【完結】北新地物語─まるで異世界のような不夜街で彼女が死んだわけ─

大杉巨樹

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第2部 萌未の手記

冷酷な豚

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 藤原ふじわらとの初顔合わせは我ながらうまくいったと思う。次のアプローチをどうしようかと考える間もなく、藤原はまた店を訪れた。だがその時は宮本みやもとを連れていた。

 藤原が案内された四人がけのボックスにはメインテーブルの横に小さな補助テーブルが置かれ、そこにはすでにいくつかの酒が置いてあったが、ウエイターたちがそれらを一旦引き上げると、それぞれ仰々しい箱に入った新しい物を次々と掲げて持ってきた。

「ありがとうございます!」

 ウエイターたちはいちいちその酒を頭の前に持ち上げて礼を言うと、箱から出して再び補助テーブルに並べた。

 ドーナツ型に真ん中がくぼんだボトルの上には綺麗なガラス細工の栓がしてある、フランスの皇帝の名を冠したブランデー。

『響30年』と達筆な筆文字で書かれた、どっしりとした円柱形を美しくカットしたガラスのボトルのウイスキー。

 大理石と思われるグレーのつるつるした瓶に、同じく大理石の柄杓のついた『甕雫かめのしずく』という名の焼酎の最上級の一品。

 どれもが最高級酒と疑いのない仕様。


 すごーい!


 宮本の隣に着いたつばさという若名わかなでは人気のヘルプが、お世辞とは思えない感嘆の声を上げた。

「ありがとうございます。でも、まだ前のお酒残ってたのに、もったいない」

 前回まだかなり残っていた酒を一新させたことに怪訝な顔で問うと、

「酒はな、新しいのが美味いんや。女と一緒や。なあ、宮本」

 と藤原は脂ぎった頬を綻ばせる。

「はあ…でも社長、今日はなかなか奮発しましたね」
「アホ言え。こういうのはな、縁起もんや。あんなげんの悪い女が口座の時の酒なんか飲めるかい。さあ、どれでも好きなん飲みや」


 前回は亡くなって間もなかったから遠慮したのか……

 黒田くろだ店長はあたしの小計が上がることを喜んでいたが、あたしはそんなことで喜ぶ気にはなれなかった。

 験の悪い女……

 そして、綺羅きらママのことをそう言って切り捨てる藤原はあたしの中でただの豚から冷酷な豚へと昇格していた。




 藤原の話はだいたいが何かの自慢話で、すごいですね、とか、ホントですか、とか大げさに感嘆していれば場は形になった。だがあたしとしては何とかもっと懐深く切り込んで行きたい所なのだが、時折向けられる斜め向かいからの宮本のあたしを訝しむような視線が邪魔をしていた。

 この日藤原が来店したのは店の後半で、12時を過ぎるとアフターに行こうと誘う。何か取っ掛かりが掴めるかともちろんオッケーしたが、その日はさらなる邪魔が入ることとなった。


 あたしは宮本封じになるかと思い、席に着いていたつばさも誘っていた。四人で連れ立って向かった先はナイトクラッシュだった。

 一体新地にナイトの店がいくつあるのか知らないが、何かと言えばここに来ている気がする。藤原のような年配の客もアフターで使うのが意外だったが、よく考えればナイクラは綺羅ママの御用達でもあったのだ、別段偶然でもなかったのかもしれない。


 店に着くと、小太りキャストのマイケルが相変わらずロック調の曲がうるさく鳴り響く店内を席まで案内した。マイケルはあたしに気づくと、

「お、これは萌未めぐみさん」

 と、若干決まり悪そうにペコリと頭を下げた。マイケルはあたしが百合子ゆりこママに綺羅ママの悪行を申告した時に綺羅ママに告げ口をしたやつで、綺羅ママがいなくなると手の平を返したようにあたしにヘコヘコするのだった。


 案内された店のど真ん中の一番広いボックスには、すでに何人かのホステスが座っていて、あたしたちが来たのが分かると全員総立ちになり、

「フジケンさーん、待ってましたあ!」

 とにこやかに招き入れる。きっと若名に来る前に藤原が寄っていた店のホステスたちなのだろう、その中にこの前の同伴時にお迎えに来ていたマリアの姿を認め、席に陣取っていた彼女たちがドルチェの面々なのだと察しがついた。

 藤原は席の中心に誘導され、その横には豊満な胸を露わにしたドレスワンピースのマリアがぴったりと寄り添って座った。反対側には一際顔の大きな年配のホステスがどっかりと座り、完全に両横をブロックされる。

 宮本はコの字型のソファの一方の端に腰を下ろし、横にはまるで前もって決まっていたようにギャル風の若いホステスが寄り添った。あたしとつばさは仕方なく、もう一方の端に並んで腰掛けた。つばさが鋭い目でマリアを睨んでいたのが印象的だった。

