス。
「俺は、そんな人間が、自然と共存しようと、している。生末を、見て・・・見たい」
息苦しく、ついに視野が真っ白になった。
「やっと命乞いが終わったようだな」
カオスは大きな口を開ける。嚙み切るつもりだ。
  虹。すまなかった。
その言葉には、謝罪と覚悟の思いがこめられていた。
―――大丈夫・・・今までありがとう。
ケンジはゆっくりと目を閉じた。目の前がゆっくりと暗くなっていく。
私も覚悟した。あがくだけあがいた。ケンジと一緒に。それでもダメだったんだから仕方ない。
そう思えてあきらめがつく。
―――みんな。ごめんね。
ただ、家族や恵理達を守れなくて申し訳なさだけが残る。
カオスの歯が首に当たった。きっと一瞬で意識が飛ぶ。
―――みんな。今までありがとう。
今になって死への恐怖がこみ上げてきた。
カオスの歯が首に喰いこんできた。
―――っっっっっ!!!
激痛。声にならない叫び声をあげる。ケンジは無言だ。
早く終わらせて!
じわりじわりと、首に喰い込んでくる。死ぬのは痛いことだとは思っていたけど、ここまで痛いとは。
  もう、だめ・・・。
激痛で意識が遠のいていく。
ケンジ。想真。みんなとあの世で会えるのかな?

・・・・・・・・・・・・・・

「いや、待てよ」
カオスの声。
「一つあった。人間の知っているところを」
独り言のようだ。
「愚かさ。それは知っている」
カオスの声が、耳元から遠ざかっていく。首の激痛が止まる。
「ふふ、貴様の話で気が変わったぞ」
うっすらと目を開ける。ぼんやりとカオスの顔が前に映る。
「貴様ら人間が自ら滅んでいき、自分達が愚かだったと気づかせるのも悪くはない」
・・・夢の中?
「ある程度猶予を与えよう」
カオスが私の首から手を離す。
「あがくだけ、あがけ。そして滅んでいけ。だが、ひどいときは直接また手を下す」
ぼやける視界の中、カオスが視界から消える。
「愚かな人間達よ」
その言葉と同時にカオスの気配が消えた。
私・・・まだ生きてるの?
首を噛み切られた感じがしない。痛みもない。
手足を動かそうとするが、動かない。目の前は夜空が広がっている。
息を可能な限り大きくすってみる。
「・・・はぁ」
息はできた。
もう一度。
「すー」
「・・・はぁ」
自分の意思で息ができる。空気が私の中に入ってくるのが分かる。夢じゃない。
・・・生きてる。
なぜかは分からないけど、生きてる。
ケンジ、私。生きてるよ。
死ぬと覚悟したけど、まだ生きている。意識がもうろうとしつつも、うれしさがこみ上げてくる。
ケンジ。あなたは大丈夫?
喜びを共感したい。
ケンジ?
返事を待つが、なかなか返ってこない。
返事してよ。
ほっとしたせいか、急にどっと疲れが押し寄せてくる。そして、意識が徐々に遠のいていく。
ケンジ!?
最後の力を振り絞って心の中で叫ぶが、返事がない。
泣きたくなる。でも、涙は出ない。
  あ・・・。
意識が遠のく中、一つおかしいことに気づいた。
私の意思で動けている。今までケンジが私の体を動かしていたのに。
  また入れ代ったの?
それとも私の中から出て行っちゃったの?
疲れて寝ちゃったの?
死んじゃいないよね?
そう考えているうちに意識が遠のいていった。
  ケンジ。どこへ行っちゃったの・・・返事してよ。


・・・・・・・・・・・

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