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復讐
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その人は、美しかった。
ただ同時に、その美しさはある種の恐怖を感じさせた。
自分が向けている殺意も、それが具現化されたナイフも、その人の前ではなんの意味もなさなかった。
「…やっと、来たんだね。」
その人は薄く微笑んで言ってきた。
その意味はわからなかったが、そんなことはどうだっていい。
俺はやっと、やっとお前を殺せるんだ。
お前に奪われた家族の命、お前に奪われた優しい記憶。
お前のせいで俺は地獄をみてきた。
なぜ俺だけを生かしたんだと恨んだ。
いつもいつも、顔すら知らないお前を思い描いては、どう殺してやろうかと考えていた。
それだけが俺の生きがいだった。
今日やっと願いが叶うんだ。
ナイフの刃を上に向け、タオルを巻いた柄をきつく握りしめ、体を少し前傾にして走って突っ込むだけ。
…な、はずなのに。
なぜ俺は殺せないんだ。
いま持っているナイフを、あと数cm突き出すだけでいい。
それだけで俺の家族の4つの命は報われるはずなのに。
「どうした…殺さないの?もう刃先と僕の服は接してるじゃないか。そのまま力を入れて突き刺せばいい。」
そう言って、俺がナイフを握る手に自らの手を重ねてくる。
「な、んで…なんでそんなに冷静なんだよ…俺が刺したら!お前死ぬんだぞ!?」
「そうだねぇ…僕はね、蒼介くん。色んなことをしてきた。産まれて、話して、見て、聞いて、遊んで…殺しだってした。経験の数だけなら普通の人より多いよ。でもね、僕はまだ体験したことがないことがある。」
そいつは大きく手を広げて高らかに言う。
「なんで…俺の名前…。お前の体験なんていまどうでもいいだろ」
「どうでもよくないさ。僕が体験したことのないこと…それは、死ぬことだ。それを今から君が体験させてくれるんだろう?」
「怖くねぇのか?ああそうか、お前は怖くないから平然と人を殺せるんだな。そんな奴に生きてる価値なんてねぇよな。」
そうだ、だからはやく、はやく殺さなければ。
なのにペースは完全に持っていかれて、話に引き込まれていく。
次の言葉を待とうとしてしまう。
「怖い?どうして?死ぬってどんな感覚だろう、どんな気持ちだろう。走馬灯ってほんとにあるのかな。ほら、楽しみなことばかりじゃないか。…まぁ、せっかく君に会えたことだし、少し命乞いでもしてみようか。死ぬ前に命乞い、してみたかったんだよね。」
「ふざけるな!俺の両親と2人の妹は!お前の勝手で死んだんだ!理由もわからないまま…身体を何度も刺されて!自分の血が吹き上がるのを見て!次は自分だと怯えて!なにもできずに死んだんだ!」
何度も何度も夢にでてきたあの光景。
父さんが、母さんが、妹たちが、順を追って息を止めた。
最後は俺だと、もうどうにでもなれと思っていたのに、俺だけは殺さず走っていった。
残されたのは俺と血の海と魂を失った4つのオブジェ。
まだ少しあたたかかったのを憶えてる。
でも冷たくなっていくのが怖くて、それ以上触れることはなかった。
それから伯父の家に引き取られた俺は…
許せない。
こいつのせいで俺は、俺を失った。
こいつさえいなければ、俺は…
「落ち着きなよ。もう蒼介くんの家族はかえってこないんだからさ。…で、ほんとに僕を殺していいの?」
「その為にここまで来たんだ。命乞いなんて聞かねぇ。」
「まぁまぁ。うーん、そうだなぁ。…僕が君の家族を殺した理由…君だけを生かした理由を教えると言っても?」
唇に手を当てて困ったような顔で聞いてくる。
まるでピエロだ。
「…理由なんてあんのかよ」
「僕だって人の子だよ、理由なしに殺すわけないじゃないか。」
「じゃあなんで…なんで殺したんだよ!」
「言ったら僕を殺さない?」
「…さぁな」
