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28 将軍閣下と長い夜の始まり

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 砦で精霊たちに歌声を披露した夜、ハルは領館でパーシヴァルの帰りを待っていた。
 茨に囲まれて身動きできなくなったプロテア軍の動向を見てから、今後の対策を話し合うのだとか。おそらくすでに王都ではプロテアの王配たちを祖国に送還しているはずだから、彼らは撤退するしかなくなるはずだという。
 戦争にならないのなら、よかった。
 今日集まってきた精霊の中には、元はプロテアにいた者もいたようだった。ハルがプロテアの民のことを告げたとき、反応が違っていたから。
 プロテアの地が浄化されれば、彼らもプロテアに戻れるはずなのに。

「ハルの父方の祖父がプロテア女王の弟だったと聞いてるよね? 彼は女王に精霊をこれ以上怒らせてはいけないと進言した。女王は精霊のために政治をしているのではない、と突っぱねたんだそうだ」
 バーニーがそう言って、ハルの祖父の話をしてくれた。
「女王の言は実は正しい。人の王は人を統治するのが仕事だ。精霊はその地にあって思うままに大地や人を愛でて、時には恩恵を気まぐれに与える存在だ」
「……正しいのですか?」
「うん。精霊は巫女を大切にしている。人の王が善き統治をすれば巫女は平和に幸福に暮らせる。そうすれば精霊の恩恵が受けられる。それで良かったんだよ」
「女王は僕の祖父の言葉を理解してくれたのでしょうか」
「どうだろうね。そのあげくがアルテアへの侵攻だったんだから、理解していたとは思えないね。多分もう一生気づかないままかもしれない。……それでもハルはプロテアを助けたい?」
 バーニーの問いにハルは俯いた。きっと師匠はハルの気持ちにとっくに気づいていたのだろう。
「……僕はプロテアも浄化できるでしょうか」
「おそらく可能だと思う。男の巫女は体力的に強靱なせいか、浄化の力も強いからね」
「精霊に戻って欲しいとは言いません。ただ、浄化だけでもできれば少しはマシになるでしょう? 草一本生えないとかそんな状況が変われば……」
「やっぱりね……君の歌で浄化の力がプロテア側に広がったからそうだと思った」
 バーニーは困ったように笑みを浮かべた。
「ハルが思うようにしなさい。精霊たちは君が幸せであればそれでいいんだ」
「……幸せ、ですか」
 ハルは自分が不幸だとは思っていない。思うようにならないことや、理不尽なことはあったし、辛いこともあった。それでも、自分は友人や師匠に囲まれていたし、今はパーシヴァルがいる。
「僕は幸せ者だと思います。両親を失って一人になっても、誰かが手を差し伸べてくれましたし。パーシヴァル様も気にかけて下さいます。それに、精霊の気配もわかるようになりました」
「そう。まあ、将軍閣下はいい人だからこの先も心配はしてないよ。それにしてもよくまああの人がハルに手を出したね。……すごい潔癖に見えたから、まさか年の離れたハルを口説くとは思わなかったよ」
 バーニーに言われてハルは言葉を詰まらせた。
 ……そもそも、親密になったきっかけがご子息のことだから……。
 さすがにそれは人に言えるようなことではない。その前からパーシヴァルはハルに興味を持っていたとは言ってくれたけれど。
「そうか……言えないようなことされたんだねえ」
「いやそれ誤解を招く表現じゃないですか」
「でも話してくれないんでしょ? じゃあ、勝手に妄想するしかないよ」
 ハルの反応にバーニーは楽しそうに頷いた。
 外に馬車の到着した気配がして、ハルは顔を上げた。
「帰ってきたようだね。じゃあ、僕はおいとましようかな。グレイヴズに今日の出来事を報告しないと。興奮してまた生傷増やしちゃうかもしれないけど」
 そう言って窓に手をかけると飛び出して行った。

