【完結】北新地物語─まるで異世界のような不夜街で彼女が死んだわけ─

大杉巨樹

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第1部 高級クラブのお仕事

あたしはパンコ

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 その日も営業が始まり、出勤してきた由奈ゆな涼平りょうへいがおはよう、と声をかけると、ふんっ、とまるで昭和の漫画のように顔を背けるという一幕もあった。

 そして、樹理じゅり鳴海なるみ部長が入れた麗子れいこ佐々木ささき窓口のラムと続々と同伴ホステスが入ってくる。

「おっはよー!新人くん、よっろしくー!」

 ラムは荷物を更衣室に置きにいく際、きのういなかった涼平の顔を見るや、元気よく声をかけてきた。

(新人くんて…俺の方が古いんやけど…)

 胸元が大きく開き、太腿ふともも上部から入ったスリットの入った派手なドレスを着込み、露出度高めのスタイルは抜群で、よく引き締まった健康的な肌艶をしていた。

 ラムと同時に入ってきた麗子のつんと尖った鼻には見覚えがあった。初めてスカウトに出た日、涼平が声をかけて完全に無視されたホステスだ。あの時、後ろで見ていたクラブ若名わかな黒田くろだ店長が、涼平には手に余る相手だと教えてくれた。涼平は玄関から案内してきた鳴海部長に、

「アバンチュールの麗子さんですね。参りました」

 と耳打ちすると、

「お、涼平もなかなかの情報持ってるやないか。今度、一緒にメタブル行こうや。スカウト教えたる」

 と、自慢のサラサラヘアをかき上げながら言ってくれたのだった。

(麗子、ラム以上のホステスを入れるなんてもう誰も無理やろ。佐々木さんの言ってたように、鳴海チームの完勝やな…)

 ホステスは店を辞める場合、たいてい1か月前には退店表示しないと辞めさせてもらえない。それが12月の繁忙期なら尚更で、つまり、すでに何らかのアクションを起こしていない限り、実力あるホステスの年内の入店は見込めないのだ。

 涼平はため息をついたが、そもそも入店間もない自分が張り合うこと自体無謀なことなのだと思い直し、今日も忙しくなった店内を駆け回るのだった。



 その日の営業終了後、涼平は急いで閉店作業を終えて店を出ると、御堂筋を渡ったところにあるお初天神はつてんじん通りを目指した。萌未めぐみがそこを指定してきたのだ。

 萌未は涼平より少し遅れて到着すると、ごめんね、と微笑んだ。 

「なっちゃんとシャレードにいたのよ。あそこで一緒に飲んでもよかったんやけど、他店の黒服さんと一緒にいるのを誰かに見られると、何かとうるさいからね」

 彼女はそう言ってから、今日は寒いね、と手に息を吹きかけ、

「何かあったかいもんが食べたいな」

 と、コートに手を入れたままの涼平の腕に手を回した。心なしか、萌未の目にはくまが出来ていた。

「なっちゃんには悪かったけど、今日は涼平と二人っきりでお酒飲みたかったの」

 通りを少し北に歩いて右に折れると朝方まで開いている居酒屋が立ち並んでいる通りに出くわし、涼平たちはそのうちの個室ちゃんこ鍋屋に入った。

 個室に入ると二人前の鍋を注文し、鍋の用意が出来るまで、ビールで乾杯した。

「また眠れないの?」

 涼平が萌未の顔色を心配して聞くと、

「眠れないことなんて、しょっちゅうよ」

 と萌未は何でもないというように返した。

「薬は?使い過ぎはよくないよ」
「うん、ときどき、ね。ほんとに、ときどき」

(毎日、俺と一緒に寝ればいいのに…)

 以前一緒に寝た時に睡眠薬代わりにいいと言ってくれたのを思い出し、そう提案しようかと思ったが、その言葉が冗談とも真剣とも取られないままに空中をさ迷う気がして、口には出せなかった。

「涼平こそ、疲れた顔してる。ちゃんと寝てないんやない?」

 言って萌未はじっと涼平の顔を覗きこむ。

「う~ん、正直今週はいろんなことあって…少し寝不足かな?」

 神崎かんざき美伽みかと、偶然にも連日中学の同級生と飲み歩いた。特にきのうの出来事は、死ぬまでの人生の中でも、十指に入るくらいの出来事だったかもしれない…
 涼平が昨日のことを思い浮かべていると、

「浮気しちゃ、嫌よ」

 と、萌未が睨んできた。まるで考えていることが見えているようだった。

(浮気も何も、俺たちって付き合ってるん?)

 目力を入れてそう訴えるも、涼平よりも萌未の目線の方が真っ直ぐすぎて、すぐに反らしてしまった。

「なあんか、涼平、1週間前より男臭くなった気がする」

 そんな追い討ちもかけられ、その目線にふと、今朝方車に乗った萌未が通り過ぎたような気がしたのを思い出し、

 今朝、神戸に車で行った?

