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第10話 求める

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 そうして孤独に苛まれたルナリアを慰めるために、俺は足繁く通う。

 ルナリアは他の者と話す事がない為に、俺と話すのがとても嬉しいのだと喜んでくれた。

 今日も仕事の後に立ち寄れば嬉しそうに出迎えてくれる。神人達も俺の素性は知っているから何も言わない。

 日も落ちかけた黄昏の時で迷惑かと思ったが、その方が都合が良いと言われ、以来この時間によく来るようになった。

「そう言えば父上が昼間に来たと聞いたが、俺まで来て疲れないか? きちんと休めているか?」

 途端ルナリアの顔色が曇る。

「ソレイユ兄様が来てくれるのは嬉しいし、楽しいです。ですがお父様、いえ、あの方が来ると疲れるというよりも恐ろしい……確かによく来てはくれるけど、楽しいと思った事はありません。常に機嫌を伺わないと誰かが居なくなってしまって。もう、耐えられない」

 青褪め、震えるルナリアを見て、少し納得してしまう。

「そうだな、父上は自分の思い通りにいかないとすぐに不機嫌になるから、こちらも気を張ってしまうよな」

 ここにいるのは神にまで成れていない神人ばかりで、そこまでの力を持っていない。

 そんな未熟で力の弱い彼らは抵抗らしい抵抗も出来ないだろうし、恐らく父は彼らを粛清してもいい存在だと思っているに違いない。

 傲慢な行いだが、誰も逆らえず止められる者もいないから、手の施しようがなく申し訳なく思う。

(俺にもう少し力があればいいのだが)

 強くなったつもりではあるが、それでもまだ敵いはしない。
 それに天空界の頂点に立つには、俺では頭も人望も足りないから、口を出したところで他の者同様粛清されるだろう。息子とは言え何をするかわからないからな。

(実の娘すらもこうして幽閉するような男だからな)

 俺の母への態度も酷いものであった事を思い出すが、今はその事よりも目の前のルナリアの不安を拭う方が大事だ。

「今すぐにどうこうは出来ないが、こうして悩みを聞くことは出来る。他言はしないから安心して思いを吐き出していいぞ」

「ソレイユ兄様……ありがとうございます」

 少しだけ気を持ち直したのか、まだぎこちないながらも笑顔を見せてくれる。

「兄様に出会えて良かった。そうでなければわたくしはもう、辛くて死んでしまうところでしたわ」

「ルナリアがそう言うと冗談に聞こえないな。こんなに細いのだからもっと食べないと。以前抱えた時も軽すぎて驚いた」

 ルナリアは俺の言葉に顔を赤くし、もじもじしてしまう。

「その、重たくはなかったですか?」

「全然。ずっと抱えていても平気だ」

 そう言えば少し躊躇った後、意を決した顔でルナリアが迫ってくる。

「ならば抱っこしてください」

 両手を広げ、恥ずかしそうに頬を染めながらも瞳は真っすぐに俺に向けられている。

「別に構わないが、突然どうした?」

 何だか断りづらくつい了承してしまったが、さすがに困惑はしている。

 意図はなんだ?

「お母様が亡くなり、ここに連れて来られ、他の者に触れる事も話す事もなく過ごしてきました。もう他者の温もりも忘れてしまうくらいに」

「だからと言って俺じゃなくとも……」

「神人の子達は最初こそ仲良くしてくれました。けれど仲良くなった子達からいなくなってしまうの。寂しがるわたくしにあの方が言いましたわ、『アレはルナリアに相応しくない』と」

 ルナリアは両手を伸ばしたまま、不安そうに眉尻を下げ、震えている。

「ソレイユ兄様ならばあの方に怒られたりはしないでしょうし、それに結界を越えてここまで来る事が出来る特別な存在だから。お願い、一度でいいの」

 やや逡巡した後、俺はルナリアの体を包みこむ。

 細すぎて折れそうだから、殊更優しく力をあまり加えないように気をつける。

 そして花の香りが鼻腔を擽り、何とも落ち着く気持ちになる。

 おずおずとルナリアも体に手を回してきて、頬を寄せてくれた。

「暖かい……それにとてもいい香りがします」

 汗臭いだけだと思うのだが、暫くは離れてはくれないようだ。最初は遠慮がちだったのにしっかりと手が回されてしまっている

「ルナリアもいい香りがする、花のようだ」

「さっき湯浴みをしたの、ソレイユ兄様が来るから綺麗にしておこうと思って」

「あぁ~……それは他の者の前では言うなよ。特に男の前では。勘違いをされてしまうから」

 思わず想像してしまいそうになり、深呼吸をして何とか心を落ち着かせる。

「勘違い、ですか。それはどういう?」

「今度、教える」

 今は堪えたくなく、先延ばしにして回避する。

「今度はいつ会えるでしょうか?」

 抱きしめ合う姿勢のまま、ルナリアはポツリとそう聞いてきた。

「そうだな。昼間は無理だが、夜ならば空いている」

「ならばぜび来てください。いくら遅くなっても構いませんから」

 腕により一層の力を込められる。痛くはないが、離れたくないという思いは伝わって来るな。そんなにも寂しいのだと思えば振りほどくことは出来ない。

「遅くには迷惑だろう、眠る時間などもあるし」

「部屋はありますし、泊まっていって下さい。わたくしは夜の方が元気ですから」

「だから軽々しくそういう事を言うな」

 誘っているつもりはないのだろうけど、勘違いをしてしまいそうになるじゃないか。

 いくら兄妹だからと言ってもこちらにまだその意識が薄いのだから危ういものだ。

「軽々しくではなく、ソレイユだから言っているのです」

 さすがに軽率が過ぎるな。

「……兄だからだろうが、最近顔を合わせたばかりの異性を簡単に許すな」

 少し低い声で脅せば、通じたのか体に回す手の力が緩まる。

「それは一体どういう意味ですか?」

「何とも鈍いな。箱入り娘なだけある」

 酷い言い回しだが、苛立ちのまま俺はつい言葉を続けてしまう。

「そもそも無防備過ぎる。兄妹とは言っても幼少期を共に過ごしたわけでもなく、最近知り合ったばかりでお互いの事をまだまだ知らない。それなのにこのように二人で会うなんて誤解をしてしまうだろうが」

 自分の青さを棚に上げ、そう責め立ててしまう。

 戦いに明け暮れ、女性と話す事は少なかったし、部下達との掛け合いが心地いいから尚更他の異性と話す事はなかった。

 だから余計に苛ついてしまう。

 上手くあしらえばいいのに、それがわからない、出来ない。なのに無自覚にも煽るような事をして、ルナリアは一体何を考えているのか。

「誤解されてもいい。それでソレイユがわたくしだけを見てくれるなら……」

「少し優しくしただけでそのような事を言うな。それでは簡単に騙されてしまうぞ」

「それでもいいの」

 ルナリアが俺の胸から顔を上げ、見上げて来る。

「あなたがわたくしだけを見つめてくれるなら、それでいい。ずっと一緒に居たい」

 涙を湛えて潤んだ瞳は何とも庇護欲をそそるものだ。

 遠ざけようと頑張っていたのに、こうして惑わしてくるものだから、揺れ動いてしまった。

 花の香りが色濃く感じられ、頭がくらくらして正常な思考を奪っていく。

 堕ちてもいいかと気持ちが傾いた。








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