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5章. ゆい

machi.66

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「新しい病院は、もう慣れた?」

昼食後、お昼寝をした翔を母が見ていてくれるというので、
稜さんと散歩に出た。
初夏の風が気持ちいい。

「はい。父も母も弟も、翔に甘くて、
家事も育児も手伝ってもらえるので、仕事に行くのも楽です」

杏子師長が支援事業を通じて、聖北斗総合病院を紹介してくれ、
また働き始めて2か月が過ぎた。中里病院での経験を買ってくれて、
看護助手の仕事を多く任せてもらっている。

マリカちゃんに教えてもらって、看護師の通信講座も始めた。
実家は私を心地よく包んでくれるけれど、頼りきりになるのは違うとわかっている。

やはり看護師の資格を取って、自分を安定させて翔を育てたい。

「聖北斗の理事長、出来る人らしいな」

稜さんはさりげなく相槌を打って、そのままの口調で、

「…ゆい、夏が終わったら、俺もこっちに移るよ」

そう告げた。

稜さんを見ると、世間話をする風情で、深い意味はなさそうに見える。
でも、稜さんが秋田に移る理由なんて。

「言っとくけど、これはゆいには関係ない人事上の都合だから」

自転車で通り過ぎる制服姿の2人連れと共に、風が駆け抜けていく。

「祐の家庭教師でもするかな」

稜さんが軽口をたたくけれど、私はどうしても胸がいっぱいになってしまう。

稜さんにそこまでしてもらって、私は、…

「ゆい」

稜さんが私の頭を片手で抱いてそのまま自分の胸に押し付けた。

「ゆい。何も言うな」

稜さんの胸は温かくて、泣きたくなった。

私はまだ悠馬を想っている。

悠馬からは何の連絡もない。
それが答え。

眼鏡が送り返されてきた。
それが答え。

わかっている。
終わりになったってわかってる。

稜さんが私を抱きしめて、髪をなでた。

「秋田、いいとこだよな。空は青いし、風は爽やかだし」

稜さんの声が優しくて、胸が痛い。
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