【完結】北新地物語─まるで異世界のような不夜街で彼女が死んだわけ─

大杉巨樹

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第1部 高級クラブのお仕事

雌豹の部屋(※エロ注意)

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 自分の格好が格好だけに近づくことが出来ず、扉に隠れながらおそるおそる声をかける。

「す、すみません……すみませ~ん」

「ん、う~ん…」

 何度か声をかけるとようやく向こうを向いていた顔がこちらを向いた。見覚えのある顔だ。ということはここはおそらく彼女の家で、涼平はそのことに安堵と疑問を同時に覚えた。

「起きたの?」

 毛布からひょっこり出したあどけない顔からはきのうの夜の大人びた雰囲気が消えている。

「あの…俺、どうやってここに…」

 涼平りょうへいが言い終わる前に彼女は、

「もう!大変やったんやから」

 とほっぺたを膨らませて涼平を睨んだ。

「え!?俺、何かしでかしました!?」
「何かしでかしたやないわよ。店で寝込んじゃって、起こして帰そうとしたら、死んでやる~!!とか言って暴れて大変やったんやから。それで店の男の子に手伝ってもらってタクシーに乗せて一緒にここまで来たのよ」

(あ!夢で見たワンシーン…あれ夢やなかったんや…)

 初めて連れて行ってもらった高級店での醜態に、涼平は羞恥心と申し訳無さであたふたと嫌な汗をかく。

「わあ~すみません!ご迷惑お掛けしました」
「あたし、酒癖悪いのは嫌よって言ったよね?」

(でもあれは萌未が無理矢理一気させたから…)

 一方の萌未めぐみはというと毛布にくるまったまま顔だけ涼平に向き、あくまで悪いのは涼平だという態度に若干の違和感を感じ、萌未にも責任があるのではと言いかけたが、涼平は喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。

「何よ?」
「いえ、誠に申し訳ありません。あの…とりあえず服を着たいんですが、どこにありますでしょうか?」

 自然と言葉が固くなり、気がつくと涼平は扉の前で正座していた。

「パーカーとブルゾンはゲロまみれやったから洗濯機の中よ。まだ乾かしてないわよ」

(最悪や。やっぱりこの口の中のざらつき感は吐いたからやったんや…)

 口の中の不快感とともに居心地の悪さが押し寄せ、涼平は一刻も早くこの場を去りたくなる。

「そ、それはかたじけのうございます。ではせめてジーンズだけでも…」

 なぜか時代劇口調になる涼平を睨みながら、萌未は自分の足元を無言で指差した。

「あの、意味がわかりませぬが…?」
「だ、か、ら、あたしの布団の中にあるわよ」
「え、え~と…何ゆえ…」
「何ゆえって、あなたがここで脱いだんじゃない。ほんまに覚えてへんの?」

 涼平の頭に二日酔いの痛みを越える衝撃が走った。もし萌未を酔った勢いで襲ったんだとしたら、もう最悪を通り越してきのう殺しといてくれたらよかったのに、と自戒の念に打ちのめされそうになる。

「あの…ほんとに覚えてなくて…つまり…」
「つまり、何よ」
「あの、つまり…いたしたんでしょうか?」
「あなた、自分がいたしたかどうかも分からないの?」
「は、何分経験少なき身ゆえ…」

 刀があれば切腹しただろう。経験が少ないどころか、五年間も美伽みかに片想いだった涼平には女性との経験なんて皆無だった。萌未は毛布にくるまったまま、ずっと涼平を睨んでいる。涼平は土下座したままの姿勢で彼女の次の言葉を待った。

「ぷっ」

 しばらくの沈黙の後、意外にも彼女が吹き出したので、涼平は肩の力を少し緩める。

「もう!そんなとこに座ってないで自分で取りに来なさいよ」

 萌未は破顔しながらそんなことを言う。

「そんな滅相もない。投げてよこしていただければそれをはいて早々に立ち去りますゆえ…」
「いやあよ。あなたがそこ開けてるから手が寒いもん」

 そう言うと彼女は、毛布を被ってまた寝る態勢に入ってしまった。

(え、そんな問題?)

