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第一章
その1
しおりを挟む蝋人形のように透き通った白い肌も、鮮血のように紅い唇も、宵闇を溶かしたようなような黒髪も、猛毒が入った小瓶のような暗緑色の瞳も。
永遠の美しさなんて欲しくない。たった一つ、俺が欲しかったのは………。
「エマ………。」
教会の祭壇の下、眠っているように美しいエマの瞳は閉じたまま開かず、可憐で好きだと言っていた薄雪草が青白くなった頬の側に、まるで弔いの手向けのように転がっていた。
『オスカーさん!』
嬉しそうに俺の名を紡いでいた唇は血の気を失い……白くカサついてしまったエマの唇をそっと指で撫でた。………命の灯火が消えた後の身体とはこんなにも軽いのか。自分の身体で包み込むように抱き寄せ、防寒マントで自分ごとくるむと、温めるように氷のように冷たくなった手を握りしめる。
「エマ……。俺を置いて行かないんじゃなかったのか………エマ……‼︎」
縋るように名を呼んでも、その唇が、目が開くことはない。白いブラウスの下の胸は脈打たず、長いブラウンのスカートから覗く足はだらんと力を失ったままだった。
………これだから、嫌なのだ。大切なものを持つのも、失ってまた独りになるのも。
生まれて初めて誰かを愛しいと感じた。真っ直ぐに俺に愛を伝えてくれるお前と。共に生きて行きたいと、そう思ったのに。
「エマ………安心しろ。一人では逝かせないから。」
精一杯穏やかな笑みを作ってエマに話しかけた。
『オスカーさんの顔は綺麗だけど皮肉っぽくてイマイチです!にっこり笑ってみてください。いいですか、口の端を引いてほら、にーっこり。』
……お前は初めて会った時から随分と失礼な奴だったな。……ほら、俺が笑ってやっているんだ。起きて上手く笑えているか確認しろ。
………エマ、どうやったら上手く笑えるのか………もう分からないんだ。もう一度、お前が手本を見せてみろ。
もう一度……だけで……いいから………。
頰を伝った自分の涙が、ぽたりと一滴落ちてエマの頰を濡らしているのに気付いた。まるでエマが泣いているかのようで………。
元よりこの世に未練などない。………エマを、まだ18の年の幼気な少女を異界の地に独り寂しく眠らせるなどさせるものか。
俺がエマと同じ天国に行けるかは分からないが、エマを失ってまで生きていたいとも思わなかった。
親友であるヴォルグや部下のティィ……あいつらには叱られるかもしれないが………、同時に理解っても貰えるだろう。
片翼を無くした鳥は羽搏くことができないのだ。
涙で濡れたエマの白い冷たい頬を拭うようにひと撫ですると、そっと唇に口付けた。まるで自分の熱を分け与えるように。そうすれば……もう一度、あの優しい薄茶色の瞳が俺を映すのではないかと祈りながら。
朝日が差し込み、天上十二竜が一柱、霜花竜を描いたステンドグラスが虹色に煌めいた。
………願わくば、もう一度……もう一度出会ったあの時に戻れるならば……。
愛らしく小さな舌が俺の求めに応じることも……もう無い。口づけを済ませると、俺は腰に下げた短剣の柄に手をかけ……。
「………エマっ‼︎」
「オスカー‼︎」
バタンと教会の大扉が開くと、身を切り裂くような冷たい風と吹雪が入り口から吹き込んできた。
お”お”お”おおぉーーーん……‼︎
吹き付ける雪混じりの風の轟音は、まるで番を失った竜の悲痛な雄叫びに聞こえる。入口に立っている男女二人の姿に、俺は目を見開いた。
亜麻色に近いグレーがかった金髪に鴨羽色の瞳の逞しい男は親友のヴォルグ……そしてその側には黒髪黒目の東洋的な容姿の女性……。
「ヴォルグ……⁉︎…どうして……!」
「エマっ!………エマ……‼︎」
見た目こそ余り似ていないが纏う雰囲気がよく似ているエマの姉、クレアは黒髪を振り乱して、脇目も振らず俺の腕の中のエマに抱きついた。彼女の防寒用のマントはぐっしょりと雪で濡れていて、猛吹雪の中を急いで竜に乗り駆け抜けてきたのだと示している。
「クレア……。」
「エマ……っ、エマ……!……エマ、起きて……‼︎ヴォルグさん、どうしよう、このままじゃエマが、エマが死んじゃう………!」
