24 / 28
24
しおりを挟む
ガタガタと揺れる、サスペンションの効いていない護送馬車の中。
かつて「悲劇のヒロイン」を自称していた男爵令嬢、ルル・ピピンは、もはや見る影もなく崩れ落ちていた。
「うわぁぁぁん! 嫌ですぅ、嫌ですぅ! どうしてルルが、ジャガイモしか獲れないような北の果てに行かなきゃいけないんですかぁ!」
彼女の絶叫は、狭い車内に空虚に響き渡る。
隣に座るエドワード様は、虚空を見つめたままピクリとも動かない。
彼はすでに、精神的なキャパシティをオーバークロックして停止(フリーズ)していた。
「エドワード様ぁ! なんとか言ってくださいぃ! ルルのこと、一生守ってくれるって言ったじゃないですかぁ! 愛があれば、豪華なドレスもお城もいらないって言ったのは嘘だったんですかぁ!」
「……うるさい。……愛で腹が膨れるか。……愛で税金が払えるのか」
エドワード様が、枯れ果てた声でボソリと呟いた。
その言葉は、奇しくも私が以前、彼に突きつけた「合理的な真実」そのものだった。
「ひ、酷いですぅ! エドワード様まで、メアリー様みたいな冷たいことを言うなんてぇ! ルルの可愛さが分からない人たちは、みんな悪魔ですぅ!」
その時。
ルル様は、自分の座席の足元に、一冊の冊子が落ちていることに気づいた。
表紙には、見覚えのある、整然とした美しい筆跡でタイトルが記されている。
『北方の開拓地における、生存戦略(サバイバル)と労働効率の最大化について ―― 監修:メアリー・アディントン』
「な、なんですかぁ、これ……」
ルル様が震える手でその冊子を開くと、一ページ目にはこう書かれていた。
『親愛なるルル様へ。
貴女の涙は一分間で約五ミリリットルの水分を体外へ放出します。
これは乾燥した北方においては、致命的な脱水症状を招く「無駄な支出」です。
泣く暇があるなら、以下の「効率的な薪(まき)割りの角度」を百回読んで頭に叩き込みなさい』
「……ひっ! ま、薪割りぃ!? ルルの白くて細い指が、ささくれだらけになっちゃいますぅ!」
ページをめくるたび、そこには無慈悲なまでの「現実」が数値化されていた。
『項目一:一日あたりの最低摂取カロリーと、それに見合う労働量。
項目二:美容液の代わりに「熊の脂」を顔に塗ることで得られる、防寒・保湿コストの比較。
項目三:甘えた声で男を唆(そそのか)す時間を、畑を耕す時間に変換した場合の収穫増益率』
「……う、うわぁぁぁん! メアリー様ぁ! 意地悪ですぅ! 最後までルルのことを数字でしか見てないんですぅ!」
ルル様は冊子を床に叩きつけ、火がついたように泣き叫んだ。
しかし、彼女はまだ気づいていなかった。
その冊子の最後のページには、彼女の唯一の生存ルートが記されていたことを。
『追伸:このマニュアル通りに働けば、三年に一度、公爵家から特製の石鹸を支給して差し上げます。
清潔さは、労働意欲(モチベーション)を高めるための重要な投資ですからね』
「……石鹸……三年に一度……。……あ、あはは……あはははは!」
ついにルル様の笑い声が、馬車の揺れと共に狂気の色を帯び始めた。
可愛げという名の、何の担保もない資産(愛)を振りかざして生きてきた彼女にとって、そこはあまりにも冷たく、あまりにも「具体的」な地獄だった。
一方、その頃。
王宮のテラスで、私はサイラス様と共に、去りゆく馬車の土煙を遠くに眺めていた。
「……メアリー。……あの冊子、本当に渡したのか?」
サイラス様が、呆れたように、けれど愛おしそうに私に問いかける。
「ええ。……慈悲(コスト)ですわ。……何も知らないまま北の地で野垂れ死ぬよりは、私の作成したマニュアルに従って、一ギルでも多くの富を生産する方が、国家にとっても彼女にとっても有益でしょう?」
私は、最後の一口の紅茶を飲み干した。
涙で予算は増えないし、愛で冬は越せない。
それが、私が導き出した、この世界で最も効率的な「正解」だ。
「……君は本当に、残酷なまでに優しいな。……さあ、メアリー。……不純物の処理は終わった。……次は、私たちの結婚式の招待状の、フォントの太さを決めるという重大な公務が待っているぞ」
「……ええ。……一ミリ単位で調整しましょう、サイラス様。……妥協は、人生に対する最大の背任行為ですもの」
私たちは並んで、執務室へと戻っていった。
ルル様の号泣は、もう誰の耳にも届かない、歴史の「端数」として処理されたのだった。
かつて「悲劇のヒロイン」を自称していた男爵令嬢、ルル・ピピンは、もはや見る影もなく崩れ落ちていた。
「うわぁぁぁん! 嫌ですぅ、嫌ですぅ! どうしてルルが、ジャガイモしか獲れないような北の果てに行かなきゃいけないんですかぁ!」
