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4章 選んだ道
43話 唯一の領土
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聖ガイア歴302年 銀竜の月 10日
マリナポルタ地方 ククルカン領
ククルカン家屋敷
ククルカン家の屋敷は、白と青を基調とした造りだった。
硬質な大理石が足を押し返し、目の前には重厚な階段があった。
「ようこそ、ゆっくりしていきたまえ」
デネボラの父ーーアルギエバが手を広げて大仰に告げた。
臣下がズラリと並び、歓迎した。
その中には、銀のネックレスをしている者が見える。
蛇と盾ーー燐灰騎士団の証がちらつく。
「さ、まずは食事でもしよう」
「「ありがとうございます」」
---
友好を深める食事会は格式高いテーブルで行われた。
肉を包む香草やパンの柔らかな匂いが鼻を刺激する。
「……ッ!」
ライオットは礼儀を崩さないながらも、豪快に食べ進めた。
アルギエバは、若者達を嬉しそうに見つめていた。
デネボラと同じ、紫紺の瞳。
しかし、やや剣呑な顔で口を開いた。
「……君が、アルフェラッツ君だね?」
「おう!」
アルギエバはチラリと部屋の一角、武器掛けにある聖剣ノトスを見やる。
「……その剣、亡き我が妻が祝福したものだよ」
「えッ!? あの聖剣が…………じゃあオッさんに返すか?」
「気遣い不要だ。ただ、大事に使ってやってくれ」
「……おう」
ラッツは聖剣ノトスを一瞥すると、控え目にスープをすすり、ククルカン一家が描かれた肖像画に目をやる。
「……あれが我が妻デューアだ。息子はレグルス。10年ほど前に、彼方の国へ渡ったよ」
「すげえ良い女っスね」
「君は騎士にしては荒っぽいが……心が少し軽くなるよ。どうか、沢山食べてくれ」
「おう!」
ラッツはガツガツと食べ出した。
いつもの彼らしい。
食事会は一時の緊張を除き、静かに、穏やかに続いた。
---
……解決は簡単な話だ
……祝福されしあの男と戦う
……あの脇腹を削り取る
……そして、血を啜れば良い
……それで俺は赦される
……列福され、彼方の国へ向かえる
屋敷を囲う壁に着いた黒いシミは跡形も無く消えた。
---
ライオットは割り当てられた部屋で休んでいた。
夜空を見ながら装備の手入れをすると、心が清められる気がしていた。
不意に、扉がノックされる。
「ライオット様。アルギエバ様がお呼びです」
「はい。直ぐに伺います」
少しだけ、心がざわついた。
アルギエバの私室は、屋敷の格式と比べて随分と質素な印象を受けた。
木と本の匂いがした。
アルギエバ、デネボラが待っていた。
「夜分遅くにすまんな」
「いえ。気持ち良い夜ですから、目が冴えておりまして」
「ここが、我々に唯一残された、領土なのだ。君とはここで話したかった」
「?」
デネボラは扉を見た後、ライオットの目を見つめ「臣下に燐灰騎士がいるのは知っているでしょう?」と静かにいった。
「なるほど」
ライオットは背筋を伸ばし、拳と足に力を入れた。
「最初に、我が息子レグルスを討ち取ったのは、君の父ファーゼン卿であることを告げておこう」
「……ッ!? えっ、それは」
ライオットはデネボラを見る。
彼女は少しだけ、目が潤んでいた。
「だが、私は君を恨んでいない。それは君の父が、方々に飛び回って便宜を図ってくれたからだ」