 涼平としてはとにかくこの場を早く切り上げ、一度よく頭の中で整理してから出直したかった。ベッドの裏に回って素早く取ればいいか…そう思って仕方なく立ち上がったが、いざ歩くと冷たいフローリングに座っていた足が痺れてベッドの横でよろめいてしまった。

 その瞬間だった。

 まるで潜んで獲物を待ち受けていた彪が飛び出したように(本当にそんな感じのスピードだったのだ)萌未は毛布の中から飛び起きると涼平の腕を掴んでベッドへと押し倒した。そして、涼平に馬乗りになり、びっくりして目を見開いて固まっている彼の顔を上から覗き込んだ。

「嘘よ。ズボンも洗濯機の中よ。あなたずっと寝てて、ワイン落ちなくなったらあかんから、あたしが脱がして洗濯したの」

 そう言うと彼女は、涼平に唇を重ねてきた。

 最初何が起こったのか涼平には理解出来なかった。が、上に股がる女彪のピンクのキャミソールに浮かび上がったしなやかな体のラインと、おそらく下はTバックしか着けていないと分かるくらいに触れ合う肌の温かい感触に悩殺され、結んだ唇が緩んだ瞬間に彼女はそこを舌でこじ開け、奥で縮こまる涼平舌に強引に絡めた。

 ずっと恋愛に奥手で、さらには中学3年から一人の女性に片想いをし続けてきた涼平には女性と唇を交わした経験などなく、これが彼にとってファースト・キスとなった。いきなり口の中に入ってきて暴れまわる軟体動物のような異物に普通なら気持ち悪くなるところだったが、その前振りとして高級クラブで懸命に働く彼女の姿に魅せられていたので、チロチロの動き回る萌未の舌は涼平の口の中に密の甘さを振り撒いた。その甘味な舌触りに、涼平はただ身を預け、陶酔した。

「体は冷たいのにここは熱いわね」

 強い刺激に膨張し出した涼平のトランクスの中の部分を手を入れて握りしめ、萌未は一旦口を離し、ニンマリとした笑みを浮かべて涼平を見下ろす。それは獲物を完全に手中に収めた猛禽類の目だった。

「ね、あたしとしたい?」

 捕食される直前の草食動物のように手足を完全に拘束され、涼平は首を上下に振るか左右に振るかの選択を迫られる。下腹部からは熱い情動がこみあげてきていた。


 だが次の瞬間、涼平の心に不思議な情愛が湧き上がる。それは上から注がれる萌未の瞳の奥に、何か懐かしさを覚える光を捉えた時だった。切なくもあり、悲しくもあり、それでいて狂おしく愛しい、そんな情が、心の深い所から湧き上がってきた。

 それは肉親や兄弟に感じるような、いや、どちらかといえば美伽みかを想うときの恋慕の情に似ていたかもしれない。なぜそんな情が湧き上がるのか涼平には分からなかったが、萌未の瞳の中にそれを換気させる何かがあった。




 そして思い出す。そうだ、俺はきのう、五年間に及ぶ初恋にピリオドを打ったのだ。涼平は、ごめんなさいと言って去って行った美伽の後ろ姿を思い出した。ここで一時の情動に負けて動いてしまえば、その五年間の想いもチープなものへと変貌してしまう、そんな気がした。




 二人はしばらく上下で見つめ合っていたが、やがて、 

「寒っ」

 と声を上げると、萌未は涼平の両肩に立てていた腕を折って横に転がり、毛布をたぐり寄せてくるまった。そしてしばしの間、静寂の中で互いの鼓動だけが響き合っていた。

「ね、涼平ってひょっとして、童貞?」

 やがて萌未が涼平にストレートな質問を投げる。

「え?それは黙秘でお願いします」
「何でよ、5年間も片想いしてたら誰ともできるわけないやない」
「は、仰る通りで…」

 相変わらず堅苦しい涼平の物言いに、あははは、と萌未は笑い飛ばし、涼平に足を絡ませる。

「じゃあ、あたしが初めてになったげようか?」
「は、それはぜひ、機会がありましたら…」
「機会って何やのよ。あたしだって失恋記念日のプレゼントなんて嫌ですよーだ」

 萌未はそう言って背中を向けた。シャレードのマスターや夏美さんに見せた子どもっぽさが感じられ、涼平はそんな萌未のことを愛おしく感じた。

「失恋記念日のプレゼントて…萌未こそ、好きな人おらんの?」
「いるわよ、いーっぱい」

 萌未はいたずらっぽくそう言うと、くるっと涼平に向き直し、

「涼平もその中に加えてあげる」

 と言ってまたキスをした。





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