平々凡々 2021

るい

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10月

幼少期から人間嫌いだった私は「人を好きになる努力」をしてしまったせいで腹黒い拗れた人間になったのかも。

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こんにちは。
 
いつもブログを読んでいただき、ありがとうございます。
 
 
実は最近、あまりテレビを見ていません。
それどころか、ネットニュースもあまり見ていません。
 
見るとしたら、雑誌とかですね。
 
理由は色々あるのですが、
1番の理由は、情緒が乱れるからです。
 
最近は不穏なニュースも多いですし、
メンタルが弱い私は、そういったものに触れないことを選びました。
 
ブロガーとしてはダメなことなのだと思うのですが、
それでメンタルが乱れて、不安定になって執筆ができなくなるよりはいいことだと思っています。
 
その代わり、図書館で借りてきた雑誌や書籍、
雑誌読み放題サービスを利用して「活字」で情報を得るようにしています。
 
テレビなどのニュース番組や、ネットニュースはネガティブなことが多いし、
感情移入しやすい私には、合わないのです。
 
 
昔から人の感情を無意識に読み取ってしまうので、
「八方美人」とか「外面だけはいい」などと言われていましたが、
私にとっては他者の感情に振り回されてしまうことが大きなストレスでした。
 
主人いわく「三つ子の魂百まで」のレベルで人嫌いな私は、
書籍で得た知識と、培った経験から「人間はこうあるべき」という無意識に近い気持ちから、
人の世話を焼いてしまうので、余計に疲れるのです。
 
人間嫌いが度を越しているがゆえに、
「人を好きにならなくては」と思い込んで、頑張っていたのです。
 
実際には空回っていることも多かったので、無駄な足掻きでした。
 
自分でもどうかとは思っているのですが、
今の人との関わりが皆無な生活に幸せを感じすぎているので、
「やっぱり私は直しようがない人間嫌い」なんです。
 
結局、幼少期から「人を好きにならなきゃ」と
人に合わせたり、好きになる努力をしてしまったのが良くなかったのだと思います。
 
私は「性悪説」を信じていますし「性善説」などあり得ないと思っていて、
それも「人間の醜さ」を生まれた時から実家で体験してきたからでしょう。
おそらくは、そのこともあって人間の感情を無意識に読み取るようになったのだと思います。
 
なのに「人を好きにならなきゃ」と努力してきたことは、
本当に馬鹿だったな、と思います。
 
そんな努力をしなかったら、
人を好きになることができていたのかもしれません。
 
嫌いなものを好きになる無駄な努力をしたせいで、
めっちゃ拗れた腹黒い人間になってしまったのだと思います。
 
 
るい
 
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