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幽霊婦人《シニョーラ・ファンタズマ》

大仕事のはじまり

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 三点の絵のうちの一つ、『貴婦人』の絵を私はじっと見つめる。
 経年により退色が進んでるけど、この絵の特徴として全体的に暖かみを感じる。
 その理由は……表面の絵の具が剥げ落ちた箇所を見ると、下地に『赤』が塗られていることが分かる。

 同じ観点で見れば、『紳士』は落ち着いて重厚な雰囲気。
 これは下地が『黒』で塗られてるから。

 そして、『兄弟』は爽やかで清涼な感じ。
 下地には『青』が塗られていた。

 私は、それぞれの絵の端の方……額縁に収めれば隠れてしまうキャンバスの側面に絵の具がはみ出ている箇所から、ナイフで少しだけ絵の具を削ぎ落としてシャーレに入れる。
 もちろん事前にアンゼリカの許可をもらった上で、だ。


「それをどうするの?」

「魔法絵は機能を果たすために当然ながら魔力が必要になるのだけど……この、『赤』『黒』『青』の絵の具は魔力を蓄積する役割として使うことが多いのよ。だから成分を調べてみて、魔法絵で使う絵の具と同じものなら……」

「なるほどね~」


 まず基本的なところから調べてみるというわけ。

 実際にこの絵がどのような機能を持っているのかは、表に描かれたものを読み解く必要があるのだけど……魔法絵に描かれている絵というのは、ものすごく複雑精緻な魔法陣のようなものだ。
 それを読み解くには気の遠くなるような労力がかかるだろう。
 だけどそれをやらなければ修復なんてできやしない。
 だから、一つ一つ着実に分析を行う必要があるのよ。


 そんなようなことを、アンゼリカとミャーコにも説明しながら作業を進める。

 シャーレに採取した絵の具に、工房から持ってきた薬品類から試薬を調合して数滴たらした。
 すると直ぐに反応が現れる。

「……光ったわ」

「キレイですニャ」

「空気中の魔力を吸収しやすくする薬品よ。そして、魔力に反応が現れるということは……ビンゴね」


 これで、これらの絵が魔法絵である可能性は限りなく高くなった。
 となれば、あの『幽霊』の出現は、機能不全に陥った魔法絵がもたらした結果であると想像できる。

 あとはそれを裏付けるために、この絵がどういう役割を持っていたのか……調査・分析・修繕を行って、魔法絵として復活させる。


「さて、これからなかなかの大仕事になりそうね」

「あ!?そう言えば……報酬の話をしてなかったじゃない!」


 あ~……そう言えば私も忘れてたわ。
 私はそこまでお金に執着してないし、むしろ未知の技法が判明するなら……とも思うのだけど。
 でも、なあなあで済ますのも良くないか。


「魔障怪異の相談で商売してるわけじゃないし、相場も決めてないのよね。まあ、実費プラスお気持ちで……」

「欲がないわねぇ……。じゃあ、詳しい話は作業の休憩の時で良いかしら?」

「ええ。一区切りがついたら言うわ」

 とりあえず報酬の事は頭の隅に追いやり、私は作業に集中し始める。
 その様子を察したアンゼリカも、それ以上声をかけてくることはなかった。



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆




 この絵の機能……かけられた魔法の術式を読み解く。
 一口にそう言っても、先に言った通りそれは至難のわざ。
 全体の構図、使われている色、描かれたもの、人物や服装、小物に至るまで何らかの魔術的な意味を持って描かれているはず。
 それら一つ一つをつぶさに眺め、目を凝らし、時に指でなぞったり、僅かに残った魔力の流れの痕跡を辿ったり。
 そうして調べて分かったこと、気になったこと、感じたこと、疑問に思ったことなどを、ミャーコに伝えてメモを取ってもらう。
 私自身は魔力の痕跡から魔法術式を逆引きして、やはりメモに書き写したりする。

 そうやって地道に、少しずつ絵の秘密を解き明かしていく。
 割と早い段階で、魔術的な意図で描かれている事は分かったので、魔法絵であることは既に確定。


 それからまるまる午前いっぱい集中して調査を行った。
 私とミャーコが書き記したメモは既に数十枚になるが、調べた範囲は『貴婦人』の絵の三分の一にも満たない。
 三点全てを調べ終わるのには数日がかりになるかしら……

 でも、この絵の機能についてはある程度の予測がついた。
 たぶんこの絵は、守護を担っている……いや、担って『いた』。
 流石に詳しい能力まではまだ分からないし、印象レベルではあるが、少なくとも方向性は間違ってないと思う。

 そして、やはりこの絵は単体で機能するものではなさそう。
 『貴婦人』『紳士』『兄弟』の三点が揃って初めて魔法絵として機能するということ。
 一点だけでも相当な大きさなのに、三点もの魔法絵が必要となる……それはかなりの大規模魔法術式が込められてるということに他ならない。
 この絵が守護を担っていたとして……果たして、これ程の術式を用いて護るものとは一体なんなのかしら?


「ふぅ……流石に疲れたわね。もうお昼時だし、一旦休憩しましょうか」

「ニャ!お昼ごはんですニャ!」

 ずっと集中して調査していたから、流石に疲れた。
 私ってのめり込んじゃうと周りが見えなくなっちゃうのよね。
 ミャーコも何も言わずに付き合ってくれてたけど、悪いことしちゃったかも。

 アンゼリカもいつの間にかいなくなってる……と思ったら。

「マリカ、そろそろ休憩しない?お昼ごはんも準備が出来てるわよ」

 当の彼女が作業部屋にやって来て、そう言ってくれた。
 わざわざ私達のお昼ごはんを用意してくれてたのね。
 街に出て外食しようと思ってたけど……せっかくのご厚意だからありがたく頂くことにしましょう。

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