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第十八章

少年の物語2

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 バーハムは強い口調で話し続けていたが、その落ち窪んだ目頭からは涙が流れていた。

 浩子の瞳も涙で溢れていた。

 一服し終わったバーハムは、フロントボードの時計に目を向け、そして、隣に座る浩子を見遣り、

「浩子、話を続けるが大丈夫ですか?」と聞いた。

「続けてください。」と浩子は唇を噛み締めながら言った。

 バーハムは物語を再開した。

「ジョンは神父になりたくてなったのではなかったんだ。ただ、それしかなかったのだ。

 教会の孤児院で育ち、自殺願望を持ち、皆に卑下され続ける中、

 ジョンは、命の恩人である私を喜ばせようとしていた。いつも、いつも、私を喜ばせることをしようとしていた。

 そのジョンの気持ちを私は喜んだ…。

 安易に喜び、そして、過度な期待を抱き、ジョンの心の深淵に真の光が差し込んでいないことに気づいてやれなかったんだ。

 ジョンは神を恨んでいた。

 神の使徒になりたいなど、全く持って無かった。
 
 ジョンの前には、その道しか無かっただけだ。

 神の恩恵に授かろうなど全く思ってない者が神父になり、イエス・キリストの模倣者として人々に説教をする。

 この者にとって、神父という職業は矛盾そのものであるのに…

 しかし、私は嬉しかった。神よりも私を慕ってくれるジョンが本当に愛らしかった。

 そう、私が喜び過ぎたのだ…

 ジョンの自殺願望と神への恨みを払拭させる何らかの治療等をもっと施すべきであったのに…

 だから、ジョンが神学校に入学した時、久住に報告に来た時も、

 私は、ジョンの自殺願望が強くならなければ良いのだがと危惧していたんだ。

 それが、あの時…、

 ジョンが言ったんだ!

 あの無表情であったジョンが、心の底から喜びに溢れた表情で言ったんだよ!」

 この時、浩子はバーハムとの約束を破り、咄嗟に質問をしてしまった。

「何て言ったんですか?ジョンは?」と

 バーハムは浩子を見て、にっこり笑ってこう言った。

「浩子のことだよ。

神学校入学の報告をした後、こう言ったんだ。

『さっき、教会の前で女の子とすれ違ったんですが、神父様はご存知ですか?』と

 私は言った。

『あぁ、おそらく、この教会を手伝ってくれてる『浩子』と言う少女だよ。』と、

 そしたら、ジョンがこう言ったんだ。

『僕、彼女とすれ違った瞬間、感じたんです。』と

 私は慌てて聞いた。

『ジョン、何を感じたんだい?』と、

 すると、ジョンは満面の笑みを浮かべてこう言ったんだ!

『感じたんです!僕と同じ匂いを、僕と同じ風を感じたんです!

 神父様、すれ違った瞬間、風が吹いたんです!

 僕の心の中にね!

 綺麗な風

 優しい風

 温かみのある風

 そう!

 沢山の風が、僕の心の中に吹き込んで来たんです!

 僕と同じ感性を持った人間に、僕、初めて出会ったんです!』とね。

 私は、ジョンの暗闇の心に、一筋の光が、希望が差し込むのが見えたんだ。

『浩子…、彼女ならジョンを救える。』

 私はそう確信したんだ!

