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Ⅰ.石川メアは憤慨している
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「なによっ! バカみたいっ!」
石川メアは歩いていた。
悪態を吐き、肩を怒らせながら。ずんずんと大地を踏みしめ、メアは歩き続ける。
自身の通う中学校指定の制服を折り目正しく着こなし、腰の辺りまである黒髪のロングヘアは先端近くでゆるく結び、掛けられた大き目の縁の眼鏡からは彼女の性格の生真面目さを伺わせる。
メアが足を力強く踏みしめる度に、束ねたボリュームのある髪がブルンブルンと震えた。
「愚か愚か愚か! ほんっと愚か!」
石川メアは憤慨していた。
この世のすべてに、視界に入るすべてに、憤慨していた。
何故この世界の人間たちはこうも愚劣で愚昧なのだろうかと。
抑えきれず、八つ当たりをするように、途中道端の小石を力の限り蹴り上げたが、思いのほか飛ばなかった。それでも何とか心の平常を保とうと、次なる小石を、空き缶を、果ては風にあおられるビニール袋まで、憎しみを込めて蹴り上げていく。
でもそのどもれもが思いのほか飛ばなかった。
「きゃあっ!」
それどころか宙に舞ったビニール袋が絶妙なタイミングで吹いた風に乗って顔に張り付き、それによって急に視界を奪われたメアは無様にも尻もちをついてしまう。
お尻をさすりながらずれ下がった大き目の眼鏡をくいと上げる。
「え? なになに? ありえないんだけど……」
眼鏡を上げる際、手に触れた水滴が己の瞳から流れているものだと、そう気付いた後でもなおメアは信じることができなかった。
当然だ。メアはこんなことで泣く女では断じてない。自然と口から出た言葉の通り、「ありえない」ことなのだ。その辺の平凡な子供と一緒にされては困る。そう否定しながらも、メアの瞳からはまた一滴、涙が毀れた。
「ホント、ありえない……」
それはお尻の痛みによる涙ではない。ならば、何だ?
困惑と憤りと悔しさで綯い交ぜになったメアの頭はぐちゃぐちゃで、最早そう言葉を漏らすことしかできなかった。
この地に移り住んで早一年が経過し、中学二年生という身分になった。なってしまった。それでもメアが考える理想の状況と今の状況とではあまりにもかけ離れ過ぎていた。まずはそのことに憤慨した。
メアの考える自身のあるべき立場とは、いわば支配者だ。
愚劣で結構。愚昧で結構。周りの人間たちがどんなに愚かなのかはわかりきっていることだ。それだけ自身が優れているのだから仕方がない。だから優れている人間が愚かで馬鹿な者たちをまとめてやらなければならない。それがメアに課せられた使命なのだ。
だがどうだろう。中学校のクラスメイトはメアの方に目を向けようともしない。それどころか、何を勘違いしているのか腫れもの扱いまでする。優れた人間を妬む気持ちは多少なりともわからなくもないが、何故頑なに認めようとしない。それがメアには酷く理解し難く、許せなかった。
でもそれは、もしかしたら仕方のないことなのかもしれない。差があり過ぎるということは、見える世界までもが変わってしまうことと同義なのだから。
わかり易く言い例えれば、周りの人間はいわば蟻だ。
お尻についた土を叩き落としながら、自然と近くなった地面に目を遣ると一匹の蟻が通り過ぎた。例えば今、メアがその蟻の進行方向を手で塞いでやる。
すると、蟻はただ「目の前に壁ができた」としか認識しない。よもやそれが自身より遥かに強大な存在の意思によるものだと、気付こう筈もない。
そういうものなのだ。
周りの人間は皆蟻。虫けらだ。何を悔しがる必要がある。虫の脳に分かれと言う方が酷な話だ。ならば鷹揚に構えて然るべき。泰然としている様こそが支配者に相応しい。
ぐいと、強く握った拳で涙を拭った。
