【完結】北新地物語─まるで異世界のような不夜街で彼女が死んだわけ─

大杉巨樹

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第2部 萌未の手記

悲しい決着

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 今、エントランスのエレベーター前で綺羅きらママと五十嵐いがらしさんが対峙している。不敵な笑みを向ける綺羅ママに対し、五十嵐さんが言い放つ。

「同伴勝負が引き分けたっていっても、相手はまだ入りたての素人ですよ?ここは負けを認めて去るべきやないですか?」
「は!よう言いはりますわ。後ろであんたらが支援してたからやないの。そんなにうちに辞めて欲しいんかしらんけど、残念でしたなあ。その気になれば勝てたけど、こっちが引き分けにしてあげましたんや。感謝して欲しいくらいですわ」

 五十嵐さんの言葉に食い下がらず、綺羅ママはふてぶてしく高笑いした。そこへ──

「いや、引き分けやないですよ」

 エントランス横のクロークから黒田くろだ店長が割って入ってきた。

萌未めぐみさんは同伴27回、対して香里奈かりなさんは同伴22回で香里奈さんの負けです」
「はあ!?あんた、何言うてんねんな。頭おかしいんとちゃうか?」
「そうよ、上の更衣室のグラフにちゃんと同伴27回ついてるやない」

 綺羅ママと香里奈が目を釣り上げる。それに対して、黒田店長は平然と言い放つ。

「上のグラフは上のグラフ、同伴勝負とはまた別です。綺羅ママはこの2週間、ずっと店に同伴で9時に入ってきてはりましたよね?店則では9時に入った同伴は半分だけしかつかないこと、知らないわけではないでしょう?ましてそれが店前同伴となると、お客様が9時に入った場合はつきません。よって厳密に言うと、香里奈さんの同伴は17回しかつかないんです。でも綺羅ママにはこれまで特別に優遇してきた経緯もありますし、今回は半分だけつけさせてもらいました」
「はあ!?あんた、今更何言うてんねんな!そんなこと、最初から言わんかいな!」

 店長の説明に食ってかかる綺羅ママの脇から、弥生やよいママが店長の前に出る。

「ちょっと待って下さい。店長、綺羅ママってずっと9時で許されてたん?」

 その質問に、店長は顔を歪めた。

「はい…弥生ママ、すみません……」
「そう…まあそれはまた後で店長に聞くとして、綺羅ママ、今は12月の一番忙しい時期ですよ?お店のこと考えたら、予め言われなくても、例えママであってもちゃんと8時半に入るべきと違います?」
「そ、そんなもん、売上1位の特権やないの。この商売、みんながみんな平等ってわけちゃいますやろ?」

 その話に、しばらく黙って見守っていた五十嵐さんが口を挟んだ。

「ちょっと聞き捨てなりませんね。黒田君、その場合、その9時に入ったお客さんは何時に帰ってるんだい?」
「はあ…だいたい入られて2時間ですから、11時になりますね」
「うーん、それは不公平極まりないね。俺なんて長居する時は切り替えまでしてるのに」

 切り替え、とは伝票を切り直すことだ。その場合、お客さんが払うセット料金は二倍になる。

「そ、それは店の内々の話です。お客さんに口を出される筋合いと違います!」

 あくまで開き直る綺羅ママの言い分に、五十嵐さんと弥生ママは顔を見合わせた。

「なあ弥生ママ、1番売上があるんかどうか知らんけど、こんな不公平が通るんやったら、俺はもう若名に来たくないなあ」
「そんな。五十嵐ちゃん、やめてよ!」

 弥生ママが青ざめるのを見て、綺羅ママはふてぶてしい笑みを浮かべる。

「まあ来る来ないは自由ちゃいますか?」

 そこへ、ホール側から近づいてきた一団から声が投げられた。

「そんなら私も来るのやめようかな?」
「きゃあ~やめてぇ~長谷部はせべさん!」

 いつの間にかクローク前に長谷部社長御一行がかんなママたちに見送られて来ていたのだ。長谷部さんの席のヘルプに着いていたのだろう、後ろから心配そうに覗いているさくらの顔も見えた。

「部外者の私らが口を出すことと違うかもしれませんがね、私も古くから若名わかなが好きで通わせてもらってる立場で一言言わせてもらいますと、綺羅ママ、あんたがやってることは店にとって大きなマイナスになってますよ」

