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アルヴァス王子の世直し放浪記
青年の手紙と処刑台の公爵令嬢
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怒号が飛び交う中で逃げる二人の男女。
物陰に隠れて外の気配を伺う。
「ウィルフレド、私が時間を稼ぎます。だから、貴方だけでもここから逃げて」
「…ソフィアやエーデル公爵を置いて行くなんて。僕にそんな事は出来ない。」
周囲で二人を探す男達の怒号が迫って来ていた。
「…ウィルフレド、お願い。この手紙を持ってグランスへ…この手紙を、ラース王陛下に届けて欲しいの。」
「なら、ソフィアも一緒に…!」
ソフィアはウィルフレドの提案に首を横に振る。
彼女の瞳には何か決意めいたものを感じる。
「私がエーデルを離れれば、皆は即座に殺されてしまうわ。この街の中で時間を稼がなきゃ…。それに、私の体力ではグランスに辿り着くのにも時間がかかってしまう…。」
男達の怒号が目前に迫る。
「…後は、頼んだよ。私の…私の大好きなウィルフレド」
「ソフィア!」
ソフィアは物陰から飛び出して、男達の方向とは逆へ駆けて行く。
ウィルフレドは遠ざかって行くソフィアの背中が見えなくなるまで、その場で見守っていた。
「…くっ…。ソフィア…ッ!待ってて、すぐに届けるから!!」
周囲の気配が無くなったのを見計らって、ウィルフレドもまた駆け出す。
残り少ない時間と、彼女の想いを胸に。
青年は決死の覚悟でグランスへの道を征く。
これは、アルヴァスがグランスへ戻った日のつい数日前。
グランス王国エーデル侯爵領で起きた出来事である。
※
グランスの王妃であり、アルヴァスの義母フローリアの命日の為、アルヴァスとクロエはグランス王城へと足を運んだ。
雲一つない蒼天にアルヴァス達の髪を優しく撫でる爽やかな微風。
まるで天国のフローリアが彼等達に微笑みかけているかの様であった。
墓前にて花と祈りを捧げ終えると、厳粛な晩餐会の次の日から、アルヴァスとクロエは旅の疲れを癒すとして、暫くの間グランス王城に滞在する事となった。
久しぶりに会ったエルテナやリューゼス、アルヴァスが挨拶も手短に行うと、少しだけぎこちない空気が流れているのをクロエは感じ取っていた。
「あの、王子…?」
「…ああ、すまぬ。…クロエは二人と初めて会うのだったな」
アルヴァスはクロエの視線に気がつくと何やら気分を紛らわすかの様に二人を紹介した。
「彼等は余の親友エルディラ国王リューゼスと…余の許嫁、エルディラの王女エルテナである。」
目の前の面々が全員王族と言う事にクロエは驚いた。
「エルディラの国王様っ!?それに王子の奥様!?し、失礼しましたっ!?」
「ふふっ、クロエさん。私とアルはまだ式を上げていませんわ」
微笑むエルテナに少し寒気を感じる苦笑いのクロエ。
「…」
明るい彼等とは対照的に、少し暗い表情のアルヴァス。
クロエはその光景が少しだけ不思議に思えた。
アルヴァスとエルテナ、見る限りは互いを嫌い合っているわけではないのに、ここまでぎこちない雰囲気なのは、一体何故なのだろう?と。
「エル…すまぬ。…余は体調がすぐれない故、少し外の風に当たってくる。エル…良ければクロエの話し相手になってやってくれ」
「ええ、喜んで。さあクロエさん、何かつまみながらお話でもしましょうか」
微笑むエルテナの提案にクロエは笑顔で頷いた。
「ならば、私もアルヴァスと共に行こう、少し話さなければならぬ事があるのでな。」
アルヴァスとリューゼスはテラスの方へと向かった。
エルテナとクロエはテラスからそれ程遠くない距離の席に着き、会話に花を咲かせながらお茶を楽しんでいる。
エルテナはクロエに、アルヴァスとの昔話を話し始めた。
紡いで来た思い出を懐かしむかの様に、空に咲いた星の花を眺めながら。
エルテナは遠い様で近い日の思い出を紡ぐ。
※
ある時、魔物の大群を討伐する為遠征に出ていたアルヴァスは、フローリア王妃の体調が優れないと言う一報を受けた。
アルヴァスはエルドール達に一時的に前線を任せると、即座にグランスの王城へと戻った。
アルヴァスが義母であるグランス王妃フローリアと会話をするのは実に久方ぶりの事であった。何気ない世間話の中でアルヴァスの瞳に映るフローリアの姿は前回会った時よりも酷くやつれた様だと彼は感じていた。
「アルヴァス…どうか、陛下とアルヴィンの事…お願いね。」
アルヴァスは寝台で寝込むフローリアの左手を、労る様に両手で優しく包み込む。
目元を青くし、辛そうであるのにもかかわらず、気丈にも微笑む義母を、アルヴァスは、強く、気高く、そして美しい人だと思った。
何故、義母がこの様な仕打ちを受けねばならないのだろうか。
まだ、若いアルヴァスはこの世の不条理に、怪訝な面持ちになっていた。
自分であれば義母に巣食う病魔など追い払ってみせると言うのに、言いようもない無力感がアルヴァスを覆う。
「…義母上、余に全てお任せください、必ずアルヴィンを立派な王にしてご覧に入れましょう。」
アルヴァスはフローリアに誓いを立てた。
フローリアはアルヴァスとは血の繋がりが無い。
ラース王の兄である父、そして母を失ったアルヴァスを引き取り、アルヴィン同様に、まるで自分の、本当の息子であるかの様に、実の母として接してくれたフローリア。
何時も優しく微笑むフローリア。その笑顔をアルヴァスは心の底から愛した。
フローリアに恩を返す。アルヴィンを立派な王にする事はアルヴァスの心の底からの決意でもあった。
「…アルヴァス、ありがとう。」
「…お礼を言うのは余の方だ義母上。貴女が居なかったら、余は今も暗い闇の中で、孤独の身であっただろう。」
アルヴァスはフローリアに微笑む。
「義母上は余に兄弟を与えて下さった。そして、母の温もり、家族の絆を与えて下さった。この恩は、余が生きる限り絶対に忘れはしない。…例え遠く離れたとしても、義父上とアルヴィンの事を見守ってやっていて欲しい。」
誰にでも分け隔てなく接し、儚く、気高く、美しく。グランスの民から愛される王妃フローリア。
フローリアの専属医からは長くはない、と、そのような報告を皆が受け、周囲が衝撃を受けるも、しかし、フローリアはその事を悲観する事なく、全てを受け入れる強さを併せ持った女性であった。
「…アルヴァス、貴方もあまり無茶をしないで、お身体に気をつけるのですよ。」
「はい、肝に銘じます。…義母上…余が義母上と…恐らく、この世で会うのは、今回が最期となるでしょう。…義母上…おさらばでございます。」
「…ふふ…さようならアルヴァス、あまりにも早く此方へ来たら、お説教ですからね。」
「…心得た。」
微笑むフローリアの顔を見て、静かに俯くアルヴァスの頬を、一筋の輝きが伝う。
彼女に思いを悟られぬ様、全ての感情を堪え押し殺す様にゆっくりと、アルヴァスは立ち上がる。
再度、心の中でフローリアに別れを告げ、彼女の寝室を後するのであった。
アルヴァスの背中を少し小さく感じたフローリアは、その顔に哀しき微笑みを湛えつつも、ただ黙って、愛する息子の背中を見送り続けた。
その後日、アルヴァスが王妃フローリアの訃報を受けたのは、魔物の大群を討伐していた戦場のど真ん中であった。
グランス王城から来た速馬の手紙を、駐留軍本陣天幕の中でエルドールがゆっくりと読み上げていく。アルヴァスは表情のひとつも変えず、目を瞑りただ黙ってエルドールの報告を聞いていた。
「…そうか、義母上が…。エルドールよ、義母上の最期はどの様であったか?」
「フローリア王妃様は、…終始穏やかに。皆に微笑んで…笑い、何気ない世間話を、していたそうです。そして、アルヴァス王子に"無事にグランスに帰って来るのですよ"と伝えて欲しいと、そう、仰っていたそうです。」
震えるエルドールの言葉、それを聞いたアルヴァスは微かに頷いた。
「…そうか…」
王子アルヴァスは力強く立ち上がる。
その身にまとわりつく様な哀しみを振り払うと、その瞳には、一点の曇りもなく、強き光が点り、闘志の炎が燃えている様に輝いていた。
「…ならば、義母上との約束を守り、必ずや期待に応えねばならぬな…!」
アルヴァスは真紅の外套を勢い良く翻す。
「エルドール、余は神器を、レガリア・グランスを使う!騎士団の皆は煙幕等で魔物達の撹乱と足止め後、全員、余の後ろに下がらせよ!…一人も巻き込ませるな!!」
「…ハッ!!…伝令ッ!直ちに全軍に通告せよッッ!!アルヴァス王子が神器を御使いになるとッ!!」
エルドールの号令に数人の騎士が力強く返事をすると、馬に乗り、角笛を吹きながら戦場を駆け抜けていく。
決戦の号令が戦場に響き渡る。
彼等が全軍に通達している間、天幕の中でアルヴァスは、身の丈程の鞘に収められた巨大な剣を、真紅の外套の上から背負っていた。
彼の背負った大剣、それは所々に施された装飾が蝋燭の火に照らされると、まるで巨大な宝石の様な煌びやかに、まるで芸術品の様に美しい輝きを放った。
「エルドール、騎士が全員下がったら合図を送れ。余が眼前の敵、全ての魔物を一撃で薙ぎ払う。」
「かしこまりました。」
そして、準備を終えたアルヴァスは天幕を出ると、騎士達に見送られながら単身最前線へと向かう。
アルヴァスが神器、レガリア・グランスを天高く掲げた。
すると、剣は音を立てて刀身を開き、中心から虹彩放つ、力強く輝く、鋭い光が一直線に伸びる。
光は雲を裂き、空を割る、それは巨大な一筋の光の刃となった。
「我がグランス王族、究極の剣技をみよッ!!」
─奥義・流星嵐薙ぎ
神器で眼前を軽く払う。
虹彩輝く剣の嵐が、アルヴァスの目の前に立つ、敵の大軍勢を一瞬にして一撃で薙ぎ払う
剣技という範疇を逸脱した、攻撃と言うのには余りにも一方的で、それは正に破壊の一撃であった。
※
アルヴァスが最前線に出た数刻後の事。
彼の振るう神器、レガリア・グランスから放たれた、大地を震わす強大な衝撃音。
地を裂き、星を揺らす、虹彩放つ煌めく剣風が、魔物の大群を一匹残らず撃ち払い、一撃で完全消滅させたのだ。
その威力は、周辺の地形が変わる程の凄まじさを誇った。
その、異様な光景を目の当たりにした、グランスの騎士達は、アルヴァス王子の伝説の一つとして、今、現在でも、この戦いを鮮明に語り継いでいる様である。
「義母上、今参ります」
魔物討伐を終えたアルヴァスは騎士団に後の処理を任せ、神器を背負ったまま、単独で魔導馬を走らせた。
風を切り、脇目も触れず、ただひたすらにグランス王城へと急いだ。
辿り着いたフローリア王妃の斎場は、白い壁に、色取り取りの花に囲まれていて、まるで天国の様にアルヴァスの目に映った。