「ギブアンドテイクだよ蒼介くん。別に僕はもう命乞いも体験できたから死んでもいいんだけど。君はいいの?」
どこまでもふざけているような声で、それでも目は据わってる。
どんな環境で育てばこうなるのかと思うほどに人間離れしている精神を目の当たりにして、復讐の気持ちはそのまま、出会った時に抱いていた殺意は消えていた。
「…わかった。」
喉から絞り出した言葉は相手に届いたのかどうか、それさえもわからないが、その人はぱっと笑った。
美しい。
俺の廃れきった心でもそう素直に思えるほどに、全てが計算されたような笑顔であった。
「よし、こんな倉庫じゃアレだし、僕の家に行こう。そこならゆっくり話せるし、蒼介くんが僕を殺したくなったら誰にもバレずに僕を殺せる。」
「無理」
「はやいね」
「…門限厳しいから。ほんとはあんたと話す予定なんてなかった。明日、午後4時にここで。」
冷たい家を思い浮かべて、それでも帰らなくてはとその人に背を向けて大股で歩き出した。
しかし、その人の言葉で立ち止まる。
「知ってるよ。僕、蒼介くんのことぜんぶぜーんぶ知ってる。今の家なんて出て、僕の家に住めばいい。蒼介くん大学行ってないんだし、ほんとの親もいないんだから問題ないよね?」
俺のほんとの親を殺したお前には言われたくない。
あとストーカーまがいのことをさらっと告白するのはやめて欲しい。
ストーカー以前にこいつはもう殺人鬼なんだけどな。
「今の蒼介くんの義理の両親、厳しいってか虐待でしょ。隠してるつもりかもしれないけどさ、ちらちらえげつない痣見えてるからね?そんなの見なくても僕はわかってたけど。」
だから、えげつない殺し方したお前には言われたくはない。
「あっもうこの際だから言うけど蒼介くんの住んでるとこにカメラ設置してあるからプライバシーもなにも筒抜けだよかわいそうにね」
「なっ…!」
ふざけんな、その言葉は、その人の手によって塞がれた。
ハンカチから吸い込んだ薬の匂いで、しまったと思った時にはもう遅い。
薄れる意識の中で必死にもがいた。
「…許してね、蒼介くん。」
微かにそう、聞こえた気がした…
ただ同時に、その美しさはある種の恐怖を感じさせた。
自分が向けている殺意も、それが具現化されたナイフも、その人の前ではなんの意味もなさなかった。
「…やっと、来たんだね。」
その人は薄く微笑んで言ってきた。
その意味はわからなかったが、そんなことはどうだっていい。
俺はやっと、やっとお前を殺せるんだ。
お前に奪われた家族の命、お前に奪われた優しい記憶。
お前のせいで俺は地獄をみてきた。
なぜ俺だけを生かしたんだと恨んだ。
いつもいつも、顔すら知らないお前を思い描いては、どう殺してやろうかと考えていた。
それだけが俺の生きがいだった。
今日やっと願いが叶うんだ。
ナイフの刃を上に向け、タオルを巻いた柄をきつく握りしめ、体を少し前傾にして走って突っ込むだけ。
…な、はずなのに。
なぜ俺は殺せないんだ。
いま持っているナイフを、あと数cm突き出すだけでいい。
それだけで俺の家族の4つの命は報われるはずなのに。
「どうした…殺さないの?もう刃先と僕の服は接してるじゃないか。そのまま力を入れて突き刺せばいい。」
そう言って、俺がナイフを握る手に自らの手を重ねてくる。
「な、んで…なんでそんなに冷静なんだよ…俺が刺したら!お前死ぬんだぞ!?」
「そうだねぇ…僕はね、蒼介くん。色んなことをしてきた。産まれて、話して、見て、聞いて、遊んで…殺しだってした。経験の数だけなら普通の人より多いよ。でもね、僕はまだ体験したことがないことがある。」
そいつは大きく手を広げて高らかに言う。
「なんで…俺の名前…。お前の体験なんていまどうでもいいだろ」
「どうでもよくないさ。僕が体験したことのないこと…それは、死ぬことだ。それを今から君が体験させてくれるんだろう?」
「怖くねぇのか?ああそうか、お前は怖くないから平然と人を殺せるんだな。そんな奴に生きてる価値なんてねぇよな。」
そうだ、だからはやく、はやく殺さなければ。
