【完結】北新地物語─まるで異世界のような不夜街で彼女が死んだわけ─

大杉巨樹

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第3部 他殺か心中か

詩音というホステス

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 翔伍しょうごが初めて詩音しおんに会った時の印象は、いかにも優等生気質を持った女性だということだった。きっとクラス委員なんかも経験したことがあるだろう…それも自分からというよりは、友達から推薦されるタイプ。部活は個人活動よりはチームプレイが大切とされるジャンルで、その中でもリーダー的存在として振る舞っている…翔伍の彼女の性格分析はそんな感じだった。翔伍はそういうタイプが苦手だったが、自分の持っていない光彩を放つ彼女に初見から魅入られてもいた。


 彼女は最初、募集で面接に来たと言っていたが、容姿端麗な彼女がもし本当に募集を見て来たのだとしたら雑誌への求人掲載もバカに出来ない。求人で採用基準にいる女性が来たことなどほとんどなく、その面接時間が無駄なので翔伍はその仕事を部下に振っていた。部下には余程の美人が来店した時だけ呼ぶよう言っていたのだが、詩音が面接に現れた時には部下は興奮気味にその来店を伝えてきた。


 後に彼女に洗脳を施し、明らかになったのだが、詩音は実は芳山よしやまの差し金で若名わかなにやって来たのだった。芳山にしてみれば、綺羅きらが思うように稼働していないことに疑問を感じていたのだろう。綺羅はすでに翔伍の洗脳にかかっていたので、彼女がフジケン、引いては大力だいりきの不利になるような行動を取ることは無くなっていた。


 売り上げであれヘルプであれ、有力なホステスには全て洗脳を施して傀儡とすると決めていた翔伍は、もちろん詩音にもその触手を伸ばした。だが父の死の真相を明らかにするという決意のもとに訪れた彼女の心には強固なバリケードが張り巡らされ、なかなか翔伍が付け入る隙を与えなかった。心に強い思いがある者を意のままに動かすことは困難であると、それまでの経験から翔伍も知っていた。


 そんな詩音の抱えていた想いを知ったのは、翔伍が来店して詩音を指名してからだった。拓也たくやはそれまでにもフジケン興業の社長と共に店を訪れることはままあったが、一人でやって来ることはなく、拓也が初めて一人で来店したかと思うと新人の詩音を指名したことに目を丸くした。そして拓也と詩音が繋がっていることを知り、二人が何かしらの思惑あって共に働いていることを感じ取った。そこでまず、翔伍は拓也に接触を図り、詩音が若名を訪れた理由を聞き出したのだった。拓也はまひるが亡くなって以来心に大きな隙間を作っており、翔伍はそんな拓也の心に寄り添うふりをして拓也の信頼を得ていたのだったが、この時はそれが役に立った。拓也は翔伍が詩音に取って危険な存在であるとは疑わずに、自分たちが大塚おおつかの死の真相を追っていることを明かした。


 詩音を意のままに動かしたい翔伍に取って、詩音の拓也に寄せる信頼は大きな障壁になっていた。そこで翔伍はまず、拓也がフジケン興業に潜り込んで不当な利益を上げている事実に探りを入れているということを出来島に伝えた。出来島に取ってその情報は有益だったようで、拓也の持つ情報を横取りしてフジケン興業に揺さぶりをかれることを考え、彼は拓也に接近した。拓也にしてみれば不正を暴くことを目的とした内容が違う不正に利用されるなどもっての外だったろう。しかし、相手はヤクザで、しかも日本最大組織の中でも有力な組の若頭なのだ。特に出来島はいわゆる経済ヤクザというやつで、ただ単に恫喝などで脅すといったことはせず、相手の弱みを握り、知略をもって相手の懐に入り込むにことに長けていた。拓也に取って、詩音の存在は大きな弱みとなった。もし拓也の持つフジケンの不正の証拠を世に出すなら、詩音の命は保証しない。が、出来島に力を貸すなら、大力を貶めることには力を貸す。出来島のその巧みな話術に、拓也は乗るしか選択肢はなかった。かくして拓也と詩音とを切り離すことに成功した翔伍は、いよいよ詩音の傀儡くぐつ化に取り掛かる。その足がかりとして、詩音の負けず嫌いな性質を利用することにした。


 詩音の清廉潔白な性質は一見水商売には相容れないようで、一旦その世界に嵌まれば大きな推進力となると翔伍は見た。翔伍はミーティングと称して事あるごとに詩音を呼び出し、水商売の何たるかを解いた。真っ直ぐな性格の詩音には中途半端な餌をちらつかせるなどということはせず、真っ向から仕事の正当性を訴えることが有効に思われた。スポーツも勉学も常にトップを走ってきた詩音には、水商売の女など眼中になかっただろう。だが、若名には香里奈かりなという好敵手がいた。詩音の負けず嫌いな性格を煽り、香里奈に成績で負けていることを揶揄し、君なら一番になれると激励した。同時に、拓也との仲に水を差すことにも注力した。当時拓也は出来島の存在に心を痛め、詩音の身を案じながらも、自分が働くフジケン興業の行く末にも頭を悩ませていた。翔伍にしてみれば何と人のいいことかと呆れたが、それが拓也という人間であり、拓也らしい悩みだった。藤原が自分の娘の婿に拓也を推しているということを彼から聞くと、翔伍はフジケン興業の浄化を図りたければ相手の懐にもっと入り込むべきだと諭し、暗に藤原家の婿養子になることを奨励した。一方で詩音には、拓也の心が藤原の娘に向いていると密告する。初めはそんな言葉に耳を貸さなかった詩音も、半年くらいした頃から次第に顔つきが変わってきた。



