わけあう、ぬくもり

鏡水たまり

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 深い眠りから意識が浮上してくる。オヤの白く大きな翼に包まれて眠ったはずなのに、柔らかな感触がないことに不満な僕は、暖かさを探すようにもぞもぞと動く。いつもなら少し位置を替えるだけですぐに触れるはずなのに、どこにもその滑らかな羽の感触がない。早朝の柔らかな薄明かりはほんの少しの時間のみで、次第に朝日が力強く輝きだす。だんだん、閉じた瞼からでもその光を感じられるほど眩しくなってきた。いつもはそんな鋭い朝日からもオヤの翼が僕を覆い、和らげてくれるはずなのに……
 眩しさに負けて目を開けると、そこは雛の時に過ごしていたオヤの巣ではなく、僕が半年前に独り立ちし、自分で営巣した巣だった。
 鳥のなかでも大型な僕たちハクワトビは、翼を広げると樹齢数十年の木と同じくらいの大きさになる。ハクワトビが一度に産む卵の数はだいたい一つ。けれど、成鳥目前の雛が、たとえ一羽だとしても、番で既に窮屈な巣に居る場所はない。だから、生まれて1年程度で雛たちは独り立ちを促される。
 木々が豊かなこの森に、ハクワトビが巣を作れるほどの広さをもった平地はそうない。僕も森の手頃な場所の木を切り倒して営巣するつもりだった。そんな時、崖の上の見晴らしのいい場所にちょうど巣を作れるほどの開けた場所を見つけた。崖のすぐ下は餌場でもある海だし、それほど遠くない場所に泉も運良く見つかった。なにより崖の方向には遮るものが何もないので、外敵を見つけるのが楽だし、飛び立つときに翼を縮こませる必要もない。
 申し分ないほどいい立地であるこの場所に、石と木で、僕の体よりふた回りくらい大きい土台を作る。その上に柔らかい草をたっぷりと敷きつめ、誰よりも真っ白で自慢の羽と、この時のためにずっと前から取っておいた目の上の黄色の飾り羽で、さらに沈み込むような質感を作る。最高に居心地がいい僕の自慢の巣。一生懸命作った僕の城だ。そんな、いつもは不満どころかお気に入りの僕の巣だけれど、なんだか今日は味気なく、何かが欠けてしまっているように感じた。
 朝の身だしなみを整えるために羽づくろいをする。ふと、気をぬくと夢でみたオヤの体温を探してしまいそうになる。けれど、そんな自分には気づかないふりをした。首をもたげると、切り立った崖からは遥か彼方まで続くフィヨルドが見渡せる。この厳しい自然の下ででしか形成されない景色を見下ろして、僕は今日も餌を探すために眼下の海に向けて崖の上から身を投げるように滑空していった。
 いつもの餌場に向かおうとしたけれど、ジクジクと心が苛まれる。僕は、この気持ちを忘れたくて、いつもとは違う行動をすることにした。
 そうだよ、僕はもう一人前のハクワトビだ。昨日までは、安全な巣の近くで小ぶりな魚を根気強く獲ることでも満足していたけれど、今日は大きくて美味しい魚が沢山いると噂のレイトレンに行ってみよう。もう、僕は立派な大人ということを確かめるためにも、そろそろこのくらいの小さなチャレンジをしてみていんじゃないかな。
 僕はグルメ好きに有名な、でも人間の近くでちょっぴり危険のあるレイトレンへ向かうため、翼をはためかせて旋回した。

 空を2時間ほど飛んでやっとレイトレンについた。辺りには、思った通りここを餌場としている先輩達が多くいた。僕より一回りや二回りも大きい大人達に分け入っていけるほど、僕にはまだ勇気がなかった。結局、少し離れた入江の水面に浮かび、そこで餌を狩ることにした。
 狩りをしてすぐに分かったが、やっぱりレイトレンは聞いていた通り、大きい魚や見たことのない魚がそこら中にいた。そして、そのどれもがとても美味しかった。いつも食べているジシはたっぷり脂が乗っていたし、初めて食べた魚はなぜか雛のときに給餌されていた味に似ていた。僕は夢中になって狩りをした。たくさん食べて満足した僕は海岸にちょうど休めそうな場所を見つけたので、そこで昼寝をし午後からの狩りに備えることにした。