デネボラは頷く。
アルギエバは息継ぎして続ける。
「もし、あの日、ここに来たのが清廉なる黒曜騎士団では無く、月長騎士団なら」
「もし、あの日、ファーゼン卿が来ていなかったら。私、娘ともども彼方の国へ向かっていたはずだ」
アルギエバは家族の肖像画を見上げた。
「デネボラも……知っていたのか?」
ライオットは、彼女達を交互に見つめ、奥歯で舌を噛み、手のひらに爪を立てた。
潮風に息苦しさを感じ、動悸が痛い。
背中は微かに汗をかいたようで、どうしようもなく不快だった。
「ええ、アナタと初めて話した次の次の日には、ね」
「……俺を責めなかったのは何故?」
「あなたは関係ないからよ」
「それは、そうだけど……すま」
「謝らないでッ!!」
心臓が飛び出そうになる。
「謝らないで。お願い。兄様も母様も誇り高く、勇敢に戦った結果よ」
「そうだったな……ごめん」
「その謝罪は……ま、いいわ」
デネボラは髪を掻き上げる。
アルギエバは咳払いをしてから、静かに続けた。
「さて、君を呼んだのは、だね。我が娘デネボラは、学内でどのような様子かを伺いたかったのだ。本音でな」
ライオットが眉をひそめていると、紙片が差し出された。
"紙片で話そう"
「わかりました」
デネボラとアルギエバの顔を見ると、口を一文字にしており、その表情はとてもよく似ていた。
建前の言葉は、軽く、明るい話題のみだ。そちらにも少し意識を割き、紙片に注目する。
"アウロラを今でも恨んでいるのかね?"
"はい"
"それを聞いて安心した。我が同志よ"
その文字を見て、すぐさまアルギエバの顔を見る。
アルギエバは神妙にうなづいていた。
デネボラは、普段の飄々とした態度が鳴りをひそめ、真面目な顔をしており、胸を押さえていた。
痛くなるほどの心音が、ここまで聴こえてきそう。
"私はアウロラ打倒を考えている"
"しかし、私怨では無い"
"魔獣はアウロラの教化と関係しているはずだ"
ライオットはデネボラの言葉を反芻した。あの日、言われた推理。
"ノトス様が『軍神マルスを運ぶ渡守』と系譜図に刻まれた"
"屈辱のあの日から、領内の人が魔獣に成るようになった"
彼は事前に紙片を用意していたようで、ツラツラと出してくる。
"ノトス様とマリナポルタは切っても切れないわ。でも、ノトス様を信じれば、マルスも信じることになる"
デネボラはため息を吐く。
ライオットが見てきた街並みでは、漁港や市場が賑わっていた。
この地は、航海による恵みで支えられている。
"教化と魔獣出没に何の関連が?"
デネボラの唇が脳裏をよぎる。
あの日、彼女が話した事だ。
"まだ分からない"
アルギエバは歯噛みした。
"俺は何をすれば?"
"力を蓄え、情報をかき集めて欲しい"
今のままでは何も出来ない。
力を蓄えないといけない。
"なぜ、俺を同志と?"
ライオットは同志の文字から目が離せないでいた。
"君に『聖下の懐剣』の情報を開示した"
アルギエバはデネボラの顔を見ず、親指で指差す。その顔はしかめっ面だ。
デネボラは小さく舌を出す。
ライオットはその様に目を点にする。
"全く、誰に似たんだか"
"父様、母様以外あり得るの?"
デネボラはすぐに紙片に書き足した。
"大変ですね"
"全くだ"
ライオットがアルギエバを憐憫の顔で見ると、デネボラはジトっと睨む。
アルギエバは咳払いをして、真剣な顔でライオットを睨む。
"一つ問おう"
"君に父は討てるのか?"