なのにペースは完全に持っていかれて、話に引き込まれていく。
次の言葉を待とうとしてしまう。
「怖い?どうして?死ぬってどんな感覚だろう、どんな気持ちだろう。走馬灯ってほんとにあるのかな。ほら、楽しみなことばかりじゃないか。…まぁ、せっかく君に会えたことだし、少し命乞いでもしてみようか。死ぬ前に命乞い、してみたかったんだよね。」
「ふざけるな!俺の両親と2人の妹は!お前の勝手で死んだんだ!理由もわからないまま…身体を何度も刺されて!自分の血が吹き上がるのを見て!次は自分だと怯えて!なにもできずに死んだんだ!」
何度も何度も夢にでてきたあの光景。
父さんが、母さんが、妹たちが、順を追って息を止めた。
最後は俺だと、もうどうにでもなれと思っていたのに、俺だけは殺さず走っていった。
残されたのは俺と血の海と魂を失った4つのオブジェ。
まだ少しあたたかかったのを憶えてる。
でも冷たくなっていくのが怖くて、それ以上触れることはなかった。
それから伯父の家に引き取られた俺は…
許せない。
こいつのせいで俺は、俺を失った。
こいつさえいなければ、俺は…
「落ち着きなよ。もう蒼介くんの家族はかえってこないんだからさ。…で、ほんとに僕を殺していいの?」
「その為にここまで来たんだ。命乞いなんて聞かねぇ。」
「まぁまぁ。うーん、そうだなぁ。…僕が君の家族を殺した理由…君だけを生かした理由を教えると言っても?」
唇に手を当てて困ったような顔で聞いてくる。
まるでピエロだ。
「…理由なんてあんのかよ」
「僕だって人の子だよ、理由なしに殺すわけないじゃないか。」
「じゃあなんで…なんで殺したんだよ!」
「言ったら僕を殺さない?」
「…さぁな」
「ギブアンドテイクだよ蒼介くん。別に僕はもう命乞いも体験できたから死んでもいいんだけど。君はいいの?」
どこまでもふざけているような声で、それでも目は据わってる。
どんな環境で育てばこうなるのかと思うほどに人間離れしている精神を目の当たりにして、復讐の気持ちはそのまま、出会った時に抱いていた殺意は消えていた。
「…わかった。」
喉から絞り出した言葉は相手に届いたのかどうか、それさえもわからないが、その人はぱっと笑った。
美しい。
俺の廃れきった心でもそう素直に思えるほどに、全てが計算されたような笑顔であった。
「よし、こんな倉庫じゃアレだし、僕の家に行こう。そこならゆっくり話せるし、蒼介くんが僕を殺したくなったら誰にもバレずに僕を殺せる。」
「無理」
「はやいね」
「…門限厳しいから。ほんとはあんたと話す予定なんてなかった。明日、午後4時にここで。」
冷たい家を思い浮かべて、それでも帰らなくてはとその人に背を向けて大股で歩き出した。
しかし、その人の言葉で立ち止まる。
「知ってるよ。僕、蒼介くんのことぜんぶぜーんぶ知ってる。今の家なんて出て、僕の家に住めばいい。蒼介くん大学行ってないんだし、ほんとの親もいないんだから問題ないよね?」
俺のほんとの親を殺したお前には言われたくない。
あとストーカーまがいのことをさらっと告白するのはやめて欲しい。
ストーカー以前にこいつはもう殺人鬼なんだけどな。
「今の蒼介くんの義理の両親、厳しいってか虐待でしょ。隠してるつもりかもしれないけどさ、ちらちらえげつない痣見えてるからね?そんなの見なくても僕はわかってたけど。」
だから、えげつない殺し方したお前には言われたくはない。
「あっもうこの際だから言うけど蒼介くんの住んでるとこにカメラ設置してあるからプライバシーもなにも筒抜けだよかわいそうにね」
「なっ…!」
ふざけんな、その言葉は、その人の手によって塞がれた。
ハンカチから吸い込んだ薬の匂いで、しまったと思った時にはもう遅い。
薄れる意識の中で必死にもがいた。
「…許してね、蒼介くん。」
微かにそう、聞こえた気がした…
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