【完結】北新地物語─まるで異世界のような不夜街で彼女が死んだわけ─

大杉巨樹

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第2部 萌未の手記

蛇の道はコブラ

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「やめてー!触らないで!!」

 あたしが大声を上げた時だった──




 バタン!

 いきなり扉が勢いよく開く。


 やっとか………

 あたしは胸を撫で下ろした。









 約一時間前…

 シャレードのトイレに入ったあたしはトラにメールを送っていた。


『ミナミのホストクラブの名前はレガシー』


 了解!という返信を確認し、あたしはトイレから出た。



 この日の同伴時、あたしはシャレードのマスターに頼み事をしていた。近々、あたしの同伴勝負相手の香里奈かりなと訪れることになるだろうから、その時もしあたしが潰れても、後の処置は香里奈に任せて、トラに予め待機しとくように頼んでおいて欲しい──と。

 まさかその日に実行されるとは思わずマスターはあたしたちの姿を見てビックリしているようだったが、あたしたちが話している隙にトラに手配はしてくれていた。

 そして香里奈からシャンパンが抜かれ、あたしはトイレから出ると酔い潰れた演技を始める。トイレの中で、マスターから香里奈があたしのシャンパングラスに薬を仕込んでいるのを見たという報告をメールで受け、マスターがあたしの飲む前にグラスを入れ替えてくれてのことだった。実はこの日の香里奈の行動をあたしはある程度予測し、マスターにあたしが席を離れたらずっと香里奈の行動を監視しておくようにと頼んでもいたのだった。

 入れられたのは何の薬だったのかは分からない。ただ、あたしには確信があった。香里奈の状況…現状ほぼ同点まで迫っている同伴勝負を今更無しになんか出来ない。今日のかんなママの席での盛り上がりを見ただけでも、綺羅ママ陣営には危機感が募っているはずだ。

 だから、近々香里奈があたしに泣きついてくることには分かっていた。そして、その際に何かを仕掛けてくることも。

 綺羅きらママは自分の気に入らないホステスや辞めて欲しいホステスがいると、初めに香里奈に懐に入り込ませ、最終的には風俗嬢に身を落とすまで追い詰める、ということを繰り返していた。あたしもきっとそのターゲットになっていることは予想に難くない。だけど、あたしの場合は期限が限られている。あたしに同伴勝負に負けてからでは遅いのだ。

 勝負が始まった当初はまさか負けるとは思わなかっただろうが、二週目も終盤になり、形勢はどんどん綺羅ママ陣営に不利になってきた。なので、事を起すとしたら、この三日のうちだと踏んでいた。近々、やつらはあたしを風俗に沈めにかかると───







「遅い!!」

 あたしは店に飛び込んできたトラを睨んだ。

「いや、すまんすまん。ちょっとスリル味あわせたろ思てな」
「スリルなんかいらんわよ!もうちょっとで襲われるとこやったやない、バカ!」

 ハルトたちはいきなり飛び込んできた金髪逆立て男の周りを取り囲む。

「何やお前⁉何勝手に入ってきとんねん!」

 それを見て、トラは拳をボキボキと鳴らす。

「おぉ?そんな大層な歓迎してくれんでも、わし、そこの姫を迎えに来ただけやから、すぐに出るがな」
「はあ⁉お前、何言うとんねん!なめとったらあかんぞ、ぐぉらあ!」

 黒服の一人がトラに殴りかかる。トラはその腕を素早く手繰り寄せ、相手を膝うちしたかと思うとすかさずその後方の黒服目掛けてパンチを繰り出し、さらに残りの一人の脇腹を蹴り上げた。

 その間数秒。

 三人の男たちは苦痛に喘ぎ、床に倒れ込んでのたうち回った。

「お、おい!お前ら…」

 ハルトがあたしから手を離し、顔面蒼白になって立ち上がる。

「兄ちゃん、悪いな。姫、連れてくで」

 トラは肩にかけた真っ黄色のジャケットのトップを右手に持ち、悠然と近づいてくるとまるでどこかの王子様のようにあたしに左手を差し出した。

「さ、姫、帰るで。立てるか?」

 か…かっこいいやない!
 こんなの、何かのVシネでしか見たことない!
 同じVシネでもこっちならあたし、借りて観ちゃう!