ライオットはその文字を見て、身体が固まった。
今まで、考えなかった訳では無いが、その思考には蓋をしてきた。
唯一の父。
幼き頃は、英雄。
今は、冷え切った関係の超えるべき壁。
ライオットは思考を続け、最良の回答、最良の結果を考えた。
場の雰囲気、デネボラの視線に流される事なく選ばないといけない。
選択と責任。
15歳の少年が背負うには重たい十字架。
"うてます"
ライオットは頭が痛くなり、こめかみを強く押さえた。
"我々もファーゼン卿には恩義がある"
"無論、配慮は尽くす"
"ありがとうございます"
ライオットの目尻と鼻頭が熱くなる。
清涼な潮風など感じないかのよう。
デネボラは彼の肩を優しく抱きしめた。
不意に、アルギエバは紙片を蝋燭で燃やし尽くした。
本音の会話が終わったのだ。
「ところで、デネボラよ。士官学校はどうだ?」
「皆、良くしてくれているわ。私は人質なのにね。ただ、修練が多くて、ほら、こんなに逞しくなってしまったのが悩みかしらね……」
そう言ってデネボラは力こぶを見せた。
しかし、ライオットからすると、ヒョロヒョロのもやしのような腕だ。
「デネボラの見えない一面が知れて本当に良かったよ。夜分にすまなかったね」
アルギエバがそう言って、場を閉じようとしたその時だった。
窓の外に気配を感じた。
「後ろだッ!」
ライオットは咄嗟に叫ぶ。
窓硝子が割れる音。
肉が裂ける音。
「? なっ、ぐあッ!」
「父様ッ!?」
アルギエバの脇腹が射抜かれた。
外を見ると、月明かりの下、狼が中空遠方に見えた。
魔獣だ。
ライオットはアルギエバを机に隠した。
壁の盾を素早く引っ剥がし、窓に向き直る。
「デネボラッ! 俺の弓を持ってきてくれ! 後、臣下に報告!」
「わ、わかったわ!」
デネボラは、もつれる脚を叱咤しながら、勢いよく扉から飛び出した。
盾に鈍い衝撃が走る。
金属同士が弾けるような高音。
「ぐっ……く……」
衝撃が殺し切れず、残響が腕に残る。
部屋の中にその飛んできた何かが転がる。黒い牙。
「……ライオット君、私は捨ておけ。もう助からんだろう。君は安全な所へ。う"っ、ごほっ、ごほっ」
アルギエバは血反吐を吐く。
床に溜まる血は、赤く、多い。
「何言ってるんですかッ! アルギエバさんには、まだ責任がある。傷口を押さえて、隠れてください」
ライオットは清潔な布切れを渡し、彼を庇う様に盾を構えた。
再び、鈍撃。
盾にヒビが入る。
「くそっ!」
傷口を焼くべきか。
いや、吐血は内臓の損傷。
魔獣の影響なら焼くだけ無駄。
逡巡していると、
「ライオット!」
「来てくれたか」
デネボラが臣下を連れてきた。
弓を受け取り、魔獣を狙う。
残り500mほど。
落ち着いて良く見ると、こちらに向かって空中を駆けている。
人智が及ばない不可思議。
穢れた黒い牙は、あの遥か遠方から射出されたのか。
窓の下では、騎士団が弩を構えている。
近距離にて、矢の雨を降らせる算段。
しかし、それを待っていては、何本もの牙が飛来する。
ライオットが討たねばならない。
月明かりが敵を照らす。
窓を開けると潮風が髪を揺らす。
航海しているシーンを頭に描く。
航海の果て、海の獲物を弓で射抜く。
「よしっ……」
弓の弦が星の輝きを見せる。
友より賜りし、航海の神の恩寵。
月と敵を重ね、射る。
手応えがない。
「ダメか。遠過ぎて威力が足らない!」
魔獣は牙で矢を打ち払った。
続けて、牙を飛ばしてくる。
「ぐっ!」
鉄の溶ける音と匂い。
盾が破壊された。
身を守るものが無い。
あの牙は呪いを振り撒く。
どんな被害が出ることか。
ここで討滅せねば。
再び弓を構えるも、アルギエバが遮る。
脇腹に巻いた包帯が赤に染まっていた。
「……はぁ、はぁ、弓を貸せっ」
