【完結】北新地物語─まるで異世界のような不夜街で彼女が死んだわけ─

大杉巨樹

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第2部 萌未の手記

誕生日パーティー

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「去年は受験勉強やなんやいうてやらんかったけど、今年こそは誕生日パーティーやってもらうで」

 夏に入り、いつもの居酒屋の小さいテーブル席で生ビールを煽りながら、黒田くろだ店長は有無を言わせぬ語気で言った。

「え~めんどくさい!どうしてもやらなあかんの?」
「やらなあかん。特にお前は今や若名わかなの看板の一人なんやから、やらんと他のやつらにも示しつかんやろ」
「いつ看板にカウントされるようになったのよ。そういうのって何日くらいやるもんなの?」
「まあママクラスやったら3日から1週間てとこやけど、お前はヘルプやから1日でええわ。招待状もこっちで作るしママたちへの声掛けもこっちでやったる。お前はお客さんへの営業をするんや。ええな?」
「へいへい」

 そんなこんなで7月の第2週の金曜日にあたしの誕生日パーティーをやることになった。





 そうしてあたしの誕生日パーティーの日がやって来た。

 いつもより早めに店に行くと、ビルの下のエントランスにはバラやユリ、小ぶりなヒマワリなどの色とりどりな花々に飾られたスタンドがところ狭しと並べられていた。それぞれには「祝 誕生日」と達筆な筆字で書かれた木のプレートが刺さっている。

 若名のホステスになって1年半以上になり、ママたちや同じビルの他の店のホステスの祝い花が立ち並んでいる光景は何度も見てきたが、自分の名前が入っていると何だか気恥ずかしく、同時にあたしでも何とか形になっていることにホッとした。

 花屋から次々に運ばれてくるスタンド花の配置の指示をしている黒服に礼を言って店に上がると、エレベーター前のフロアーには白やピンクの胡蝶蘭が溢れていた。ママの誕生日を経験していたのでそういった光景も見慣れてはいたが、まさか自分にこんなにもたくさんの高価な花が届けられるなんて、ちょっと感激した。

 といってもあたしは花のことなど無頓着で、きっと店長に頼まれた弥生やよいママやかんなママ、なっちゃんがお客さんに頼んで手配してくれたのだろうと推察した。

萌未めぐみさん、おめでとうございます!今日はよろしくお願いします」

 あたしを見た黒服たちが口々にそんな言葉をかけた。はやしマネージャーがそれぞれの花をカメラに収めていた。それらのほとんどは新地の中にある花屋に店が立て替えて頼んでいて、後日お客さんが来店された時に飲み代に花代を添えて徴収するのだと教えてくれた。


 あたしも一応、エントランスの胡蝶蘭と一階のエントランスのスタンド花の写真を携帯に収めた。稲垣いながき社長、岡村おかむら社長、山本やまもと先生、牛戸うしど会長、五十嵐いがらし社長、長谷部はせべ社長、沢渡さわたりさん、といった香里奈かりなとの同伴勝負でお世話になった面々の他、その後に親しくなった社長や先生方の名前もズラッと並んでいた。シャレードのマスターやナイトクラッシュのマイケルまでも、スタンド花を送ってくれていた。

 その中で、いつくか意外な物も目についた。

 一つはドルチェのマリアがスタンド花を贈ってくれたのと、中でも一際目を引いたのはライブネット代表の前園まえぞの名義で届いた十房もある胡蝶蘭で、蝶のような淡いピンクの花弁をいくつも連ねた房を所狭しと広げていた。胡蝶蘭は1房1万円が相場だそうだが、前園は10万もの花を惜しげもなく贈ってくれたことになる。リュミエールで会った日、あたしは誕生日の日にちを言っていなかったはずだが、どこからか情報を仕入れて贈ってくれたらしい。

 あと、「シンリュウファイナンス代表 神崎かんざき隆二りゅうじ」と書かれた胡蝶蘭もあった。

 いっちょ前に…
 て、シンリュウファイナンスて何なのよ…




「誕生日の日はね、誰と食事に行くかが大事よ」

 予めなっちゃんにそう教えてもらったが、あたしは結局誰にするとも決め兼ねて、最終的にはこの日の同伴は止めにした。この日のために買った胸元が広く開き、上の紺からスカートに向かって白、そしてまた紺とグラデーションに色が変わる裾の大きく広がったパーティードレスが動きにくかったし、たった1日なので相手を決めるのも面倒くさかった。珍しくアップにした髪を崩したくなかったし。


 営業が始まると、続々と来店してくれたお客さんは一様にあたしのことを綺麗だと言って褒めてくれた。ほとんどの席でお祝いのシャンパンが開けられ、弥生ママやかんなママなんかは今まで着いたことのないような席にまであたしを紹介してシャンパンを開けさせたので、あたしは次第に酔いが回って気持ちよくなってきていた。


