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序章 墜ちる星

封印完遂

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「クソがっ! いい加減、飽き飽きしてんだよ!」

 苛ただしげに叫んだ男は、指を目の前の背中へ向け、痣を収束させて黒い刃を作り伸ばす。
 しかし彼女は冷静に、呪符を背後へばら撒くと「界」と唱えることで瞬時的に障壁を作った。それにより刃の接近を遅らせると、横目で軌道を確認して紙一重で回避。
 それを繰り返しながら二人は走り続けるが、呪符とて枚数は限られている。
 女はなりふり構っていられないというように、乱暴に呪符の束を取り出すと、足元へ投げつけた。

「隆起せよ、大いなる大地の化身、急急如律令」

 男がすぐに追いつき、ばら撒かれた呪符をまたいだ次の瞬間――

「んなっ!?」

 周囲の土が隆起し、そして変形。
 大地は無数のドリルとなって下から一斉に襲い掛かる。
 男の姿が土煙に埋もれ見えなくなるのを確認すると、女は一気に駆け抜け広い場所に出た。

 無数の落ち葉を踏み荒らし、木々の連なる細道へと差し掛かる手前で立ち止まり、背後を振り向く。
 周囲では太い樹木が伐採されており、木々や岩などの障害物も少なく視界の開けた場所だ。昼間は陽光の差す見晴らしの良い場所なのだろうが、今は夜で雨も降っているため先ほどまでの道よりは少しマシという程度でしかない。
 上空を覆うものがなにもないため、雨でびしょ濡れになりながら彼女が自分の来た道を睨みつけていると、追手はゆっくりと暗闇から出て来た。

「……ようやく観念したか? 仔猫ちゃん」

 男は薄ら笑いを浮かべて立ち止まる。
 全身は泥と砂で汚れているが、特にダメージはない。
 息も絶え絶えの彼女と比べて、息一つ乱すことなく余裕綽々といった表情だ。

「……もうとっくに、仔猫なんて歳じゃないわよ」

「そうかい。俺からすれば、そんなもんよ」

 女は柳眉を吊り上げると、腰のポーチに手を突っ込み呪文を唱える。

「……栄華を象徴せし欲塊よっかいよ、具現せよ――」

「はっ! 次は金術こんじゅつかぁっ!? 芸達者なことで!」

 楽しそうにする敵をまっすぐに見据え、彼女は右手と左手でそれぞれ呪符を掴み放つ。
 右は前方へ、左は敵の上空へ。

「急急如律令!」

 次の瞬間、男の前方へ迫っていた呪符が捻れ歪み、先のとがった太い針のような金の呪具へと変わる。
 それらは敵を殺傷せんと勢いよく進み、上空にまかれた複数の金の呪具もまた、一斉に飛来し襲い掛かった。
 男は楽しそうに奇声を上げると、その場で踊る。
 それぞれの指先に痣を集めて漆黒の爪とし、呪具を切り払い、かわしきれずに直撃した部分のみ痣を移動させて弾く。
 しかし、さらに呪符は追加で投擲され、高速に移動する痣でも防ぎきれない。
 少しずつ色黒の肌をかすり、貫いていく。
 そしてその数多あまたの攻防の中、繋がれる次の一手。

玖拾ここのたり――」

 女は目を閉じて両手で印を結び、ゆったりと呪文を唱え始めていた。

「高位の封印術式だと!?」

 すべての金術を防ぎきった男は、驚愕に目を見開いた。
 そして膝を折り地を蹴ると、急速で接近し封印の完成を阻止しようとする。
 しかし彼女との距離を半分ほど縮めたところで、地面が泥のようにぐにゃりと歪み足がめり込んだ。

「なにっ!?」

 下を見ると、落ち葉にまぎれ呪符が落ちていた。
 土術による足止めだ。

「ちぃっ、金術に不発の呪符をまぎれ込ませていたか……だがっ!」

 男の指先から黒の刃が伸び、無防備な女へ迫る。
 しかし、金術による呪具のばら撒きは、土術のためだけではない。

「っ!」

 絶句する男の周囲で、地面に刺さった五本の金棒が眩い光を放つ。
 それは、男を中心として等間隔に設置され、上空から見て五芒星を描いていた。

「――奈落より溢れ出る荒魂あらみたましず退しりぞけ、悠久の水底へ封じたまえ――」

 呪文を唱え終え、封印の術が完成する。
 黒の刃は間に合わない。

「くそっ! 待っ――」

「――急急如律令っ!」

 激しく大きい反響音が響き渡り、黄金に輝く光の柱が天へと昇る。
 金術と土術を牽制に使い、流れるような術さばきで真の狙いたる封印を完遂させたのだ。
 眩く強い光はやがて、敵の影すら飲み込み、人里離れた森林を包み込む。
 それはまるで、神々しい何かが降臨したかのようだった。
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