その時、タイミング悪く携帯の着信音が鳴った。画面を確かめると「母」と一文字表示されている。
どうせうるさい小言を言う為だけの着信でしかないことは、メアはよくわかっていたし、ここで出なければ、後々その小言に電話に出なかったことへのお咎めが追加されることもわかっていた。
しかしメアはその着信を無視した。メアにとってその「母」という人物も他と同様に愚か者の部類なのだ。そんな相手に泣き声まじりの声を聞かせるのが、メアは我慢ならなかった。支配者の気高いプライドがそうさせた。
一つ安心なのは面と向かってその小言を聞く必要がないことだ。メアは親元を離れ、通う中学校が保有する専用の女子寮に住んでいる。寮に帰れば食事時を除き、部屋に一人でいられる。
しかし、母の件を除けば、メアにとってそれは唯一の安らぎではなく、余計にこれからへの不安や、その他諸々暗い感情を増幅させる時間でしかなかった。
特に今日みたいな日にはその時間が長くなる。そして挙句の果てには、窓の外の闇を眺めながらぎゅっとシーツの端を力いっぱい握りしめたり、わけも知れずくしゃくしゃに頭を掻きむしったりする。だが、木造である寮の薄い壁を考慮して大きな声は上げず、代わりに野良猫の威嚇にも似た奇妙な呻き声をひたすら枕に押し付けるのだ。
けれども同時に、そう思えるうちはまだ自分は大丈夫なのだと言い聞かせる。何事も前向きな思考へ転換できてこそ大人だ。それだけはメアにとっての確かな安心材料なのであると、そう何度も言い聞かせる。
女子寮へ帰って来たメアはこの日も食堂で時間通りの夕食を済ませるとさっさと風呂に入り、寝巻に着替え、長い髪も半乾きのままベッドになだれ込んだ。
寮の床や戸と同じく年季の入った木製のベッドはきいきいと嫌な鳴き声を発する。それ以上に壁一枚隔てた隣から聞こえてくる頭の悪そうな笑い声が気に障って仕方ない。
思わず布団を頭まで被り、枕に顔を押し付けると、湿った髪がこめかみの辺りを這った。
「バカみたい……」
自分の何が悪かったのか。何が失敗だったのか。
力なく、それでも枕に向かってもう一度だけ悪態を吐いてから、今日の学校での出来事を振り返ってみることにする。
石川メアは歩いていた。
悪態を吐き、肩を怒らせながら。ずんずんと大地を踏みしめ、メアは歩き続ける。
自身の通う中学校指定の制服を折り目正しく着こなし、腰の辺りまである黒髪のロングヘアは先端近くでゆるく結び、掛けられた大き目の縁の眼鏡からは彼女の性格の生真面目さを伺わせる。
メアが足を力強く踏みしめる度に、束ねたボリュームのある髪がブルンブルンと震えた。
「愚か愚か愚か! ほんっと愚か!」
石川メアは憤慨していた。
この世のすべてに、視界に入るすべてに、憤慨していた。
何故この世界の人間たちはこうも愚劣で愚昧なのだろうかと。
抑えきれず、八つ当たりをするように、途中道端の小石を力の限り蹴り上げたが、思いのほか飛ばなかった。それでも何とか心の平常を保とうと、次なる小石を、空き缶を、果ては風にあおられるビニール袋まで、憎しみを込めて蹴り上げていく。
でもそのどもれもが思いのほか飛ばなかった。
「きゃあっ!」
それどころか宙に舞ったビニール袋が絶妙なタイミングで吹いた風に乗って顔に張り付き、それによって急に視界を奪われたメアは無様にも尻もちをついてしまう。
お尻をさすりながらずれ下がった大き目の眼鏡をくいと上げる。
「え? なになに? ありえないんだけど……」
眼鏡を上げる際、手に触れた水滴が己の瞳から流れているものだと、そう気付いた後でもなおメアは信じることができなかった。
当然だ。メアはこんなことで泣く女では断じてない。自然と口から出た言葉の通り、「ありえない」ことなのだ。その辺の平凡な子供と一緒にされては困る。そう否定しながらも、メアの瞳からはまた一滴、涙が毀れた。
「ホント、ありえない……」
それはお尻の痛みによる涙ではない。ならば、何だ?
