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第四章:騎士学校・陰謀編
第39話 完全体
しおりを挟む神の器の成り損ないが崩れ落ちたあとの聖堂は、まるで時間の流れそのものを喪ったかのように静まり返っていた。
息苦しいほどに重たい沈黙の中、ただ、魔力の残滓が死骸から立ち昇り、青白い霧となって足元を這っていた。
僕は短刀を手にしたまま、その場に膝をついていた。全身から力が抜けていく――が、まだ終わってはいなかった。
音もなく、成り損ない身体に変化が起きた。
死骸は急速に腐敗し、そこから黒く染まった粘液がじわじわと漏れ出す。魔力の暴走により歪んだ骨が次第に砕け、腐食し、形を保てなくなっていく。
「……これは」
誰かが小声つぶやいた。
その腐敗と崩壊のただ中で、奇妙な逆流が起きた。皮膚のない顔面に、ほんの一瞬だけ、血色のある〝人間の顔〟が浮かんだのだ。
それは――ひどく痩せこけた男だった。髪も乱れ、頬はこけていたが、その目には生命の残滓が宿っていた。
虚空を見上げるその視線は、どこか〝諦め〟を滲ませたまま、ゆっくりと閉じられていった。
「……あの顔……見覚えがある」
背後から近づいてきた調査隊のひとり――帝都の高等魔術師にして、過去の教団資料を担当していた青年が、蒼ざめた顔で声を絞り出した。
「記録に残されていた。間違いない……あれは、教団幹部のひとりだ。禁術の筆頭研究者……」
その言葉に場が凍りついた。つまり――あの化け物は、幹部自身だったのだ。
「……自分を、器にしたのか?」
誰かの声が、ひどく乾いた響きで漏れた。
「おそらく――」カチャが答えた。「儀式の成立には〝核〟となる強い意志が必要だった……信仰と執念、そのふたつが融合していなければ、あれほどの化け物は完成しない」
「命を賭してまで、神の器になろうとした……か。そうまでして、連中は何を呼ぼうとしていたんだ?」
隊長の言葉に、誰も即答はできなかった。
腐敗は急速に進んでいた。筋肉が溶け、皮膚が崩れ、やがて骨すらも湿った灰となって崩れ落ちる。気づけば、人の形を示すものは何ひとつ残っていなかった。
床に広がる暗い染みと、焼け焦げた魔力痕――それが、教団幹部の〝成れの果て〟だった。
「……死体の回収は無理だな。すでに肉体の崩壊が始まっている」
調査員のひとりが、慎重に痕跡を採取しながらつぶやいた。
幹部が自らを〝神の器〟にしようとしたという事実は、驚愕すべきことだった。
あの強靱な再生力と魔術的抵抗、そして異常な魔力の核構造――それらが自発的に構築されたとすれば、教団はまだ他の〝器〟を作ろうとしている可能性がある。
「……まだ終わりじゃないな」
僕は、床に残った痕跡を見つめながらつぶやく。
あの男は、ただの実験体ではなかった。信仰者として、自ら進んで異形の器になった。ならば――〝完成品〟が別に存在する可能性は、限りなく高い。
聖堂の奥、封じられた扉の先から、わずかな気配が漂ってきていた。
地下聖堂の空気は、戦闘のあとの魔力の焼けるニオイに、湿った石と血の腐臭が混ざり合って、よりいっそう重く沈んでいた。
柱のひとつは半ば崩れ、天井から落ちた瓦礫が床を割っている。かつて神聖だったはずの建築装飾が朽ち、ねじれ、得体の知れない〝侵蝕〟の痕跡を晒していた。
「この先に……まだ通路がある」
調査隊の先導を務めていた魔術師が、破れた壁の奥を指差した。
人ひとりがやっと通れるほどの隙間だったが、そこから微かに漂ってくる魔力の濁りが、ただの空間ではないことを示していた。
僕とカチャは顔を見合わせると、無言のまま頷き合い、その隙間をすり抜けていく。
足元の石畳が、徐々に黒く変色していくのが分かった。それは、ただの汚れではない。魔術的な〝侵食〟の痕跡だ。
まるで空間そのものが、見えない病に罹っているかのようだった。やがて、通路の先に開けた空間があらわれる。
そこはかつて、儀式のために使われた場所だったのかもしれない。
だが今やその面影は消え失せ、天井から吊られた無数の血塗れの鎖と、中央に配置された異様な台座が、異教の儀式が繰り返されたことを物語っていた。
「あれを見てくれ……」
調査員のひとりが、壁に並ぶ〝碑文〟のようなものに目を留めた。
古代語で刻まれたそれは、褪せていてすぐには読めない。しかし、血と骨で塗り固められたその異形の形状は、見る者に拒絶と悪寒を呼び起こす。
「この印……帝国の禁術文書に記録があった。〝魂の封印〟に関する印だ」
「……つまり、儀式は完成したということか」
「……それも、帝都の中で……?」
誰かの言葉に、部屋の温度が下がったような錯覚が走った。
僕は、台座の上に転がっていた分厚い皮装の書物を拾い上げた。血の滲んだ筆致で埋め尽くされ、内容のほとんどは意味をなさなかった。
けれど数ページだけ、明確な記録が残されていた。
――選ばれし器、第五段階に達す。
――儀式は成功。帝都への帰還、護送完了。
――つぎなる目覚め、神意を仰ぐのみ。
この記録が本物であれば――完全な器は、すでに帝都に潜んでいる。
邪神そのものの依り代――人の皮を被った神性の核が、すでに帝国中枢に潜んでいるということだった。
「……すぐに報告しなければいけないみたい」
カチャは冷静に言ったが、声はいつになく硬かった。
僕は黙ってうなずいた。心臓は静かに、しかし確かに脈打っていた。これは始まりだった。かつてない戦いの――見えざる脅威、神の災厄の幕開けだった。
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