静かに眠り、今も微笑む様な、フローリアの亡骸の元へと、魔導馬から降りたアルヴァス王子は一目散に向かって行く。
途中すれ違ったアルヴィンの肩に、アルヴァスは軽く手を乗せ、何も言わずに軽く微笑みながら頷くいた。
アルヴィンもまた、ぎこちない微笑みを軽く返し、アルヴァスにゆっくりと頷きかえした。
何も言わずに別れ、そのままフローリアの元へと向かった。
「…義母上、お待たせして、申し訳ございません。」
斎場の入り口には屈強な騎士が二人、フローリアの静かな眠りを守っている。
アルヴァスは騎士達に敬意を表し、一礼して斎場へとゆっくりと入っていった。
中心でフローリア王妃が眠るグランス王国の白い斎場には、綺麗な供花が沢山飾られていている。
どれもこれも、生前フローリア王妃が好んだ花々であった。
彼女の棺の前で静かに涙する女性が一人、エルディラ王国の姫、エルテナがフローリアに寄り添う様に涙している。
アルヴァスはゆっくりとした足取りでフローリアとエルテナの元へと足を運ぶ。
アルヴァスに気が付くと、エルテナは指先で頬の涙を拭い去った。
「…エル、其方も来ていたのか。」
「フローリア様を独りにさせられませんから…。でも、アルが来てくれましたし、これでフローリア様も寂しくないでしょう。」
エルテナは気丈にも微笑む、その優しさが今のアルヴァスには心に痛く思った。
「…何時もすまぬ…エル。」
「いいえ、良いのです。アル、私は少し席を外します、後で迎えに来ますからね。」
「…わかった。」
そのままエルテナは静かに斎場を後にした。アルヴァスは彼女の気遣いに心の底から感謝した。
アルヴァスは一人、フローリアが静かに棺に眠るその前で、腕と膝を付いて座りこんだ。
頭を垂れ、何も言わず彼は今、ただ静かに俯く。
「…ただいま帰りました、義母上。」
帰還の報告を述べると、アルヴァス脳裏にフローリアの思い出が鮮明に蘇る。思えば彼女はいつも優しく微笑んでいた。何時いかなる時も笑顔が絶えず、自信が苦しい時でさえ明るく振る舞った。それが心底強く、美しい女性であるとアルヴァスは思った。
「…さよならでございます、義母上。」
様々な思いや感情と共に、別れの言葉と共にアルヴァスの両頬を、熱く輝くモノが静かにとめどなく流れ落ちていた。
アルヴァスは首を垂れて、ただ黙って静かに俯く。気が付けば一瞬で過ぎる時間、しかし、今はただ、時が過ぎるのを忘れ、目の前で静かに眠るフローリアとの想い出を、一つ一つ噛み締めていくアルヴァスであった。
祭壇の外で二人を思い、静寂を壊す事なく、エルテナも一人で涙をこぼす。声を殺して胸の奥底から溢れ出る感情を流し続けた。
それは悲しみか、哀れみか、それともまた別の何かだろうか。其々が想いを馳せていた。
しばらくして、祭壇からエルテナの元へと現れたアルヴァスは、顔の涙そのままに同じ様にして、同じ様に涙で瞳を歪ませるエルテナ。
心静かに優しくエルテナをその胸に抱くアルヴァスであった。
※
「…そんな事が…あったのですね」
「…フローリア様の優しさと美しさ、そして強さは今でも忘れません。私もあの人の様になりたいと、今でもそう思います。」
ホッとため息を漏らしてエルテナがそう言い終えるや否や、アルヴァス達が居たテラスの方で、何やら彼等が叫んでいるのをクロエ達は耳にする。
「リューゼス!余があの者を連れて来る!今直ぐ、テラスに治療魔法を使える者や医者を寄越せ!!」
二人は鬼気迫る表情であった。
「わかった急げよアルヴァス!!」
「うむ!!」
するとアルヴァスはテラスの柵を掴み勢い良く身体を浮かせた。
王城のテラスは地上から数メートルはあったものの、彼は躊躇せず飛び降りたのだ。
いつもゆったりと余裕を見せていたリューゼスは急ぎ城内へと駆け込む。
その姿に何か大変な事が起こったとエルテナは察した。
「兄様、何があったのですか?」
「どうやら怪我人らしい。エルテナ、お前の治療魔法でアルヴァスを手伝ってやれ」
「わかりました。」
すると、直ぐにテラスに飛び込んで来たアルヴァス。
その腕には誰かを抱え込んでいる。
エルテナとクロエが彼の元へと駆け寄る。
「アル!!」
「エル!来てくれたか!!」
アルヴァスの腕には全身に怪我を負い、荒く呼吸をする満身創痍の青年。
エルテナは青年の状態を確認すると、ドレスの袖を捲る。
「…アル、その方のお怪我は私の魔法で治療します」
「頼む…!!」
クロエが見守る中、エルテナは静かに詠唱すると掌に淡く優しい光が溢れた。
暖かな光を放つ両手を青年の身体に当てる。
すると見る見るうちに身体の傷が塞がっていった。
先程まで青かった顔の血色が良くなり、呼吸が安定したのを頃合いと見て、アルヴァスが青年に静かに尋ねる。
「…余の声が聞こえるか?…教えてくれ、其方は誰だ?」
アルヴァスの声に気付いた青年は目を開けず、ゆっくりと口を開いた。掠れた声でうめき、無理矢理絞り出す様に言葉を紡ぐ。
「…僕は、僕の名はウィルフレド。…エーデルから三日間、ずっと歩き続けて、ここまで来ました…。」
ウィルフレドは震える手で懐から手紙を取り出す。
エーデル公爵家の家紋が封蝋がされた、ここまで来た旅の過程を思わせる様にくしゃくしゃになった手紙をアルヴァスへ差し出した。
「…そちらのお方を、どなたか存じませんが…。…どうか、どうかこの手紙を、グランス王…ラース陛下の元へ…。」
「…わかった。余が必ず届けよう。」
アルヴァスがそう答えると、ウィルフレドは目を瞑ったまま、安心した様に微笑んだ。
「…そして、王にお伝え下さい。ソフィアをエーデル公爵一家を、エーデルの民をお救い…下さい…と…。彼等に…もう、残された時間は…」
「…任せろ、其方の言葉、必ず伝える。」
「…感謝、します。」
ウィルフレドの瞑った目から涙が頬を伝う。
「…ああ…よかっ…た…。…ソフィ…ア…。」
そのまま、ウィルフレドは微笑みながら気絶した。
彼の言葉を耳にし、アルヴァスは真剣な面持ちで思う。
全身をボロボロにした満身創痍の彼が、ここまで来れたのは、彼が大切に想うエーデルの人々を救いたいからであると。
そして、少なくとも彼には幸運の女神が微笑みかけている。
気絶したウィルフレドは次に目を覚ますまで知る事はなかったが、目の前のその人こそがグランスの王族で、尚且つ王族一行動力のある者であった事、それは彼にとって何よりの幸運だろう。
リューゼスが数名の医者と騎士を連れてテラスへと現れると、アルヴァスはウィルフレドをそのまま医者に託した。
「この者の治療を頼む、余の勅命だ。決して死なせるな」
「お任せ下さい、アルヴァス王子のご期待に、必ずや応えて見せましょう。」
決意に満ちた確信ある瞳で、医者はアルヴァスにそう告げた。
昏睡するウィルフレドはグランス王城の医者と騎士達に運ばれていく。
怪我人が王城の広間を横切った事に来賓者達は少々ざわめいたが、それも直ぐに収まり、再び人々は晩餐会の食事と会話に花を咲かせていた。
グランスとエルディラの王族は先程のウィルフレドから渡されたエーデル公爵の手紙を確認していた。
そこにはエーデルの街に蔓延る一部の貴族による不正の数々と、エーデルの民を扇動して暴動が起きている事、領主の公爵達を処刑しようとする動きがある事、そして、危険な魔力を放つ道具が何処からか持ち込まれた事が記されていた。
「ウィルフレドがここまで来るのに出発したのが三日前ならば、恐らく猶予はないな。」
「しかし、ここからエーデルの距離、陸路では恐らく間に合わんぞ?どうするのだアルヴァスよ」
ラース王の問いに、アルヴァスは考えたものの答えはでず、そのまま悩んでいた。
「でしたら、空を征きましょう。」
「エル…其方達の手を煩わすなど…」
エルテナは首を横に振る。
「エーデルは私達にとっても縁ある地。私達がグランス領の事に直接の手出しは出来ませんが、お手伝いぐらいなら問題ないでしょう?ね?兄様」
「うむ、エーデル公爵はエルディラの地方領主ハインス殿の親族だ、ならば我々もそっぽ向いて黙っているわけにはいくまいよ。必要ならばある程度の尽力はするつもりだ。」
微笑む二人のエルディラ王族にアルヴァスは心の底から感謝した。
「すまぬ、エルよ、ならば余にその力を貸してくれ。」
「ええ、喜んで」
エルテナは柵の目の前に立ち、呼吸を整えた。
「これから何が始まるんですか?」
「まあ、見ているといい、エルの唄はそう何度も聴けるものではないからな。」
クロエの問いにアルヴァスは微笑み答えた。
エルテナは文字を紡ぎ、物語を語る様にゆっくりと口を開く。
王城のテラスに透き通った唄声が流れはじめた。
それは聴く者全ての心を洗い、生きる全ての者を愛しむ唄。
月夜の光に照らされて、夜の闇に浮かぶグランスの王城は、エルテナが唄声を空へと捧げる姿を、より美しく引き立たせる為の舞台装置となった。
(…やはり、エルの唄は…如何なる芸術品より美しく、そして、尊い。)
心穏やかにアルヴァスは目を瞑り、エルテナの美しい唄に耳を傾ける。彼は間違いなく彼女の第一のファンでありエルテナの唄う姿とその唄声を心底愛している。聴いているだけで疲れが癒え、活気が満ち溢れる様にも思えた。
程なく唄が終わり一瞬の静寂。
その数秒後。天空より風を切り、闇夜に竜鱗煌めく一匹の翼竜が降り立った。それは喉を鳴らしテラスの柵に立つエルテナの元へゆっくりと顔を寄せる。その竜の瞳は宝石の様に輝き、エルテナに送る視線は何よりも優しかった。
「メテオール、貴方の力を私とアルに貸して頂戴。」
メテオールと呼ばれた竜はエルテナに応える様に優しく軽く鳴いた。
「何時もすまぬメテオールよ。また其方の背に余を乗せてもらうぞ」
メテオールは答える様に鳴いて、頷く様に首を縦に振ると、アルヴァスに背を差し出した。
アルヴァスとエルテナが竜の背に乗ると、まだ余裕があったのを確認したクロエがメテオールに近づく。
「…それじゃあ私も…」
メテオールは威嚇する様にクロエに吠えた。
先程の優しい瞳とは打って変わって、正に伝説に謳われる気高く力強き竜そのものである。
「ひえっ!?なんでっ!?」
いきなりの出来事で驚いたクロエは豹変したメテオールに涙目になっていた。
「ごめんなさいクロエ。流星竜は自身が認めた者しかその背中に乗せてくれないの…。この子、メテオールの背中に乗れるのは私とアルだけなの。」
「クロエよ、其方は余のレガリアを持ち、グランスの精鋭騎士を率いてエーデルを目指せ。物事の細かい調整は義父上とアルヴィンがやってくれる」
アルヴァス達にそう言われた以上従う他無いもので、クロエは貴重な体験を目の前にして、竜の背に乗れなかった事を悔やみながら首を縦に振る。
「エルテナ、くれぐれも無茶はするなよ?」