「あーら、べっぴんさん連れて!どちらのお店の?」

 一際顔の大きなホステスが、まるで今気付いたようにあたしに向いて声をかける。大造りの顔に似合った威圧感のある声だった。

「あ、クラブ若名わかなの萌未といいます」
「あー若名の。てことは、あの?」

 顔でかホステスは藤原を見る。

「ああ、そうや。だいぶ噂になったそうやないか」

 意味ありげに交わされた会話を聞いて、綺羅ママの事件のことを言っているのだと悟った。あの日以来、新地の中を歩くとあたしに呼び掛けてくる黒服が増えた。新地はチロリン村という。きっとあること無いこと噂されてるんだろうなと思っていたが、こんな所でも……

「そうですかいな、あんたが」

 顔でかホステスはまじまじとあたしを見つめ、

「ドルチェの貴代たかよママです。よろしゅう」

 と、名刺を渡してきた。クラブ・ドルチェ…新地で一、ニを争う大箱の店だとは客から聞いて知っていたが、目の前のママだと名乗ったホステスがきっと藤原の口座なのだろう。今後何かの役に立つかもと思いあたしも名刺を交換した。


 貴代ママは次にあたしの隣りに目を走らせ、あら、と声を上げる。そして、

「つばさちゃんやないの、お久しぶり」

 と大作りの眉を上げて驚いたように言った。つばさはどうも、とペコリと頭を下げ、あたしに顔を寄せて、

「帰っていいですか?」

 と小声で聞いた。後になって知ったことだが、つばさは若名の前にドルチェで働いていたらしい。なのでこの場のホステスたちとは顔見知りなはずだったが、ずっと居心地悪そうにしているつばさに無理強いも出来ず、どうせ宮本の隣りにはドルチェのホステスが陣取っているのでこちらで気を引く必要もなく、彼女には帰ってもいいよと答えた。

 あたしの了承を得てさっさと店を後にするつばさを見送って席に戻ると、

「若名の有名人さーん、握手してくださ~い!握手~!」

 と、宮本の隣りのギャル風ホステスが手を差し伸べてきた。そしてわざわざ席を立ってきたギャル女とあたしは握手した。ギャル女はみくと名乗り、最初からかわれているのかと思ったが、ブンブンと握った手を大きく振って嬉しそうにしている顔に嫌味なものは感じ取れなかった。


 宮本はというと、若名にいる時からチロチロこちらに目線を寄せては何か言いたそうな仕草をしていたが、藤原の手前、大人しく場の雰囲気に任せていた。そんな宮本に、

「ねぇ、ミヤモー、踊ろ!」

 と、ギャル女みくが手を引っ張って店の真ん前のステージに上がらせる。カラオケで流行りのノリの良いKポップがかかり、マイケルが歌うのに合わせてみくが腰を必要以上に振って踊りまくり、宮本も、迷惑そうにしながらも何とかそれに合わせていた。

「ええぞええぞー!」

 藤原の席にはドンペリがおろされ、シャンパングラスを片手に藤原も喜んでいる。


 ふん、なーにがミヤモーよ!


 あたしはそんな藤原を遠巻きに見ながら、グイッとシャンパンを煽る。

 藤原横のおっぱい女…

 あんなに形良く盛り上がった胸を惜しげも無く出して藤原の肩にしなだれかかって…藤原も満更でもない顔でマリアの肩を抱いている。

 あたしが近づこうにも、反対側にどっかり座る貴代ママ。

 何て迫力あるんだろう…?

 うちにも雅子まさこママという貫禄のあるママがいるけど、こんなのに比べたら大人しいもんだ。

 あたしは、場の雰囲気に完全に飲まれてしまっていた。


 あたしは誰も注いでくらないシャンパングラスに注ぎ足そうとドンペリを持つ。


 アウェイだ。

 ここは、完全に、アウェイだ。


 コの字型のボックスの真ん中のテーブルを挟んでその向かいにスツールが2つ置かれていて、その一つに座っていた真っ黒なロングワンピースを着たホステスがあたしの持ったドンペリを奪って注いでくれる。

「あ、あの…」

 あたしが話しかけると、

「ハルキ」

 と言った。何だろ、名前?

「ええと…」

 彼女に顔を傾げると、

「春夏秋冬の春に、イツキの樹」

 と言葉を足す。あ、春樹ね。て、字じゃなくて…
 あたしが困惑顔でいると、さらに、

「あっちのおっぱい星人がマリア、あっちの軽そうなのが、みく」

 と教えてくれた。わーい、ありがとう。じゃなくて、ていうことは…

「あの、あなたもドルチェの?」
「そう」

 春樹と名乗ったその女をよく見ると、他の二人よりは影が薄かったが、こっちも鼻梁の通った整った顔立ちをしている。 あんまりひっそりと佇んでいるのでナイトクラッシュのキャストかと思ったが、風貌をよく見ると確かに高級クラブのホステスらしい美人さんだ。それにしても、ドルチェのホステスたちはなんて個性豊かな面々なんだろう……

 若名のホステスたちも美人が多いと思ってたけど、このドルチェの子たちみたいに群を抜いた派手さはない。香里奈かりなでさえも、あのマリアとかいうホステスと並んだら霞んでしまうかもしれない。

 あたしがぼんやりとフジケンとマリアのツーショットを眺めていると、

「あなた、死相が出てる」

 と春樹が言った。




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