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番外編. 稜

13.

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「稜さん!」

ゆいの弟の祐は高校三年生で、医学部を志しているらしく、俺の話を素直に聞いて、驚くほど何でも吸収していく。
多分、患者思いのいい医者になるだろう。
一緒に勤務する日が来るのが楽しみだ。

「翔、いい子にしてたか」

翔は俺の訪問をいち早く察知して可愛らしく出迎えてくれる。
抱え上げると小さな両手を首に回してしがみ付いてくる。
会うたびに重さが増しているように感じる。
健やかに成長していることに安心する。

「…ゆい」

ゆいに触れると、ゆいは俺の腕の中ではにかんだ笑顔を見せた。
何度触れても、初めてのように。
柔らかくて甘くて頼りない。

愛しくて胸が痛い。

俺はいつまでお前に触れることを許されるだろう。

その日が来るのを恐れながら、
でも、確かに、
その日が来るのを願っている。

ゆいの幸せを心から願っている。



「姉ちゃん。…リナが来てる」

その日は、突然やってきた。

悠馬の妻が離婚届を持ってゆいに会いに来た。

何を捨てても何を奪っても
自分の命を引き換えにしても
悠馬をつなぎとめたくて必死であがいた。

愚かだけど。許しがたいほど愚かだけど。

気持ちはわかる。痛いほど。

もう誰かを。自分を。
傷つけるような恋をするなよ。

「稜さん、私、…」

リナから悠馬の帰国を知らされたゆいの目には悠馬しか映っていなかった。

ゆいと翔を連れて秋田空港から東京へ向かった。



ゆいを励ますためにその手を握った。

小さくて。一生懸命で。
冷たさに、汚れに、触れて荒れて。
ささくれて、血を流して。
子どもを守るために必死で。

お前のこの手が好きだよ。

親指の腹でそっと撫でる。

俺は少しでもお前を守れたかな。
少しでもお前を笑顔にできたかな。

空港の到着ロビーは多くの人で溢れていた。

こんなにも大勢の人がいる中で、たった一人だけを探している。
腕に翔を抱えながら、ゆいはもう何時間も立ち尽くしていた。

この世界にいる大勢の人の中で、たった一人に出会えるのは奇跡だと思った。

出会えたこと。
共に過ごせたこと。

泣き顔も怒った顔も。
焦ったり甘えたりふざけたり。

『稜さん』

俺を呼んで俺を映してくれたこと。

触れ合って溶け合ったぬくもり。
しなやかさ柔らかさ、そして強さ。

ありがとう。

お前の全てを忘れない。

「パパ―――――っ」

ゆいと翔が悠馬を見つけて、悠馬がその目にゆいを映した。

さよなら、俺の初恋。
さよなら、俺の最初で最後の、愛しい人。


ゆいの唇に最後のキスをした。
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