「兄様、アルを少し手伝ったら帰りますからどうぞ心配なさらず」
「心配するなリューゼス。エーデルに着いたらエルにはすぐ戻ってもらう。」
心配する兄にエルテナは微笑んで答えた。
「アル、では行きましょう。振り落とされない様にしっかり掴んでて下さいね!」
「ああ、エルもメテオールもよろしく頼む」
軽く雄叫びを上げると、アルヴァスとエルテナを背に乗せたメテオールは高く飛翔する。
正しく夜の闇を切り裂く光に見えた。
既に遠く輝きながらメテオールの身体が描くその軌跡は、願い事を叶える流れ星そのものだった。
※
『殺せ!殺せ!』『これは革命だ!』『今すぐやめろ!』様々な民衆の怒号が響き渡る中、両手を拘束された令嬢が処刑人に牽引縄を引かれてゆっくりと歩く。
彼女の自身の人生の終わりを告げる、断頭台の元へと一歩一歩、自ら踏み締めていく。
民衆達は互いに殴り合いながら、騒動の中心である処刑台の周囲を輪のようにして取り囲む。彼等は何やら揉めて居る様な光景だ。
令嬢の目の前には、既に捉えられ断頭台に拘束された令嬢の父と母、そして兄、恐怖と悲しみと様々な感情が入り混じった、濁った目で令嬢の姿を見つめている。
今まで逃げていた令嬢も遂には捕まり、今この様な目に遭っている。
『殺せ!エーデル公爵一家を殺せ!』
『娘のソフィアを裸にひん剥け!!』
『ふざけるな!今すぐ公爵家を解放しろ!!』
『お前ら今すぐ目を覚ませ!!』
民は民同士で争っていた。
ふと令嬢が、乱雑に叫ぶ民の奥へと視線を向けると、三人の貴族が公爵の一家を見ていて、ニヤニヤと薄気味悪く笑っていた。
言うまでもなく、令嬢の家族達は、彼等が作り上げた冤罪により今この場に居る。
半数以上のエーデルの民を扇動し、あたかも彼等の総意の様に振る舞っている。
グランスの領、エーデルの街全てを手中に収める為だ。
彼等は不正を許さなかったエーデル公爵の一家を、今この場で処刑するのだ。
怒り叫ぶ民の中に紛れ、令嬢の名前を泣きながら叫ぶエーデル家の従者達や、今まで彼女が触れ合って来た教会孤児院の子供達、修道士の皆や他にも、エーデル家を慕いこの処刑が間違って居ると訴える者達。
彼等は革命を起こし嬉々として暴れる他の民達に抑えられて、伸ばす手が彼女達には決して、絶対に届かない。
それ程までに彼等は狂気に無力であった。
「さて、ソフィア・エーデル、何か言うことはないか」
「…何処からともなく土足でやって来て、エーデルの、グランスの事を何も知らない無知な貴方達に、今後良い時代などは決して訪れませんよ。」
「…跪け」
処刑人達は令嬢の頭を強引に、断頭台の拘束具へと強引に押し付けた。
「離しなさいこの無礼者!このぐらい、自分でやります!!」
処刑人達の手を振り払い、ソフィアは自ら拘束具へと繋がれた。
首と両手を拘束されたソフィアは、エーデルの民達の目の前で、一家纏めていよいよ最後の時を迎えるのだ。
「…最後の情けだ、少しの間だけ神に祈る時間をやろう」
「…無実である私達を今から殺すのはアナタ達、人間でしょう!!神様に誰が祈るものですか!!」
「ふん…いくら強がろうがお前達の運命は決まってる。お前達の次は従者達だその次は公爵の協力者達…暫くは処刑ショーが止まらんな!!」
「…どうやら貴方達はエーデルに来るまで、人の心を何処かに棄てて来たみたいね!!」
ソフィアは心の底から怒りの声を上げた、その姿を同じ様に拘束された両親や兄は、頬に涙を流しソフィアの姿を見ていた。
すまない、まるでその様にソフィアの目に映った。
処刑執行人達は冷ややかな目でソフィアを見下していた。
「さっさと冤罪に対する刑を執行しなさい。…だけど覚えておく事ね。私達の血で塗れたエーデルの街を手に入れたとしても、アナタ達がグランス王の手によって裁かれる事。今ここで予言してあげる。私達の主君の手で、真実は必ず証明されるわ。」
「へっ、そんな事あるものかよ」
苦し紛れの戯言に聞こえたのだろうか。
ソフィアのその姿が酷く滑稽に映ったのか、処刑人達と貴族や一部の民衆は高らかに笑っていた。
その誰も彼もがそこの貴族達の支持者なのだろう。
「…しかし、そうか、そこまで死にたいのか。ならばやはり最後まで逃げ続けたお前の首から行くか」
ソフィアは静かに目を瞑る。
従者や教会の者達や民衆から悲鳴の声が上がっていた。自分達の刑が執行された後で彼等も酷い目に遭う事を思うと、ソフィアの胸が苦しくなった。
ソフィアの目の前の視界は真っ暗な闇、永遠の様な時間が流れる。
「…じゃあな、神に見捨てられた哀れなお嬢さん。まあ、来世は幸せになれよ。」
処刑人から心にも無い言葉が投げかけられる。今思う事は、苦肉の策で逃した愛する青年の顔だった。彼は無事なのだろうか?ソフィアにとって唯、その事が気掛かりだった。
(…さよなら、ウィルフレド…。)
愛する人への別れを心に告げて、ソフィアは死への恐怖を抑え込む様に、強く強く目を瞑り、歯を食いしばる。
怖い。逃げたい。そう思うもソフィアは気丈に振る舞う。
彼女の短い人生が間も無く終わりを告げる。
誰もがそう思っていた。
─まてぇいッッ!!
するとその時である、力強く、威厳あふれる、堂々たる男の声が高々とエーデルの街へと響き渡った。刑を執行しようとした処刑人の手が止まる。
─たとえ神が其方を見捨てようとも、余が決して其方を見捨てぬッッ!!!
ソフィアもソフィアの家族も、処刑執行人もその場の民衆の誰も、先程まで笑っていた貴族達も、その場にいた全員が声の方へと視線を送る。
男性の声が響き渡った直後。
何処からともなく、無数の輝く光が天より勢い良く降り注ぐ。
力強い光は豪快な炸裂音を響かせながら、断頭台の分厚い刃を撃ち貫いた。
その光はソフィア達を傷つける事なく、断頭台の刃と枠のみを粉々に粉砕したのだった。
「なっ!?なにぃ!?」
「何処からの攻撃だっ!?いや、これは攻撃なのか!?」
処刑人達は慌てふためいた。周囲を見るも声の主は居ない。
ふと上を見上げた。真紅の外套をはためかせる何かが空を舞っている。
「悪党共に踊らされし愚か者共よ!余がお前達の目を醒させてやろう!!」
声の主は処刑場の中央へと、真紅の外套を靡かせながら、三点着地で降り立つとともに、ソフィア達を拘束していた枷を、軽々と手際良く次々に破壊していく。
そして、彼は横たわるソフィアをゆっくりと、優しく抱き上げた。
「危ないところであった。…無事、間に合ったな。そして、そなたは中々に豪胆であるな。」
「あの…貴方は…。貴方様はもしかして…」
微笑む彼の顔に、ソフィアは見覚えがあった。
しかし、彼は武器の類は一切持っておらず、一体どういった芸当で私達の枷を破壊したのだろうか…?ソフィアの頭の中で宇宙が産まれる。
「き…、貴様は何者だ!!」
屈強な体躯の処刑人が男に詰め寄った。
彼はしゃがみ、処刑人に背中を向けてソフィアを降ろすと、再びゆっくりと立ち上がる。
男の背丈は処刑人の背を頭一個分越えていた。
鍛え抜かれ、掘り込まれた彫刻の様な身体はまるで金属の鎧の様にソフィアの目に映る。
「この国に住んでいて、余の顔を知らぬとは……この愚か者がッ!!!」
男の怒号は大気を震わせ、肌をビリビリとしびれされる様な、全身に響き渡る衝撃があった。
「俺はここに住んでねぇ!!」
処刑人が答えると、アルヴァスはため息をついた。
「ならば愚かなる者どもよ!その詰まった耳をかっぽじって、よーく聴くがいいッ!!余の名はアルヴァス!!アルヴァス・ヴェルレウス・グランス!!!このグランス王国の第一王子アルヴァスとは余の事だッ!!!」
エーデル民がざわめき、ソフィア達エーデル公爵一家も驚く中で、彼女は脳裏に思い出した。
以前グランス王城へと出向いた時に見た、威風堂々たる彼の姿を、威厳に溢れ希望も自信に満ちた彼の顔を。
「なぜ…何故…。アルヴァス様がここに?」
ソフィアがアルヴァスに尋ねると、彼は微笑み静かに言う。
「…余はある若者から、捕らえられた其方達を助けて欲しいという願いと、其方達の書いた手紙を受け取った。余は其方らを助けるため。そして、この街に蔓延る悪党を退治する為に来たのだ。」
アルヴァスの差し出した見覚えのある、くしゃくしゃになった手紙をソフィアが受け取った直後、彼女は脳裏に青年の顔を思い浮かべた。頬にうっすらと涙が溢れる。
「その者の名はウィルフレド。ソフィア殿、この者の名に心当たりはあるか?」
「あ…。ああ…ウィルフレド…。彼はグランス王城に辿り着けたのですね!アルヴァス王子…彼は、ウィルフレドは無事なのでしょうか?」
アルヴァスは頷く。
「…心配するな、確かに怪我は酷かったが、今はグランスの王城にて療養中である。グランス総出で万全の治療も尽くした。じきに回復するだろう。」
「良かった…。本当に良かった…。ウィルフレド…。」
天に祈りを捧げる様に涙するソフィア。
「ソフィア殿、ウィルフレドの決死の覚悟が、余をここへと連れて来たのだ。後の事は余に任せろ。」
「…はい、アルヴァス王子…。」
アルヴァスはソフィアに微笑むと、視線を処刑人達へと移し睨み付けた。
「お前達は、何故、彼女達を処刑しようとしているのか?不正が理由であると言うのならばそれを余に証明せよ。」
「エーデル公爵一家は俺達から無駄に税を搾取し、私服を肥やした!証拠もある!!」
処刑人はアルヴァスに怒鳴った。
凄む処刑人達だがアルヴァスは微動だにしない。
「私達は、決してその様な事をしていないわ!!」
ありもしない事をアルヴァスに伝えられたソフィアは処刑人に対して怒る。
そのやり取りの一部始終を見ていたアルヴァスは、胸元から何かの書類を取り出した。
「…証拠とは…。其方が言う不正の証拠とは、まさかこれの事か?」
「そうだ、それだ!」
処刑人は勢い良く断言した。
「ほう…これが、彼女達が、エーデル公爵達が不正を行った。という証拠で間違いないのだな?」
「ああ、間違いない!!俺が彼等から見せて貰った不正の書類だ!!」
処刑人は首を大きく縦に振る。
「…この馬鹿者め。」
吐き捨てる様に呟くアルヴァス。
すると無表情のアルヴァスは、目の前の処刑人を力任せに思い切り平手で殴り飛ばした。
バチィンッ!
「ひぎゃんッ!?」
鋭く大きな音が周囲に響き渡る。
処刑人の身体は空中をぐるんぐるんと風を切りながら二回転、三回転させると、ビクビクと痙攣させて、地に崩れ落ちてそのまま気絶した。
いきなりの出来事で、その光景を見ていたソフィア達家族も民衆も驚く中、するとアルヴァスは別の処刑人に指差し、険しい顔で指名した。
「次はそこのお前だ、これを見ろ。」
処刑人は書を受け取り、首を傾げた。
アルヴァスの片眉が微かに動く。
「…書いてある文字、読めません」
処刑人は答えた。
バチィンッッ!!