困惑と憤りと悔しさで綯い交ぜになったメアの頭はぐちゃぐちゃで、最早そう言葉を漏らすことしかできなかった。
この地に移り住んで早一年が経過し、中学二年生という身分になった。なってしまった。それでもメアが考える理想の状況と今の状況とではあまりにもかけ離れ過ぎていた。まずはそのことに憤慨した。
メアの考える自身のあるべき立場とは、いわば支配者だ。
愚劣で結構。愚昧で結構。周りの人間たちがどんなに愚かなのかはわかりきっていることだ。それだけ自身が優れているのだから仕方がない。だから優れている人間が愚かで馬鹿な者たちをまとめてやらなければならない。それがメアに課せられた使命なのだ。
だがどうだろう。中学校のクラスメイトはメアの方に目を向けようともしない。それどころか、何を勘違いしているのか腫れもの扱いまでする。優れた人間を妬む気持ちは多少なりともわからなくもないが、何故頑なに認めようとしない。それがメアには酷く理解し難く、許せなかった。
でもそれは、もしかしたら仕方のないことなのかもしれない。差があり過ぎるということは、見える世界までもが変わってしまうことと同義なのだから。
わかり易く言い例えれば、周りの人間はいわば蟻だ。
お尻についた土を叩き落としながら、自然と近くなった地面に目を遣ると一匹の蟻が通り過ぎた。例えば今、メアがその蟻の進行方向を手で塞いでやる。
すると、蟻はただ「目の前に壁ができた」としか認識しない。よもやそれが自身より遥かに強大な存在の意思によるものだと、気付こう筈もない。
そういうものなのだ。
周りの人間は皆蟻。虫けらだ。何を悔しがる必要がある。虫の脳に分かれと言う方が酷な話だ。ならば鷹揚に構えて然るべき。泰然としている様こそが支配者に相応しい。
ぐいと、強く握った拳で涙を拭った。
その時、タイミング悪く携帯の着信音が鳴った。画面を確かめると「母」と一文字表示されている。
どうせうるさい小言を言う為だけの着信でしかないことは、メアはよくわかっていたし、ここで出なければ、後々その小言に電話に出なかったことへのお咎めが追加されることもわかっていた。
しかしメアはその着信を無視した。メアにとってその「母」という人物も他と同様に愚か者の部類なのだ。そんな相手に泣き声まじりの声を聞かせるのが、メアは我慢ならなかった。支配者の気高いプライドがそうさせた。
一つ安心なのは面と向かってその小言を聞く必要がないことだ。メアは親元を離れ、通う中学校が保有する専用の女子寮に住んでいる。寮に帰れば食事時を除き、部屋に一人でいられる。
しかし、母の件を除けば、メアにとってそれは唯一の安らぎではなく、余計にこれからへの不安や、その他諸々暗い感情を増幅させる時間でしかなかった。
特に今日みたいな日にはその時間が長くなる。そして挙句の果てには、窓の外の闇を眺めながらぎゅっとシーツの端を力いっぱい握りしめたり、わけも知れずくしゃくしゃに頭を掻きむしったりする。だが、木造である寮の薄い壁を考慮して大きな声は上げず、代わりに野良猫の威嚇にも似た奇妙な呻き声をひたすら枕に押し付けるのだ。
けれども同時に、そう思えるうちはまだ自分は大丈夫なのだと言い聞かせる。何事も前向きな思考へ転換できてこそ大人だ。それだけはメアにとっての確かな安心材料なのであると、そう何度も言い聞かせる。
女子寮へ帰って来たメアはこの日も食堂で時間通りの夕食を済ませるとさっさと風呂に入り、寝巻に着替え、長い髪も半乾きのままベッドになだれ込んだ。
寮の床や戸と同じく年季の入った木製のベッドはきいきいと嫌な鳴き声を発する。それ以上に壁一枚隔てた隣から聞こえてくる頭の悪そうな笑い声が気に障って仕方ない。
思わず布団を頭まで被り、枕に顔を押し付けると、湿った髪がこめかみの辺りを這った。
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自分の何が悪かったのか。何が失敗だったのか。
力なく、それでも枕に向かってもう一度だけ悪態を吐いてから、今日の学校での出来事を振り返ってみることにする。
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