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インドゾウはお好み焼きに変わる【1話完結】

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 雑誌編集会社に務めて今日でちょうど二十年。

 特別なことも無く、ましてや会社務め二十周年記念のような謎お祝いなどしたくもないので、今日も今日とて帰宅して寝るだけだ。

 少しは自分のご褒美で何か贅沢しても良いのだが、都会から微妙に離れた勤務先周辺には、廃れたスーパーとコンビニくらいしか寄るところが無い。おまけにどちらも一人暮らしアパートと逆方向の位置にある。

 ふかふかベットで安らか睡眠を取りたいのもやまやま、胃を満たしたいという欲求もやまやま……はあ、心も身体もやまやまして来た。

 そんなやまやま男が歩く一本道。
 普段お目にかからないレアな現象が起きていた。

 ……あれは、屋台?

 サラリーマンやおじさんが良く通うような、移動式屋台が道横で営業じゃないか!

 のれんにはお好み焼きの文字。
 おでん屋のイメージがあるが、お好み焼きも悪くない。いや、それどころかこのソースの香りが……これはつい足が進んでしまう。

 お客さんが一人来ているようだが、まあ気まずい程重い空気にはならないだろう。

 睡眠より食欲に天秤が傾いた私は、のれんを片手で捲りながら席に失礼する。

「お、いらっしゃいお客さん。い~いお好み焼きを焼いてんだ、おひとついかがかな?」

 明るいテンションでおもてなしな店主のおじさん。イケおじと言うべきか、清潔さと職人深い雰囲気のある人だ。
 私もこんなイケてる大人になりたいものだ。イケおじパワーで私の黒ずんだクマを綺麗さっぱり取って欲しい。

「ではお好み焼きを一つ。あ、お好み焼きの種類あります?」
「ああいやあ、俺んとこの店は一本一筋。インドゾウお好み焼きしかないんですわ」
「あ~じゃあそれを一つ」
「まいど~ッ」

 長椅子によいしょと座り、資料で重くなった鞄を無造作に置く。
 あ~除菌ティッシュ鞄から出すの忘れたなあ、まあいっか。

 ……ところでさ。

 インドゾウお好み焼きって何よ?

 疑問を浮かべた表情な私に、隣でスマホを弄っていた二十代くらいの男が声をかける。

「ここに来るの初めてですか?」
「あ、ああ初めてです。ちょっと変わったお好み焼き屋なんですね」
「実は僕も初めて入店したんですよ、お仲間ですね~」

 と爽やか笑顔で答える男。
 こうゆう場所は、むさ苦しいおっさんが集うと偏見を持っていたが、案外そうではないのかもしれない。

 あ、むさ苦しいおっさんが一人いましたわ。もちろんピチピチ四十代を迎えた独身男性、私である。

 本来の意味でピチピチな二十代は、爽やかを維持しながら語り出す。

「インドゾウお好み焼きって何でしょうかね~、ゾウに詳しくないんでイメージがつかないです」

 ここで私は目をキラリンさせる。

「インドゾウはアジアゾウの亜種。名前の通りインドを主に、ネパール等のアジアの森林地帯で生息しているゾウです。アフリカゾウよりもやや小さいのが特徴なんですよ」
「……ほお、なんか凄いです」

 やってしまった。
 おじさんの一人語りアンド知恵披露劇を!

 私は普段社内では、‪女性職員から邪魔者扱いされ、上司からは説教ばかり。入ってきた後輩はもれなく三年で会社を辞めてくので、ココ最近はまともに会話というものをしていなかったんだ。

 ごめんよ爽やかボーイ、むさ苦しいおっさんを許してくれ。
 あ、念の為あれしておくか。

「私の会社に入りませんか? とってもアットホームな」
「嫌です」

 即答で爽やかに流された。

「あ、まあそうですよね、ははは」

 少し気まずいこの空間を亜空切断するように、イケおじ店主が鉄板にお好み焼きの元、キャベツとか具が諸々入ったやつをトロトロ流し込みながら言う。

「来ましたぜぃ! これがインドゾウお好み焼きの醍醐味よ!」

 私はこの光景を忘れることは無いだろう。

 トロトロだったお好み焼き原液は、ムクムクと形を作り上げ、ミニサイズなゾウの形へと変わる。

 それだけでは無い。

 あろうことか、原液ゾウは鉄板の上で歩き出した!
 鼻を器用に上下させ、大きな耳を仰ぎ、小さな尻尾をゆっさりと揺らす。
 まるでそこに本物のインドゾウが生きて歩いているようだった。