「げふんっ!?」
アルヴァスは無表情で無言のまま、間髪入れず、再度平手でその処刑人も殴り飛ばす。
大きくと殴打の音を響かせて、大男は軽々と吹っ飛んでいく。
その後は、また先駆者と同じ様に地に伏して痙攣していた。
「…この愚か者どもめッ!!悪党共の良い様に操られ、挙句、革命などとは片腹痛いわッ!!恥を知れ!!恥をッ!!!」
アルヴァスが差し出した、彼等が証拠と言う書類、それを処刑人達が読めなかった事にアルヴァスは酷く激昂していた。
「お前達の中で、まともに文字を読める者。あるいは文書を理解できる者は居ないのか!!居るならば、今すぐ手を上げ余の目の前へと来い!!」
アルヴァスの声には怒気が篭る。
エーデルの民の中で銀縁の眼鏡を付けた若者が一人、恐る恐るゆっくりと手を上げた。
彼を見たアルヴァスの瞳が一瞬輝く。
「其方、名はなんと言う。」
アルヴァスは若者に名を尋ねた。驚いた事にその声に怒気はなく実に穏やかだ。
「エイドです…。」
若者は恐る恐る答えると、アルヴァスはエイドに微笑む。
「では、エイドよ。其方、余の目の前に来るが良い。ソフィア殿と共に、奴等が証拠と言う書類を大声で読むのだ。」
「は、はい、すぐに」
エイドはソフィアの隣まで来ると、アルヴァスから書類を受け取り、ゆっくりと開いた。
そこに書かれていたモノは、二人の目を疑う内容が書かれていたのです。
「…え…まさか…。まさかこれって…。」
「…なんですか…?これは…?」
ソフィアは驚きのあまり声を詰まらせると。
隣にいたエイドは不思議そうに首を傾げました。
「…あの、アルヴァス王子様…?」
「どうしたエイドよ?」
「王子様が渡してくれた書類、これ、エーデル家の先週の夕飯のレシピですよね?…パンとかスープとか僕達と食べてる食事と殆ど一緒ですよ?…この書類が一体…?証拠ってどう言う事ですか?」
「どうやら其方の目は曇っていない様だ。」
アルヴァスは先程の処刑人達への対応とは打って変わり、声を上げて豪快に笑い上げた。
エイドはより一層不思議な顔をしてアルヴァスの姿を見ていた。
「…そう、これはまるっきり出鱈目なのだ。其方達に、エーデル公爵家が不正をしたと言う証拠として示した書類だ。そこに居る貴族達がな!!」
エーデルの民達から驚きの声が上がる。
互いに嘘だ嘘だと声を上げて顔を見合わせた。彼等が見せられた不正の証拠と言うものはエーデル家の夕食レシピであった事は間違いはなかった。
エーデルの民は彼等貴族達に容易く言い包められていたのであった。
「…どう言った術で誤魔化したのかはこれから調べる事にしよう。だが、エーデル公爵家が不正を行ったと事に関しては全て出鱈目である!!」
アルヴァスは断言した。
「其方ら民を最初に扇動した者は何処に居る!其方らにエーデル一家を処刑しろと、最初に叫んだ者は何処だ!!」
アルヴァスは一直線に指を指す。
その指先に居る三人の貴族の顔は青ざめた表情だった。
「そうだ!騒ぐ民衆の後方に居るお前達だ!!…さらにお前達は、公爵家から本来は民に使う為に支援された金を、全て着服したな?明らかな不正を行ってきたのは、本当はお前達なのでは無いかッ!!」
「な!何をそんな出鱈目を!!」
「いや、お前達はそれら全てをエーデル公爵家になすり付けたのだ!」
「そんな事はない!!」
貴族は慌てるが、アルヴァスは気にせず淡々と続けた。貴族達はもはや虎に睨まれた獲物達である。
「ほう、あくまでもシラを切るのか?グランスの正統な王族である余に嘘を吐くのか?…実に良い度胸だな。」
アルヴァスが腕を組み貴族達を睨むと、彼方から「王子ー!」と叫ぶ女性の声が聞こえてきた。
メイド服を着た女性は、魔導馬に跨りその腰に蓋振りの剣を携え、背には彼女には似合わない、大きな大剣を背負っていた。
彼女はアルヴァスへと手を振りながら向かってくる。
「その声…待っていたぞ」
さらに彼女のそのすぐ後方には、数百騎の魔導馬の騎馬隊。グランス王国の国旗をはためかせる、グランス王国聖騎士団の姿があった。
騎士団は、瞬く間に民衆の周囲を取り囲んだ。
そうなると最早貴族達に逃げ場はなかった。
メイド服の女性は魔導馬から飛び降りて、野次馬や民衆をかき分けながらアルヴァスの元へと急ぐ。
「クロエよ、ようやく来たか!」
「こちらに向かう途中で、エルテナ様が私に託された証拠の品々をお持ちしました!!」
重装備ながらも勢い付けて飛び上がると、アルヴァスの目の前に綺麗に着地する。
そして、手にした書類の束をアルヴァスに手渡した。
「そうか、エルが…」
「あの短時間でこれだけの事をするなんて…本当、エルテナ様には憧れちゃいますね。」
「そうだな、自分の事ではないが、余も鼻が高い。」
何気ない惚気話をしながら、書類に一気に目を通すと、アルヴァスは貴族達に見せつける様にして貴族達の不正の証拠を天に掲げた。
「これがお前達が不正を行った裏帳簿を始め証拠の数々だ!これでもまだシラを切るか!!」
貴族達は複雑な表情で身体を震わせていた、それが果たして恐怖なのか、それとも怒りなのかは彼等のみぞ知る。
「…彼奴はグランス王子の偽物だ!そこの騎士団もただの張りぼてだ!!エーデル公爵家こそ悪だ!エーデル公爵家こそ民衆の敵だ!!」
苦し紛れに貴族達は叫んだが、エーデルの民は彼等をじっと見つめていた。
幾ら取り繕い欺こうとしたとしても、流石にエーデルの民にもアルヴァスの顔を知る者は居た。
特に商工に関わる者達の中には、グランス王子達の顔を知る者は少なくない。
最早、貴族達の嘘ではエーデルの民を騙す事は出来なかった。
「ほう、余に対し偽物とは、実に不敬だな。良いだろう、それではお前達に選ばせてやる。」
アルヴァスは指を三本立てると、ゆっくりと一本ずつ曲げていきながら貴族達に宣言する。
「一つ、グランス王城にて正当な裁判を受け絞首台へ行くか。二つ、この場にて自ら腹を切り自害するか。三つ、これから余の手であの世に行くか。さあ、今すぐ選べ!!」
アルヴァスに対して貴族達が叫んだ。
「我らが選ぶのは四つ目だ!騎士団もお前達も全員この場で殺す!!」
貴族の一人が天に何かを掲げると、黒い雲が渦巻いて空から巨大な黒い竜が現れた。
手には禍々しい輝きを放つ宝玉。見覚えのあるアルヴァスにとっては忌々しい秘宝だった。
「…あれは、エーテリック・スフィア…?…だが、その割にはさほどの力を感じぬな…。まさか…民衆を扇動する事が出来たのはこれが原因か…ッ!!」
呟くアルヴァスの目の前のそれは、鋭い鱗に身を包み、鋭く大きな角と牙をぎらつかせ、大きな翼をばさばさと羽ばたかせる。
『グァルルアアオオオォォンッッ!!』
けたたましい雄叫びが耳をつんざいた。
エーデルの民は恐怖に怯えて叫びながらグランス騎士団の隙間を縫って遠くへと逃げだす。
グランスの騎士団の誰もが一切微動だにせず、武器を一斉に黒竜へと構えた。
騎士団の誰もが黒竜を斃す、その意思を瞳に宿し闘志を燃やしていた。
「…クロエ、ソフィア殿とエーデル公爵一家を必ず守れ。」
「承知しました王子、こっちは大丈夫なんで、さっさとやっちゃってくだい」
クロエは満面の笑みでアルヴァスに答えた。
「…うむ、わかった」
「レガリアは使いますか?」
「いや、この程度、余の拳一つで十分だ」
アルヴァスが両足を開き拳を構えると、クロエは「了解しました!」とだけ言い、ソフィア達をその場から避難させた。
「ささ、ここはちょっと危ないんで後ろに退がりますよー。逸れると危ないんで、公爵様御一家は全員で固まって行動して下さいねー♪」
「は、はい」
まるで遠足でも行く様なノリでソフィア達を引率するクロエ。
「…あー…。ちょっと後味悪いんで、とりあえず気絶してる連中も連れていきましょうね」
クロエは気絶した処刑人達を軽々と持ち上げると、困惑するソフィア達を連れてその場を離れる。
「さて、待たせたな黒竜よ!!」
周りに誰も居なくなったアルヴァスの周囲には光が漂い、彼の掌へと力強き輝きが集まっていく。
「その身で我が闘技…受けてみよ!!」
アルヴァスの周囲に放たれる力強い闘気が空気の流れを変え、塵や埃を上空へと巻き上げる。
─ 闘気豪砲ッッ!!!
アルヴァスが突き出した両手から光の塊が発射された。
それは眩いくらいに輝く力強き闘気の塊。
轟音を響かせ、黒竜を一瞬で撃ち貫抜いた。
『グロロロロ…ッ!?』
貫かれた黒竜はボロボロに崩れ落ち、その場から散り散りに霧散して行く。そして、呆気なく消滅したのだった。
「ば…バカな…ッ!?」
貴族達は予期せぬアルヴァスの力に驚き慄いていた。
それはまたソフィアやその光景を見ていたエーデルの民も同じで、ただ唯一、メイドのクロエだけが、微笑みながらアルヴァスを眺めていた。
「あの様な黒蜥蜴で余を倒せると思ったか?残念だったな、余を倒そうと思うならばアレを数千…いや、数万は持ってこい!」
勝ち目のない事を悟った貴族達はその場にへたり込む。「この男…化け物だ」貴族達は口々に呟いた。
「さて、もう後はないぞ。大人しく縛につけ!!」
グランスの騎士団が貴族達を取り囲む。
「そして、余からエーデルの民に一言物申す!」
その場に残っていたエーデルの民が、アルヴァスの顔を見上げていた。
「…協議の果てに領主と意見が対立する事は致し方のない事ではある。しかし、自ら学び調べようとはせず、流されるまま再び暴動による混乱を起こすならば…余はこの拳で、諸君達をも罰する事を、グランス王族としてここに警告する。」
暴動に参加した大半の民のは顔を俯かせた。エーデル公爵家の従者や、教会の人々はアルヴァスへと、まるで感謝の祈りでも捧げている様に両手を組んでいた。
「そして、其方らを惑わす邪気に打ち勝つ強き心を持て!さすればこの街をいい様にされる事もないだろう!」
そう言い終えるとアルヴァスはグランスの騎士達に視線を向ける。
「グランス王国の精鋭達よ、半数はこの者達を捕え、グランス王城にて裁判にかけよ。罪状は国家反逆罪だ!残り半数はエーデルの街に留まり事態の収拾に力を尽くせ!」
アルヴァスの指示を受けた騎士達は『はっ!』と力強く返事をすると、一斉に動き出した。騎士団の半分は混乱した民衆達を手際良く誘導していく。
また半数は貴族達を捕らえてエーデルの街を去っていった。
「さて、ソフィア殿。其方達も家へ帰るが良い、この街もその内落ち着きを取り戻し、いつもの様に平穏、静かになるであろう。ウィルフレドは身体が治り次第騎士団に送らせよう。」
「…アルヴァス王子様…何か、何か私達もお礼を…」
ソフィアはアルヴァスに言うも、彼は優しく微笑む。
「…この件に関し特に礼など要らぬが…どうしてもと言うのなら…。」
アルヴァスはクロエの顔を見ると、クロエは頷いた。
「そうだな…暫し休憩がしたい。ソフィア殿、余とクロエに茶を一杯いただけるか?」
「はい!でしたら、私達の家に招待致しますわ!」
そうして、ソフィアはアルヴァスとクロエをエーデル公爵家の屋敷へと招き入れた。
しかし、アルヴァスもクロエもソフィアから提供された紅茶を一杯飲み終えると「馳走になった。」「とても、美味しい紅茶でした。」とだけ礼を言い。すぐにグランスへと帰って行く。
余りにも呆気ない別れ、その事をソフィアは少し寂しく思っていた。
そして、後日の事。
「ソフィア。気を付けて学んでくるのだぞ」
