女郎花の神域

賀喜翔太郎

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第1章

下車

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 風野頼人は終着駅の上野原駅に降りた。乗客は彼一人だった。

 ホームに人の気配はない。名前の知らない草花が、ひび割れた隙間から伸びている。

 秋風が吹き抜けて、風野は襟を寄せた。うら寂しい光景が気温を下げているように感じる。

 ここからは線路の上を歩いて東を目指す。明確な目的地はなかった。強いて言えば武蔵野全域を覆う靄の中心地。果たしてそんな場所があるのか、風野は知らなかった。しかし、そこへ向かえば汐栞に会えるような気がしていた。

 靄は15年前、突如として現れた。いや、正確にはいつごろ出現したのかはわからない。薄ぼんやりとしたものが街の一区画を覆うようになって初めて人々は靄に気がついた。実際の発生時期についてはさまざまな説があるが、現在主流となっているーー仮にA説とするーーのはおよそ15年前ということだ。他の説を見てみても前後2-3年しか変わらないのだが、これからはA説をもとに話をすすめていく。

 発生場所は豊島区池袋、北口の繁華街、とあるラブホテルの一室だった。2026年2月3日、ラブホテル「竜宮」の104号室から男女が失踪した。発見者はホテル従業員の男性および通報を受けた警察官だった。利用時間を大幅に超過し連絡のつかない利用者を追い出すため、ホテル側は警察に通報。警察立ち合いのもとマスターキーで開錠して部屋へ入った。

 発見当時、部屋には脱いだ衣服が散乱しており、風呂は湯が溢れ、蒸気が部屋全体に満ちていた。室内を隈なくチェックするも利用者の男女はいなかった。すでに退室したものと思われたが、念のためホテル側と警察はともに監視カメラの映像を確認する。

 しかしそこに退室する男女は映っていなかった。104号室は地下にあり、外へ続く窓などはない。また鍵は内側から施錠されていた。いわゆる密室状態だった。

 入室時の映像から男女の身元が判明する。都内勤務の会社員の男性B(53)と派遣型風俗店に勤務する女性(28)だった。二人に個人的な面識はなく、客と風俗嬢という関係のみだった。

 男性には妻子がおり、二人の息子はすでに成人していた。勤務態度は良好、社内では評判の上司だった。夫婦関係は熟年にありがちなものであり、とりわけ険悪なわけではなかった。

 女性は独身だった。高校卒業後、逃げるように地元の岡山から東京へ来る。アルバイトや派遣などをしていたが、1年前から風俗店で勤務を開始。面接時の志望動機は進学費用の貯蓄とのことだった。実際に彼女の住んでいたワンルームアパートは質素であった。後の捜査で口座には200万円ほど貯蓄があることがわかった。

 2026年3月3日、同ラブホテルの103号室でまたも利用者の失踪事件が発生する。状況は104号室の事件と同様だった。密室状態の客室から利用者が姿を消す。

 警察はホテル側に何かしらの関与を疑い捜査を開始した。

 しかし捜査開始翌日、103号室内を調べていた刑事が忽然と姿を消す。二つの失踪事件と同様、入室は映像で確認できたが、退室は確認できなかった。

 警察はホテル側を強く追求するが何も得られなかった。

 3月22日、組織内部に動揺が残るなか新たな失踪事件が発生する。午前10時ごろ、ホテル「竜宮」を中心とした半径50メートの範囲内にいた人物が消えた……。

 
 上野原駅は無人だった。照明は付いていない。定期的に手入れはされているようで、廃墟のように朽ちてはいない。ただ人がいなかった。

 10月半ばの西陽は構内を照らしていた。

 風野は律儀にICカードを改札に翳して駅前にでる。

 かつてあったロータリーは野原と化しており、わずかに覗くアスファルトが面影を感じさせる。

 東へ続く道は封鎖されている。立て看板とロープのみの規制だった。政府が拡大する靄に対応仕切れなくなって数年が経とうとしている。

 金網を乗り越え線路へ侵入する。

 芒と女郎花が延々と続いていた。
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