「え、でも」
「……早くしろっ」
アルギエバは弓を手にすると、零れた血を臣下の持ってきた治療用の桶に注ぐ。
「……はぁ、はぁ、げぼっ……我が神、慈悲なるノトス様……」
アルギエバは、己の血肉を使って弓を聖別した。
弓は大量の聖者の血を吸い込んだ。
血で染まった部分が白く輝く。
渡守の乙女、南風の加護。
「……使えッ!」
弓を受け取り、航海に出た自分を描く。
潮風のにおいがした。
心を落ち着かせ、何千回もした弓構え。
ーー矢を放つ
ーー白く輝き
ーー夜の風を切り裂く
「あたっ……た」
確かな手応え。
魔獣の動きが止まる。
月に映る狼のシルエットが頭から徐々に消えていくのが見えた。
異形は灰になり、溶けていった。
「……やったな、ライオット君。ごぼっ!」
「しゃべらないで下さい!」
アルギエバは手当の甲斐が無く、血反吐を垂らしていた。
「……デネボラ」
「はい……」
デネボラは口をギュッと結び、父の手を握りしめていた。
「……明日からは、お前が領主、に、なる。皆に助けてもらい、励む、ことだ……」
「分かりました」
デネボラは鼻頭が赤く、目から銀色に見える雫が垂れていた。
「……それから、ライオット君」
「アルギエバさん、俺」
「……もう、いいんだ。何も言うな。ただ、娘を泣かせたら、承知しないからな」
「肝に銘じます」
「ふ……良い男だな。あぁ……ノトス様。私を、デューア、レグルスの元へ…………」
アルギエバの手から力が抜けた。
彼は航海の乙女ノトスの慈悲なる導きによって、彼方の国へ旅立った。
「父様ッ! とうさま………あぁ……」
デネボラは手をいつまでも離さなかった。その手はまるで祈るかのよう。
「デネボラ……」
ライオットは彼女の肩に羽織を着せて、彼女が落ち着くまで寄り添っていた。
運命の夜から、ククルカン領は若き公女が取り仕切る事になった。
親の旅立ちは、子の糧に。
マリナポルタ地方 ククルカン領
ククルカン家屋敷
ククルカン家の屋敷は、白と青を基調とした造りだった。
硬質な大理石が足を押し返し、目の前には重厚な階段があった。
「ようこそ、ゆっくりしていきたまえ」
デネボラの父ーーアルギエバが手を広げて大仰に告げた。
臣下がズラリと並び、歓迎した。
その中には、銀のネックレスをしている者が見える。
蛇と盾ーー燐灰騎士団の証がちらつく。
「さ、まずは食事でもしよう」
「「ありがとうございます」」
---
友好を深める食事会は格式高いテーブルで行われた。
肉を包む香草やパンの柔らかな匂いが鼻を刺激する。
「……ッ!」
ライオットは礼儀を崩さないながらも、豪快に食べ進めた。
アルギエバは、若者達を嬉しそうに見つめていた。
デネボラと同じ、紫紺の瞳。
しかし、やや剣呑な顔で口を開いた。
「……君が、アルフェラッツ君だね?」
「おう!」
アルギエバはチラリと部屋の一角、武器掛けにある聖剣ノトスを見やる。
「……その剣、亡き我が妻が祝福したものだよ」
「えッ!? あの聖剣が…………じゃあオッさんに返すか?」
「気遣い不要だ。ただ、大事に使ってやってくれ」
「……おう」
ラッツは聖剣ノトスを一瞥すると、控え目にスープをすすり、ククルカン一家が描かれた肖像画に目をやる。
「……あれが我が妻デューアだ。息子はレグルス。10年ほど前に、彼方の国へ渡ったよ」
「すげえ良い女っスね」
「君は騎士にしては荒っぽいが……心が少し軽くなるよ。どうか、沢山食べてくれ」
「おう!」
ラッツはガツガツと食べ出した。
いつもの彼らしい。
食事会は一時の緊張を除き、静かに、穏やかに続いた。
---
……解決は簡単な話だ
……祝福されしあの男と戦う
……あの脇腹を削り取る
……そして、血を啜れば良い
……それで俺は赦される
……列福され、彼方の国へ向かえる
屋敷を囲う壁に着いた黒いシミは跡形も無く消えた。
---
ライオットは割り当てられた部屋で休んでいた。
夜空を見ながら装備の手入れをすると、心が清められる気がしていた。
不意に、扉がノックされる。
「ライオット様。アルギエバ様がお呼びです」
「はい。直ぐに伺います」
少しだけ、心がざわついた。
アルギエバの私室は、屋敷の格式と比べて随分と質素な印象を受けた。
木と本の匂いがした。
アルギエバ、デネボラが待っていた。
「夜分遅くにすまんな」
「いえ。気持ち良い夜ですから、目が冴えておりまして」
「ここが、我々に唯一残された、領土なのだ。君とはここで話したかった」
「?」
デネボラは扉を見た後、ライオットの目を見つめ「臣下に燐灰騎士がいるのは知っているでしょう?」と静かにいった。
「なるほど」
ライオットは背筋を伸ばし、拳と足に力を入れた。
「最初に、我が息子レグルスを討ち取ったのは、君の父ファーゼン卿であることを告げておこう」
「……ッ!? えっ、それは」
ライオットはデネボラを見る。
彼女は少しだけ、目が潤んでいた。
「だが、私は君を恨んでいない。それは君の父が、方々に飛び回って便宜を図ってくれたからだ」
デネボラは頷く。
アルギエバは息継ぎして続ける。
「もし、あの日、ここに来たのが清廉なる黒曜騎士団では無く、月長騎士団なら」
「もし、あの日、ファーゼン卿が来ていなかったら。私、娘ともども彼方の国へ向かっていたはずだ」
アルギエバは家族の肖像画を見上げた。
「デネボラも……知っていたのか?」
ライオットは、彼女達を交互に見つめ、奥歯で舌を噛み、手のひらに爪を立てた。
潮風に息苦しさを感じ、動悸が痛い。
背中は微かに汗をかいたようで、どうしようもなく不快だった。
「ええ、アナタと初めて話した次の次の日には、ね」
「……俺を責めなかったのは何故?」
「あなたは関係ないからよ」
「それは、そうだけど……すま」
「謝らないでッ!!」
心臓が飛び出そうになる。
「謝らないで。お願い。兄様も母様も誇り高く、勇敢に戦った結果よ」
「そうだったな……ごめん」
「その謝罪は……ま、いいわ」
デネボラは髪を掻き上げる。
アルギエバは咳払いをしてから、静かに続けた。
「さて、君を呼んだのは、だね。我が娘デネボラは、学内でどのような様子かを伺いたかったのだ。本音でな」
ライオットが眉をひそめていると、紙片が差し出された。
"紙片で話そう"
「わかりました」
デネボラとアルギエバの顔を見ると、口を一文字にしており、その表情はとてもよく似ていた。
建前の言葉は、軽く、明るい話題のみだ。そちらにも少し意識を割き、紙片に注目する。
"アウロラを今でも恨んでいるのかね?"
"はい"
"それを聞いて安心した。我が同志よ"
その文字を見て、すぐさまアルギエバの顔を見る。
アルギエバは神妙にうなづいていた。
デネボラは、普段の飄々とした態度が鳴りをひそめ、真面目な顔をしており、胸を押さえていた。
痛くなるほどの心音が、ここまで聴こえてきそう。
"私はアウロラ打倒を考えている"
"しかし、私怨では無い"
"魔獣はアウロラの教化と関係しているはずだ"
ライオットはデネボラの言葉を反芻した。あの日、言われた推理。
"ノトス様が『軍神マルスを運ぶ渡守』と系譜図に刻まれた"
"屈辱のあの日から、領内の人が魔獣に成るようになった"
彼は事前に紙片を用意していたようで、ツラツラと出してくる。
"ノトス様とマリナポルタは切っても切れないわ。でも、ノトス様を信じれば、マルスも信じることになる"
デネボラはため息を吐く。
ライオットが見てきた街並みでは、漁港や市場が賑わっていた。
この地は、航海による恵みで支えられている。
"教化と魔獣出没に何の関連が?"