「いつでも帰ってきて良いですからね」
心配そうにソフィアを見送るエーデル公爵と公爵夫人。
「…グランスに行ったらおすすめの店とか手紙に書いてくれよな…気を付けてなソフィア。ウィルフレドと仲良くな!」
そして、少し寂しそうな兄。
「はい!行ってきます!」
微笑むソフィア、その隣にはすっかり身体が回復したウィルフレドの姿があった。
「ウィルフレド、ソフィアをくれぐれも頼むぞ」
「任せて下さい。僕がソフィアを護ります。」
そうして、ソフィアはウィルフレドの手を取り、二人はグランスへと向かう。
ソフィアは彼女自身の希望もあり、更にアルヴァスの計らいにより、教師になる為にグランス王国の国立学校に入学する事となる。
また、ウィルフレドは心身共に自身を鍛えるため、グランス王国の騎士団へと入団し騎士達から師事を受ける事になった。
アルヴァスはなんの気まぐれか、エーデルの街にて老若男女誰もが学べる学校を実費で建でた。
寄付者の名を取って建てられた学校はグランス国立ヴァース学園と名付けられエーデルの民から長く親しまれる事となる。
その学校では、あのエイドも教師見習いとして教鞭を取っている様である。
「王子」
「なんだ?クロエ」
「ソフィアさん、きっと良い教師になれますよね」
クロエ微笑みながらそう言う。
「…彼女の努力次第ではあるが…そうだな、彼女ならきっと良き先達者になるだろう。」
アルヴァスは目を瞑り静かに答える。
「…あ、後、ウィルフレドさんと幸せになって欲しいですね」
「ああ、そうだな。」
アルヴァスとクロエはソフィア達の今後が、希望の光に満ち溢れている事を願って旅路を征く。
グランス王国の城下町をウィルフレドと共に歩くソフィアが、清々しいまでの蒼天を見上げると、一陣の風が吹き彼女の髪を靡かせた。
その風は大地を渡り、何処かの道征くアルヴァスとクロエの肌を優しく撫でていく。
二人の進む旅路の先で良き出会いと幸運ある事を、グランス王国の城下町にて、ソフィアはウィルフレド共に祈っていた。
物陰に隠れて外の気配を伺う。
「ウィルフレド、私が時間を稼ぎます。だから、貴方だけでもここから逃げて」
「…ソフィアやエーデル公爵を置いて行くなんて。僕にそんな事は出来ない。」
周囲で二人を探す男達の怒号が迫って来ていた。
「…ウィルフレド、お願い。この手紙を持ってグランスへ…この手紙を、ラース王陛下に届けて欲しいの。」
「なら、ソフィアも一緒に…!」
ソフィアはウィルフレドの提案に首を横に振る。
彼女の瞳には何か決意めいたものを感じる。
「私がエーデルを離れれば、皆は即座に殺されてしまうわ。この街の中で時間を稼がなきゃ…。それに、私の体力ではグランスに辿り着くのにも時間がかかってしまう…。」
男達の怒号が目前に迫る。
「…後は、頼んだよ。私の…私の大好きなウィルフレド」
「ソフィア!」
ソフィアは物陰から飛び出して、男達の方向とは逆へ駆けて行く。
ウィルフレドは遠ざかって行くソフィアの背中が見えなくなるまで、その場で見守っていた。
「…くっ…。ソフィア…ッ!待ってて、すぐに届けるから!!」
周囲の気配が無くなったのを見計らって、ウィルフレドもまた駆け出す。
残り少ない時間と、彼女の想いを胸に。
青年は決死の覚悟でグランスへの道を征く。
これは、アルヴァスがグランスへ戻った日のつい数日前。
グランス王国エーデル侯爵領で起きた出来事である。
※
グランスの王妃であり、アルヴァスの義母フローリアの命日の為、アルヴァスとクロエはグランス王城へと足を運んだ。
雲一つない蒼天にアルヴァス達の髪を優しく撫でる爽やかな微風。
まるで天国のフローリアが彼等達に微笑みかけているかの様であった。
墓前にて花と祈りを捧げ終えると、厳粛な晩餐会の次の日から、アルヴァスとクロエは旅の疲れを癒すとして、暫くの間グランス王城に滞在する事となった。
久しぶりに会ったエルテナやリューゼス、アルヴァスが挨拶も手短に行うと、少しだけぎこちない空気が流れているのをクロエは感じ取っていた。
「あの、王子…?」
「…ああ、すまぬ。…クロエは二人と初めて会うのだったな」
アルヴァスはクロエの視線に気がつくと何やら気分を紛らわすかの様に二人を紹介した。
「彼等は余の親友エルディラ国王リューゼスと…余の許嫁、エルディラの王女エルテナである。」
目の前の面々が全員王族と言う事にクロエは驚いた。
「エルディラの国王様っ!?それに王子の奥様!?し、失礼しましたっ!?」
「ふふっ、クロエさん。私とアルはまだ式を上げていませんわ」
微笑むエルテナに少し寒気を感じる苦笑いのクロエ。
「…」
明るい彼等とは対照的に、少し暗い表情のアルヴァス。
クロエはその光景が少しだけ不思議に思えた。
アルヴァスとエルテナ、見る限りは互いを嫌い合っているわけではないのに、ここまでぎこちない雰囲気なのは、一体何故なのだろう?と。
「エル…すまぬ。…余は体調がすぐれない故、少し外の風に当たってくる。エル…良ければクロエの話し相手になってやってくれ」
「ええ、喜んで。さあクロエさん、何かつまみながらお話でもしましょうか」
微笑むエルテナの提案にクロエは笑顔で頷いた。
「ならば、私もアルヴァスと共に行こう、少し話さなければならぬ事があるのでな。」
アルヴァスとリューゼスはテラスの方へと向かった。
エルテナとクロエはテラスからそれ程遠くない距離の席に着き、会話に花を咲かせながらお茶を楽しんでいる。
エルテナはクロエに、アルヴァスとの昔話を話し始めた。
紡いで来た思い出を懐かしむかの様に、空に咲いた星の花を眺めながら。
エルテナは遠い様で近い日の思い出を紡ぐ。
※
ある時、魔物の大群を討伐する為遠征に出ていたアルヴァスは、フローリア王妃の体調が優れないと言う一報を受けた。
アルヴァスはエルドール達に一時的に前線を任せると、即座にグランスの王城へと戻った。
アルヴァスが義母であるグランス王妃フローリアと会話をするのは実に久方ぶりの事であった。何気ない世間話の中でアルヴァスの瞳に映るフローリアの姿は前回会った時よりも酷くやつれた様だと彼は感じていた。
「アルヴァス…どうか、陛下とアルヴィンの事…お願いね。」
アルヴァスは寝台で寝込むフローリアの左手を、労る様に両手で優しく包み込む。
目元を青くし、辛そうであるのにもかかわらず、気丈にも微笑む義母を、アルヴァスは、強く、気高く、そして美しい人だと思った。
何故、義母がこの様な仕打ちを受けねばならないのだろうか。
まだ、若いアルヴァスはこの世の不条理に、怪訝な面持ちになっていた。
自分であれば義母に巣食う病魔など追い払ってみせると言うのに、言いようもない無力感がアルヴァスを覆う。
「…義母上、余に全てお任せください、必ずアルヴィンを立派な王にしてご覧に入れましょう。」
アルヴァスはフローリアに誓いを立てた。
フローリアはアルヴァスとは血の繋がりが無い。
ラース王の兄である父、そして母を失ったアルヴァスを引き取り、アルヴィン同様に、まるで自分の、本当の息子であるかの様に、実の母として接してくれたフローリア。
何時も優しく微笑むフローリア。その笑顔をアルヴァスは心の底から愛した。
フローリアに恩を返す。アルヴィンを立派な王にする事はアルヴァスの心の底からの決意でもあった。
「…アルヴァス、ありがとう。」
「…お礼を言うのは余の方だ義母上。貴女が居なかったら、余は今も暗い闇の中で、孤独の身であっただろう。」
アルヴァスはフローリアに微笑む。
「義母上は余に兄弟を与えて下さった。そして、母の温もり、家族の絆を与えて下さった。この恩は、余が生きる限り絶対に忘れはしない。…例え遠く離れたとしても、義父上とアルヴィンの事を見守ってやっていて欲しい。」
誰にでも分け隔てなく接し、儚く、気高く、美しく。グランスの民から愛される王妃フローリア。
フローリアの専属医からは長くはない、と、そのような報告を皆が受け、周囲が衝撃を受けるも、しかし、フローリアはその事を悲観する事なく、全てを受け入れる強さを併せ持った女性であった。
「…アルヴァス、貴方もあまり無茶をしないで、お身体に気をつけるのですよ。」
「はい、肝に銘じます。…義母上…余が義母上と…恐らく、この世で会うのは、今回が最期となるでしょう。…義母上…おさらばでございます。」
「…ふふ…さようならアルヴァス、あまりにも早く此方へ来たら、お説教ですからね。」
「…心得た。」
微笑むフローリアの顔を見て、静かに俯くアルヴァスの頬を、一筋の輝きが伝う。
彼女に思いを悟られぬ様、全ての感情を堪え押し殺す様にゆっくりと、アルヴァスは立ち上がる。
再度、心の中でフローリアに別れを告げ、彼女の寝室を後するのであった。
アルヴァスの背中を少し小さく感じたフローリアは、その顔に哀しき微笑みを湛えつつも、ただ黙って、愛する息子の背中を見送り続けた。
その後日、アルヴァスが王妃フローリアの訃報を受けたのは、魔物の大群を討伐していた戦場のど真ん中であった。
グランス王城から来た速馬の手紙を、駐留軍本陣天幕の中でエルドールがゆっくりと読み上げていく。アルヴァスは表情のひとつも変えず、目を瞑りただ黙ってエルドールの報告を聞いていた。
「…そうか、義母上が…。エルドールよ、義母上の最期はどの様であったか?」
「フローリア王妃様は、…終始穏やかに。皆に微笑んで…笑い、何気ない世間話を、していたそうです。そして、アルヴァス王子に"無事にグランスに帰って来るのですよ"と伝えて欲しいと、そう、仰っていたそうです。」
震えるエルドールの言葉、それを聞いたアルヴァスは微かに頷いた。
「…そうか…」
王子アルヴァスは力強く立ち上がる。
その身にまとわりつく様な哀しみを振り払うと、その瞳には、一点の曇りもなく、強き光が点り、闘志の炎が燃えている様に輝いていた。
「…ならば、義母上との約束を守り、必ずや期待に応えねばならぬな…!」
アルヴァスは真紅の外套を勢い良く翻す。
「エルドール、余は神器を、レガリア・グランスを使う!騎士団の皆は煙幕等で魔物達の撹乱と足止め後、全員、余の後ろに下がらせよ!…一人も巻き込ませるな!!」
「…ハッ!!…伝令ッ!直ちに全軍に通告せよッッ!!アルヴァス王子が神器を御使いになるとッ!!」
エルドールの号令に数人の騎士が力強く返事をすると、馬に乗り、角笛を吹きながら戦場を駆け抜けていく。
決戦の号令が戦場に響き渡る。
彼等が全軍に通達している間、天幕の中でアルヴァスは、身の丈程の鞘に収められた巨大な剣を、真紅の外套の上から背負っていた。
彼の背負った大剣、それは所々に施された装飾が蝋燭の火に照らされると、まるで巨大な宝石の様な煌びやかに、まるで芸術品の様に美しい輝きを放った。
「エルドール、騎士が全員下がったら合図を送れ。余が眼前の敵、全ての魔物を一撃で薙ぎ払う。」
「かしこまりました。」
そして、準備を終えたアルヴァスは天幕を出ると、騎士達に見送られながら単身最前線へと向かう。
アルヴァスが神器、レガリア・グランスを天高く掲げた。
すると、剣は音を立てて刀身を開き、中心から虹彩放つ、力強く輝く、鋭い光が一直線に伸びる。
光は雲を裂き、空を割る、それは巨大な一筋の光の刃となった。
「我がグランス王族、究極の剣技をみよッ!!」
