【完結】北新地物語─まるで異世界のような不夜街で彼女が死んだわけ─

大杉巨樹

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第2部 萌未の手記

狡猾なやり口

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 白くて細長いロッカーが並ぶ更衣室には真ん中にオンボロのソファと木製の低いテーブルが置かれていて、薄汚れたクロスで覆われた壁にはホステスの成績表や諸々の注意事項を書いた紙が貼られている。

 改めて同伴順位を見ると香里奈が22回で先月の11月度のトップになっていた。

 会社訪問中、なっちゃんとこんな会話をした。

香里奈かりなって、月の出勤日が20日だから毎日同伴してるってこと?」
「あなた、そんなことも知らずに勝負を挑んだの?うちの店はね、店前同伴が一日一回認められてるからダブルまで同伴をいれられるの。店前同伴は分かる?」

 あたしが首を振ると、なっちゃんは大きなため息をついた。

「店前同伴っていうのはね、実際にお客さんとご飯に行かなくても、お客さんが8時半に店に入ってくれて、それを予約と同じように店に申告してれば同伴と認められるわけよ。だから、同伴20回やからって、毎日同伴してるわけやないの。分かる?」

 あたしは頷く。つまり、実際にご飯に行った人とは別のお客さんに8時半に入ってもらえば、一日に二回の同伴が付くわけだ。

「店によってはトリプル以上認めてるとこもあるけど、うちはダブルまでなの。でもね、だからって簡単にダブル同伴が出来るわけやないのよ。お客さんはホステスとご飯に行きたがるから、それも無しにそうこっちの思惑通りに8時半までに入ってくれないの」
「じゃあ20回ってすごい数字なのね」
「そうよー。しかも来週からノルマ期間に入るでしょ?もっとペース上げてくるかもねー。そうなるとちょっと小計100くらいの私にはキツいわねぇ…」

 そこを何とか勝たして下さい、と拝んでみるが、やめなさい、となっちゃんはその手を払い除けた。



 だけど会社訪問が終わった今、あとは頑張って営業電話すれば何とかイベント期間中くらいは毎日ダブル同伴を入れられるのではという希望が湧いてきていた。


 のだったが……


 三日間の会社訪問が終わり、来週からいよいよイベントだという金曜日、更衣室に入ってふと壁に新しく貼られたイベントに関する注意事項を書かれた紙に目を移すと、気になる項目があった。


 《今回のイベントではトリプル同伴まで認めます。》


 え……どういうこと?



 めぐみちゃん!

 突然後ろから声をかけられ、振り向くとそこにさくらがいた。

「さくらちゃん。ね、これ、どういうこと?」

 あたしは気になった部分を指差す。

「あ、これね、ミーティングの時に香里奈さんが提案してね、来週からの2週間だけトリプル同伴が認められることになったん」
「え…ホステス一人の提案でそんな簡単にルールが変えられるの?」
「あ、ええとね、始めは香里奈さんが12月のイベントくらいはトリプル同伴認めて欲しいって言ったんやけどね、その後に綺羅きらママがどこの店も12月は厳しいノルマを課すからお客さんの取り合いになる。うちもノルマを上げて集客アップをしないといけないって加勢して…そのためにはトリプル同伴を認めてやるのも必要だって、言ったの。そんで、店長が、分かりましたって…」

 筋は通っているように聞こえる。が、その真意はあたしから同伴回数を引き離すために決まってる。

 どこまでもこすい連中だ。

 これはまずいな、と思った。

 ダブルまでなら何とか張り合えるかもと思えてきたところだったけど、トリプルとなるとかなりきつい。現状、毎日トリプル同伴を入れるのはとても無理だ。

「めぐみちゃん、香里奈さんと同伴勝負して、負けたら辞めるって本当?」

 紙を見つめて黙ってしまったあたしに、さくらが心配そうに聞いた。

「え、それ、誰から聞いたの?」
「ええとね、みんな噂してるよ。さくらはね、ミーティングが終わって残ってるホステスさんたちが言ってるのを聞いたん」

 誰だ?そんなこと言いふらすのは…

 はやしマネージャーは黒田くろだ店長から聞いたと言っていたが、スタッフがわざわざホステスに広めるとは思えない。きっと香里奈方面から広がったに違いない。

 これはただの嫌がらせではない。

 そんな噂を広められたら、他の口座は誰もあたしを席に呼ぼうとしなくなる。だって、香里奈にあたしが勝つなんて誰も思わないだろうし、二週間で去っていくことが決まってるホステスなんて席に呼んでも他の店にお客さんを取られるリスクしかない。

 つまり、あたしはなっちゃんのお客さんしか当てにできなくなったのだ。

 これはあくまでも戦略的なことなんだ。

 どこまでも狡猾で隙のないやり口だ。


 あたしは天井を向いて、ソファにどっかりと腰を下ろした。

 肩を落とすって、こんな感じのことを言うのかな…?