 悲鳴を上げるかんなママを余所に、長谷部さんが言葉を続ける。綺羅ママが長谷部さんに鋭い視線を向ける。

「どういうことです?」
「だってそうでしょう?こういう高級クラブは人件費が高いから、最低でも二回転はせんと儲からんはずです。それを、普段ならいざ知らず、こんなかき入れ時まで9時から11時まで席を専有したら、その席分は人件費倒れでしょう?まして、今みたいに私や五十嵐さんのような古い客が来なくなってみなさい。その分、綺羅ママが埋め合わせ出来るんですか?」
「そ、そんなこと、うちが知りますかいな。それは店の責任ちゃいます?何でもかんでもうちに押し付けんとって下さい」

 頑強にこの場を切り抜けようとする綺羅ママの態度に、弥生ママがあからさまにため息を漏らした。

「私、五十嵐ちゃんが来てくれないんなら、この店辞めます」

 弥生ママが低いトーンで言うと、

「そやそや、私も長谷部さんが来なくなったら、こんな店辞めたる!」

 と、かんなママも同調する。

「ちょっと待って下さい!さっきも言いましたように、普段の同伴グラフと今回の同伴勝負とはカウントの仕方が違います。今回はちゃんと店則通りつけさせてもらいましたので、間違いなく萌未さんの勝ちです」

 黒田店長が顔を青ざめ、慌ててさっきと同じことをもう一度言った。

「し、知らん知らん!何やの、あんたら、よってたかって!うちはやめへんで!辞めたいやつが辞めたらええんや!」

 エレベーター側とホール側の2方向から詰め寄られ、クローク前に追い詰められた綺羅ママはとうとう耳をふさいでしまった。

「ママ、もうええやない。こんな店辞めたりましょ。また違う店行ったらええやない」

 香里奈が綺羅ママの腕に手を添えたのを、綺羅ママは思いっきり振り放す。

「うるさい!うちが今の売り上げになるまでどんだけ苦労した思てんの!違う店て簡単に言うけどな、それなりの店はそうそう口座は空いてへんねんで!」
「そんなこと言うたかて、もう負けって決まったんでしょ?しょうがないやない」
「はあ!?だいたいあんたがもっと頑張らへんからやないの!出張デリヘルかなんか知らんけど、その辺で体売ってたのを拾ってやったのに!肝心な時に役に立てへん!」

 綺羅ママが香里奈を突き飛ばす。クロークを背に右手がホール、左手がエレベーターで、そのエレベーターの前には高級酒やバカラのグラスが棚の中でライトに照らされて飾られている。

 香里奈はその棚の前に倒れ込んだ。


 ふっ


 髪を枝垂れさせ、目元が見えなくなった香里奈の口が歪んだかと思うと、おもむろに立ち上がって棚から一番大きなワイングラスを取り出し、綺羅ママの前に立って頭の上から振りかぶった。


 パリーン!


 一瞬のことだった。


 当の綺羅ママも何が起こったか分からないというように目を丸くしていたが、やがて額から鼻梁を伝って上唇までがぱっかりと割れ、鮮血がどっと吹き出した。


 きゃああああ!


 女の子たちの悲鳴が響き渡る。


 あたしはハッとして香里奈を見る。

 
 香里奈は割れて尖ったグラスの残りを血をしたたらせたまま持ち、あたしを睨んだかと思うと、こちらへ突進してきた。



「おまえがああああ!」



 グサッ



 目の前に黒い影が被る。

 あたしにもたれかかったその姿を見ると、それはさくらだった。

 さくらの胸からは香里奈の持っていたグラスの柄が突き出ていた。



 薄ピンク色のさくらのドレスがみるみる真っ赤に染まっていく。



「さくらちゃん!さくら!しっかり!さくら!」

 倒れかかったさくらを抱き締め、あたしは絶叫した。


「おい!救急車!救急車!」


 五十嵐さんが叫んでいる。


 あは、あははは、あはははは


 長谷部さんに羽交い締めにされた香里奈が笑っている。



「さくら…ま…もったよ…めぐみちゃん…まもったよ…」

「さくら!しゃべらないで!さくら!さくらぁぁ!」



 さくらの顔はみるみる蒼白になり、そして、ゆっくりと目を閉じた。




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