─奥義・流星嵐薙ぎ
神器で眼前を軽く払う。
虹彩輝く剣の嵐が、アルヴァスの目の前に立つ、敵の大軍勢を一瞬にして一撃で薙ぎ払う
剣技という範疇を逸脱した、攻撃と言うのには余りにも一方的で、それは正に破壊の一撃であった。
※
アルヴァスが最前線に出た数刻後の事。
彼の振るう神器、レガリア・グランスから放たれた、大地を震わす強大な衝撃音。
地を裂き、星を揺らす、虹彩放つ煌めく剣風が、魔物の大群を一匹残らず撃ち払い、一撃で完全消滅させたのだ。
その威力は、周辺の地形が変わる程の凄まじさを誇った。
その、異様な光景を目の当たりにした、グランスの騎士達は、アルヴァス王子の伝説の一つとして、今、現在でも、この戦いを鮮明に語り継いでいる様である。
「義母上、今参ります」
魔物討伐を終えたアルヴァスは騎士団に後の処理を任せ、神器を背負ったまま、単独で魔導馬を走らせた。
風を切り、脇目も触れず、ただひたすらにグランス王城へと急いだ。
辿り着いたフローリア王妃の斎場は、白い壁に、色取り取りの花に囲まれていて、まるで天国の様にアルヴァスの目に映った。
静かに眠り、今も微笑む様な、フローリアの亡骸の元へと、魔導馬から降りたアルヴァス王子は一目散に向かって行く。
途中すれ違ったアルヴィンの肩に、アルヴァスは軽く手を乗せ、何も言わずに軽く微笑みながら頷くいた。
アルヴィンもまた、ぎこちない微笑みを軽く返し、アルヴァスにゆっくりと頷きかえした。
何も言わずに別れ、そのままフローリアの元へと向かった。
「…義母上、お待たせして、申し訳ございません。」
斎場の入り口には屈強な騎士が二人、フローリアの静かな眠りを守っている。
アルヴァスは騎士達に敬意を表し、一礼して斎場へとゆっくりと入っていった。
中心でフローリア王妃が眠るグランス王国の白い斎場には、綺麗な供花が沢山飾られていている。
どれもこれも、生前フローリア王妃が好んだ花々であった。
彼女の棺の前で静かに涙する女性が一人、エルディラ王国の姫、エルテナがフローリアに寄り添う様に涙している。
アルヴァスはゆっくりとした足取りでフローリアとエルテナの元へと足を運ぶ。
アルヴァスに気が付くと、エルテナは指先で頬の涙を拭い去った。
「…エル、其方も来ていたのか。」
「フローリア様を独りにさせられませんから…。でも、アルが来てくれましたし、これでフローリア様も寂しくないでしょう。」
エルテナは気丈にも微笑む、その優しさが今のアルヴァスには心に痛く思った。
「…何時もすまぬ…エル。」
「いいえ、良いのです。アル、私は少し席を外します、後で迎えに来ますからね。」
「…わかった。」
そのままエルテナは静かに斎場を後にした。アルヴァスは彼女の気遣いに心の底から感謝した。
アルヴァスは一人、フローリアが静かに棺に眠るその前で、腕と膝を付いて座りこんだ。
頭を垂れ、何も言わず彼は今、ただ静かに俯く。
「…ただいま帰りました、義母上。」
帰還の報告を述べると、アルヴァス脳裏にフローリアの思い出が鮮明に蘇る。思えば彼女はいつも優しく微笑んでいた。何時いかなる時も笑顔が絶えず、自信が苦しい時でさえ明るく振る舞った。それが心底強く、美しい女性であるとアルヴァスは思った。
「…さよならでございます、義母上。」
様々な思いや感情と共に、別れの言葉と共にアルヴァスの両頬を、熱く輝くモノが静かにとめどなく流れ落ちていた。
アルヴァスは首を垂れて、ただ黙って静かに俯く。気が付けば一瞬で過ぎる時間、しかし、今はただ、時が過ぎるのを忘れ、目の前で静かに眠るフローリアとの想い出を、一つ一つ噛み締めていくアルヴァスであった。
祭壇の外で二人を思い、静寂を壊す事なく、エルテナも一人で涙をこぼす。声を殺して胸の奥底から溢れ出る感情を流し続けた。
それは悲しみか、哀れみか、それともまた別の何かだろうか。其々が想いを馳せていた。
しばらくして、祭壇からエルテナの元へと現れたアルヴァスは、顔の涙そのままに同じ様にして、同じ様に涙で瞳を歪ませるエルテナ。
心静かに優しくエルテナをその胸に抱くアルヴァスであった。
※
「…そんな事が…あったのですね」
「…フローリア様の優しさと美しさ、そして強さは今でも忘れません。私もあの人の様になりたいと、今でもそう思います。」
ホッとため息を漏らしてエルテナがそう言い終えるや否や、アルヴァス達が居たテラスの方で、何やら彼等が叫んでいるのをクロエ達は耳にする。
「リューゼス!余があの者を連れて来る!今直ぐ、テラスに治療魔法を使える者や医者を寄越せ!!」
二人は鬼気迫る表情であった。
「わかった急げよアルヴァス!!」
「うむ!!」
するとアルヴァスはテラスの柵を掴み勢い良く身体を浮かせた。
王城のテラスは地上から数メートルはあったものの、彼は躊躇せず飛び降りたのだ。
いつもゆったりと余裕を見せていたリューゼスは急ぎ城内へと駆け込む。
その姿に何か大変な事が起こったとエルテナは察した。
「兄様、何があったのですか?」
「どうやら怪我人らしい。エルテナ、お前の治療魔法でアルヴァスを手伝ってやれ」
「わかりました。」
すると、直ぐにテラスに飛び込んで来たアルヴァス。
その腕には誰かを抱え込んでいる。
エルテナとクロエが彼の元へと駆け寄る。
「アル!!」
「エル!来てくれたか!!」
アルヴァスの腕には全身に怪我を負い、荒く呼吸をする満身創痍の青年。
エルテナは青年の状態を確認すると、ドレスの袖を捲る。
「…アル、その方のお怪我は私の魔法で治療します」
「頼む…!!」
クロエが見守る中、エルテナは静かに詠唱すると掌に淡く優しい光が溢れた。
暖かな光を放つ両手を青年の身体に当てる。
すると見る見るうちに身体の傷が塞がっていった。
先程まで青かった顔の血色が良くなり、呼吸が安定したのを頃合いと見て、アルヴァスが青年に静かに尋ねる。
「…余の声が聞こえるか?…教えてくれ、其方は誰だ?」
アルヴァスの声に気付いた青年は目を開けず、ゆっくりと口を開いた。掠れた声でうめき、無理矢理絞り出す様に言葉を紡ぐ。
「…僕は、僕の名はウィルフレド。…エーデルから三日間、ずっと歩き続けて、ここまで来ました…。」
ウィルフレドは震える手で懐から手紙を取り出す。
エーデル公爵家の家紋が封蝋がされた、ここまで来た旅の過程を思わせる様にくしゃくしゃになった手紙をアルヴァスへ差し出した。
「…そちらのお方を、どなたか存じませんが…。…どうか、どうかこの手紙を、グランス王…ラース陛下の元へ…。」
「…わかった。余が必ず届けよう。」
アルヴァスがそう答えると、ウィルフレドは目を瞑ったまま、安心した様に微笑んだ。
「…そして、王にお伝え下さい。ソフィアをエーデル公爵一家を、エーデルの民をお救い…下さい…と…。彼等に…もう、残された時間は…」
「…任せろ、其方の言葉、必ず伝える。」
「…感謝、します。」
ウィルフレドの瞑った目から涙が頬を伝う。
「…ああ…よかっ…た…。…ソフィ…ア…。」
そのまま、ウィルフレドは微笑みながら気絶した。
彼の言葉を耳にし、アルヴァスは真剣な面持ちで思う。
全身をボロボロにした満身創痍の彼が、ここまで来れたのは、彼が大切に想うエーデルの人々を救いたいからであると。
そして、少なくとも彼には幸運の女神が微笑みかけている。
気絶したウィルフレドは次に目を覚ますまで知る事はなかったが、目の前のその人こそがグランスの王族で、尚且つ王族一行動力のある者であった事、それは彼にとって何よりの幸運だろう。
リューゼスが数名の医者と騎士を連れてテラスへと現れると、アルヴァスはウィルフレドをそのまま医者に託した。
「この者の治療を頼む、余の勅命だ。決して死なせるな」
「お任せ下さい、アルヴァス王子のご期待に、必ずや応えて見せましょう。」
決意に満ちた確信ある瞳で、医者はアルヴァスにそう告げた。
昏睡するウィルフレドはグランス王城の医者と騎士達に運ばれていく。
怪我人が王城の広間を横切った事に来賓者達は少々ざわめいたが、それも直ぐに収まり、再び人々は晩餐会の食事と会話に花を咲かせていた。
グランスとエルディラの王族は先程のウィルフレドから渡されたエーデル公爵の手紙を確認していた。
そこにはエーデルの街に蔓延る一部の貴族による不正の数々と、エーデルの民を扇動して暴動が起きている事、領主の公爵達を処刑しようとする動きがある事、そして、危険な魔力を放つ道具が何処からか持ち込まれた事が記されていた。
「ウィルフレドがここまで来るのに出発したのが三日前ならば、恐らく猶予はないな。」
「しかし、ここからエーデルの距離、陸路では恐らく間に合わんぞ?どうするのだアルヴァスよ」
ラース王の問いに、アルヴァスは考えたものの答えはでず、そのまま悩んでいた。
「でしたら、空を征きましょう。」
「エル…其方達の手を煩わすなど…」
エルテナは首を横に振る。
「エーデルは私達にとっても縁ある地。私達がグランス領の事に直接の手出しは出来ませんが、お手伝いぐらいなら問題ないでしょう?ね?兄様」
「うむ、エーデル公爵はエルディラの地方領主ハインス殿の親族だ、ならば我々もそっぽ向いて黙っているわけにはいくまいよ。必要ならばある程度の尽力はするつもりだ。」
微笑む二人のエルディラ王族にアルヴァスは心の底から感謝した。
「すまぬ、エルよ、ならば余にその力を貸してくれ。」
「ええ、喜んで」
エルテナは柵の目の前に立ち、呼吸を整えた。
「これから何が始まるんですか?」
「まあ、見ているといい、エルの唄はそう何度も聴けるものではないからな。」
クロエの問いにアルヴァスは微笑み答えた。
エルテナは文字を紡ぎ、物語を語る様にゆっくりと口を開く。
王城のテラスに透き通った唄声が流れはじめた。
それは聴く者全ての心を洗い、生きる全ての者を愛しむ唄。
月夜の光に照らされて、夜の闇に浮かぶグランスの王城は、エルテナが唄声を空へと捧げる姿を、より美しく引き立たせる為の舞台装置となった。
(…やはり、エルの唄は…如何なる芸術品より美しく、そして、尊い。)
心穏やかにアルヴァスは目を瞑り、エルテナの美しい唄に耳を傾ける。彼は間違いなく彼女の第一のファンでありエルテナの唄う姿とその唄声を心底愛している。聴いているだけで疲れが癒え、活気が満ち溢れる様にも思えた。
程なく唄が終わり一瞬の静寂。
その数秒後。天空より風を切り、闇夜に竜鱗煌めく一匹の翼竜が降り立った。それは喉を鳴らしテラスの柵に立つエルテナの元へゆっくりと顔を寄せる。その竜の瞳は宝石の様に輝き、エルテナに送る視線は何よりも優しかった。
「メテオール、貴方の力を私とアルに貸して頂戴。」
メテオールと呼ばれた竜はエルテナに応える様に優しく軽く鳴いた。
「何時もすまぬメテオールよ。また其方の背に余を乗せてもらうぞ」
メテオールは答える様に鳴いて、頷く様に首を縦に振ると、アルヴァスに背を差し出した。
アルヴァスとエルテナが竜の背に乗ると、まだ余裕があったのを確認したクロエがメテオールに近づく。
「…それじゃあ私も…」
メテオールは威嚇する様にクロエに吠えた。
先程の優しい瞳とは打って変わって、正に伝説に謳われる気高く力強き竜そのものである。
「ひえっ!?なんでっ!?」
いきなりの出来事で驚いたクロエは豹変したメテオールに涙目になっていた。
