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第一章

第四十七話 努めて冷静になる必要がどこにあると言うのだろう?

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 女性は書籍をぺらとめくりながら続ける。

「この本を読むまで古代魔法には全く手が出せなかったんだけどさ……君が読んでる本みたいに堅い題名だし、文章もわざと複雑にしているんじゃないかってくらいこんがらがってるし」

「……まあ、それはそうですね」

 ……実際にわざと複雑にしている可能性がなくもない。古代魔法使いは往々にしてひねくれ者だからね。仕方ないね。

「うん。でも、この本は全然毛色が違っててね。凄く読みやすくて――古代魔法も現代魔法に全然負けてないって分かったんだよね」

 首を縦に振る俺。

「……それで君は、これをもう読了したのかな?」

「……ええ、まあ」

 読んだと言えば読んだ。書いたと言えば書いた。

「ほんと天才だと思わない?かの――『祝福されし魔術師』さんは」

「……どうせろくでもないやつですよ」

「ありゃ。あんまり好きじゃないの?」

「嫌いな訳でもないですけどね……」

 自分に対する評価なんて、皆似たようなものじゃないだろうか。

 嫌いじゃないけど、好きでもない。どちらかと言われれば――という段階でようやく違いが出るくらいのものだと思う。

 ……せっかく変装して身分を隠しているんだから、そんなことは言わないけど。

 そんなことを考えているうちに、女性は居なくなっていた。

 図書館に棲む妖精的な存在だったのだろうか。

 なんて思考が脳裏をかすめた瞬間――。

「――それで、さ」

 と。超至近距離から声がした。首を少し回転させ、左を向くと、そこには女性が――肩が触れるか触れないかの……いや、触れる距離感で立っていた。そして俺が読んでいる本を覗き込む。

「……どうしました?」

「この本、理解できた?」

「読んだところまでは」

「……すごいね」

「古代魔法とは不思議と相性がいいみたいで」

「……そういう問題なのかな?」

「そういう問題ですよ。世の中の問題の八割は相性の問題です」

 女性は微かに笑ったようだった。

 ようだった、という曖昧極まる表現に留めたのは、端的に距離が近すぎたためだ。

 距離が近すぎて、顔を直視することが出来なかったためだ。視覚から情報が得られない以上、女性が発した微かな吐息が微笑から生じたものであるのか溜息であるのかは判然としない。

 俺の視界の端には、橙色の髪の毛がちらちらと揺れている。視覚から得られる情報はそれだけだった。

「……お願い、してもいい?」

 何を。

「本の内容、かみくだいて教えてくれない?」

 俺は僅かな感情の揺らぎすらも表に出さず、努めずに(努める必要がどこにあるというのだろう?)自然極まる冷静さで応じた。

「構いませんよ」

 年上(恐らく)の人に授業っぽいことをするのは初めてだな、と思いながら。
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