 と聞きかけるも、

(待て待て待て待て…そんな質問したら、俺がホテルにいたことを打ち明けなあかんやん!)

 と開いた口を慌てて軌道修正し、

「ええ!?もう加齢臭出てる?」

 と出た言葉は完全に上滑りしてしまう。そこへちょうど出てきた鍋が助けてくれた。

 萌未は、美味しそう~、と声を上げ、テキバキと具材を入れ出す。

「やっぱり鍋には熱燗よね。涼平も飲むでしょ?」

 二人のビールは無くなりかけていたので、彼女は涼平の返事を待たずに熱燗二合とおちょこ二つを注文した。甲斐甲斐しく鍋を取り分けてくれたり、お酒を注いでくれたり、まるで世話女房のように動いてくれる萌未に、小腹を満たして人心地ついてから聞いてみる。

「今日は何か俺に話したいことがあったんやない?」
「別に。涼平とお酒が飲みたかっただけよ」

 萌未はさらっとそう言うが、涼平にはどうしても気になっていることがあった。

宮本みやもとさんと何かあったんやろうか?いや、そもそも、もう少ししたら一緒に暮らそうなんて言うってことは、もうすぐ宮本さんと別れるってことやんなあ?)

 少し酔いも回り、こんな機会はそうそうない気がして切り出そうとするが、目の前で幸せそうに鍋をつつく彼女の顔を見ていると、今はどうでもいいか、という気にもなってしまう。そんな涼平の気持ちなどお構いなしに萌未はなかなかのペースでお猪口を口に運び、徳利の酒が無くなると熱燗を追加する。そして涼平のお猪口にも注ぎ足しながら、会話は涼平のドルチェでの仕事に及ぶ。

「由奈ちゃん、元気してる?」
「うん、まだ働いて1週間やけど、いろんなことあったよ。でもあいつ、ああ見えて図太いとこあるから、今んとこは何とかやってるよ」

 涼平は背広のポケットに入れている自分の携帯に目を走らせた。由奈は帰りしな、涼平を探してキョロキョロしていたが、涼平はそれに見つからないようにずっと隠れていた。携帯も今日は完全サイレントモードにしている。

 (今頃また鬼電かかってるんやろうなあ……)

 ふと、箸を止めて自分の顔をじっと見る視線に気づく。

「え?何?」
「今、由奈ちゃんのこと思ってたでしょ。涼平、すごく緩んだ顔してた」
「え?そお?血管切れそうな顔やなくて?」

 萌未は、何よ、と言って酒を煽り、また自分で注ぐ。

「手酌なんてしないで、俺が注ぎますやんか」 

 徳利とっくりを取ろうとすると、いや、とまた、飲み干して自分で注ぐ。

「ちょ…ピッチ速いんやないですか!?」

(おとといの神崎、きのうの美伽、またもや嫌な予感が…)

 そういう嫌な予感は昔からよく当たる方である。

「なあ、同伴ってどんな風にして取るもんなん?萌未は月に何回くらいやってる?」 

 何とか気を確かにしたくて、そんな質問をするが、

「寝ちゃえばいいのよ。由奈ちゃんに、客と寝ちゃいなよって言いなさい!」

 と、すでに怪しい口調で彼女はそんなことを言う。

「いやいや、それは言いたくないです。萌未やって、そんなんで同伴取ってるわけやないやろ?」
「え?あたし?あたしはさあ~寝まくってるわよ。悪い?ねえ、悪いの?」

 言いながら萌未は、涼平の隣まで立ってきて肩を組んだ。完全に絡まれ態勢だ。

「あたしはさあ、パンコなのよ。涼平、そんなやつ、嫌い?ねえ、パンコなんて、嫌い?」

 そう言って押し付けられる頬が、熱かった。
 パンコとはヤリマンなどと同義の、性的にふしだらな女性に向けた関西特有のスラングである。

「そんなこと言うなよ。萌未はパンコなんかやないよ」

(たくさんの男を手玉に取ってるらしい)

 萌未の言葉を否定しながら、そんな神崎の言葉が頭を過った。初めて言葉を交わした日、大人びて見えた萌未が、最近は少し子どもっぽく思える。そんな彼女にたくさんの男を手玉に取るなんて、出来るわけない、涼平は首を振って頭に浮かんだ神崎の言葉を打ち消した。

「今、何考えてたの?あたしなんかより、涼平は由奈ちゃんや、初恋の彼女の方がいいんじゃない?ね、そうでしょ?」 

 だが萌未にはその仕草が違う方向に伝わったようで、肩に回っている彼女の手に力が籠もる。

「それ、本気で言ってる?萌未は俺にそんなこと言えるの?」

 涼平は彼女の腕が喉を締め付けて息苦しくなるのを耐えながら、そう低い声で言った。

「ごめんなさい…」

 急に我に返ったように、萌未は肩に回していた手を外す。そして、

「ちょっと酔い過ぎたみたい。外の空気吸いたいな」

 と、力なく言った。




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