彼女の絶叫は、狭い車内に空虚に響き渡る。
隣に座るエドワード様は、虚空を見つめたままピクリとも動かない。
彼はすでに、精神的なキャパシティをオーバークロックして停止(フリーズ)していた。
「エドワード様ぁ! なんとか言ってくださいぃ! ルルのこと、一生守ってくれるって言ったじゃないですかぁ! 愛があれば、豪華なドレスもお城もいらないって言ったのは嘘だったんですかぁ!」
「……うるさい。……愛で腹が膨れるか。……愛で税金が払えるのか」
エドワード様が、枯れ果てた声でボソリと呟いた。
その言葉は、奇しくも私が以前、彼に突きつけた「合理的な真実」そのものだった。
「ひ、酷いですぅ! エドワード様まで、メアリー様みたいな冷たいことを言うなんてぇ! ルルの可愛さが分からない人たちは、みんな悪魔ですぅ!」
その時。
ルル様は、自分の座席の足元に、一冊の冊子が落ちていることに気づいた。
表紙には、見覚えのある、整然とした美しい筆跡でタイトルが記されている。
『北方の開拓地における、生存戦略(サバイバル)と労働効率の最大化について ―― 監修:メアリー・アディントン』
「な、なんですかぁ、これ……」
ルル様が震える手でその冊子を開くと、一ページ目にはこう書かれていた。
『親愛なるルル様へ。
貴女の涙は一分間で約五ミリリットルの水分を体外へ放出します。
これは乾燥した北方においては、致命的な脱水症状を招く「無駄な支出」です。
泣く暇があるなら、以下の「効率的な薪(まき)割りの角度」を百回読んで頭に叩き込みなさい』
「……ひっ! ま、薪割りぃ!? ルルの白くて細い指が、ささくれだらけになっちゃいますぅ!」
ページをめくるたび、そこには無慈悲なまでの「現実」が数値化されていた。
『項目一:一日あたりの最低摂取カロリーと、それに見合う労働量。
項目二:美容液の代わりに「熊の脂」を顔に塗ることで得られる、防寒・保湿コストの比較。
項目三:甘えた声で男を唆(そそのか)す時間を、畑を耕す時間に変換した場合の収穫増益率』
「……う、うわぁぁぁん! メアリー様ぁ! 意地悪ですぅ! 最後までルルのことを数字でしか見てないんですぅ!」
ルル様は冊子を床に叩きつけ、火がついたように泣き叫んだ。
しかし、彼女はまだ気づいていなかった。
その冊子の最後のページには、彼女の唯一の生存ルートが記されていたことを。
『追伸:このマニュアル通りに働けば、三年に一度、公爵家から特製の石鹸を支給して差し上げます。
清潔さは、労働意欲(モチベーション)を高めるための重要な投資ですからね』
「……石鹸……三年に一度……。……あ、あはは……あはははは!」
ついにルル様の笑い声が、馬車の揺れと共に狂気の色を帯び始めた。
可愛げという名の、何の担保もない資産(愛)を振りかざして生きてきた彼女にとって、そこはあまりにも冷たく、あまりにも「具体的」な地獄だった。
一方、その頃。
王宮のテラスで、私はサイラス様と共に、去りゆく馬車の土煙を遠くに眺めていた。
「……メアリー。……あの冊子、本当に渡したのか?」
サイラス様が、呆れたように、けれど愛おしそうに私に問いかける。
「ええ。……慈悲(コスト)ですわ。……何も知らないまま北の地で野垂れ死ぬよりは、私の作成したマニュアルに従って、一ギルでも多くの富を生産する方が、国家にとっても彼女にとっても有益でしょう?」
私は、最後の一口の紅茶を飲み干した。
涙で予算は増えないし、愛で冬は越せない。
それが、私が導き出した、この世界で最も効率的な「正解」だ。
「……君は本当に、残酷なまでに優しいな。……さあ、メアリー。……不純物の処理は終わった。……次は、私たちの結婚式の招待状の、フォントの太さを決めるという重大な公務が待っているぞ」
「……ええ。……一ミリ単位で調整しましょう、サイラス様。……妥協は、人生に対する最大の背任行為ですもの」
私たちは並んで、執務室へと戻っていった。
ルル様の号泣は、もう誰の耳にも届かない、歴史の「端数」として処理されたのだった。
0
あなたにおすすめの小説
婚約破棄で悪役令嬢を辞めたので、今日から素で生きます。
黒猫かの
恋愛
「エリー・オルブライト! 貴様との婚約を破棄する!」
豪華絢爛な夜会で、ウィルフレッド王子から突きつけられた非情な宣告。
しかし、公爵令嬢エリーの心境は……「よっしゃあ! やっと喋れるわ!!」だった。
幼馴染みの婚約者が「学生時代は愛する恋人と過ごさせてくれ」と言ってきたので、秒で婚約解消を宣言した令嬢の前世が、社畜のおっさんだった件。
灯乃
ファンタジー
子爵家の総領娘である令嬢の前に、巨乳美少女と腕を組んだ婚約者がやってきた。
曰く、「学生時代くらいは、心から愛する恋人と自由に過ごしたい。それくらい、黙って許容しろ」と。