 私はこの奇跡が現実を帯びるよう奔走した。

 ジョンの卒業後の赴任先を久住の教会にするよう本部に働き掛けた。

 それからのジョンのことは私より浩子の方が詳しいはずだ。

 ジョンは生きている。

 それも浩子という女神を味方に、生涯最高の幸福に包まれ、ジョンは生きてる。」

 ここまで語ると、バーハムは左ウィンカーを点し、ハイウェイの出口に進みながら、

「そろそろ、物語の終わる時間となったが、浩子の感想を述べてくれないかい?」と浩子に問うた。

 浩子は、大きな瞳から止めなく涙を流していた。

 そして、震える声でこう言った。

「ジョンには…、ジョンには私が…、私が必要なんです。

 私とジョンは…、同じ人間…、

 いえ、一つなんです。」と

 バーハムは浩子の震える言葉を聞きながら、何度も何度も頷いた。

 そして、浩子の手を握り、こう言った。

「浩子、ジョンを頼みます。

ジョンを愛し続けてください。

これからジョンには、宿命が待ち受けています。

『宿命』

それは、ジョンの真の正体、本当のアイデンティティを探すことです。

明日、『風の谷』に行きます。

彼は感じるでしょう。

何かを感じ、その中で知らない方が良かった事も感じてしまうかも知れません。

それは、明日だけの事ではなく、彼が死ぬまで対峙することになるでしょう。

それが、彼ジョンの『宿命』なのです。

その際、ジョンを救えるのは、神ではないのです。

ジョンを救えるのは浩子だけなのです。

禁断の恋

そんなの神の大罪なんか、ちっぽけなものなのです。

自ら死を選ぶことに比べれば、とってもちっぽけなものなのです。

だから、浩子。

これからもジョンをいっぱい、いっぱい、愛してください!」

「はい、私は誰よりもジョンを愛します。

 いっぱい、いっぱい、愛します…」

「浩子、ジョンが自身のアイデンティティを見出した時、

浩子の感性で感じてください。
ジョンのアイデンティティを感じてください。

浩子の感性は、必ず、ジョンを幸福の道に導きますから。」

 その時、浩子は『はっ』と感じた。

 そして、助手席の窓を少し開けた。

 するとハイウェイの風とは違う、あの懐かしい子供達の風が車の中に入り込んで来た。

『浩子!ジョンを助けるんだ!ジョンを助けることは、浩子を助けることになるんだ!』

『恋することに罪などないんだ!恋することは悪いことじゃないんだ!』

『自然の恋は自由さ。好きなものは好きなんだよ!恋は自由なのさ』

 その風達の励ましを聞き、浩子はバーハムにこう誓った。

「どんなことがあろうとも、私はジョンを愛し続けます。

誰にも邪魔されません。

それがたとえ神様であっても。」と

 バーハムは浩子の決意を聞き、イエスの言葉を述べた。

「愛する者を手放しなさい。
 もし、その人が戻って来なければ、初めから貴方のものではなかったのです。
 もし、戻って来れば、初めから貴方のものだったのです。」と、

 そう、ジョンが『神への対峙』の際、自身のエコイズムを払拭するために何度も謳っていたイエスの言葉を、

 そして、バーハムは浩子にこう諭した。

「浩子、ジョンはおそらく、浩子を愛しはじめてから、今ある自身の地位を悔やみ、神を何度も何度も恨んだはずです。

 そして、神父を辞めようと思ったはずです。

 または、浩子の前から消えようとも考えたはずです。

 しかし、ジョンはしっかりと選択したのです。

 ジョンは決して、浩子の前から消えなかった。

 ジョンは気づいているはずです。

 このイエスの言葉の本当の意味を」と、

「本当の意味とは…、あっ、」

「そうです、さっき浩子が言った言葉です。」

「私とジョンは同じ人間、そして、一つになる。」

「そう、ジョンは気づいたはずです。
聖職者として浩子を愛すのは決してエコイズムなんかではないと。
同じ人間、自分なんです。
浩子は自分の分身であると、浩子なしでは生きていけないと、そう感じたはずです。

そんなんです。

人類如きが決めた規律、聖職者の独身、イエスへの模倣

それらの範疇では、ジョンと浩子を包み込むことは不可能なのです。

2人の愛は、大き過ぎるのです。

ジョンは、イエスの模倣により死を選ぶのではなく、生きるために浩子と一緒にいることを選択したのです。

あの6歳で自殺願望が生じた不幸の塊の人間であったジョンが…

エコイズム如きの忠告に負けず、生きることを選んだのです!

これが、私が2人を咎めない理由ですよ!」

「神父様…、良く分かりました。」

 既に浩子の瞳から涙は消え去り、浩子は新たな決意を心に抱いていた。

『今あることに勇気を持ち、見えない未来は神に委ねる。
神様は決して『純粋な愛』を咎めたりしない。

神様、お誓いします。

私は勇気を持って、純粋な愛によりジョンを愛し続けます。』と

 
 

 


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