 ガサゴソと草をかき分ける音で目が覚めた。近くの草陰に動物がいるみたいだ。比較的大きなその音は、相手が小動物ではなく、鹿くらいの大きさであることを僕に知らせてきた。僕はぼんやりとした目つきで、首をその方向へ向けた。草の陰から姿を現したのは、人間だった。
 驚きのあまり、僕はすっかり目が覚めてしまった。オヤから人間は群れで僕らを襲ってくるとさんざん言い聞かされていたから、すぐさま人間に気づかれないようにその場を立ち去ろうとした。翼を広げる準備をし、機会を伺うように人間を注視しする。注意深く辺りの気配を探るが、どうやら人間は一人しかいないようだった。あの人間は野良なのか? それに初めて見る人間は、とてもか弱く風に折られた枝のようだった。あの人間なら十人束になっても決して僕を捕まえられないだろう。
 人間への恐怖が薄れてくると、代わりに僕の心は好奇心に支配されてしまった。僕は思うがままに行動することにし、しばらく人間を観察することにしてみた。
 人間は四つ足で移動していた。僕はオヤに人間は二本足だと聞いていたので不思議に思った。もしかして、これは人間ではないのか? でもオヤに聞いた特徴通り、頭にだけ毛が生えていて、目が前に二つついていて、耳が頭の横に平べったくついていて、胴体にはぴらぴらした布というものを巻きつけている。
 多分人間だろう生き物は、ガサゴソと地面に這いつくばりながら、地面に生えている草を手当たり次第、口に入れていた。人間は草を食べる生き物なのか? でもオヤからは、人間はなんでも食べると聞いた。きっと、あの人間は草を食べたい気分なんだろう。
 人間を注視していると、人間のすぐ近くに毒草があった。僕が気付いたのと同時に迷いなくその毒草を掴んだ人間に、なんでも食べる人間は毒草も食べるのかと僕は関心してしまった。そのまま人間が毒草を食べるのを観察していると、突然、人間の動きが鈍くなった。不思議に思ってそのまま見ていると、なんと人間の手足が震えている。明らかに不自然なその震えは、あの毒草を食べた時の症状にそっくりだ。
 僕は急いで海に向かった。あの毒草を解毒するために必要な水草は、この餌場にたくさんあったのを覚えていたからだった。僕は急いで水の中に頭を突っ込んで、水草をちぎり人間の元に急いだ。人間は相変わらず震えていて、僕にはそれが一刻を争う状況だということが分かった。僕は人間に水草を食べさせようと、くちばしで咥えた水草を、オヤから餌を食べさせてもらっていた雛の頃を思い出し、見よう見まねで人間の口の奥の奥まで押し込めた。だけど、人間は水草を食べるどころか、口から水草を吐き出してしまった。なんだかとても臭い匂いがして、草とドロドロになった液体がたくさん口から出てきた。だけど、僕は諦めずに、再び人間に水草を食べさせた。
 あまり喉の奥に突っ込むと人間が苦しそうなのが分かったので、微妙な加減をしながら、なんとか水草を飲み込ませることができた。僕にはもう他に為す術もなく、ただただ人間を注意深く見守っていた。すると次第に、人間のふるえは収まっていった。僕は、一安心してしまい、その場に座り込み羽づくろいを始める。それは雛のときから変わらない、僕の癖だった。少し冷静になってくると、毒草の症状は治ったものの、依然としてぐったりしている人間に気が付いた。地面に横たわる人間は、とても一人では動くことさえ難しそうだった。せっかく自分が助けた人間だし、このままこの海岸に動けないまま置いておいても、他の動物たちの餌になってしまう。それに、またそこらの草を見境なしに食べて毒に当たってしまっては元も子もない。僕はこの危なっかしい野良の人間を巣に持って帰ることにした。
 くたりと力の抜けた人間には、空を飛ぶ僕に捕まる力はないだろう。時間はかかるが、海を泳いで巣に帰ることにした。それなら人間は横たわっているだけで、巣の近くまで辿り着くことができる。巣の近くならここよりも危険は少ないし、もう大人な僕は一日くらい巣の近くで外泊しても、誰に叱られることもない。なんだか僕は、ワクワクしてきた。
 海の上にぷかりと浮かび、背に人間を乗せる。他の生物を背中に乗せるのは初めてだったけれど、どうやら上手く乗せて泳ぐことができそうだ。だけど、万が一なにかあってはいけないので、落ちないように人間を二枚の翼でしっかり包みこむ。人間の温かさが僕に少しの緊張と誇らしさをもたらした。奇しくも、それはオヤが雛だった僕を守るようにして泳ぐ姿と一致していたことを、僕は知らなかった。

