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番外編. 稜

02.

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気を失ったように眠った水村ゆいは、頬に涙の跡を残していた。
そのまま抱き上げると驚くほど軽く、それでいて温かくて柔らかい。
ほとんど息を殺すようにして、そっと慎重に仮眠室に運び、ベッドに横たわらせた。

顔に貼りついた髪を払う。
傷んだところのないしなやかな髪。

先ほどまで涙を湛えていた黒目がちの大きな瞳は、静かに閉じられている。
青白い顔をしているが、きめの細かいきれいな肌に、ほのかに赤い唇が引き結ばれている。

額にそっと触れてみる。

守りたい。

自分でも戸惑うほどの強烈な感情が、何の前触れもなく沸き起こった。

落ち着け。
冷静になれ。

理性で言い聞かせるには強力過ぎる。

ゆいを、傷つけるすべてのものから、
俺がこの手で守ってやりたい。

こんなふうに、誰かを守りたいと思ったのは初めてだ。


夜間診療を行っている間、気が気ではなかった。

ゆいが目を覚まして、いなくなってしまうんじゃないかと思うと、えも言われぬ不安に襲われた。

診療の合間に何度も仮眠室に出入りした。

ゆいは静かにそこにいた。

ゆいの隣に寝かせた息子の翔が目を開けていた。

「ここは、病院だ。お母さんは隣に居るから安心しろ。朝になったら、家まで送ってやるからな」

人の心を見透かすような、聡明な瞳が俺を真っ直ぐに見ていて、
ゆいに対して抱いている俺の想いはこの子にはすっかり知られていることが分かった。

見かけはこの歳の子どもの平均よりずっと小さいが、内に秘めた洞察力が桁外れに高い。

ゆいが受けてきた事柄の全てを、その聡明な瞳で見守ってきたのだろうと思った。

翔は何も言わず、小さく頷いた。

ゆいが、自分のすべてで守っている宝物を、俺も守りたい。

翔の頭をそっと撫でた。


朝になって、ゆいが目を覚まし、俺をその瞳に再び映し出したとき、
胸が締めつけられるような、
それでいて底知れない興奮が湧き上がるような、
何とも言えない気持ちになった。

何としても、ゆいとの関係をしっかり作っておきたくて、かなり強引に話を進める俺に、

「結城先生って、なんか、強引すぎます!つ、ついていけませんっ」

頬を赤く染めてまくしたてるゆいが可愛くて仕方なかった。

抱きしめて、安心させてやりたい。
ゆいが望むすべてを与えてやりたい。

沸き起こる衝動を抑えるのに苦労した。

俺の腕の中で俺を見つめる翔に何もかも見透かされていると思うと
うかつなことはできない。

ゆいの髪をそっと撫でるにとどめた。

ゆいが俺と同じ病院で働いているのは幸運だった。
何かと気にかけられるし、使えるものも多い。

「翔、朝ごはん、何がいい?何でもいいぞ」

子どもはどちらかというと苦手な部類だったはずが、翔は特別らしい。
孫を甘やかす祖父のようになっている。
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