「ごめんなさいクロエ。流星竜は自身が認めた者しかその背中に乗せてくれないの…。この子、メテオールの背中に乗れるのは私とアルだけなの。」
「クロエよ、其方は余のレガリアを持ち、グランスの精鋭騎士を率いてエーデルを目指せ。物事の細かい調整は義父上とアルヴィンがやってくれる」
アルヴァス達にそう言われた以上従う他無いもので、クロエは貴重な体験を目の前にして、竜の背に乗れなかった事を悔やみながら首を縦に振る。
「エルテナ、くれぐれも無茶はするなよ?」
「兄様、アルを少し手伝ったら帰りますからどうぞ心配なさらず」
「心配するなリューゼス。エーデルに着いたらエルにはすぐ戻ってもらう。」
心配する兄にエルテナは微笑んで答えた。
「アル、では行きましょう。振り落とされない様にしっかり掴んでて下さいね!」
「ああ、エルもメテオールもよろしく頼む」
軽く雄叫びを上げると、アルヴァスとエルテナを背に乗せたメテオールは高く飛翔する。
正しく夜の闇を切り裂く光に見えた。
既に遠く輝きながらメテオールの身体が描くその軌跡は、願い事を叶える流れ星そのものだった。
※
『殺せ!殺せ!』『これは革命だ!』『今すぐやめろ!』様々な民衆の怒号が響き渡る中、両手を拘束された令嬢が処刑人に牽引縄を引かれてゆっくりと歩く。
彼女の自身の人生の終わりを告げる、断頭台の元へと一歩一歩、自ら踏み締めていく。
民衆達は互いに殴り合いながら、騒動の中心である処刑台の周囲を輪のようにして取り囲む。彼等は何やら揉めて居る様な光景だ。
令嬢の目の前には、既に捉えられ断頭台に拘束された令嬢の父と母、そして兄、恐怖と悲しみと様々な感情が入り混じった、濁った目で令嬢の姿を見つめている。
今まで逃げていた令嬢も遂には捕まり、今この様な目に遭っている。
『殺せ!エーデル公爵一家を殺せ!』
『娘のソフィアを裸にひん剥け!!』
『ふざけるな!今すぐ公爵家を解放しろ!!』
『お前ら今すぐ目を覚ませ!!』
民は民同士で争っていた。
ふと令嬢が、乱雑に叫ぶ民の奥へと視線を向けると、三人の貴族が公爵の一家を見ていて、ニヤニヤと薄気味悪く笑っていた。
言うまでもなく、令嬢の家族達は、彼等が作り上げた冤罪により今この場に居る。
半数以上のエーデルの民を扇動し、あたかも彼等の総意の様に振る舞っている。
グランスの領、エーデルの街全てを手中に収める為だ。
彼等は不正を許さなかったエーデル公爵の一家を、今この場で処刑するのだ。
怒り叫ぶ民の中に紛れ、令嬢の名前を泣きながら叫ぶエーデル家の従者達や、今まで彼女が触れ合って来た教会孤児院の子供達、修道士の皆や他にも、エーデル家を慕いこの処刑が間違って居ると訴える者達。
彼等は革命を起こし嬉々として暴れる他の民達に抑えられて、伸ばす手が彼女達には決して、絶対に届かない。
それ程までに彼等は狂気に無力であった。
「さて、ソフィア・エーデル、何か言うことはないか」
「…何処からともなく土足でやって来て、エーデルの、グランスの事を何も知らない無知な貴方達に、今後良い時代などは決して訪れませんよ。」
「…跪け」
処刑人達は令嬢の頭を強引に、断頭台の拘束具へと強引に押し付けた。
「離しなさいこの無礼者!このぐらい、自分でやります!!」
処刑人達の手を振り払い、ソフィアは自ら拘束具へと繋がれた。
首と両手を拘束されたソフィアは、エーデルの民達の目の前で、一家纏めていよいよ最後の時を迎えるのだ。
「…最後の情けだ、少しの間だけ神に祈る時間をやろう」
「…無実である私達を今から殺すのはアナタ達、人間でしょう!!神様に誰が祈るものですか!!」
「ふん…いくら強がろうがお前達の運命は決まってる。お前達の次は従者達だその次は公爵の協力者達…暫くは処刑ショーが止まらんな!!」
「…どうやら貴方達はエーデルに来るまで、人の心を何処かに棄てて来たみたいね!!」
ソフィアは心の底から怒りの声を上げた、その姿を同じ様に拘束された両親や兄は、頬に涙を流しソフィアの姿を見ていた。
すまない、まるでその様にソフィアの目に映った。
処刑執行人達は冷ややかな目でソフィアを見下していた。
「さっさと冤罪に対する刑を執行しなさい。…だけど覚えておく事ね。私達の血で塗れたエーデルの街を手に入れたとしても、アナタ達がグランス王の手によって裁かれる事。今ここで予言してあげる。私達の主君の手で、真実は必ず証明されるわ。」
「へっ、そんな事あるものかよ」
苦し紛れの戯言に聞こえたのだろうか。
ソフィアのその姿が酷く滑稽に映ったのか、処刑人達と貴族や一部の民衆は高らかに笑っていた。
その誰も彼もがそこの貴族達の支持者なのだろう。
「…しかし、そうか、そこまで死にたいのか。ならばやはり最後まで逃げ続けたお前の首から行くか」
ソフィアは静かに目を瞑る。
従者や教会の者達や民衆から悲鳴の声が上がっていた。自分達の刑が執行された後で彼等も酷い目に遭う事を思うと、ソフィアの胸が苦しくなった。
ソフィアの目の前の視界は真っ暗な闇、永遠の様な時間が流れる。
「…じゃあな、神に見捨てられた哀れなお嬢さん。まあ、来世は幸せになれよ。」
処刑人から心にも無い言葉が投げかけられる。今思う事は、苦肉の策で逃した愛する青年の顔だった。彼は無事なのだろうか?ソフィアにとって唯、その事が気掛かりだった。
(…さよなら、ウィルフレド…。)
愛する人への別れを心に告げて、ソフィアは死への恐怖を抑え込む様に、強く強く目を瞑り、歯を食いしばる。
怖い。逃げたい。そう思うもソフィアは気丈に振る舞う。
彼女の短い人生が間も無く終わりを告げる。
誰もがそう思っていた。
─まてぇいッッ!!
するとその時である、力強く、威厳あふれる、堂々たる男の声が高々とエーデルの街へと響き渡った。刑を執行しようとした処刑人の手が止まる。
─たとえ神が其方を見捨てようとも、余が決して其方を見捨てぬッッ!!!
ソフィアもソフィアの家族も、処刑執行人もその場の民衆の誰も、先程まで笑っていた貴族達も、その場にいた全員が声の方へと視線を送る。
男性の声が響き渡った直後。
何処からともなく、無数の輝く光が天より勢い良く降り注ぐ。
力強い光は豪快な炸裂音を響かせながら、断頭台の分厚い刃を撃ち貫いた。
その光はソフィア達を傷つける事なく、断頭台の刃と枠のみを粉々に粉砕したのだった。
「なっ!?なにぃ!?」
「何処からの攻撃だっ!?いや、これは攻撃なのか!?」
処刑人達は慌てふためいた。周囲を見るも声の主は居ない。
ふと上を見上げた。真紅の外套をはためかせる何かが空を舞っている。
「悪党共に踊らされし愚か者共よ!余がお前達の目を醒させてやろう!!」
声の主は処刑場の中央へと、真紅の外套を靡かせながら、三点着地で降り立つとともに、ソフィア達を拘束していた枷を、軽々と手際良く次々に破壊していく。
そして、彼は横たわるソフィアをゆっくりと、優しく抱き上げた。
「危ないところであった。…無事、間に合ったな。そして、そなたは中々に豪胆であるな。」
「あの…貴方は…。貴方様はもしかして…」
微笑む彼の顔に、ソフィアは見覚えがあった。
しかし、彼は武器の類は一切持っておらず、一体どういった芸当で私達の枷を破壊したのだろうか…?ソフィアの頭の中で宇宙が産まれる。
「き…、貴様は何者だ!!」
屈強な体躯の処刑人が男に詰め寄った。
彼はしゃがみ、処刑人に背中を向けてソフィアを降ろすと、再びゆっくりと立ち上がる。
男の背丈は処刑人の背を頭一個分越えていた。
鍛え抜かれ、掘り込まれた彫刻の様な身体はまるで金属の鎧の様にソフィアの目に映る。
「この国に住んでいて、余の顔を知らぬとは……この愚か者がッ!!!」
男の怒号は大気を震わせ、肌をビリビリとしびれされる様な、全身に響き渡る衝撃があった。
「俺はここに住んでねぇ!!」
処刑人が答えると、アルヴァスはため息をついた。
「ならば愚かなる者どもよ!その詰まった耳をかっぽじって、よーく聴くがいいッ!!余の名はアルヴァス!!アルヴァス・ヴェルレウス・グランス!!!このグランス王国の第一王子アルヴァスとは余の事だッ!!!」
エーデル民がざわめき、ソフィア達エーデル公爵一家も驚く中で、彼女は脳裏に思い出した。
以前グランス王城へと出向いた時に見た、威風堂々たる彼の姿を、威厳に溢れ希望も自信に満ちた彼の顔を。
「なぜ…何故…。アルヴァス様がここに?」
ソフィアがアルヴァスに尋ねると、彼は微笑み静かに言う。
「…余はある若者から、捕らえられた其方達を助けて欲しいという願いと、其方達の書いた手紙を受け取った。余は其方らを助けるため。そして、この街に蔓延る悪党を退治する為に来たのだ。」
アルヴァスの差し出した見覚えのある、くしゃくしゃになった手紙をソフィアが受け取った直後、彼女は脳裏に青年の顔を思い浮かべた。頬にうっすらと涙が溢れる。
「その者の名はウィルフレド。ソフィア殿、この者の名に心当たりはあるか?」
「あ…。ああ…ウィルフレド…。彼はグランス王城に辿り着けたのですね!アルヴァス王子…彼は、ウィルフレドは無事なのでしょうか?」
アルヴァスは頷く。
「…心配するな、確かに怪我は酷かったが、今はグランスの王城にて療養中である。グランス総出で万全の治療も尽くした。じきに回復するだろう。」
「良かった…。本当に良かった…。ウィルフレド…。」
天に祈りを捧げる様に涙するソフィア。
「ソフィア殿、ウィルフレドの決死の覚悟が、余をここへと連れて来たのだ。後の事は余に任せろ。」
「…はい、アルヴァス王子…。」
アルヴァスはソフィアに微笑むと、視線を処刑人達へと移し睨み付けた。
「お前達は、何故、彼女達を処刑しようとしているのか?不正が理由であると言うのならばそれを余に証明せよ。」
「エーデル公爵一家は俺達から無駄に税を搾取し、私服を肥やした!証拠もある!!」
処刑人はアルヴァスに怒鳴った。
凄む処刑人達だがアルヴァスは微動だにしない。
「私達は、決してその様な事をしていないわ!!」
ありもしない事をアルヴァスに伝えられたソフィアは処刑人に対して怒る。
そのやり取りの一部始終を見ていたアルヴァスは、胸元から何かの書類を取り出した。
「…証拠とは…。其方が言う不正の証拠とは、まさかこれの事か?」
「そうだ、それだ!」
処刑人は勢い良く断言した。
「ほう…これが、彼女達が、エーデル公爵達が不正を行った。という証拠で間違いないのだな?」
「ああ、間違いない!!俺が彼等から見せて貰った不正の書類だ!!」
処刑人は首を大きく縦に振る。
「…この馬鹿者め。」
吐き捨てる様に呟くアルヴァス。
すると無表情のアルヴァスは、目の前の処刑人を力任せに思い切り平手で殴り飛ばした。
バチィンッ!
「ひぎゃんッ!?」
鋭く大きな音が周囲に響き渡る。
処刑人の身体は空中をぐるんぐるんと風を切りながら二回転、三回転させると、ビクビクと痙攣させて、地に崩れ落ちてそのまま気絶した。
いきなりの出来事で、その光景を見ていたソフィア達家族も民衆も驚く中、するとアルヴァスは別の処刑人に指差し、険しい顔で指名した。
「次はそこのお前だ、これを見ろ。」
処刑人は書を受け取り、首を傾げた。
アルヴァスの片眉が微かに動く。
「…書いてある文字、読めません」
処刑人は答えた。
バチィンッッ!!