デネボラの唇が脳裏をよぎる。
あの日、彼女が話した事だ。
"まだ分からない"
アルギエバは歯噛みした。
"俺は何をすれば?"
"力を蓄え、情報をかき集めて欲しい"
今のままでは何も出来ない。
力を蓄えないといけない。
"なぜ、俺を同志と?"
ライオットは同志の文字から目が離せないでいた。
"君に『聖下の懐剣』の情報を開示した"
アルギエバはデネボラの顔を見ず、親指で指差す。その顔はしかめっ面だ。
デネボラは小さく舌を出す。
ライオットはその様に目を点にする。
"全く、誰に似たんだか"
"父様、母様以外あり得るの?"
デネボラはすぐに紙片に書き足した。
"大変ですね"
"全くだ"
ライオットがアルギエバを憐憫の顔で見ると、デネボラはジトっと睨む。
アルギエバは咳払いをして、真剣な顔でライオットを睨む。
"一つ問おう"
"君に父は討てるのか?"
ライオットはその文字を見て、身体が固まった。
今まで、考えなかった訳では無いが、その思考には蓋をしてきた。
唯一の父。
幼き頃は、英雄。
今は、冷え切った関係の超えるべき壁。
ライオットは思考を続け、最良の回答、最良の結果を考えた。
場の雰囲気、デネボラの視線に流される事なく選ばないといけない。
選択と責任。
15歳の少年が背負うには重たい十字架。
"うてます"
ライオットは頭が痛くなり、こめかみを強く押さえた。
"我々もファーゼン卿には恩義がある"
"無論、配慮は尽くす"
"ありがとうございます"
ライオットの目尻と鼻頭が熱くなる。
清涼な潮風など感じないかのよう。
デネボラは彼の肩を優しく抱きしめた。
不意に、アルギエバは紙片を蝋燭で燃やし尽くした。
本音の会話が終わったのだ。
「ところで、デネボラよ。士官学校はどうだ?」
「皆、良くしてくれているわ。私は人質なのにね。ただ、修練が多くて、ほら、こんなに逞しくなってしまったのが悩みかしらね……」
そう言ってデネボラは力こぶを見せた。
しかし、ライオットからすると、ヒョロヒョロのもやしのような腕だ。
「デネボラの見えない一面が知れて本当に良かったよ。夜分にすまなかったね」
アルギエバがそう言って、場を閉じようとしたその時だった。
窓の外に気配を感じた。
「後ろだッ!」
ライオットは咄嗟に叫ぶ。
窓硝子が割れる音。
肉が裂ける音。
「? なっ、ぐあッ!」
「父様ッ!?」
アルギエバの脇腹が射抜かれた。
外を見ると、月明かりの下、狼が中空遠方に見えた。
魔獣だ。
ライオットはアルギエバを机に隠した。
壁の盾を素早く引っ剥がし、窓に向き直る。
「デネボラッ! 俺の弓を持ってきてくれ! 後、臣下に報告!」
「わ、わかったわ!」
デネボラは、もつれる脚を叱咤しながら、勢いよく扉から飛び出した。
盾に鈍い衝撃が走る。
金属同士が弾けるような高音。
「ぐっ……く……」
衝撃が殺し切れず、残響が腕に残る。
部屋の中にその飛んできた何かが転がる。黒い牙。
「……ライオット君、私は捨ておけ。もう助からんだろう。君は安全な所へ。う"っ、ごほっ、ごほっ」
アルギエバは血反吐を吐く。
床に溜まる血は、赤く、多い。
「何言ってるんですかッ! アルギエバさんには、まだ責任がある。傷口を押さえて、隠れてください」
ライオットは清潔な布切れを渡し、彼を庇う様に盾を構えた。
再び、鈍撃。
盾にヒビが入る。
「くそっ!」
傷口を焼くべきか。
いや、吐血は内臓の損傷。
