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1章. ゆい

machi.12

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中里総合病院は、社会貢献事業の一つとして、立場の弱い女性を支援している。私のように一人で子どもを産み、育てる場合に職と住まいを提供したり、マリカちゃんのように家庭に問題があり、自立したい場合に身元を匿ったり、職をあっせんしながら専門学校に通わせたり。

「…もらってた学費、出産費用に充てちゃったから」

反対されると分かっていたから、他の選択が出来なくなるまで、親に言わなかった。

上京し、一人暮らしをしてまで通わせてもらっていた大学を、勝手に辞めて出産した私に、両親は絶縁を言い渡した。

『二度とこの家に帰ってくるな!』

…母の涙を初めて見た。
地味に平凡にまじめに生きてきた自分が、親を泣かせるようなことをするなんて、あの時まで思いもしなかった。

「はは、ゆいはホントまじめだよ」

マリカちゃんは笑い、

「…でも、だから、心配なんだ」

アチチ、と言いながら鶏肉をほおばる。

「子育てなんて、うまくいかないことばっかりじゃん。それで24時間休みなし。365日待ったなし。もちろん、やっぱり止める、なんてあり得ないし」

マリカちゃんは、義務教育すら充分に通わず、ずっと弟妹の面倒を見ていたらしい。

「ふふ、…うん」

お鍋の蒸気が熱くて、少しだけ目の前が曇る。

「そこまでして翔を守ってるんだもん。ゆいは、…ヤリ捨て男のこと、まだ好きなのかもしれないけど…」

だから、マリカちゃん!

またしても翔を盗み見る。
すでに締めのうどんに入っている。
会話の意味が分からないことを願おう。

「それはそれで、思い出としてとっとけばいいんじゃない。誰だって、忘れられない思い出くらいあるでしょ。まぁ、あたしは正直、最低男だと思うけどね」

マリカちゃんは辛辣に言い切って、うどんを取り分けながら

「あの先生が何にも言わないのは、ゆいを急がせたくないからだと思うよ。…それって多分、ゆいが思ってるよりもゆいのこと、大事に思ってるからじゃないかな」

優しい目を翔に向けた。

容赦しない。

なんて言って、結城先生は何もしない。
決定的なことを言って、私が選択しなきゃいけなくなるのを避けてくれている気がする。

「遊びで子持ちに手出すようなら、あたしが全力で張り倒してやるから」

マリカちゃんが私を見て、力強く断言する。

「踏み出しても、いいと思うよ。あたし、ゆいには幸せになってほしいんだ。こんなまじめに頑張ってるんだもん。あの人、神様がくれたご褒美じゃん?」

うどんを食べながら話すマリカちゃんが、湯気の向こうで曇って見える。

きっと、マリカちゃんに会わせてくれたのも、神様がくれたご褒美。
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