「げふんっ!?」
アルヴァスは無表情で無言のまま、間髪入れず、再度平手でその処刑人も殴り飛ばす。
大きくと殴打の音を響かせて、大男は軽々と吹っ飛んでいく。
その後は、また先駆者と同じ様に地に伏して痙攣していた。
「…この愚か者どもめッ!!悪党共の良い様に操られ、挙句、革命などとは片腹痛いわッ!!恥を知れ!!恥をッ!!!」
アルヴァスが差し出した、彼等が証拠と言う書類、それを処刑人達が読めなかった事にアルヴァスは酷く激昂していた。
「お前達の中で、まともに文字を読める者。あるいは文書を理解できる者は居ないのか!!居るならば、今すぐ手を上げ余の目の前へと来い!!」
アルヴァスの声には怒気が篭る。
エーデルの民の中で銀縁の眼鏡を付けた若者が一人、恐る恐るゆっくりと手を上げた。
彼を見たアルヴァスの瞳が一瞬輝く。
「其方、名はなんと言う。」
アルヴァスは若者に名を尋ねた。驚いた事にその声に怒気はなく実に穏やかだ。
「エイドです…。」
若者は恐る恐る答えると、アルヴァスはエイドに微笑む。
「では、エイドよ。其方、余の目の前に来るが良い。ソフィア殿と共に、奴等が証拠と言う書類を大声で読むのだ。」
「は、はい、すぐに」
エイドはソフィアの隣まで来ると、アルヴァスから書類を受け取り、ゆっくりと開いた。
そこに書かれていたモノは、二人の目を疑う内容が書かれていたのです。
「…え…まさか…。まさかこれって…。」
「…なんですか…?これは…?」
ソフィアは驚きのあまり声を詰まらせると。
隣にいたエイドは不思議そうに首を傾げました。
「…あの、アルヴァス王子様…?」
「どうしたエイドよ?」
「王子様が渡してくれた書類、これ、エーデル家の先週の夕飯のレシピですよね?…パンとかスープとか僕達と食べてる食事と殆ど一緒ですよ?…この書類が一体…?証拠ってどう言う事ですか?」
「どうやら其方の目は曇っていない様だ。」
アルヴァスは先程の処刑人達への対応とは打って変わり、声を上げて豪快に笑い上げた。
エイドはより一層不思議な顔をしてアルヴァスの姿を見ていた。
「…そう、これはまるっきり出鱈目なのだ。其方達に、エーデル公爵家が不正をしたと言う証拠として示した書類だ。そこに居る貴族達がな!!」
エーデルの民達から驚きの声が上がる。
互いに嘘だ嘘だと声を上げて顔を見合わせた。彼等が見せられた不正の証拠と言うものはエーデル家の夕食レシピであった事は間違いはなかった。
エーデルの民は彼等貴族達に容易く言い包められていたのであった。
「…どう言った術で誤魔化したのかはこれから調べる事にしよう。だが、エーデル公爵家が不正を行ったと事に関しては全て出鱈目である!!」
アルヴァスは断言した。
「其方ら民を最初に扇動した者は何処に居る!其方らにエーデル一家を処刑しろと、最初に叫んだ者は何処だ!!」
アルヴァスは一直線に指を指す。
その指先に居る三人の貴族の顔は青ざめた表情だった。
「そうだ!騒ぐ民衆の後方に居るお前達だ!!…さらにお前達は、公爵家から本来は民に使う為に支援された金を、全て着服したな?明らかな不正を行ってきたのは、本当はお前達なのでは無いかッ!!」
「な!何をそんな出鱈目を!!」
「いや、お前達はそれら全てをエーデル公爵家になすり付けたのだ!」
「そんな事はない!!」
貴族は慌てるが、アルヴァスは気にせず淡々と続けた。貴族達はもはや虎に睨まれた獲物達である。
「ほう、あくまでもシラを切るのか?グランスの正統な王族である余に嘘を吐くのか?…実に良い度胸だな。」
アルヴァスが腕を組み貴族達を睨むと、彼方から「王子ー!」と叫ぶ女性の声が聞こえてきた。
メイド服を着た女性は、魔導馬に跨りその腰に蓋振りの剣を携え、背には彼女には似合わない、大きな大剣を背負っていた。
彼女はアルヴァスへと手を振りながら向かってくる。
「その声…待っていたぞ」
さらに彼女のそのすぐ後方には、数百騎の魔導馬の騎馬隊。グランス王国の国旗をはためかせる、グランス王国聖騎士団の姿があった。
騎士団は、瞬く間に民衆の周囲を取り囲んだ。
そうなると最早貴族達に逃げ場はなかった。
メイド服の女性は魔導馬から飛び降りて、野次馬や民衆をかき分けながらアルヴァスの元へと急ぐ。
「クロエよ、ようやく来たか!」
「こちらに向かう途中で、エルテナ様が私に託された証拠の品々をお持ちしました!!」
重装備ながらも勢い付けて飛び上がると、アルヴァスの目の前に綺麗に着地する。
そして、手にした書類の束をアルヴァスに手渡した。
「そうか、エルが…」
「あの短時間でこれだけの事をするなんて…本当、エルテナ様には憧れちゃいますね。」
「そうだな、自分の事ではないが、余も鼻が高い。」
何気ない惚気話をしながら、書類に一気に目を通すと、アルヴァスは貴族達に見せつける様にして貴族達の不正の証拠を天に掲げた。
「これがお前達が不正を行った裏帳簿を始め証拠の数々だ!これでもまだシラを切るか!!」
貴族達は複雑な表情で身体を震わせていた、それが果たして恐怖なのか、それとも怒りなのかは彼等のみぞ知る。
「…彼奴はグランス王子の偽物だ!そこの騎士団もただの張りぼてだ!!エーデル公爵家こそ悪だ!エーデル公爵家こそ民衆の敵だ!!」
苦し紛れに貴族達は叫んだが、エーデルの民は彼等をじっと見つめていた。
幾ら取り繕い欺こうとしたとしても、流石にエーデルの民にもアルヴァスの顔を知る者は居た。
特に商工に関わる者達の中には、グランス王子達の顔を知る者は少なくない。
最早、貴族達の嘘ではエーデルの民を騙す事は出来なかった。
「ほう、余に対し偽物とは、実に不敬だな。良いだろう、それではお前達に選ばせてやる。」
アルヴァスは指を三本立てると、ゆっくりと一本ずつ曲げていきながら貴族達に宣言する。
「一つ、グランス王城にて正当な裁判を受け絞首台へ行くか。二つ、この場にて自ら腹を切り自害するか。三つ、これから余の手であの世に行くか。さあ、今すぐ選べ!!」
アルヴァスに対して貴族達が叫んだ。
「我らが選ぶのは四つ目だ!騎士団もお前達も全員この場で殺す!!」
貴族の一人が天に何かを掲げると、黒い雲が渦巻いて空から巨大な黒い竜が現れた。
手には禍々しい輝きを放つ宝玉。見覚えのあるアルヴァスにとっては忌々しい秘宝だった。
「…あれは、エーテリック・スフィア…?…だが、その割にはさほどの力を感じぬな…。まさか…民衆を扇動する事が出来たのはこれが原因か…ッ!!」
呟くアルヴァスの目の前のそれは、鋭い鱗に身を包み、鋭く大きな角と牙をぎらつかせ、大きな翼をばさばさと羽ばたかせる。
『グァルルアアオオオォォンッッ!!』
けたたましい雄叫びが耳をつんざいた。
エーデルの民は恐怖に怯えて叫びながらグランス騎士団の隙間を縫って遠くへと逃げだす。
グランスの騎士団の誰もが一切微動だにせず、武器を一斉に黒竜へと構えた。
騎士団の誰もが黒竜を斃す、その意思を瞳に宿し闘志を燃やしていた。
「…クロエ、ソフィア殿とエーデル公爵一家を必ず守れ。」
「承知しました王子、こっちは大丈夫なんで、さっさとやっちゃってくだい」
クロエは満面の笑みでアルヴァスに答えた。
「…うむ、わかった」
「レガリアは使いますか?」
「いや、この程度、余の拳一つで十分だ」
アルヴァスが両足を開き拳を構えると、クロエは「了解しました!」とだけ言い、ソフィア達をその場から避難させた。
「ささ、ここはちょっと危ないんで後ろに退がりますよー。逸れると危ないんで、公爵様御一家は全員で固まって行動して下さいねー♪」
「は、はい」
まるで遠足でも行く様なノリでソフィア達を引率するクロエ。
「…あー…。ちょっと後味悪いんで、とりあえず気絶してる連中も連れていきましょうね」
クロエは気絶した処刑人達を軽々と持ち上げると、困惑するソフィア達を連れてその場を離れる。
「さて、待たせたな黒竜よ!!」
周りに誰も居なくなったアルヴァスの周囲には光が漂い、彼の掌へと力強き輝きが集まっていく。
「その身で我が闘技…受けてみよ!!」
アルヴァスの周囲に放たれる力強い闘気が空気の流れを変え、塵や埃を上空へと巻き上げる。
─ 闘気豪砲ッッ!!!
アルヴァスが突き出した両手から光の塊が発射された。
それは眩いくらいに輝く力強き闘気の塊。
轟音を響かせ、黒竜を一瞬で撃ち貫抜いた。
『グロロロロ…ッ!?』
貫かれた黒竜はボロボロに崩れ落ち、その場から散り散りに霧散して行く。そして、呆気なく消滅したのだった。
「ば…バカな…ッ!?」
貴族達は予期せぬアルヴァスの力に驚き慄いていた。
それはまたソフィアやその光景を見ていたエーデルの民も同じで、ただ唯一、メイドのクロエだけが、微笑みながらアルヴァスを眺めていた。
「あの様な黒蜥蜴で余を倒せると思ったか?残念だったな、余を倒そうと思うならばアレを数千…いや、数万は持ってこい!」
勝ち目のない事を悟った貴族達はその場にへたり込む。「この男…化け物だ」貴族達は口々に呟いた。
「さて、もう後はないぞ。大人しく縛につけ!!」
グランスの騎士団が貴族達を取り囲む。
「そして、余からエーデルの民に一言物申す!」
その場に残っていたエーデルの民が、アルヴァスの顔を見上げていた。
「…協議の果てに領主と意見が対立する事は致し方のない事ではある。しかし、自ら学び調べようとはせず、流されるまま再び暴動による混乱を起こすならば…余はこの拳で、諸君達をも罰する事を、グランス王族としてここに警告する。」
暴動に参加した大半の民のは顔を俯かせた。エーデル公爵家の従者や、教会の人々はアルヴァスへと、まるで感謝の祈りでも捧げている様に両手を組んでいた。
「そして、其方らを惑わす邪気に打ち勝つ強き心を持て!さすればこの街をいい様にされる事もないだろう!」
そう言い終えるとアルヴァスはグランスの騎士達に視線を向ける。
「グランス王国の精鋭達よ、半数はこの者達を捕え、グランス王城にて裁判にかけよ。罪状は国家反逆罪だ!残り半数はエーデルの街に留まり事態の収拾に力を尽くせ!」
アルヴァスの指示を受けた騎士達は『はっ!』と力強く返事をすると、一斉に動き出した。騎士団の半分は混乱した民衆達を手際良く誘導していく。
また半数は貴族達を捕らえてエーデルの街を去っていった。
「さて、ソフィア殿。其方達も家へ帰るが良い、この街もその内落ち着きを取り戻し、いつもの様に平穏、静かになるであろう。ウィルフレドは身体が治り次第騎士団に送らせよう。」
「…アルヴァス王子様…何か、何か私達もお礼を…」
ソフィアはアルヴァスに言うも、彼は優しく微笑む。
「…この件に関し特に礼など要らぬが…どうしてもと言うのなら…。」
アルヴァスはクロエの顔を見ると、クロエは頷いた。
「そうだな…暫し休憩がしたい。ソフィア殿、余とクロエに茶を一杯いただけるか?」
「はい!でしたら、私達の家に招待致しますわ!」
そうして、ソフィアはアルヴァスとクロエをエーデル公爵家の屋敷へと招き入れた。
しかし、アルヴァスもクロエもソフィアから提供された紅茶を一杯飲み終えると「馳走になった。」「とても、美味しい紅茶でした。」とだけ礼を言い。すぐにグランスへと帰って行く。
余りにも呆気ない別れ、その事をソフィアは少し寂しく思っていた。
そして、後日の事。
「ソフィア。気を付けて学んでくるのだぞ」
「いつでも帰ってきて良いですからね」
心配そうにソフィアを見送るエーデル公爵と公爵夫人。
「…グランスに行ったらおすすめの店とか手紙に書いてくれよな…気を付けてなソフィア。ウィルフレドと仲良くな!」
そして、少し寂しそうな兄。
「はい!行ってきます!」
微笑むソフィア、その隣にはすっかり身体が回復したウィルフレドの姿があった。
「ウィルフレド、ソフィアをくれぐれも頼むぞ」
「任せて下さい。僕がソフィアを護ります。」
そうして、ソフィアはウィルフレドの手を取り、二人はグランスへと向かう。
ソフィアは彼女自身の希望もあり、更にアルヴァスの計らいにより、教師になる為にグランス王国の国立学校に入学する事となる。
また、ウィルフレドは心身共に自身を鍛えるため、グランス王国の騎士団へと入団し騎士達から師事を受ける事になった。
アルヴァスはなんの気まぐれか、エーデルの街にて老若男女誰もが学べる学校を実費で建でた。
寄付者の名を取って建てられた学校はグランス国立ヴァース学園と名付けられエーデルの民から長く親しまれる事となる。
その学校では、あのエイドも教師見習いとして教鞭を取っている様である。
「王子」
「なんだ?クロエ」
「ソフィアさん、きっと良い教師になれますよね」
クロエ微笑みながらそう言う。
「…彼女の努力次第ではあるが…そうだな、彼女ならきっと良き先達者になるだろう。」
アルヴァスは目を瞑り静かに答える。
「…あ、後、ウィルフレドさんと幸せになって欲しいですね」
「ああ、そうだな。」
アルヴァスとクロエはソフィア達の今後が、希望の光に満ち溢れている事を願って旅路を征く。
グランス王国の城下町をウィルフレドと共に歩くソフィアが、清々しいまでの蒼天を見上げると、一陣の風が吹き彼女の髪を靡かせた。
その風は大地を渡り、何処かの道征くアルヴァスとクロエの肌を優しく撫でていく。
二人の進む旅路の先で良き出会いと幸運ある事を、グランス王国の城下町にて、ソフィアはウィルフレド共に祈っていた。
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