 北新地には暗い野望を持った者が多く集う。その人々の心の澱みは江戸時代にこの地に置屋が設けられて以来蓄積し続け、数百年もの間に漆黒の根をこの地に張り巡らしている。錦鯉も墨の中を泳げばやがて黒魚となるように、詩音の心にも闇が浸透してきていた。詩音は眠れない日にと翔伍が渡した洗脳促進薬が手放せなくなり、日に日にやつれ出していた。闇に耐性の無かった詩音は、心の中にうまく闇を飼えないでいたのだ。そんな彼女が完全に闇に飲み込まれなかった要因として、同居していた妹の存在が大きかった。翔伍にしてみれば、一旦落ちる所まで落ち、そこを掬い上げて完全な傀儡となって欲しかったのだが、妹の前ではしっかりした姉でいようという想いが、詩音が完全に闇落ちすることを踏みとどまらせていた。


 そこで最後の仕上げとばかりに、翔伍は詩音の身体から汚すことを考えた。身体が汚れれば、心は後に付いてきて闇落ちし、完全に翔伍の傀儡となるだろう…そんな考えのもと、翔伍は詩音にフジケンに抱かれることを提案した。その頃には翔伍は拓也の幼馴染という立場をアピールし、共にフジケン興業の闇を暴く同志として振る舞い、詩音の本当の目的の理解者として彼女から認識されるようになっていた。そして拓也が出来島に脅され、詩音との間に壁を作ったのをいいことに、本来拓也のいるポジションにうまく滑り込んだ。さらに詩音の信頼を深めるために、綺羅の持つ闇献金の動画を彼女の前に差し出した。その頃には綺羅は完全に翔伍の洗脳にかかっていたので、動画を手に入れるのは容易かった。ただ、動画はフジケンから榎田えのきだに渡される闇献金の前で撮られたものだったのだが、万が一を考えて巧みに編集し、その動画を見ただけでは映っている金が献金と分からないようにした。そして、詩音にもその動画の効力の無さを説いた。彼女は若名にまで乗り込んできたことが無意味だったと落ち込んだ。そんな彼女に、藤原と榎田を前に身体を差し出し、それをうまく盗撮してレイプされているように見せかけるという提案をした。その動画を公表すると脅し、大塚の死の真相を語らせるという計画だったのだが、普通の神経ならそんなバカげた提案などに乗るはずもない。が、かなり精神が限界の状態にあった詩音はその案に乗った。翔伍は榎田の政治資金パーティーに詩音を潜り込ませ、予め大力の暗殺部隊の一人を仕込んでおき、うまくホテルの一室に藤原と榎田を誘導して詩音に彼らを誘惑させ、見事動画を撮影することに成功した。かくして藤原と榎田にレイプされる詩音の動画が作られたのだったが、その実、詩音が二人をベッドに誘って事に至ったという結果なのだった。


 だが藤原も榎田も既婚者であり、その二人がツルンで若い女性を手駒にする、そんな動画が出回れば、世間的には一大センセーションを巻き起こすことは予想された。その動画を視聴した者は、まさか女性の方から罠にかけて二人を誘惑したとは捉えなかっただろう。視聴者は見た動画を見たいように解釈する。悪徳政治家と哀れな女の子という構図は、まさに世間が垂涎する絵柄だ。そういう意味では、翔伍が提案したことは的外れではなかったのだ。詩音には父親を不当に失ったという憤りがあったし、冷静な判断をさせないくらい翔伍の洗脳が進んでいた。そして翔伍にしてみればそれは詩音を自分の傀儡にする仕上げだったのだが、詩音は薄皮一枚の所で完全に闇落ちする所から踏み止まった。詩音に取って妹の存在はそれほどまでに大きかったのだ。詩音は、妹を想う心を手放さなかったし、拓也を愛する心も放棄しなかった。さすがにその帰着に、翔伍は焦った。もし彼女の思惑通り、詩音が動画を公表すれば藤原と榎田の悪事も白日の元に晒されてしまう。それは出来島との協定違反であり、そうなった時の出来島の報復を危惧しなければならなくなった。




 翔伍は泣く泣く、詩音を手放すことにした。詩音に自ら命を絶ってもらうことにしたのだ。その日、翔伍は彼女が一人でいる部屋を訪れ、しこたまワインを飲ませた。正確に言うと、彼女にワイン一本を飲み干すよう暗示をかけ、部屋を離れた。ワインの中には致死量の薬を仕込んでおいた。そうして詩音は翔伍の洗脳によってワインを飲み干し、彼女はまだ若い生涯を終えたのだった──。




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