婚約者を甘やかし過ぎていたことに気付いた彼女は、その場で婚約解消を宣言する。
前半はたぶん普通の令嬢もの、後半はおっさんコメディーです。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
不貞の子を身籠ったと夫に追い出されました。生まれた子供は『精霊のいとし子』のようです。
桧山 紗綺
恋愛
【完結】嫁いで5年。子供を身籠ったら追い出されました。不貞なんてしていないと言っても聞く耳をもちません。生まれた子は間違いなく夫の子です。夫の子……ですが。 私、離婚された方が良いのではないでしょうか。
戻ってきた実家で子供たちと幸せに暮らしていきます。
『精霊のいとし子』と呼ばれる存在を授かった主人公の、可愛い子供たちとの暮らしと新しい恋とか愛とかのお話です。
※※番外編も完結しました。番外編は色々な視点で書いてます。
時系列も結構バラバラに本編の間の話や本編後の色々な出来事を書きました。
一通り主人公の周りの視点で書けたかな、と。
番外編の方が本編よりも長いです。
気がついたら10万文字を超えていました。
随分と長くなりましたが、お付き合いくださってありがとうございました!
幽閉王女と指輪の精霊~嫁いだら幽閉された!餓死する前に脱出したい!~
二階堂吉乃
恋愛
同盟国へ嫁いだヴァイオレット姫。夫である王太子は初夜に現れなかった。たった1人幽閉される姫。やがて貧しい食事すら届かなくなる。長い幽閉の末、死にかけた彼女を救ったのは、家宝の指輪だった。
1年後。同盟国を訪れたヴァイオレットの従兄が彼女を発見する。忘れられた牢獄には姫のミイラがあった。激怒した従兄は同盟を破棄してしまう。
一方、下町に代書業で身を立てる美少女がいた。ヴィーと名を偽ったヴァイオレットは指輪の精霊と助けあいながら暮らしていた。そこへ元夫?である王太子が視察に来る。彼は下町を案内してくれたヴィーに恋をしてしまう…。
離婚する両親のどちらと暮らすか……娘が選んだのは夫の方だった。
しゃーりん
恋愛
夫の愛人に子供ができた。夫は私と離婚して愛人と再婚したいという。
私たち夫婦には娘が1人。
愛人との再婚に娘は邪魔になるかもしれないと思い、自分と一緒に連れ出すつもりだった。
だけど娘が選んだのは夫の方だった。
失意のまま実家に戻り、再婚した私が数年後に耳にしたのは、娘が冷遇されているのではないかという話。
事実ならば娘を引き取りたいと思い、元夫の家を訪れた。
再び娘が選ぶのは父か母か?というお話です。
久しぶりに会った婚約者は「明日、婚約破棄するから」と私に言った
五珠 izumi
恋愛
「明日、婚約破棄するから」
8年もの婚約者、マリス王子にそう言われた私は泣き出しそうになるのを堪えてその場を後にした。
さようならの定型文~身勝手なあなたへ
宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」
――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。
額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。
涙すら出なかった。
なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。
……よりによって、元・男の人生を。
夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。
「さようなら」
だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。
慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。
別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。
だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい?
「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」
はい、あります。盛りだくさんで。
元・男、今・女。
“白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。
-----『白い結婚の行方』シリーズ -----
『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる