5 / 9
第五話 婚約者の真実
しおりを挟む
帝国建国祭は連日に渡り、各国の王侯貴族を招いて、帝国の威信を見せつけるかのように豪華絢爛に催される。
その日の夜会で、フレデリックはいつになくシャルロッテに優しかった。
ファーストダンスを終えても、フレデリックはシャルロッテの側にいてくれる。それだけでなく、前日までに各重鎮との挨拶や顔繫ぎは終えたから、と、シャルロッテを連れ回すでもなく、二人で親しく会話を楽しんでくれる。シャルロッテとのダンスが終わると同時に群がってこようとした令嬢達には「今日は久々の婚約者同士の時間を優先したいんだ」と優しく微笑みながらも、明確にシャルロッテを優先する姿勢を見せ、断ってくれる。
シャルロッテは嬉しくて幸せでたまらなかった。
まるで昔の婚約者が帰ってきたようで、シャルロッテは常は隠しているフレデリックへの思慕を言葉にのせた。
「こうしてご一緒できること、とても幸せに思います。離れている間も、殿下を思わぬ日はございません」
シャルロッテは目元を赤く染め、恥じらいながらも、フレデリックの目を真っすぐに見つめ、真摯に真心を伝えた。
「……どれが本当の君なんだ……」
フレデリックの呟きはとても小さく、シャルロッテの耳に届くまでに、夜会の喧騒に紛れてしまう。
しかし苦し気なフレデリックの表情に、シャルロッテは胸が痛む。
――わたくしの想いは殿下にご迷惑なのかしら。
今日は昔に戻ったように優しくしてくれるから。シャルロッテの手を取るフレデリックの手が優しく、いかにも婚約者の義務だと言わんばかりの、あの冷たく突き放す空気がなく、シャルロッテを見る目が温かいから。
それだから、シャルロッテは勇気を振り絞って、思慕を伝えたけれど、やはりフレデリックにとってシャルロッテは疎ましい存在なのだろうか。
シャルロッテはこれまで耐えてきたフレデリックの冷たい振る舞いと、そして久々のフレデリックの優しさに触れ再び期待し、その期待が潰えたことで、皇女として感情を抑えることが難しくなった。
「……殿下。見苦しい真似を申し訳ございません。これで最後に致しますから……」
シャルロッテは俯き、唇を噛む。シャルロッテの腰を抱くフレデリックの手が強張った。
シャルロッテはもう一度、フレデリックを見上げて、その目をまっすぐに見る。
「殿下がわたくしを疎んじておられることは存じております。けれどわたくしは、わたくしは殿下をお慕いしております。殿下のお力になることが出来たらと……」
フレデリックの目に動揺が覗き、口元に浮かべた微笑が力なく消えていく。
「殿下のお心を煩わせる何かがあるのなら、どうかわたくしにもそれらを除く助力をお許しください。どうかわたくしにも、何か願ってくださいませ。わたくしは皇女です。ですが、その前に殿下の支えでありたいのです」
シャルロッテの切実な願いに、フレデリックは顔を背けて、眉間の皺を深く刻み、瞑目した。
「……もう遅いのだ」
震えるフレデリックの手を、シャルロッテがそっと包み込む。
「そんなことはございません。わたくしが如何様にも致します」
シャルロッテは知っていた。
フレデリックが帝国に疑惑の目を向けていることを。そしてシャルロッテを信じたい、と願う一方で、疑う心を拭えず葛藤し、苦悩していたことを。
それは最近になって従兄のヨハンからシャルロッテが聞いた、それまでのフレデリックの突然の変わり身の理由だった。
そしてフレデリックの苦悩はアステア王国の王侯貴族に伝わり、アステア王国の帝国に対する不信感は募り、もはや王太子一人の力では抑えようにないほどであると。
フレデリックは決行日とされる今日、最後の最後まで、父であるアステア王国国王に反意を唱えていた。
いくら金鉱山を手にしたとて、国力のない軍事力の持たない小国のアステア王国がフェーゲル帝国に牙をむいたところで、敵うはずがないと。
しかし富を手にすると、人は変わる。
王太子フレデリックの声は届かなかった。
フレデリックは王太子として自国とともに沈む覚悟を決めた。
最早王侯貴族達を救う術はない。だがその他の民は。アステア王国の民は、どうか救ってほしい。愚かな王侯貴族の責を民に問わず、どうか帝国の自国民同様に受け入れてほしい。
フレデリックの望むものは、最早それだけだった。
フレデリックはシャルロッテの目を見つめ、哀しげに微笑んだ。
「すまぬ。許さなくてよい。私が……僕が愚かだったのだ。君を疑うなど……」
