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1章.迷走トライアングル

05.

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猛獣セレナを瞬時にモンシロチョウに変身させてしまう、ななせの見た目は半端ない。完璧に整った身体バランス。長い手足。柔らかい髪。澄んだ瞳。通った鼻筋。そして、魅惑の唇。

「俺、ちょっと出てくるから」

そこから紡ぎ出される甘く沁みる声。あの声で囁かれたら何でもイエスと言ってしまう。至福のウィスパーボイス。

ななせは、大学に通う傍ら、Galaxiesギャラクシーズというバンドで、ギタリスト兼プロデューサーみたいな感じで音楽活動をしている。Galaxiesは昨年のドームライブが国内外で高い評価を受け、話題性と知名度が一気に上がり、今やすっかり時の人となった。実際、うちのマンション付近にも追っかけやマスコミが甚だしく潜んでいる。

「じゃあ、芦谷さん。うちのバカ、よろしく」
「は、はいっっ‼ ドーンとお任せくださいっ」

ななせは滑らかな動きで私の頭に軽く手をのせると、ほんの一瞬緩い微笑みを浮かべて出かけて行ってしまった。Galaxiesの人気に比例して、ななせも多忙を極めている。

もう。誰がバカだし。

と、思うものの。

顔が熱い。ななせが触れた髪の毛がジリジリする。
ななせはほんの一瞬で。眼差しで。指先1つで。私の呼吸を根こそぎ奪う。

「おい、こら、そこの色ボケバカぼちゃ。出かけるぞ」

気が付けば、モンシロチョウが猛獣に戻っている。
バカぼちゃは言い過ぎじゃない? かぼちゃに謝ってくんない? てか、一オクターブ高い歓声はどこ行ったし。

「生ナナセくん、マジ神。微笑みの破壊力半端ないっ‼ いいなぁ。あんな奇跡のイケメンに頭ポンとか。あーあ、ちくしょう、飲まなきゃやってられないっての‼」

荒ぶった猛獣セレナに腕をつかまれてずるずる引きずられる。

「…えーっと、セレナさん。家呑みじゃなかった?」

気が付けば通路を半分ほど引き返し、我が家の玄関からはるかに遠ざかっている。

「ななせくんが居ないあんたの家に用はない」

ビシッと一言。
えええ―――、ななせを見たかっただけかい。

がっくりくるものの、そう言い切る現金な友人はむしろ潔い。
まあ、仕方ないか、と素直に引きずられて飲みに繰り出すことにした。外で飲んでから、帰って、また家でも飲むかもしれないし。

そもそも、今の私があるのもセレナ卿のご助言あってのことだし。
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