「わ、わあ! なんですこれ!? お好み焼きショーみたいなやつですか!? めっちゃ感動です!」

 とテンション爆アゲな二十代。これが若さかあ。

 そして私は妙に落ち着いていた。いや、驚きはしたんだよ?
 たださ、一周まわってなんか落ち着いちゃったんだよね、動くゾウ可愛いし。これがおじさん……年かあ。

「え、なんでそんな反応薄いんですか、やばいですよこれ! あ、写真撮ろ!」

 二匹のお好み焼きになる前のゾウが可愛らしく歩き回る中。

 心が虚無な私にツッコミを入れながら、スマホを構えてパシャリする若者。無邪気な笑顔が、スマホで撮った写真を見て少し崩れる。

「あれ? ゾウじゃなくて普通のお好み焼きが写ってます。おかしいな~もう一度撮りますか」

 その時、背筋がゾワッとする感覚を覚える。この強く恐ろしい眼差し、店主が若者に向けた目付きだ。

「お客さん、写真はいいですけど、ちゃあんとお好み焼きを食って貰わないと困るんですよ」

 今までの雰囲気とはまるで違う、これは……殺気?
 若者はこのお怒り店主の逆鱗に触れてしまったのか。

 ちょいちょい若いの、店主の機嫌を損なわないように、礼儀正しく謝ってヒラでお好み焼き作り始めるぞ。
 ……なニュアンスで若者にアイコンタクトをとるが、悲しきかな、私の思いは届かなかったようで。

「もちろん食べますから、あと一、二枚撮ってからで……すみません!」

 すみませんと思うならするなって。
 これだから若者はなあ。
 理不尽なこともとりあえずはいと言っとけばいいものを……

 もしかして目付きに気づいてないのか?
 私の思い違いだろうか……

 若者の失礼発言に店主は顔を少し曇らせるも、特に何も言うことなく当初のイケおじの雰囲気に戻る。

「まあ、美味しく食って貰えりゃそれで十分さ。さあ、ヒラで焼いてくれ」

 と、すしざんまいの如く両手を広げてどうぞする店主。

 その両手に囲まれた鉄板の上でパーリーするインドゾウ。

 ヒラで焼いてくれって言っても……この可愛いゾウをヒラで潰すってことか?

 とある宗教的に猛反対されそうな行為だし……

 よく考えてみれば悪どいことしてるぞこのおじさん。
 あれだ、動物の形をした可愛いらしいアイスシャーベットを、スプーンでグサグサ刺して得てはいけない快楽を得る狂人に違いない。とても気味が悪い。

 ……まあ、けどお好み焼き頼んだ訳だし、食べないって選択肢は無いよな。

 そう思いながら相も変わらず可愛い動作をするゾウに目を向ける。

 どうゆうカラクリか検討がつかないが、相当な技術かマジックなのか、二匹のゾウはひとりでに……いや二匹でにそれぞれ別の動作をしている。

 私がヒラでツンとゾウをつつく。
 つつかれたゾウは、お好み焼きの原液っぽくトロッとしたが、何事も無かったように元気に歩く。

 実体があるのか……まあそりゃそうなのか?

 見れば見るほど不思議でならない、私は日頃の疲れで幻覚でも見ているのだろうか?

「何つんつんしてるんですか、美味しいお好み焼きが可哀想ですよ」

 隣の若者がそんなことを言ってきた。
 さっきまでおまえも写真撮って可哀想な行為してただろ。お互い様じゃないか。

 そんな可哀想発言な若者の手に目をやると。

「え、ヒラでもう広げたんですか?」

 あの元気に愛想振舞っていた一匹のゾウは何処へやら。そこには一般的に見るような、平べったいお好み焼きが一つ。

 こいつ……あの可愛いゾウをもうヒラで広げてやがった!