己の手を包むシャルロッテの手を、もう片方の大きな手で包んだ。
「最初から君だけを信じていれば、間違うことなどなかった。いや、間違ってもよかった」
フレデリックはシャルロッテに懺悔するように、切々と言葉を紡ぐ。シャルロッテはフレデリックの瞳だけを見つめ、一言も聞き逃さないよう、喧騒に消されそうなか細い声に耳を傾ける。
フレデリックはシャルロッテを自身の胸に寄せた。
「僕に向かう君の真っすぐな瞳と、君を想う僕の愛を。ただそれだけを信じていればよかった」
シャルロッテの背に回された腕に力が籠もり、シャルロッテはフレデリックの逞しく厚い胸に這わせていた手でトン、と一度その胸を叩いた。
「もう一度、わたくしを信じてくださいますか」
「勿論」
フレデリックが力強く頷くと、シャルロッテは輝くばかりの笑顔を浮かべ、それまでアステア王国王太子とフェーゲル帝国皇女の抱擁を遠巻きに眺めていた者達は、それまで見たこともない、あどけなく無邪気なシャルロッテ皇女の微笑みに目を奪われた。
それからしばらくして、アステア王国王太子は連日の夜会による疲労だと、一時休憩室に下がるとシャルロッテに告げ、会場を辞した。
シャルロッテはそのまま留まり、今日までに踊っていない者達からのダンスの誘いを受け、また他国の貴族達や自国の令嬢達との会話を楽しんだ。
シャルロッテ達が歓談に興じる一方、夜会にあるまじき姿を晒す大公国の貴族の姿があった。泥酔しきった男は壁に体を凭れかけ、ずるずると床に沈んでいく。夜会に集う者達は眉を顰めて、彼のこれまでの醜聞を囁き合った。
しかしフレデリックがなかなか戻ってこない。シャルロッテは令嬢達とのお喋りを切り上げ、会場入口付近に佇む赤毛の護衛騎士に声をかけた。
「殿下がいまだお戻りになられません。何事もなければよいのですが……」
シャルロッテは不安を隠しきれず、その顔が憂いに沈む。護衛騎士は婚約者を想うシャルロッテの健気な姿に心痛めた。
「殿下の御様子を伺ってきましょうか」
「よいのですか?」
「どうぞ私に御命じください」
「では、殿下の御様子見を頼みます」
「御意に」
シャルロッテは護衛騎士の後ろ姿を見送ると、自らもひっそりと会場を抜け出した。その様子をヨハンが遠くから見ていた。
その日の夜会で、フレデリックはいつになくシャルロッテに優しかった。
ファーストダンスを終えても、フレデリックはシャルロッテの側にいてくれる。それだけでなく、前日までに各重鎮との挨拶や顔繫ぎは終えたから、と、シャルロッテを連れ回すでもなく、二人で親しく会話を楽しんでくれる。シャルロッテとのダンスが終わると同時に群がってこようとした令嬢達には「今日は久々の婚約者同士の時間を優先したいんだ」と優しく微笑みながらも、明確にシャルロッテを優先する姿勢を見せ、断ってくれる。
シャルロッテは嬉しくて幸せでたまらなかった。
まるで昔の婚約者が帰ってきたようで、シャルロッテは常は隠しているフレデリックへの思慕を言葉にのせた。
「こうしてご一緒できること、とても幸せに思います。離れている間も、殿下を思わぬ日はございません」
シャルロッテは目元を赤く染め、恥じらいながらも、フレデリックの目を真っすぐに見つめ、真摯に真心を伝えた。
「……どれが本当の君なんだ……」
フレデリックの呟きはとても小さく、シャルロッテの耳に届くまでに、夜会の喧騒に紛れてしまう。
しかし苦し気なフレデリックの表情に、シャルロッテは胸が痛む。
――わたくしの想いは殿下にご迷惑なのかしら。
今日は昔に戻ったように優しくしてくれるから。シャルロッテの手を取るフレデリックの手が優しく、いかにも婚約者の義務だと言わんばかりの、あの冷たく突き放す空気がなく、シャルロッテを見る目が温かいから。
それだから、シャルロッテは勇気を振り絞って、思慕を伝えたけれど、やはりフレデリックにとってシャルロッテは疎ましい存在なのだろうか。
シャルロッテはこれまで耐えてきたフレデリックの冷たい振る舞いと、そして久々のフレデリックの優しさに触れ再び期待し、その期待が潰えたことで、皇女として感情を抑えることが難しくなった。
「……殿下。見苦しい真似を申し訳ございません。これで最後に致しますから……」
シャルロッテは俯き、唇を噛む。シャルロッテの腰を抱くフレデリックの手が強張った。
シャルロッテはもう一度、フレデリックを見上げて、その目をまっすぐに見る。
「殿下がわたくしを疎んじておられることは存じております。けれどわたくしは、わたくしは殿下をお慕いしております。殿下のお力になることが出来たらと……」
フレデリックの目に動揺が覗き、口元に浮かべた微笑が力なく消えていく。
「殿下のお心を煩わせる何かがあるのなら、どうかわたくしにもそれらを除く助力をお許しください。どうかわたくしにも、何か願ってくださいませ。わたくしは皇女です。ですが、その前に殿下の支えでありたいのです」
シャルロッテの切実な願いに、フレデリックは顔を背けて、眉間の皺を深く刻み、瞑目した。
「……もう遅いのだ」
震えるフレデリックの手を、シャルロッテがそっと包み込む。
「そんなことはございません。わたくしが如何様にも致します」
シャルロッテは知っていた。
フレデリックが帝国に疑惑の目を向けていることを。そしてシャルロッテを信じたい、と願う一方で、疑う心を拭えず葛藤し、苦悩していたことを。
それは最近になって従兄のヨハンからシャルロッテが聞いた、それまでのフレデリックの突然の変わり身の理由だった。
そしてフレデリックの苦悩はアステア王国の王侯貴族に伝わり、アステア王国の帝国に対する不信感は募り、もはや王太子一人の力では抑えようにないほどであると。
フレデリックは決行日とされる今日、最後の最後まで、父であるアステア王国国王に反意を唱えていた。
いくら金鉱山を手にしたとて、国力のない軍事力の持たない小国のアステア王国がフェーゲル帝国に牙をむいたところで、敵うはずがないと。
しかし富を手にすると、人は変わる。
王太子フレデリックの声は届かなかった。
フレデリックは王太子として自国とともに沈む覚悟を決めた。
最早王侯貴族達を救う術はない。だがその他の民は。アステア王国の民は、どうか救ってほしい。愚かな王侯貴族の責を民に問わず、どうか帝国の自国民同様に受け入れてほしい。
フレデリックの望むものは、最早それだけだった。
フレデリックはシャルロッテの目を見つめ、哀しげに微笑んだ。
「すまぬ。許さなくてよい。私が……僕が愚かだったのだ。君を疑うなど……」
己の手を包むシャルロッテの手を、もう片方の大きな手で包んだ。
「最初から君だけを信じていれば、間違うことなどなかった。いや、間違ってもよかった」
フレデリックはシャルロッテに懺悔するように、切々と言葉を紡ぐ。シャルロッテはフレデリックの瞳だけを見つめ、一言も聞き逃さないよう、喧騒に消されそうなか細い声に耳を傾ける。
フレデリックはシャルロッテを自身の胸に寄せた。
「僕に向かう君の真っすぐな瞳と、君を想う僕の愛を。ただそれだけを信じていればよかった」
シャルロッテの背に回された腕に力が籠もり、シャルロッテはフレデリックの逞しく厚い胸に這わせていた手でトン、と一度その胸を叩いた。
「もう一度、わたくしを信じてくださいますか」
「勿論」
フレデリックが力強く頷くと、シャルロッテは輝くばかりの笑顔を浮かべ、それまでアステア王国王太子とフェーゲル帝国皇女の抱擁を遠巻きに眺めていた者達は、それまで見たこともない、あどけなく無邪気なシャルロッテ皇女の微笑みに目を奪われた。
それからしばらくして、アステア王国王太子は連日の夜会による疲労だと、一時休憩室に下がるとシャルロッテに告げ、会場を辞した。
シャルロッテはそのまま留まり、今日までに踊っていない者達からのダンスの誘いを受け、また他国の貴族達や自国の令嬢達との会話を楽しんだ。
シャルロッテ達が歓談に興じる一方、夜会にあるまじき姿を晒す大公国の貴族の姿があった。泥酔しきった男は壁に体を凭れかけ、ずるずると床に沈んでいく。夜会に集う者達は眉を顰めて、彼のこれまでの醜聞を囁き合った。
しかしフレデリックがなかなか戻ってこない。シャルロッテは令嬢達とのお喋りを切り上げ、会場入口付近に佇む赤毛の護衛騎士に声をかけた。
「殿下がいまだお戻りになられません。何事もなければよいのですが……」
シャルロッテは不安を隠しきれず、その顔が憂いに沈む。護衛騎士は婚約者を想うシャルロッテの健気な姿に心痛めた。
「殿下の御様子を伺ってきましょうか」
「よいのですか?」
「どうぞ私に御命じください」
「では、殿下の御様子見を頼みます」
「御意に」
シャルロッテは護衛騎士の後ろ姿を見送ると、自らもひっそりと会場を抜け出した。その様子をヨハンが遠くから見ていた。