「……さっき窓から飛び降りた人影を見たと思ったら……」
 帰宅したパーシヴァルが相変わらずの師匠の奇行に溜め息をついていた。けれどどこか表情が硬いように見えて戸惑った。プロテア軍の動向が好ましいものではなかったのだろうか。
「食事は軽く摂ってきたから、部屋で話そう」
 そう言うとハルを寝室に引っぱり込んで、人払いをした。
「……パーシヴァル様、何かあったのですか?」
 不安になったハルを見て、パーシヴァルは抱きしめて宥めるように背中を撫でた。
「よく聞いてくれ。女王が病に倒れたそうだ。錆化病だ。王宮からの知らせだから発病してすでに数日経っているだろう。すでに崩御している可能性もある」
「錆……化病?」
「そうだ。ここ最近プロテアの王都周辺で流行の兆しがあったそうだ」
 ハルの両親とパーシヴァルの家族を奪った病。ハルは思わずパーシヴァルの腕を掴んだ。
 パーシヴァルはハルにこの病のことを聞かせたくなかったのだろう。
「……薬は……」
 パーシヴァルは首を横に振った。
 ……わかってる。僕が一番よく知っている。
 五年前、プロテアでも錆化病は流行した。けれど、当時はストケシアとプロテアは交戦状態にあって医薬品の輸出は制限されていたため、プロテアへの出荷は行えなかった。
 あの後錆化病は大流行こそ起こらなくなったが、今も治療薬はプロテアには入っていないはずだ。それに、師匠とハルの作った薬は予防と早期治療はできても進行したら治療はできない。その次の段階の薬はまだ販売には至っていない。
 ……国境のこの砦まで情報が届くとしたらもう、手遅れだ。
「女王が崩御すれば他国に戦争を仕掛ける余裕はなくなるだろう。だが」
「……病気の流行は防げないのでしょうか。予防薬だけでも配布できれば……」
 以前バーニーから、ハルが浄化の力に目覚めたからここ最近ストケシアでは錆化病の流行は起きていないと聞かされた。では、精霊の巫女がいないプロテアでは、流行が始まったら止めようがないのでは、と考えてしまう。
「それは王太子次第だな。女王とちがって穏健な人物だとは聞いているが」
 確かに。今の状況では国王アーティボルトはプロテアへの援助にいい顔をしないだろう。先日の即位十周年の行事で騒動を起こされた上に、言いがかりのように兵を動かしてきたのだから。
「……ハルの薬というのは量産できるのか?」
「工房の一角を利用すればすぐに増産できます」
「もしかして、レイン商会の化粧品部門というのは……」
 ハルは頷いた。化粧品部門の製作工房は薬品の生産にも対応できる設備がある。
「僕の分の利益を全部つぎ込んで、いざというときには薬の工房に転用できるようにしてるんです。……王立医学研究所とは今でもあまり良好な関係じゃありませんし。開発中の新薬もあるんですけど……」
 先日のキャサリン嬢はまあ個人的恨みだったとしても、今でも権威主義的な研究所とは意見がかみ合わない。量産するにしてもあてにならないと思っていた。
「新薬?」
「認可が下りないでしょうから、正規ルートでは販売できないでしょうね」
 五年前の薬もまだ何度申請しても認可は下りないままだが、研究所が開発したと称する薬がほぼ同じ成分なのをハルは知っていた。
「……わかった。王都に戻ったら陛下にこのことを話してみよう」
 パーシヴァルは苦々しい表情でそう答えた。元々王立医学研究所は先代ラークスパー公爵が統括していた。パーシヴァルはずっと軍にいたために関わりがなく、力になれないことを申し訳なく思ってくれているのかもしれない。
「戻る……のですか?」
「準備出来次第、王都に帰ろう。陛下からもハルを連れて戻るように命令があった。それに、プロテア軍はどうやら撤退を始めたようだ。まだ女王の体調がこちらに伝わっていないと思っているのだろう。だから当面こちらは問題ない。近く王都からの増援も来る予定だ」
「そうですか。ゆっくりする時間もなかったですね」
 本当ならパーシヴァルは休暇だったのに。全然休めてないじゃないか。
 ハルがそう思ったのが伝わったのか、パーシヴァルの顔が近づいてきて、唇が触れあう。
「大丈夫だ。今回潰された分の休暇はまた確保しよう。まだロビンとピクニックに行く計画もあるからな。それにハルとたくさん仲良くしたい」
 ハルは思わずパーシヴァルに両手を伸ばしてしがみつくように抱きついた。
「僕も……パーシヴァル様と仲良くしたいです」
 そう答えたら抱え上げられて、寝台に寝かされた。

「ここに来る前、私は少しだけ不安だったんだ」
 パーシヴァルはハルの額や頬にキスを振らせてから、首筋に顔を埋める。
「精霊がもし、ハルの伴侶にふさわしくないと言ったらどうしようかと。ハルにもう触れられなくなったら……」
 ハルはパーシヴァルの髪に触れて、そっと撫でた。
「僕はそれは心配してませんでした。パーシヴァル様以上の人なんていませんから」
「あまり買いかぶらないでくれ。うぬぼれてしまいそうだ」
「パーシヴァル様はうぬぼれていてもきっと格好いいですよ」
そう答えたら唇が重ねられた。こじ開けるように深くなる口づけに溶かされて、ハルはうっとりと目を伏せた。続きを強請るように身をよせると、パーシヴァルが困ったように頬を染めた。
「ハル……。あまり煽らないでくれ……その、我慢が」
「我慢なんてしないでください」
「今日はいろいろあって疲れただろう? 無理はさせたくない」
 ああ、やっぱり。
 ハルは意を決して自分からパーシヴァルに口づけた。
「パーシヴァル様……全部下さい……」
「ハル?」
「僕……あなたと繋がりたい」
 新婚旅行が決まったとき、旅行の間に求められることは覚悟していた。
 ……後ろで繋がりたいって言ってらしたから、そうなるって思っていたのに。
 まだ一度もハルはパーシヴァルと身体を繋げたことはない。負担が大きいからとパーシヴァルは躊躇していた。それでもそれを望んでいることはわかっていた。
 ……でも、後ろを慣らすように何度も触れてもらったし、そろそろ大丈夫だと思うのに。
 王都に出発するのなら、ここで過ごす最後の夜になるのだから。
「ハル……だが……」
「たくさん可愛がっていただいたから、そろそろパーシヴァル様をお迎えしても大丈夫だと思うんです」
  そう言いながらも受け入れる自信はないし、正直苦痛への恐怖もいくらかある。でも、それをくれるのがパーシヴァルなら、構わないと思える。
 ……僕は滅茶苦茶この人のことが好きだ。自分からこんなことを口にするのも、この人だから。
「……パーシヴァル様は……欲しくないのですか?」
「欲しいに決まっている。ハル。私を口説くのが上手くなったな」
 パーシヴァルはそう言ってハルの服に手をかけた。
「……酷い事をするかもしれない。途中で止められる自信もない。それでも……」
「男に二言はないです」
 本当に酷い事をする人は、そんなことは言わない。
 パーシヴァルはわずかに頬を染めて、微笑んだ。
「そうだな……ハルは私よりよっぽどいい男だ」
  
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