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第10話:人ならざる…(大家さん視点)

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 引っ越してきた渡瀬さんは、可愛らしい人だったが、僕が知っている女性像とはちょっと違っていた。無垢というか、素直というか。口悪く言えば、世間知らずとかちょっと抜けているとか、少し足りないのではとか、首を傾げるレベルだったのだ。

 ひょっとしたらまだ10代のひよっこさんなのかも知れないが。

 にこにこと、向日葵や野菜の苗を持って外に出てきたのだけれど、どうやらガーデンツールを持っていなかったようだ。

 花壇を見ると、十年以上も手入れせず放っておいたせいか、水捌けの悪い乾燥した土になっていた。このせいで、土地神様の力が弱まっていたのかも知れない。これは僕の失態だ。チラリと僕の庭を見ると祠がキラキラと輝いているのが見え、土地神様もそうだ、と文句をいっているようにも見えた。

 この世界に割り込んでくるために空間を捻じ曲げた事で僕のほとんどの魔力を使い果たしてしまった。ゆっくり休めば回復するだろうと考えていたが、この世界に全く魔素がないとは考えもしなかったせいで実のところ魔力は全快していない。自分の部屋と庭に結界を作るくらいは問題なくできるものの、アパート全体というわけにはいかなかったのがこんなところで反映されているとは。

 こうなると他の部屋の庭の土の手入れもするべきだろうな。

 手伝いますよ、と声をかけて早速生垣を超えて庭に降りると唖然とした顔をされた。気が付かないうちに移動魔法を展開していた。彼女には僕が生垣を飛び越えてきたように見えたことだろう。

 慌てて言い訳をしたが、顔を引き攣らせているところを見ると、あまり言い訳も役に立たなかったかも知れない。

 まあいい。庭の整備さえして仕舞えば、もう顔を合わせなくても問題ない。後は結界を強化して会わないようにすればいい。そのうち忘れてしまうだろう。ーーなんて思っていたのだが。

 流れで縁側でお茶をすることになってしまった。なんか、元さんを思い出すなあ。ポツポツと会話を進めていくうちに、ある事に気がついた。

 結界が仕事をしていないのではなく、正確には彼女に結界が通用していない。結界が、彼女を認識しないのだ。

 まさか、人間じゃないーー?

 少し警戒心を強め、見極めるべきか。もしコレが亜空間を渡ってきた魔物だったら容赦なく消せばいいし、この世界に昔からいるものの怪なら害がない限り放っておいてもいい。だが、そうなるとかなり力のあるものの怪ということになる。顕現して人間として周囲に理解されているのだから。

 この世界には魔法はないが、九十九神《ツクモシン》や精霊や心霊が存在する。大抵の人間は気が付かないようだが、僕のいた世界でも精霊や魔素を見える人間は少なかったから、きっと同じようなことなのだろう。第六感は、そんな心霊や精霊からの信号だ。土地神からは彼女に対し、これと言って忌避感もないから悪いものではないようだが、最近土地神の力が弱まっていることを鑑みれば、注意すべきだろう。

 早々にお茶を切り上げて、自宅に戻り結界を張り直した。結界があるおかげで探査や鑑定魔法はスルーされる。余程の高位魔導士でない限り、僕の結界を見破る術はないはずだし、そうでない限りこの世界にやってきた段階で魔力を失って検索などできるはずもないのだが、元さんのような人もいるわけだから、念には念を入れる方がいい。

 だというのに。

 いきなりけたたましく鳴り響いた警報音に思わず飛び出した。

 また隣人か!まさかわざと騒ぎを起こして仲間を呼び立てようとしているのか!玄関から慌てて部屋に飛び込むと、渡瀬さんが目をまん丸にして部屋から飛び出してきた。食べ物の焦げついた匂い。鍋か。

 つい本に夢中になって、カレーを作る予定でいた鍋をすっかり忘れていたというドジぶりに呆れた。この子は本当に一人暮らしができるのか。あまりにもがっくりとうなだれているから仕方なく食事を提供した。が、考えてもみれば僕の部屋に呼び込む訳にはいかない。もしこれが仕組まれたものだったとしたら。

 大体、いい年頃の女性が戸締りもせず、警戒心ゼロで部屋に一人でいること自体おかしい。注意すると、肩を窄めて項垂れていた。

 もしかすると、この人はもっとずっと田舎の方から引っ越してきたのかも知れない。戸締りもせず、隣人は皆親戚、という考え方をする地域もあると聞いた。作家活動をしているという話だから、あまり常識に囚われないのかも。

 これは、気にしすぎなのだろうか。


 だがその日の夜になって、僕は愕然とした。魔力値が上がっていたのだ。十年かけてゆっくり回復していった量の倍、回復していた。何が起こったのか。久々に感じる魔力に寝付けなくなり庭に出ると、土地神の力も蘇っているようでサワサワと虫達が活動を開始し始めていた。土中に住むモグラが顔を出し、季節外れの蛍がチカチカと灯火を灯し飛び回っている。

「一体何が…」

 そうつぶやいたところで、隣の部屋から何かを叩く音が聞こえてきた。首を傾げ何をしているのだろうと思ったが、これ以上関わるのはおかしいと思われる。しばらく虫の音を聞いていたのだが。バサバサと音がして、はっと横を見ると巨大な蛍が隣の庭にいた。その大きさ、成犬ほど。

「なっ…!?」

  正直、気持ちが悪い大きさだ。巨大蛍がこちらを見て、つぶらな瞳と目があった。ぴこぴこと触覚が動き、挨拶をしてくる。どうやら土地神に会いたいようだが、結界を超えて来れないようだった。結界は羽虫程度は問題なく通れるが、犬ほどの大きさでは外敵と見做され弾かれる。

 案の定、蛍はこちらに飛び込んでこようと、結界に体当たりをしたが、弾かれてひっくり返ってしまった。

「ぎゃーーーーーっ!?」

 警報機ほどではないにしろ、渡瀬さんの叫びが聞こえてきた。なんて間の悪いところへ。どうやら、うっかり蛍を見てしまったようだ。これは、飛び上がっても仕方ないな。

「おい、お前。こっちへ来い」

 僕は慌てて結界に穴を開け、巨大蛍をこちら側に呼び寄せた。ぶうん、と羽音を立てていそいそと結界を抜けてきた蛍を見て急いで結界を閉じる。しばらく聞き耳を立てたものの、それっきり渡瀬さんは静かになった。

「悪夢にならなきゃいいけどな…」

 現代のこの国において、犬のデカさの虫なんか発見されたらとんでもないニュースになってしまう。どうか、彼女が騒ぎ立てたりしませんようにと祈り、しばらく彼女の様子を見ることにした。

 当の蛍は無事土地神に挨拶を終えたようで、すっと消えていった。よくわからないがおそらく精霊のようなものだったのだろう。土地神の力、侮ることなかれ。



 まさか、それ以降彼女と深く関わっていく事になるなど、この時は考えても見なかった。
 
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