10
あなたにおすすめの小説
可愛らしい人
はるきりょう
恋愛
「でも、ライアン様には、エレナ様がいらっしゃるのでは?」
「ああ、エレナね。よく勘違いされるんだけど、エレナとは婚約者でも何でもないんだ。ただの幼馴染み」
「それにあいつはひとりで生きていけるから」
女性ながらに剣術を学ぶエレナは可愛げがないという理由で、ほとんど婚約者同然の幼馴染から捨てられる。
けれど、
「エレナ嬢」
「なんでしょうか?」
「今日の夜会のパートナーはお決まりですか?」
その言葉でパートナー同伴の夜会に招待されていたことを思い出した。いつものとおりライアンと一緒に行くと思っていたので参加の返事を出していたのだ。
「……いいえ」
当日の欠席は著しく評価を下げる。今後、家庭教師として仕事をしていきたいと考えるのであれば、父親か兄に頼んででも行った方がいいだろう。
「よければ僕と一緒に行きませんか?」
地獄の業火に焚べるのは……
緑谷めい
恋愛
伯爵家令嬢アネットは、17歳の時に2つ年上のボルテール侯爵家の長男ジェルマンに嫁いだ。親の決めた政略結婚ではあったが、小さい頃から婚約者だった二人は仲の良い幼馴染だった。表面上は何の問題もなく穏やかな結婚生活が始まる――けれど、ジェルマンには秘密の愛人がいた。学生時代からの平民の恋人サラとの関係が続いていたのである。
やがてアネットは男女の双子を出産した。「ディオン」と名付けられた男児はジェルマンそっくりで、「マドレーヌ」と名付けられた女児はアネットによく似ていた。
※ 全5話完結予定
走馬灯に君はいない
優未
恋愛
リーンには前世の記憶がある。それは、愛を誓い合ったはずの恋人の真実を知り、命を落とすというもの。今世は1人で生きていくのもいいと思っていたところ、急に婚約話が浮上する。その相手は前世の恋人で―――。
契約妻に「愛さない」と言い放った冷酷騎士、一分後に彼女の健気さが性癖に刺さって理性が崩壊した件
水月
恋愛
冷酷騎士様の「愛さない」は一分も持たなかった件の旦那様視点短編となります。
「君を愛するつもりはない」
結婚初夜、帝国最強の冷酷騎士ヴォルフラム・ツヴァルト公爵はそう言い放った。
出来損ないと蔑まれ、姉の代わりの生贄として政略結婚に差し出されたリーリア・ミラベルにとって、それはむしろ救いだった。
愛を期待されないのなら、失望させることもない。
契約妻として静かに役目を果たそうとしたリーリアは、緩んだ軍服のボタンを自らの銀髪と微弱な強化魔法で直す。
ただ「役に立ちたい」という一心だった。
――その瞬間。
冷酷騎士の情緒が崩壊した。
「君は、自分の価値を分かっていない」
開始一分で愛さない宣言は撤回。
無自覚に自己評価が低い妻に、激重独占欲を発症した最強騎士が爆誕する。
「やはり鍛えることは、大切だな」
イチイ アキラ
恋愛
「こんなブスと結婚なんていやだ!」
その日、一つのお見合いがあった。
ヤロール伯爵家の三男、ライアンと。
クラレンス辺境伯家の跡取り娘、リューゼットの。
そして互いに挨拶を交わすその場にて。
ライアンが開幕早々、ぶちかましたのであった。
けれども……――。
「そうか。私も貴様のような生っ白くてか弱そうな、女みたいな顔の屑はごめんだ。気が合うな」
女避けの為の婚約なので卒業したら穏やかに婚約破棄される予定です
くじら
恋愛
「俺の…婚約者のフリをしてくれないか」
身分や肩書きだけで何人もの男性に声を掛ける留学生から逃れる為、彼は私に恋人のふりをしてほしいと言う。
期間は卒業まで。
彼のことが気になっていたので快諾したものの、別れの時は近づいて…。
嫌われ公女に転生したけど、愛されたい願望を捨てたら全員がデレてきた
桃瀬さら
恋愛
嫌われ公女ナディアは、婚約破棄され学園で孤立し、家族からも見放されていた。
どれほど努力しようが周囲からは「嫌われ公女」と蔑まれ、誰も味方なんていない。
「もういい。愛されたいなんて、くだらない」
そう心に誓った瞬間から、状況が一変した。
第二王子が婚約破棄を撤回し跪き、寡黙な騎士団長が「君を守りたい」と熱く迫ってくる。
そして、冷ややかな兄まで「婚約など認めない。家を出ることは許さない」と……。
愛されることを諦めた途端、なぜか執着される。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる