黒の皇子と七人の嫁

野良ねこ

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第八章 遠回りこそが近道

4.欲張りさん

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 この店についての熱弁を振るい、手を奥に差し伸べたまま頭を下げ『こちらにどうぞ』と示す店員さんの肩を叩いて店内へと足を踏み入れたものの、そこで待っていた人を見て心臓が止まる思いに駆られる。

「いらっしゃいませ~っ、薔薇の交響曲へようこそ! ただいま特別室の準備を急がせておりますので奥の休憩室で食前のお茶がご用意してあります。こちらへどうぞ~」

 “看板娘” と書かれた銀で出来たプレートを首から下げた明るく元気な印象を与える女の店員さん。金の髪に金の瞳、頭に乗っかる二つの三角形まで同じとくれば俺が驚いても無理はないだろう。


──ノアがここに居るはずが無い


 パッと見そっくりな容姿に違うと分かっていながらも胸を刺す痛みが走ったが、俺達を歓迎する声は彼女のものではなかった。

「ほらっ、お兄ちゃん、早くっ!」

 立ち止まった背中をモニカに押されてキツネの獣人の後に付いて行く。
 薔薇の朝露と似た感じの応接室に案内されたのだが、そこでも更にここにいる筈のない人との対面が待っていた。

「ヒデ爺!?」

 思わず口を出た言葉に『んん?』とほんの一瞬だけ固まりはしたが、平静を保ちつつ訪れた俺達を歓迎してくれる老人。


「遅くなりました」

 少々戸惑いながらも席に着せば部屋で待機していた女の子からお茶が配られ、コレットさんが合流したところで一緒に入ってきた店の外に居た女店員がヒデ爺似の男に耳打ちをする。

「この度は薔薇の交響曲へようこそおいでくださいました。サラ王女殿下とハーキース卿御一行様で宜しかったでしょうか?」

 何故分かった!?と思ったのも束の間、魔導車に掲げられている貴族証を見ればすぐに分かることかと一人で勝手に納得していると、そんな俺の心境を察したように微笑むヒデ爺似の男。

「イオネ姫様から数日前に通達はあったのですが、よもやこれほど早くにご来店頂けるとは思ってもみなかったので少々驚いている次第です。
 先程 “ヒデ爺” と仰られましたが私は彼の弟で、皆からは “ミツ爺” と呼ばれております。私事ですが、王都サルグレッドに在る《薔薇の余韻》には三兄弟の一番下の弟、通称 “ヤス爺” がおります故、機会があれば顔を出してやってくださると弟も喜びます」


 この店を預かる店長のミツ爺と軽く談笑した後に移動した先の部屋は少し変わった臭いがした。

「これは蟹の匂いで御座います。毎日のように料理を提供しておりますと部屋の壁にも匂いが染み付き、部屋全体が独特の香りを放つようになるのです。もちろん浄化の魔法を使えばそれも無くなるのですが、当店ではこの場も楽しんで戴きたく敢えてそのままにしてあります」

「うっわ~~っ、凄い!こんなおっきな蟹さん初めて見ました!」

 机には各席に一匹ずつの赤くて立派な蟹がででーんと並べられており、総勢十一匹の蟹が足を折り畳み机に整列している光景にエレナが感嘆するのも無理はない。

 席に着くとその大きさがより一層良く分かる。五対十本の足の中心にあるゴツゴツとした真っ赤な甲羅だけでも手のひら程もあり、太くて大きな二本のハサミが『俺が蟹だ!』と主張する。

「生の状態で重さ一キロ、甲羅長十四センチの蟹をご用意致しました。甲羅の硬さも申し分無く身がしっかりしている特上の蟹でございます。更に上の極上の蟹もございますが、この後に出される他の料理も召し上がって頂きたく気持ち小さめの物を提供しております。特上も極上も、味にさほども遜色はありませんので、是非心ゆくまでご賞味ください」

 ミツ爺の説明を聞きながらも蟹の隣に置いてあったおしぼりで手を拭く向かいに座ったティナ。待ってましたとばかりに話が終わるや否や目の前の蟹をむんずっと掴むと豪快にひっくり返す。


バキッ! 


 赤から白へと変わった蟹の左右に生える足を両手で握ると、束にした両足を甲羅の中心へ向かって倒し、甲羅を除いた蟹の身を真っ二つに折ったのには驚いてしまう。

「ヒィィッ!」


メキョキョッ、ブチブチブチッ


 エレナがギョッとするのも何のその、気にした素振りも無く二つに別れた足の束を甲羅から引き千切ると片方はお皿に戻し、もう片方の身の部分に口を付ける。

「ん~っ、うまっ。良い蟹ね」


メキッ、メキッ、ブチッ!


 五本になった足とハサミの束から一番太い足を引き千切ると、三つある関節をバキバキと折り、ゆっくりと身を引き出して行く。


ジュルジュルッ、すぽんっ!


 途中で千切れる事なく上手いこと殻から引き出された身は赤と白のコントラストが美しく、綺麗に取り出せた事に満足気な顔をしたティナはそれを持ち上げると、あろうことか、上を向いて開けた口の中へとゆっくり沈めて行く。

「んふ~~~んっ!」

 貴族令嬢らしからぬ食べ方で口にした蟹の身を頬張り美味しそうに口を動かす様子に触発され、皆のやる気が高まる。
 すると、いつのまにか登場していたお婆ちゃんがゆっくりと口を開いた。

「ティナお嬢様は慣れたもんだねぇ。他の方達は初めてですかね?
 誰かに剥いてもらった方が食べやすいんだけど、ティナお嬢様のように蟹を食べる時の醍醐味を味わってもらいたいからウチでは敢えてそのままお出ししてるんですよ。

 並んでいる蟹は良い物ばかりだから剥きやすいとは思いますがね、身が上手に取れなかったら横に置いてある蟹スプーンで掻き出すか、ハサミで殻を切ってしまって下さいな。
 小さい子には少し力が要る作業だから私がやりますので、皆さんは私の手本を見ながら一緒にやってみましょうか」

《蟹スプーン》ってなんだ?と蟹の乗っている皿の横を見れば金属の棒が置いてあるのでそれの事だろう。持ち手部分に当たる一端は、物を掬う部分が極端に浅くされた細長いスプーンのようになっており、反対側は平く伸ばされ先端の少しだけが小さな蟹のハサミのように二股に分かれている。
 なんとも変わったスプーンだなと見ているとお婆ちゃんの蟹捌き講義が始まっており慌てて目の前の蟹をひっくり返した。



「見て見て!綺麗に取れた!」

 アリシアが持つ足の殻からでろーんと垂れるのは途中で切れる事なく一関節分が繋がったお手本通りの蟹の身。ライナーツとジェルフォに嬉しそうに自分の成果を見せる姿は興奮した少女のようで、俺達以上に心を許している様子からも三人が本当に仲良しなのだと見て取れる。

「これは美味いなっ、ライナーツ!」
「あぁ、本当だな。こんなに美味しい物があるとは知らなかったよ」

 お婆ちゃんの説明はとても分かりやすく、ティナとサラ以外は初めてだったというのに蟹の身が面白いようにスポンスポンと抜けてくる。
 ティナを真似して下から齧り付くと口一杯に蟹の味が広がり自然と顔が綻ぶ。もちろんそれは俺だけではなく皆一様に満足気な顔をしていた。

 何も注文する事なく店側に用意された料理、最初にテーブルに置かれていた蟹の姿茹でだけでも食べ応えがあったというのに、みんなが食べ終わる頃合いを見計らい次々と別の蟹料理が現れる。

 足の殻を生のまま剥いた “蟹の刺身” に、それを温かな昆布出汁にサッと潜らせる “蟹しゃぶ” 。《七輪》と呼ばれる持ち運びができる程に小さな一人用の竃に入れた炭で炙る “焼き蟹” 。甲羅にたっぷりの蟹の身とホワイトソースを混ぜた物にチーズをかけて焼いた “蟹グラタン” や、鶏の卵を解いた物にほぐした蟹の身を混ぜ込んで蒸した “茶碗蒸し” などなど合計十品も食べた後には、最後に出された “蟹鍋” の残り汁の中に白米と溶き卵を入れて目の前で作られる “蟹雑炊” でシメとなった。



「うぅ~ん、もう無理ぃ」

 椅子からずり落ちそうな格好でだらしなく座るティナのお腹は、いつぞや見たノアのお腹のようにぽっこりと膨らんでいる。
 流石に雪は俺達と同じだけの量を食べる事は出来ない。そこで欲張って雪の残した半身の茹で蟹まで食べるものだからお腹が凄いことになってしまっているのだ……自業自得とはこの事だな。

「バカねぇ、ほどほどにしないからそうなるのよ。美味しいものでも腹八分目が基本、少し食べて足りないくらいで留めるとまた今度食べたいって思えるのに、そんなに食べたら満足してしまって次食べる意欲が無くなるじゃない」

 腹ペコクィーンのリリィがそんな事を言うものだからティナは苦笑いするしかない。

「そう言えばリリィは良く腹減ったとは言うけど、あの時以来馬鹿食いする事はないよな」

 昏睡状態から目覚めた後は、寝ていた分を取り戻すかのようにサラに癒しの魔法を行使させながらこれでもかと言うほどに食べたのに、それ以来は今のティナみたいになるような事は一切無い。

「当たり前じゃない、美味しいものを美味しいと思えるように食べるのよ。ティナみたいに勢い余ったりしないわ」

 何も言い返す事が出来ないティナが「いゃぁ……」と恥ずかし気に頭を掻くと皆に笑いが溢れ、和やかな雰囲気の中、食後にお茶を飲みつつ胃を休める事が出来た。


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