「そりゃお好み焼きですからね、広げないと食べれませんよ?」

 とキョトンとする若者。

 確かにそうなのだが……写真撮ったらもうそれでいいのかよ。殺気店主よりもある意味怖いぞ。

 まあ若者に合わせて、私もお好み焼き作りしますか。

 私はヒラをゾウに近づけさせる。
 ヒラが迫って来たことに怯えるゾウ。

 ……震えながらヒラと私の顔を交互に見るのやめてくれない?
 本当にやっちゃうんですかみたいな動作しないでよ、ね、お願いだから。

 震えるゾウに感化されるように、ヒラを持つ私の手も震えて来た。

 若者のやつ……本当にこの可愛げな生命体をお好み焼きに変えちゃったのか?
 よく出来るよなあ、我おじさんには無理っすよ。

 私は店主に伝える。

「このゾウ可愛いですよねえ」
「はは、いいだろうこいつら。さあ、食ってくれ」

 食ってくれ、に私は申し訳無さを感じつつ続ける。

「いや~可愛いすぎて、その、食べずらいと言いますか、普通のお好み焼きを食べたいなと」

 怒るんじゃないかと内心ヒヤヒヤしていた私は、笑顔でなんとか乗り切ろうとする。

 その笑顔を断ち切るように、店主は私以上の笑顔で言う。

「そりゃないですぜお客さん、ゾウがせっかくお好み焼きになると踏ん切りつけて、鉄板に居るんだからよお。可愛いのはもちろん共感だが、逆に食べないとこいつらの本望にならないんよ」

 本望ねえ、怯えるゾウはその本望やらを本当に持っているのか疑い深く感じる。
 てか本望って。まるでこのゾウが、心持つ生き物みたいじゃないか。

「ご馳走様でした」

 隣の席からそんな声が聞こえて来た。
 若者のところに空になった皿が一枚。

 ……え?
 もうお好み焼き食べ終わったのか?
 いくら何でも早すぎる。

 お好み焼きを皿に盛る動作も、なんならいただきますの声も私は見るも聞くもしなかったのか?

 若者はお金を無言で出し、虚ろな目で席を立つ。

「おい、君」

 私の声を気にもとめず、若者はのれんを手で捲りながら去っていった。

 食べ終わった後の若者、様子がおかしかったような。

 私の表情を読み取ってなのか、店主は疑問に答えるように言う。

「あのお客さんはここでの記憶は消えてなくなっちまったんだ。残っているのは美味しかったという記憶のみ、ゾウや私、あなたの顔なんぞ知らないのさ」

 笑みを浮かべる店主。
 その笑みはイケおじパワー溢れるものだったが、少し不気味に感じるのは決して気の所為では無い。

「記憶がない?」

 私は思った通りに口にした。

 だってさ、おかしいでしょ。
 ゾウも十分おかしいが、お好み焼き食べてここで起こった出来事を都合よく綺麗さっぱり忘れるなんてさ。

「まあこちとらこのゾウを見られたからにはねえ。ま、気にせずお好み焼き食ってくれよ、食べねえとおまえさんの魂取っちまうぞってな。ハハハハッ」

 このおじさんが言ってることはデタラメだと思った。いや、思いたかった。

 そう、私には思い当たる節があったのだ。

 私は仕事上あらゆる雑誌の記事を日頃目にしている。
 つい先週くらいだったろうか、いつも通り記事を編集する為、とある記事を事前に読もうとした時。

 《謎に包まれたお好み焼き屋、各地で出現中》

 といった記事を見つけたのだ。
 正直こういった謎系はつまらないものばかりなので、雑誌の記事に載せるにはなあと飛ばすのが普通だった。
 しかし、この時ばかりは記事を読み込んでいたのだ。

 謎のお好み焼き屋を訪れた客は皆、口を揃えて、覚えていないけど美味しかったと。

 そして、写真を撮った形跡……いわば証拠写真は全て、何故かお好み焼きを焼く前の原液であったこと。

 結局その記事を載せることを見送った私は、今起こっているこの現象に対面するまで思い出せなかった。

「ハハハ……」

 とりあえず店主に合わせて笑う。

 この謎お好み焼きを口にしても、身体に害は無いのだろうか?
 どうする、どうすればいい?

 鉄板の上で未だに私を可愛げに見つめるゾウ。ゾウの足はだんだんと焼けており、それを我慢するかのように足を順々に上げては下ろしている。

 謎のお好み焼き、可愛いゾウ、もいっそのこと、食べないという選択肢を取った方がいいのでは?

 私はまだ完全に焼けておらず、平べったくないゾウ状態のやつをそのまま皿に乗せた。

「すみません店主、私はこのお好み焼きをここで食べることが出来ません、急な用事を思い出してしまって。出来れば、家に持ち帰って食べたいのですが」

 そうだ、この可愛いゾウを家に持ち帰ってしまえばいいのだ。

 なんて名案!
 今日からお好み焼きインドゾウとの楽しい生活が待ってるぞ!
 問題は賞味期限とかで腐らないかだな。

「それがおまえさんの答えかい? 食べない、と」
「家で食べますよ」
「ここで食べるか、食べないか、だ」
「ここでは食べません、すみません、そろそろ時間なので……」

 お金を置き、席を立とうとする私に、店主は今まで見てきた中でも一番の不気味な笑みを向ける。

「ああ、そろそろ時間だな」

 店主の言葉が頭に響く。
 これは何だ……偏頭痛?

 目の前が、急に暗く───

「だから言っただろ、ちゃんと食べろと。まあ、おまえさんは可愛いゾウを一人救えたんだ、誇って眠ってくれ」

 男の身体はガタッと音を立てて突っ伏す。

 横に置いてある皿のインドゾウは、いつの間にか元のお好み焼きの原液に戻っていた。

 店主が鉄板を油を染み込ませたキッチンペーパーでひと拭きした後、突っ伏していた男の身体はむくっと起き上がった。

 手をパタパタと身体を触りながら動かし、店主を見ながらそいつは言う。

「長いこと鉄板の上で踊っていて忘れていたな、関節の動かし方が寧ろ違和感があるくらいか。はあ、もっと若い者が良かったが……潜在能力は悪くなさそうだ」

 店主は特に驚きもせず、客と会話を始める。

「お客さん、なかなか可愛い仕草だったじゃないか、接待業でもしたらどうだい?」
「お客さんと呼ぶでない。わしはもうおまえの趣味悪いお好み焼きなど見たくもない。クソっおまえを一発殴りたいところだが、それすら叶わないのか……この小銭くらいは貰っていくぞ、これでチャラなんだから安いものだろ?」

 男は身だしなみを整えてから、重いバックに小銭を適当に突っ込み歩いて行く。

 暗い、人だかりのない道にあった店は、いつの間にか消えていた。



 ◇◇◇



「お、いらっしゃいお客さん。い~いお好み焼きを焼いてんだ、おひとついかがかな?」

 明るいテンションでおもてなしな店主のおじさん。イケおじと言うべきか、清潔さと職人深い雰囲気のある人だ。
 だが私はこのイケてる大人の正体を知っている。イケおじパワーの中に隠された、黒ずんんだ汚い心を。

「何かおすすめは?」
「俺んとこの店は一本一筋。インドゾウお好み焼きしかないんですわ」
「ではそれを一つ頂こう」
「まいど~ッ」

 長椅子によいしょと座るサラリーマン。

 インドゾウお好み焼きって何よ?
 と隣の客と話し始め、言葉のバトミントンして大いに盛り上げている。

 盛り上げサラリーマンズの間に、イケおじ店主が鉄板にお好み焼きの元、キャベツとか具が諸々入ったやつをトロトロ流し込みながら言う。

「来ましたぜぃ! これがインドゾウお好み焼きの醍醐味よ!」

 私はこの光景を忘れることは無いだろう。

 私を興味津々に見てくるサラリーマンズ。
 徐にスマホを向けてシャッター音が鳴り響き、フラッシュの光が私を一瞬眩しく照らす。

 大きな耳をパタパタさせ、長く伸びた鼻を縦横無尽に動かし回す。

 私は、必死にお客さんに可愛げアピールしなければいけないのだ。

 どうだいサラリーマン、私が可愛いくて仕方ないだろう?

 だから頼むよ。
 その手に持つ大きなヒラを置いてくれ。
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