 隆二があの男を連れて来店したのは、パーティーも宴たけなわになってきた後半だった。隆二は派手な紫のスーツを着込んでいて、ナイトクラッシュで見た時より何だか脂ぎった感じになっていた。

「あ~らリュウちゃん、胡蝶蘭ありがとうね、いっちょまえに」

 あたしはソファの端のアームに腰掛け、隆二の金髪に染めた刈り上げの部分を撫で回した。

「おま、酔ってるんか。やめい、カシラの前で!」
「カシラ?て、何?」

 目を凝らすと隆二の向かいにはラメの入った黒いスーツを着込んだ中年の男が静かに座っていた。

「神崎君、その呼び方はちょっと。はじめまして、出来島できしまと言います」

 立ち上がって神妙に名刺を渡してきたので、あたしも姿勢を正し、萌未めぐみです、と名刺交換をした。

『出来島企画代表 出来島薫』

 名刺にはそう書かれていた。

「いやあ、萌未さんの評判はかねがね聞いてました。今日は神崎君が知り合いや言うので頼んで連れて来てもらったんです。噂に違わずお綺麗なのでびっくりしました」

 出来島は隆二とは対象的に頭髪から身なりからお固いサラリーマンといった感じで、バリトンのよく通る声が印象的だった。

「お綺麗やなんて…隆二とはどういった?」

 あたしは隆二の横に座り、崩れかかった居住まいを正した。

「神崎君が会社を立ち上げた折にその資金をうちの会社で工面したんです。まあ金主とオーナーの関係いうとこかな?さ、今日はお近づきに何でも好きなん飲んで下さい」

 初対面の人に何でもと言われても、相手の懐事情も分からないので頼みにくい。

 あたしは隆二の顔を見た。

「カシ…出来島さんがそう言ってくれてはるんやから、シャンパンでも何でも頼めばいいやろ」

 何でも、の基準が分からないから様子を伺ってるんやろ!

 頼りにならないやつ、と隆二を睨み、

「じゃあお言葉に甘えて…ベル…とか?」

 と、高過ぎず安過ぎずの無難なところを言った。出来島社長は静かに頷き、オーダーを通す。シャンパンが用意されている間に、出来島の隣にはつばさが着いた。黒服によってベルエポックの栓が抜かれ、4人で乾杯する。

「萌未さん、本当に綺麗。私、憧れてしまう」

 つばさはフジケンとのアフター以来、あたしを呼ぶ時に「ちゃん」から「さん」付けになり、席で一緒になってもやたらとあたしを褒め散らかすようになっていた。

「それはそうと、あんた、シンリュウファイナンスて何やの?」

 あたしは会話の取っ掛かりを求めて隆二に向く。

「あんた言うな、社長と呼べや。金貸しの会社や。金に困ったらいつでも融通したるで」
「ふーん。金には困ってへんけどね。出来島さんはどんなお仕事されてるんですか?」
「おま、もうちょっと俺に興味持てや」

 二人のやり取りをにこやかに見守っていた出来島社長が前屈みになる。

「私…ですか?まあいろんな会社にアドバイスする…何て言うかな、経営コンサルタントに毛が生えたようなもんです」
「そうなんですね。隆二に会社起こさせるなんて、儲かってはるんですね。すごーい」
「いや、そんなことは…」
「お前なあ、その笑顔の5パーでもええからこっちに向けられんか?」
「はあ?何で昔監禁された男に…」
「わあ~ダボっ!おま、いつまでそのネタ引っ張るねん!」
「あはは、二人は仲いいんですね」
「そんなことありません!」
「そんなんとちゃいます!」

 隆二とハモり、場は笑いに包まれる。そしてしばらく談笑していたが、隣りのちょうど空いたボックスにマリアと前園が通されてくるのが横目で見えた時、一瞬出来島の眉間に皺が寄ったのを見た。

 案の定、林マネージャーがあたしの斜め前で片膝をつき、耳打ちして前園社長の来店を告げる。それを見た出来島社長が空かさず片手を上げた。

「じゃあ僕はこれで。お会計してもらえますか?」
「え、まだ20分くらいしか経ってませんよ。またすぐ戻ってくるんでゆっくりしていって下さい」
「いや、今日はお忙しいでしょうから、また改めて。神崎君はゆっくりしておいで」
「いや、出来島さんが帰るなら俺も帰ります」

 出来島は林マネージャーにカードを手渡し、隆二が慌てて懐から財布を出して、自分もお祝いに来たのだからと頑なに半分を払おうとする。そこは出来島が折れ、チェックを済ませると二人はすんなり帰っていった。あたしはそのあまりのスマートさ加減に呆気に取られながら下まで見送った。




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