「さくら、めぐみちゃんに辞めて欲しくないよ。さくらもたくさん同伴出来て、めぐみちゃんに振ってあげられたらいいんやけど…」

 入店から半年くらいというさくらはノルマの5回をこなすのにやっとな感じだ。まして、ノルマが上乗せされるイベントではきっと自分のことでいっぱいいっぱいだろう。

「ありがとね。気持ちだけで十分よ」

 そうは言ったものの、お手上げだ。

 別にあたしは綺羅ママや香里奈の退場なんて望んじゃいない。だけどもしやつらが志保姉しほねえが死んだ元凶なのだったら店を辞めるだけでは済まされないし、その後の報復のためにもこの勝負に勝って優位に立ちたい。それに、当初思っていた通りに宮本みやもとが志保姉を殺したのなら、まずはやつの口座をもぎ取らなくてはならない。

 だけど、こんなんじゃキラカリコンビに対して優位に立つどころか、ザコが勝てない喧嘩を吹っ掛けてただ退場していくだけになってしまう。

 あたしだけならまだしも、なっちゃんまで巻き添えにしてしまうことが、悲しく情けなかった。







 そうして、同伴勝負の火蓋は切って落とされた。

 第1日目、あたしは会社訪問で知り合った岡村おかむら社長と同伴した。岡村さんは外車のタイヤを輸入する会社の社長さんで、冬なのに真っ黒に日焼けし、いかにも遊び人といった感じの人だ。

 さらになっちゃんの太客の一人、稲垣いながき社長も同伴時間に来てくれて、なっちゃんはその同伴を回してくれ、あたしは何とかダブル同伴を達成することが出来た。


 稲垣いながきさんは柔道家のようながっしりしたがたいに口ひげを生やしたお客さんで、テレビ局のセットを組む会社の社長さんらしい。いつも睡眠時間の少ない中をぬって来店していて、あたしも何度か席に着かせてもらっていたが、接客途中で眠ってしまうのが恒例だった。

「大変なことになってるらしいね」

 稲垣さんは店前同伴で席に着いたあたしに物腰柔らかな口調で聞いた。

「そうなんですよー。ね、聞いて、なっちゃん。来週からトリプル同伴が認められるって」
「らしいね。私も今、売り上げノルマの紙もらって見たわよ~。クロに文句言ったらあいつ、何て言ったと思う?どうせダブルでも無理なんやから、土下座でも何でもして今のうちに許してもらえ、やって。むかつくよね~」
「ええ~!むかつく!黒田店長ってあたしたちの窓口やのにね!」

 こんな内輪のやり取りも、稲垣さんはにこにこと聞いていてくれる。なっちゃんとは古い付き合いだそうだが、あたしはよっぽどなっちゃんのことが好きなんだなあと、席に着かせてもらう度に微笑ましく見ていた。

「そんで僕にもノルマ10回らしいよ」
「あなた、今は繁忙期が終わって暇でしょ?毎日同伴の時間に来てね。あ、それと悪いけど、私はそのトリプル同伴が認められたせいで他のお客さんとご飯に行かなくちゃいけなくなったから、一人で店に入ってね。よろしくぅ!」
「これだよ」

 稲垣さんは下唇を膨らまし、こまった、というジェスチャーをした。

「わあ~稲垣さん、ありがとうございます!」
「はい、がんばります。萌未ちゃんのためならしょうがないねぇ」
「何なにぃ?私のためならダメやって言うのぉ?」

 なっちゃんは稲垣さんの広い肩に手を回し、くっつくかと思うくらい目と目を近づけた。

「近い近い!夏美のためにもがんばるから!」

 やっぱりこの二人は微笑ましいなと顔を緩ませて見ていたが、ふと、斜め前の席から視線を感じる。

 香里奈だ。

 ちょうどこちらの席に対面して座っていた香里奈が、まるでカエルを睨む蛇のように、あからさまに敵意の目を向けていた。

 肩を出すタイプの真っ赤なドレスワンピースに身を包み、現役一流私大生を売りにしているお嬢様らしい風貌は、黙って微笑んでいればそれなりに美人に見える。

 いや、整形前のあたしからすれば、これぞ高級クラブのホステスという見本なのかもしれない。でもその底意地の悪さが、あたしには俗っぽい匂いを漂わせて、品格を落としているように見えた。

 なっちゃんに目配せすると、なっちゃんも視線に気づいていたのか、唇をヘの字に曲げた。そしてうとうとし出した稲垣さんに、

「稲垣ひとしくん!」

 と叫ぶ。

「はい!」

 店の中に高校球児のような声が響いた。




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