「クレア……‼︎」
涙目で振り返った妻に、ヴォルグは辛そうに口を噤んだまま首を横に振った。その姿を見たクレアの瞳から大粒の涙が溢れ始める。
そうだ、エマはもうとっくに………事切れている。
いつも楽しげな光を宿していた瞳を閉じておいてよかった。澱んだ蝋のような瞳になる前に。
薔薇のようにほの紅く染まる頰が白いままでよかった。痛々しい赤紫色の死斑が現れる前で。
「何で……だって、そんな、エマ………どうして………っ‼︎」
だらんと力なく垂れたままのエマの白い手を取ると、クレアはエマの身体に顔を埋めて泣き始めた。………かけるべき言葉が見つからない。
ただ、俺はもう………永くエマを待たせていたくはなかった。
俺の瞳に宿る昏い光に気付いたのか、ヴォルグは細君の肩を優しく抱くと……。
「一体何があったんだ……、説明してくれ、オスカー。」
「………オスカーさん……。」
濡れたクレアの瞳の輝きはエマのそれによく似ていた。堪らなくなって目を逸らしながらも、言葉を紡ぐ。………それが俺の、この世で最後の仕事だ。今一度、エマの手を取りそっと握りしめる。
エマという一人の少女が異世界より転移し、俺と出会ったのちにどのような人生を辿ったのかを。あまりに短い泡沫の夢のようなその日々を………。
………俺は、語らねばならない。
◇ ◇ ◇ ◇
「へぇ……、それじゃ貴方、ガルテンハイムから来たの?」
娼館のベッドの上、素肌の上に白いシャツを羽織る俺の背中に向かって、寝転んだまま今晩の相手……名前はすでに忘れてしまったが……彼女はそう尋ねてきた。俺は振り返ることなく、淡々と質問に応えつつ身支度を整えていく。
「あぁ、そうだ。」
「……バウシュタインの夏は寒くて驚いたんじゃない?」
娼婦のいう通りだった。仕事の都合で赴任することとなったバウシュタインというこの街は、モーントブルグ帝国の北側の寒冷地帯に位置し、一年の半分は雪で覆われていると聞く。もう7月に入ったというのに、未だ長袖でも肌寒いほどだ。
「あぁ、そうだな。半袖の必要はなさそうだ。」
「……ねぇ、もう帰っちゃうの?」
甘えるような声で背中にしなだれかかる女に、振り返ると金色の巻毛をひと撫でして軽く口付けた。
「………気が向いたらまた来る。」
気が向いたら、な。未練を滲ませた女の瞳にうんざりした気持ちを抱きながら、着替えを済ませてブーツの紐を結ぶと立ち上がった。……恐らくもうここには来ない。女の『具合』は悪くなかったが、執着されるのは御免だ。やはり軍の制服で娼館に来なくて正解だったな。
時折、要塞まで押しかけてくる面倒な女に当たることがある。そういう煩わしいことにならないように態々商売女を相手にしているというのに……。
身分を明かさず、名前すら名乗らない。俺にとって女との行為など性欲解消のいち手段に過ぎなかった。
◇ ◇ ◇ ◇
「………寒いな」
シャツの上に黒いベストを羽織ってもまだ冷える。ジャケットを着てきた方が良かったかもしれない。
町外れの娼館から、街の中央にある仮の宿舎を目指してとぼとぼと歩いた。水路の多いガルテンハイムならば己の『竜』で容易に移動できるのに。親友であるヴォルグの翼を持つ契約竜が今は羨ましい。
胸のポケットから煙草の缶とマッチ箱を取り出すと、煙草を一本口に咥えてマッチを擦った。
海に面していて潮風の吹くガルテンハイムと異なり、四方を針葉樹林に囲まれた盆地のバウシュタインには余り風が吹かない。
……きりりと涼しい澄んだ夜空に白い煙が立ち昇る。その煙をしばらく見上げて目で追うと再び宿舎に向かって歩き始めた。
細い路地を抜けると大きな通りに出た。右に曲がれば宿舎だが………、何故だか分からない。その日は少し、教会に寄り道をしてみようと思った。
それは、部下であるティィから、この街の教会にある霜花竜のステンドグラスが見事なものだと聞いていたからなのか。
そうであったとしても、日頃ならそんなものに興味も示さなかった筈だ。
しかし、その日の俺は知らず知らず歩みを進めていた。
………たったひとつ、かけがえのない『運命』に向かって。
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