 と、心の中で歓声を上げながら、あたしはトラの手を掴んでソファから立ち上がった。

「ちょ、ちょっとあんた、困ります、その人を連れていってもらっちゃ。まだ飲み代払ってもらってへんのやから…」

 慌てて遮ろうとするハルトをトラは鋭い眼光で睨む。

「飲み代やと?わし、ずっと姫の後つけてきとったけど、ここで飲み食いするような時間は経ってへんはずやけどなあ?」
「くっ…」

 完全に怯んで後ずさりするハルトを一瞥いちべつし、あたしはトラのすぐ側に寄る。

「ちょ、ちょう待てや!あんた、カタギやないやろ!?ほんならここがどういうとこか分かるはずや!こっちには大きなバックがいるんやで!このまま帰ったかて、後で落とし前つけてもらうことになるでぇ!?」

 遠吠えに似たハルトの言葉に、トラはハア~っと大きなため息をついた。

「落とし前やと?わしは神崎一虎かんざきかずとらちゅうもんや。そんでこの姫はわしの大切な姫や。その姫にこないなことして、どっちが落とし前つけることになるか、よう考えてみるんやな」

 トラのドスの効いた低い声が響き、ハルトはビクッと肩を上げて青ざめた。トラの怒った顔は始めて見たけど、本当に虎が唸っているような重圧感があった。

「か、神崎…まさか、虎舞羅こぶらのヘッドの…⁉」
「お、兄ちゃん、分かるんか?まあ、そういうこっちゃ。何やったら、あんたんとこのボスによろしゅう言うといてくれてもかまへんで」

 決まった、とばかりにトラはあたしに向いてウインクする。それはいらなかった、とあたしは口を曲げた。

 そしてあたしは肩を落としているハルトに近づいた。

「ね、詩音しおんって名前のホステス、知ってる?ここに連れて来られたこと、あるわよね?」
「シオン?さあ、知らんなあ」

 まあ知っててもそう言うよね。

「トラ、この人もちょっと痛めつけられる?」
「ちょ、ちょっと待て!ホンマや、ホンマにそんなホステスは知らん。信じてくれ」
「姫、こいつ、ホンマに知らんみたいやぞ」

 この手のやつはしらを切るときと本当のことを言うときでは微妙に声のトーンが違う。こいつはしらを切っている時のトーンと違う、とトラは言った。

「そう…」

 結局、ここまで来て、何だったんだろう?

 あたしはがっくりと肩を落とした。




 そして、あたしたちはレガシーを後にした。ハルトは諦めたのか、後を追うことはなかった。

 車道へ出ると、その脇に停めてある車高の低い車にトラは鍵先を向けた。前にはベンツのエンブレム…まあそこまではいいとして…

「ええ~この車に乗るの?」

 車全体に黄色と黒のトラ模様が施されていた。

「何やねん、その不服そうな顔は。これに乗りたい女はようさんいるんやで?」

 はいはい、と、息をついて助手席に乗る。

「ね、コブラって何?」
「え?ああ、虎舞羅な。まあわしの本拠地みたいなもんや。半グレん中では結構有名やからな、あいつも名前くらいは知っとったんやろ」
「ふぅ~ん、半グレ、ね。それってどうなの?トラ、後で報復とかされへん?」

 あたしの心配をよそに、トラはワハハ、と笑う。

「レガシーいうたやろ?さっきの店。わしもちょっと調べたんやけどな、ケツ持ちは天海あまみ一家の系列やった。天海いうたらわしが懇意にしとるとこと上を辿れば系列は同じやからな、まあ大事になることはないやろ。お互いのシノギには干渉せんちゅう暗黙の了解があったとて、お前に非がない限り、ちょっかいかけてきたんは向こうさんてことになるからな」

 ヤクザ屋さんのルールはよく分からないけど、まあ心配ないってことね。

「おお、そや。あと、綺羅ママの彼氏っちゅうやつやけどな、星本ほしもとっちゅうやつで、天海の下部組織の下っ端やった。単純比較は出来んけど、まあそんなやつよりはわしの方が格上やで。もう直接お前にちょっかいかけてくることも無いやろ」
「あら?あたしのこと心配して調べてくれたの?」
「あ、あほ、ついでや、ついで」

 そこは姫のため、とか何とか言っとけばいいのに、照れ隠しみたいなこと言うなんて、柄にもない。言って背けた運転席の横顔が、やっぱりちょっと隆二りゅうじと似てるな、と思った。

「そういえばナイクラで隆二と会ったそうやないか」

 あら?
 以心伝心てやつ?

「あいつが言っとったけどな、お前から血の匂いが増してるって。お前、オモロイやっちゃけど、今回はすこ~し危なかった思うで。ま、わしはそっちの方が退屈しのぎにええけどな」

 言ってトラは獣顔をこっちに向けてガハハと笑う。



 血の匂い…

 隆二はあたしからそんなものを嗅ぎ取ってるのね。

 勝手なこと言ってくれる…

 あたしだって好きでこうなってるんやないわよ……


 あたしは黙って前を向いたまま、流れていく街灯の白い線を追っていた。




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