魔獣の影響なら焼くだけ無駄。
逡巡していると、
「ライオット!」
「来てくれたか」
デネボラが臣下を連れてきた。
弓を受け取り、魔獣を狙う。
残り500mほど。
落ち着いて良く見ると、こちらに向かって空中を駆けている。
人智が及ばない不可思議。
穢れた黒い牙は、あの遥か遠方から射出されたのか。
窓の下では、騎士団が弩を構えている。
近距離にて、矢の雨を降らせる算段。
しかし、それを待っていては、何本もの牙が飛来する。
ライオットが討たねばならない。
月明かりが敵を照らす。
窓を開けると潮風が髪を揺らす。
航海しているシーンを頭に描く。
航海の果て、海の獲物を弓で射抜く。
「よしっ……」
弓の弦が星の輝きを見せる。
友より賜りし、航海の神の恩寵。
月と敵を重ね、射る。
手応えがない。
「ダメか。遠過ぎて威力が足らない!」
魔獣は牙で矢を打ち払った。
続けて、牙を飛ばしてくる。
「ぐっ!」
鉄の溶ける音と匂い。
盾が破壊された。
身を守るものが無い。
あの牙は呪いを振り撒く。
どんな被害が出ることか。
ここで討滅せねば。
再び弓を構えるも、アルギエバが遮る。
脇腹に巻いた包帯が赤に染まっていた。
「……はぁ、はぁ、弓を貸せっ」
「え、でも」
「……早くしろっ」
アルギエバは弓を手にすると、零れた血を臣下の持ってきた治療用の桶に注ぐ。
「……はぁ、はぁ、げぼっ……我が神、慈悲なるノトス様……」
アルギエバは、己の血肉を使って弓を聖別した。
弓は大量の聖者の血を吸い込んだ。
血で染まった部分が白く輝く。
渡守の乙女、南風の加護。
「……使えッ!」
弓を受け取り、航海に出た自分を描く。
潮風のにおいがした。
心を落ち着かせ、何千回もした弓構え。
ーー矢を放つ
ーー白く輝き
ーー夜の風を切り裂く
「あたっ……た」
確かな手応え。
魔獣の動きが止まる。
月に映る狼のシルエットが頭から徐々に消えていくのが見えた。
異形は灰になり、溶けていった。
「……やったな、ライオット君。ごぼっ!」
「しゃべらないで下さい!」
アルギエバは手当の甲斐が無く、血反吐を垂らしていた。
「……デネボラ」
「はい……」
デネボラは口をギュッと結び、父の手を握りしめていた。
「……明日からは、お前が領主、に、なる。皆に助けてもらい、励む、ことだ……」
「分かりました」
デネボラは鼻頭が赤く、目から銀色に見える雫が垂れていた。
「……それから、ライオット君」
「アルギエバさん、俺」
「……もう、いいんだ。何も言うな。ただ、娘を泣かせたら、承知しないからな」
「肝に銘じます」
「ふ……良い男だな。あぁ……ノトス様。私を、デューア、レグルスの元へ…………」
アルギエバの手から力が抜けた。
彼は航海の乙女ノトスの慈悲なる導きによって、彼方の国へ旅立った。
「父様ッ! とうさま………あぁ……」
デネボラは手をいつまでも離さなかった。その手はまるで祈るかのよう。
「デネボラ……」
ライオットは彼女の肩に羽織を着せて、彼女が落ち着くまで寄り添っていた。
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地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。
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