 太陽がまだ天高くにある頃にレイトレンを離れた僕たちだったけれど、巣の近くに着いた頃にはすっかり夕暮れになっていた。いつからか、人間は眠っていたようで、海岸から陸に上がっても人間は目を覚まさなかった。僕は海岸のわずかにある平らな場所を見つけて人間を横たえる。このまま寝かしていてもいいが、安全な場所に着いたことを知らせようと、人間を起こすことにした。何度かくちばしでつつくと、人間はようやっと目を開けた。初めて顔を覗き込んで見つめたその人間の瞳の色は、暗闇を癒す朝日のように優しい黄色だった。
 人間は起き上がろうとしていたが、まだその体力はないようで二、三度試すと力尽きたようにまた地面に横たわった。さっき毒草を食べたことで体力は格段に減っているはずだ。僕は精力のつく食べ物を探してくることにした。巣の近くの綺麗な泉から水を汲み、確かあの人間は草が好きだったなと思い出し、病み上がりに効く草を取ってくる。僕はそれらを人間の前に並べた。
 人間は僕を恐れているようで、うっかり天敵に出会った小動物のように微動だにしない。それとも、逃げる体力もなくその場から動けないのか。とにかく、ただただこちらを警戒するように見つめるだけだった。僕が何もせずに人間を見つめていると、だいぶ時間が経ってから、人間は木をくり抜き入れた泉の水を手で掬って一口飲んだ。そのあとは、しばらく水を飲んでいなかったかのように器ごと一気に飲み干していた。空になった器を舐めるようにして離さない人間を見て、僕はもう一度泉の水を汲みに行くことにした。

 僕が器に水を満たして戻ってくると、人間はちまちまと草を食べていた。僕は一先ず人間が食事をし始めたことに安心した。そうすると、僕自身も小腹が空いていたことに気づいた。人間を視界に入れて狩りをするのは少し難しく、狩りを覚えたての雛のように何度か魚に逃げられてしまった。普段より時間がかかったものの、魚を捕まえて飲み込む。それを、じっと人間が見つめているのに気づいた。その表情は、どうやら僕が捕まえた魚を羨むようだったので、僕は次に捕まえた魚を人間の目の前でくちばしから落とした。人間はしばらくぴちぴちと地面を跳ねる魚を手でつついていたが、困ったようにこっちを見るだけで食べようとはしなかった。
 どうやら、この魚は人間が食べることができないようだ。今度別の魚を持ってきてみようと思い、まだ残っている草をくちばしで指し示し、人間にもっと食べるように促した。

 そのまま、今夜は海岸沿いの平地で一夜を過ごすことにした。朝晩の冷え込みは体力のない人間には厳しいだろうと僕は人間を羽の下に匿った。人間はまるで今日の朝、夢の中で見た雛の頃の僕のように僕の羽に包まれてその柔らかさと暖かさにうっとりしているようだった。今朝、僕自身もオヤの羽が恋しかったことなんて忘れて、そうだろうそうだろうと僕は人間をすっぽり覆いかぶせるくらいの大きさの体と暖かでふわふわな羽を誇りに思った。
 でもきっとこの崖の上の巣は、敷き詰めてある羽のクッションも相待って、ここよりずっと居心地がいいはずだ。それを伝えようとしたけれど、巣で実際に寝る時に驚かせようと、人間の反応を楽しみに取って置くことにした。
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