生まれ変わった声

みず

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おはよう、不思議な世界

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その日、雨は静かに降っていた。
いつものように、空は私に興味がなかった。

私は狭いベッドの端に座り、古びたギターを抱えていた。
弦が足りないそのギター。指は震えていた。寒さじゃない。
夢がもう叶わないって、わかっていたから。

「お父さん…お母さん…ごめんね。幸せにできなかった。」

かつて愛していた自分の声は、今では恥だった。
毎朝鏡に映る顔は、あきらめる理由にしかならなかった。

私は35歳で死んだ――拍手も、歌も、誰もいないまま。
そして…目を開けた。

人生で二度目の目覚めだった。
違う…生き返ったんだ。

今度の体は、軽かった。夢かと思うほどに。
関節の痛みもない。空腹の頭痛もない。
ただ、畳の木の香りが、妙に新鮮で心地よかった。

「起きたの?お嬢ちゃん」

優しい女性の声が、障子の外から聞こえた。
日本語の訛りが強かったが、理解できた。

障子が開き、優しい笑みの中年女性が木の盆を持って入ってきた。
そこにはおかゆと緑茶がのっていた。

「お母さんよ。今日から学校だって、覚えてる?」

学校?

私は自分の手を見た。
白くて柔らかい肌。古い傷もない。
細くて長い指。髪は肩まで伸び、明るい青色で、香水のような香りがした。

私…日本の小学生の女の子として生まれ変わったの?

その日は夢のように不思議だった。
私は赤いリボンがついた制服を着て、鏡を見つめた。

そこにいたのは、小さな女の子。
空のように澄んだ目、不安そうな笑顔。でも、可愛い。
それが…私?

木造の小さな家から外に出ると、そこは花町という山の近くの村だった。
風は梅の香りを運び、自転車の軋む音、犬の鳴き声、花に水をやる母たちの声が聞こえた。

「おはよう、ミユちゃん~!」

花壇の前から帽子をかぶったおばさんが手を振ってくれた。
私は小さく笑って返すしかなかった。都会とは違う、あたたかい人たち。

道の左側には、道を掃くおじいさんがいた。少し見て、優しく笑った。

「初めての学校かい?頑張ってな。」

かすれた声だったけど、あたたかかった。私はうつむいて小さく頷いた。

家では、お父さんはあまり喋らない人。
でも、いつも小さなスイカを持って帰ってくる。

「パパの小さな歌姫のために。声が甘くなるように。」って。

彼らは…本気で私に未来があると信じてくれてる。
私がどんなに失敗してきた人間か、知らないのに。
でも…無条件に愛してくれてる。

その夜、お母さんはベッドの端に座り、私の髪をとかしてくれた。

「お風呂で歌ってたの、聞こえたよ。すごく綺麗な声だった。」

私は枕で顔を隠した。「聞こえたの…?恥ずかしいよ…」

「恥ずかしがらないで。音楽が好きなら、隠しちゃだめ。
世界はね、真っ直ぐな声を待ってるのよ。」

そして、二つの人生で初めて、私は疲れからじゃなく…
歓迎されてると感じて、泣いた

今朝、私は鏡の前に立っていた。
まだ石鹸の香りがする白と青の制服を着て。
窓の外では梅の花がゆっくりと揺れていて、まるで私に「頑張って」と言ってくれているようだった。
今日から…私は「小学生」として生きていく。

「お弁当忘れないでね。」
そう言いながら、お母さんは温かい木の箱を渡してくれた。
私は静かに頷いた。その手のぬくもりだけで、この世界が少しだけ怖くなくなった気がした。

花町小学校は、二つの小さな丘の間に立っていて、若い桜の木々に囲まれていた。
私はお母さんにもらった紙の案内を頼りに、ゆっくりと4年B組の教室へ向かった。
廊下にはスリッパの音、笑い声、机の軋む音が響いていて、まるで生きた絵の中に入り込んだようだった。

教室に一歩足を踏み入れると、何十もの視線が一斉に私を見た。
消えてしまいたかった。けれど、逃げる前に、ひとりの女の子が声をかけてくれた。

「やっほー!新しい子だよね?」

私は小さく頷いた。「…ミユ。」

「私はハルカ!一緒に座ろうよ。ひとりで座ってたら分からなくなっちゃうからさ。」

その日一日の授業は風のように過ぎていった。
私はあまり話さず、ただ耳を澄ましていた。
ナミコ先生は優しい先生で、出席を取るときに私の名前を呼んでくれた声は、小さな鐘の音みたいに心地よかった。

お昼休み、ハルカは家から持ってきたみかんをみんなに配っていた。
ユウトとカエデは、春祭りの歌のコンテストの話で笑い合っていた。

「ねぇ、ミユちゃんも歌うの好き?」
突然ハルカが聞いてきた。

私は言葉に詰まった。
好き…?

うん、好きだった。だけど、昔の私は「声が変」だと言われていた。
顔も…鏡の前でさえ歌えなかった。
でも今は――
この体は新しい。声も…まだわからない。

「…好き。」
私は小さく答えた。

彼らは笑わなかった。馬鹿にもされなかった。
ただ、微笑んでくれた。

その夜。
私は窓辺に座って、ぼんやりと街灯を見つめていた。
お父さんはいつも通り、小さなスイカを手に帰ってきた。
お母さんはお弁当箱を洗いながら、優しい民謡を口ずさんでいた。

私は小さな日記帳を開いて、こう書いた。

初めての登校日。
この世界は…不思議だけど、あたたかい。

初めて、人に「音楽が好き」と言った。
笑われなかった。
ただ、聞いてくれた。

これは小さな一歩。
でも、最初の一歩も、音楽の一部だよね?
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